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残光の箱庭  作者: 米田
2章
70/74

後日談:昇華

 茹だるような暑さは落ち着いてきたからか、蝉の声が一層うるさい。今までは暑すぎて活動量が少なかったんだろうか。暑さも落ち着いたなら同じように少なくなったって良いのに。気になってイライラする。

 遠くで微かに聞こえる蝉の大合唱と、ホノカちゃんの鼻歌を聴きながらページを捲った。彼女はソファに寝そべってイヤホンで音楽を聴いている。

 唐突に鼻歌が止まったので、視線をホノカちゃんへ投げた。彼女はゆっくり起き上がって私の方を向く。私はまた本へ視線を落とした。


「さっき私が歌ってた曲、レイさん知ってますか?」

「知ってるよ。それ私のオーディオプレイヤーだし」


 昔この家に一度寄った時に置いて、そのままだったものだ。掃除か何かで見つけて、まだ使えたのでホノカちゃんに渡した。それから彼女は夢中で聴き漁っている。


「さっきの曲のバンドって、もしかしてボーカルが複数グループで活動してます?」

「え……どうだろう」

「これ同じボーカルにしか聴こえないんですけど、違いますか?」

「どれ?」


 そう聞くと、ホノカちゃんは片側のイヤホンを外して私へ差し出す。本を両手で持っていたのですぐ受け取れず、それに気付いたホノカちゃんが近寄ってきて、私の顔の横の髪を耳にかけさせてイヤホンを付けてくれようとした。その手が露出した耳を見て、止まる。


「あれ?ピアス穴開いてる」


 ホノカちゃんが、私の耳を見て言う。


「そうだよ。気づかなかった?」

「えー髪で隠れてて分かりませんでした」


 私はホノカちゃんの耳たぶとか、うなじにホクロあるのも知ってるけどね。なんて心の中で呟く。伝えたところで気持ち悪いだけだろう。相手の体を隅々まで見て記憶してるなんて。

 同時に、彼女に対して少しイライラもした。私のこと、知らなすぎじゃない?なんて。耳なんてそんなに注目する部位でも無いだろうし、確かに髪で隠れていることの方が多かったので知らなくて当然だ。

 そもそも私は治療で彼女に触れる機会も多かったし、彼女のことをよく知っているのは当たり前だ。差があって然るべきだというのに、感情が制御できない。

 最近、すぐに感情的になってしまう。原因は分かっている。でも対処の仕方は分からなかった。こんな気持ち、どう処理すればいいんだろう。


「わ!すごい!こっちの耳結構穴開いてる!軟骨?まで穴ある!うそ!知らなかった!えー!痛かったんじゃないですか?」

「軟骨は痛かった」

「やっぱり?でも穴安定してるんですね。塞がってない」

「まあ……パンデミック前はずっと着けてたから」

「そっかあ。今は着けないんですか?」


 ホノカちゃんは私の耳に夢中だ。曲のことはすっかり忘れている。

 質問の答えを考える。どうだろう。ピアスの位置から私がレイであることがバレるのを嫌って外したんだ。まあもうバレてしまってるから意味ないんだろうけど。

 あのムカつく女の顔が一瞬過ぎって、すぐに脳から消し去った。

 私は乱暴にページをめくる。


「着けないかな。必要もないし」

「えー?見たかったな。残念」

「その内塞がるかもね」

「えー!?嫌だ!絶対見せてくださいよ!かっこいいレイさん見たい!」

「もう十分かっこいいでしょ」


 心にも思ってないけれど、視線を上げずに肩をすくめてそう言う。ホノカちゃんは少し笑う。


「そうですね。レイさんは、とってもかっこいいですよ」


 そう言って朗らかに笑って、少し首を傾げた。思わず顔を上げてしまった。だってあまりにも魅力的だ。春のあたたかな日差しの中で、ゆったりと咲く花のように彼女は微笑む。この間まであんなに揺らいで、自分の命まで投げ出そうとしていたのに、まるでそんなことは無かったかのように。

 この子の、背負っているもの、隠しているものがとても暗いのに、それを一切感じさせないところにひどく惹かれる。あの日見た夕焼けみたいな、退廃的なところがたまらなく好きなんだ。


「冗談、だったんだけど」

「分かりづらいですよ」


 クスクス笑う姿から目を離せない。もう、自分がどんな顔をしてるのかも分からない。胸の奥が痺れて、甘く痛む。

 ホノカちゃんは自分の両耳たぶを触って、何かを確かめた。


「私もピアス開けてみたいなー」

「え?」

「前々から興味あったんですよね。高校卒業してから開けようかなって思ってて。でも結局開ける暇もなかったな。髪も金髪にしてみたかったなあ」


 金髪のホノカちゃんを想像する。天使じゃん、なんて思って我ながらベタ惚れだな、と乾いた笑いが湧いた。笑った私を見て、ホノカちゃんが不思議そうな顔をする。


「……似合わないですかね」

「似合うと思うよ。見たかったね」

「へへ。舌とか、おへそにも開けてみたかったな。水着着た時に可愛いでしょ、おへそ」


 想像しようとして、すぐにやめた。良くない。


「軟骨より痛そうだね」


 そう無難に返事をして、肩をすくめた。ホノカちゃんは確かに、と言って頷く。そしてまた私の耳に視線を移した。


「……開けちゃおっかな〜ピアス」

「え?舌?」

「耳!耳です。さすがに初めてが舌は難易度高いですよ」


 そう言って、また自分の耳を触り始める。本当に開けるのだろうか。


「開けたかったからピアッサー自体は買ってて実家にあるんですよね」

「そうなの?」

「はい。持ってきちゃおっかな。まだ全然明るいし」


 思い立ったが吉日なのか、ホノカちゃんはそう言って立ち上がって歩き出した。私も立ち上がって隣を歩く。


「一緒行くよ」

「えー?大丈夫ですよ」

「行くって」


 彼女の軽い返事にイラッとして語気が強くなる。ホノカちゃんは少し困ったような顔になった。しまった、と思うけれど一度出た言葉は取り消せない。

 東京から帰ってきた日から、私はホノカちゃんが視界から消えると途端に不安になるようになった。だから最近は常に一緒にいる。彼女は何も言わない。毎回何も言わずに、困ったように微笑んでいる。

 私は溜息を吐いて首を振った。


「……ごめん、心配で」

「大丈夫ですよ。そうですね、じゃあ一緒に行きましょう」


 そう言って微笑んで、自然に私の手を握った。



******



 ホノカちゃんの実家の前に来る。私は家の外で待つことにした。タバコに火を付けて、煙を吸い込む。また吸うことになるとは思っていなかった。ただ、もうこの自分の中のイライラを抑えられなかった。煙で誤魔化して、本音を飲み込む。


 あの日、彼女の心臓が止まった。ほんの短時間だったけれど、心臓マッサージをしてる時間は永遠に感じた。肋骨を凹ませるくらい力を込めて押した感覚を忘れられない。思い出すだけで血が引いていって、手が震える。二度と、あんなことはしたくない。

 そもそも、東京になんて行かなければよかった。アイツ、アズマだって無視すればよかった。怪我をしていたし、放っておけば死んでいただろう。それが正解だったんだ。余裕がある大人の振りをして、ホノカちゃんの意見なんて聞かなければよかった。ずっと私は反対していたのに。

 もう、あんなことにならないように、閉じ込めて誰にも見られないようにして、自分だけが彼女を愛でていたい。彼女の意見なんて知らない、聞きたくもない。私たちは、一生お互いだけをただ見ていればいい。


 衝動的に煙草を地面に落として、靴で踏み躙る。灰皿を持っているんだから使えば良かった。こんな自分、知らない。溜息を吐いて、もう一度新しい煙草に火を付けた。深く吸い込んで、煙を吐き出す。


 ああ、今更ながらリカコさんともっと話しておけばよかった。私の接し方が間違っていたからホノカちゃんは薬を飲んでしまったんだろうか。もっと彼女に適した寄り添い方があったんじゃないだろうか。正解が分からない。


「お待たせしました〜ありましたよ〜えーと、16G?片耳ずつ!」


 玄関からホノカちゃんが勢いよく飛び出してくる。手には袋が二つ握られていた。


「ああ、丁度いいんじゃない?18だと安定しないって聞くし」

「へえ〜そうなんですね」


 そんなことを話しながら、私たちは帰路へ着く。ホノカちゃんは家に帰って、早速パッケージを開け始めた。本当に穴を開けるんだ。まあ、彼女は丁寧で几帳面だし、消毒もきちんとするだろうから心配ないか。

 そんな風に思って眺めていると、ピアッサーを見て彼女の手が止まる。鏡を前にして、うーん、と唸り何度も試そうとして結局やめてしまった。


「…………」

「……怖気付いた?」

「いやー……怖いですね……」


 毒薬は躊躇せず飲んだのに?なんて思って、嫌味か、と思って言葉を飲み込む。まだ彼女を責め足りない気持ちが私の中にあるんだな。


 ホノカちゃんはピアッサーを下ろして、小さく溜息を吐く。


「ちょっと……尖ったものを自分に刺すってできないかも……」

「怖いよね。人によって痛みも違うし。耳たぶは比較的痛くないと思うけど」

「レイさんは痛くないタイプでした?自分で開けた?」

「うん、自分でやったよ」

「そっかあ。…………」


 ホノカちゃんは少し考えてから、私の前へピアッサーを差し出す。


「え?」

「レイさんにやってほしい」

「え?!」


 声を上げた。まさか私に頼むなんて。彼女はうーん、と唸りながら話す。


「自分じゃ怖くて……でもレイさんなら安心でしょ?」


 そう言われて、何も言えなくなる。しばらくピアッサーを見つめて迷って、溜息を吐いて受け取った。


「……分かった。やるよ」

「わーい!よかった!」


 ホノカちゃんはそう言って笑う。彼女を近くの椅子に座らせる。鏡を見ながら、位置を確認した。


「ここでいいの?」

「はい。大丈夫です」

「分かった」


 そう言って、私は彼女の耳に触れる。びくり、と体が跳ねる。不安そうな顔になって、それからキュッと目を閉じる。

 彼女の耳に穴を開けるのか、私が。ゾクゾクとしたものが、体を駆け巡った。

 自分の中のこのドス黒くて燻っている気持ちが、その行為を通して満たされてしまうように感じた。

 例えば薬指の指輪みたいに外せてしまう物じゃなくて、消えない何かを私の手で彼女に刻めるんだ、と思うと堪らない。頭から追い出そうとしても消えない、気持ち悪い、真っ黒な気持ちをこのまま彼女にぶつけてしまってもいいのだろうか。


 遠くで蝉が鳴いている。うるさい。イライラする。分かってる。


 私はピアッサーに力を込めた。バチンッと音がすると同時に、私の中で限界まで膨れた何かが弾けた気がした。


「いっ……」

「大丈夫?」


 痛そうに彼女が強く目を瞑る。耳たぶは真っ赤になり、無事刺さったピアスの根元に赤い血が一粒付いていた。何とも言えない高揚感に酔い、抱き締めてその血を舐め上げたい衝動を抑えて、ガーゼを取り血を拭き取る。


「ありがとうございます……。やっぱ絶対自分じゃできなかった……うう……」


 痛みのせいか、瞳が潤んでいた。私はごくりと唾を飲み込んだ。誤魔化すように視線を外して、もう片方の袋を手に取った。


「どうする?逆側も開ける?」

「開けます。うー、やだな。痛み知っちゃったから」

「すぐ終わらせるよ」


 そう言ってまた位置を確認し、痛みに備えて体を硬くする彼女の耳にピアッサーを当てた。


「いったー……」

「お疲れ。洗い方とか分かる?」

「うう……大丈夫です、分かります」


 ホノカちゃんはそう言ってから、私へ腕を広げる。何故、今ハグを求められているんだろう?不思議に思ったけれど、私はホノカちゃんの腕の中へ入った。そのまま、慰められるように背中をポンポン、と叩かれた。


「レイさん、ちょっと機嫌直りました?」

「え?」


 そう言われ、少し体を離しホノカちゃんの顔を見る。図星を突かれたようで、鼓動が早くなる。彼女は綻ぶように笑い、首を傾げてこちらを見つめる。私を見透かす彼女が、いやに婀娜っぽくみえた。


「ふふ、ずっと眉毛が眉間に寄って怒っていたのに、今やっと穏やかな顔になりましたよ?」

「……そうかな?」

「そうですよ。私が痛がってるの見て、ちょっとスッキリしました?」


 少し心外だ。そんな意地悪ではないし、そういう趣味も無いんだけど。というか、本当に眉間にシワが寄ってたのか。身支度を整えてる時に見た鏡では、そんなことはなかったはずだけれど。思わず眉間に指を当てた。ホノカちゃんはそんな私を見て嬉しそうに笑い、私の胸元に顔を埋めた。溜息を吐いて、彼女の頭の上に顎を乗せる。


 そうだ、私はずっと怒っていた。もういいだろう、彼女は自分と向き合って、私の気持ちを理解してくれた。それならもう許して元通りの生活に戻るべきだ、という気持ちと、許せない、私の気持ちを弄んで蔑ろにして、私を置いていこうなんて、どれだけ私が彼女を好きで特別で大事で大切で仕方ないか、という気持ちがずっと奥で澱んでいた。

 それが今、少し解消してしまったのだから嫌になる。


「……ホノカちゃんが痛がってるの見て、喜ぶような人間じゃないよ」

「じゃあ何で、ちょっと嬉しそうなんですか?」


 答えに詰まる。言えるわけがない。答えを探して、視線が宙を彷徨う。どう取り繕っても嘘になりそうだし、素直に答えるわけにもいかない。途方に暮れて、私は諦めた。


「……お揃いのピアスとか着けたいね」

「え、それ素敵!」


 ホノカちゃんが勢いよく顔を上げて、周りの光を全て集めたみたいにキラキラした瞳を私に向ける。それがあまりにも眩しくて可愛くて、目を細めて思わず笑った。


「あ、レイさん久しぶりに笑った」

「え?そうかな」

「よかった。もう笑ってくれないかと思った」

「……不安にさせてごめんね」

「いいですよ。おかえりなさい」


 そう言って、また私の胸元に顔を埋め、顔を擦り付けた。びっくりするほど気持ちは凪いでいる。今は、もうこれでいいのかな。何も考えずにただ彼女の体温を感じていたい。

 私はホノカちゃんの頭部に頬を寄せた。


「ただいま」


 蝉の鳴き声が遠くで聞こえるような気がしたけれど、もう気にならなかった。

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