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ガタン、という大きな振動が体に走って、目が覚めた。頭に靄がかかったようで、目の前を見つめることしかできない。車の中だ。後部座席に座らせられている。手を動かそうとして、違和感に気付いた。結束バンドで拘束されてる。足は自由に動くけれど、手は動かせない。ギチギチに絞められていて、動かすだけで痛みが走る。
「おはよう。気分はどうだい?」
横からアズマさんの声が聞こえてくる。横を向こうとすると、動くなとでも言うようにゴリッと側頭部に銃口を押し付けられる。
「ちょっと……!!やめて!!言われた通り運転してるし、その状態じゃホノカちゃんが何してもすぐ制圧できるでしょ?!そんなもので脅さないで!」
レイさんの叫び声が運転席から聞こえる。それで意識がハッキリした。あの時気絶させられたんだ。私がまんまと騙されたから。
「ヒカリさん、ごめんなさい……」
「体調は?大丈夫?痛いところか、変なところない?」
「大丈夫です……」
アズマさんは銃を下げない。レイさんの反応を楽しむように、目を細めて眺めている。レイさんがパニックになってしまうのはまずい。この状況で抜け出す手段を思いつけるのは、レイさんしかいない。私が無事で、この状況でも落ち着いている、というのをちゃんと雰囲気で伝えないと。
自分の失敗を反省するのは後だ。深呼吸して、アズマさんへ話しかける。
「アズマさん、今どういう状況ですか?」
「ん?君を人質に取って、レイを飛行機に乗せようとしているところさ。今は飛行場に向かっている」
レイ、とアズマさんが呼んだ。どこで確信を得たんだろう。
「レイって誰ですか?」
「え、一緒に暮らしてて知らないとか有り得るのかい?本人はもう認めてるけど」
「…………」
「フフッ……気絶した君を可愛がろうとしたらすぐに認めてくれたよ。扱いやすくて助かるよ」
「……下衆が」
「そっか。バレちゃったんですね。でも何でレイさんをあっちに連れて行きたいんですか?」
努めて軽いテンションになるように振る舞う。レイさんに落ち着いてほしい。
「さあね。稀代の天才の手が欲しいんじゃないかい?それか復讐したいか。連れてこいとしか言われてないから、理由は知らない」
「あ、知らないんだ。教えてもらえないんですか?そんなところに行って、大丈夫ですか?」
「知る必要はないだろう?連れていけばいいだけだ」
「……ケイさんは?」
「先導してる車に乗っている」
顎で前を指し示す。フロントガラスに目をやると、大きな車が前を走っていた。これが給油車なんだろう。
「……アズマさん、あんなに熱心に私を勧誘してたのに、本命はレイさんだったんですね。なーんだ、残念」
「何だい、付いてくる気になったのかい?」
「私一途な人が好きだからなあ。私を口説けば、レイさんも付いてくると思ったんでしょ?そういうの、ちょっとやだな」
そう言うと、アズマさんは笑った。
大丈夫、私は多分レイさんが飛行機に乗るその瞬間まで殺されはしないはずだ。殺してしまったら、レイさんが従う理由が無くなる。
「可愛いことを言うじゃないか。怖がる犬みたいにピーピー泣くかと思ってたよ」
「私とこれだけ一緒に過ごしてその評価なら、アズマさんはやっぱり人を見る目がないですね」
「ハハッ手厳しい。まあでもホノカも一緒に来て欲しいのは本音さ」
「え?私必要なくないですか?」
「あるさ。こんなに可愛くて魅力的なら、私のそばに置いておきたいね」
「ペット要員かあ」
そこまで言って、外の景色に目をやる。前の車がウィンカーを出して、敷地内へ入っていく。ここが飛行場なんだろうか。
建物の横を通過して、中へ進んでいく。滑走路なのか、だだっ広い敷地内を突っ切っていく。遠目からでも、大小様々なサイズの機体が見えてきた。普通の飛行機のようなものから、小型機までズラッと並んでいる。そのわきを進み、倉庫のようなところの隣に車が止まった。レイさんもその隣に車を付ける。
「ご苦労。じゃあ降りようか」
アズマさんはレイさんの手も後ろで結束バンドで縛って車から下ろした。相変わらず頭に銃口を突きつけられたまま、大きな倉庫の隣にひっそり建っていた物置のような中に入るよう促される。
「2人は離しておいた方がいいかい?」
アズマさんがそう背後のケイさんに問いかける。すかさずレイさんが叫んだ。
「ホノカちゃんの様子がこちらから確認できない状態になるなら、どんな手段を使ってでも自殺するから」
「じゃ、仕方ないね」
そう言って、物置の扉を閉めた。閉め切った物置の中は蒸し暑い。小さな窓の隙間から太陽の光が差し込んでいて、真っ暗では無いが視界は悪い。
私はレイさんの側に近寄った。
「レイさん、本当にごめんなさい。油断しないでって言われてたのに」
「……しょうがないよ。まさか人数が増えるなんて思わなかったし。相手が上手だったね」
お互いの溜息が物置内に響く。蝉の声がかすかに遠くから聞こえてくる。手首の結束バンドが食い込んで、擦れて傷になりそこに汗がしみて痛んだ。どうにかして取れないかな、なんて思っているとレイさんがもっと近くに来るように促す。そして小声で話しかけてきた。
「ホノカちゃん、私の腰紐取ってくれない?」
「腰紐?」
「スウェットの中に通ってる紐」
そう言われ、腰に目線をやる。私は前で手を縛られてるので、紐を取るのは簡単だ。
「じゃあ、失礼します」
結び目に手を入れて、スルスルと紐を引き抜く。私が思っていたような服によく通っている紐ではなく、伸縮性のなさそうな硬い紐だった。登山とかで使いそうだな、と思った。
「これを結束バンドの中に通して、引っ張りながらこう……動かして摩擦熱で切ってくれない?」
「え、すごい。切れるんですか?やってみます」
私はレイさんの後ろに回り、バンドの間に紐を通し、言われた通りにノコギリのように紐を動かす。数度動かすだけであっさりバンドは取れた。
「わ、すごい。この紐、事前に準備してたんですか?」
「備えあれば憂いなし、だからね」
聞き覚えのあるセリフを言って、レイさんが私の手首にも紐を通す。赤くなっている私の手首を見て顔を顰め、同じような手順でバンドをすぐに取ってくれた。
「あーやっと解放された。ありがとうございます」
「傷になってるね……可哀想に。こんなにキツくする必要、無いでしょ」
紐を手早くまとめ、ポケットにしまいながらレイさんが言う。私は自分の手首を振って、痛みを逃がそうとした。
「……どうします?武器になるようなものって……」
「ほぼ全部取り上げられた。カバン類も」
「ですよねえ……」
再度溜息が漏れる。どうしよう。このまま飛行機に乗るしか無いんだろうか。というか、私は置いていかれるのだろうか。1人でこの世界で暮らしていかなくてはいけないと思うと、ちょっとゾッとする。
「ホノカちゃん、体は他には痛いところとか、具合悪かったりしない?首は?」
「大丈夫ですよ。元気です。首も一瞬バチッとしただけで、今は痛く無いです」
「良かった。……さて、どうしようかな」
「飛行機に乗っちゃったら、逃げられませんよね?」
「……そうだね。今が逃げるラストチャンスだね」
そう言いながら、レイさんは物置の扉に手をかける。思いっきり引いてるけれど、開く気配はない。鍵がかけられてるのだろう。
「窓も嵌め込み式だね。割ればここから出れそう……でも音がな……」
レイさんはそのまま物置の中に何か無いか探し始める。私もそれに倣って何か武器になりそうなものがないか探し始めるけど、下手な物を持ち出してもアズマさんに返り討ちにされそうだ。パッと見目ぼしいものは無さそうで、途方に暮れてしまった。
「……まあ幸いなことに私たちどちらも殺されそうには無いっていうか、思いっきりホノカちゃんに加害したら死ぬって騒いでおいたし、命は最後まで大丈夫だと思うんよね……だから多少無茶をしても命の心配はしなくて良さそう」
「アズマさんの前で取り乱してたのそういうことですか?良かった、冷静じゃ無いのかと思いました」
「脅しじゃ無いけどさ。ホノカちゃんが死んだら生きてる意味ないというか」
あっさりそう言う。私は振り返って、レイさんの後ろ姿を見つめた。レイさんは言った後で、バツが悪そうに私の方をチラリと見て、また作業に戻った。
「ごめん。忘れて」
「…………」
どういう意味なんだろう。私が生きてるせいで、レイさんを縛り付けてしまってるのかな。とっくにもうこの世界を諦めてしまってるのに、私にワクチンを打って生き残らせてしまった罪悪感で一緒にいてくれるだけなのかな。
あの時、車の中で、海辺で話したことを思い出す。あれは嘘じゃないって思いたい。私が今、変な風に話を捉えてしまっているだけだ。
なのに、どうしてもそう思えない。今ここで真意を問い質してしまえばいいのに。でも、返ってきた言葉が本音かどうかも今の私には分からない。
消えたい、いなくなりたい、私なんてどうせ、そんな気持ちが溢れてきてどうしようも無くなる。冷静じゃないのは私の方だ。今はこんなこと考えてる場合じゃないのに。
頭を振って、思考を切り替えようとする。ドロドロした気持ちが胸の中で澱んで溜まっているのが分かる。
「……逃げられないってなったら、飛行機乗りますか?」
「まあ、乗るしかないよね……嫌だけど……」
「じゃあ、私ひとりぼっちになるのかな」
そう呟くと、レイさんは私の方を振り向く。目を合わせられない。目の前の棚を探すフリをして、レイさんの方は見ないようにする。
「……ならないよ。大丈夫。何とかするから」
「…………」
「約束、ほら」
レイさんが私の隣に来て、小指を差し出してくる。私は手を出すのを躊躇った。約束をするなんて、怖かった。守れなかった時、どうするんだろう。
それでも私とレイさんを繋ぐ何かを作りたくて、私は恐る恐る右手を差し出した。力無く差し出す私の右手とは正反対に、レイさんは力強く私に小指を絡めた。
「……手、相変わらず冷たいね。こんなに部屋の中熱いのに」
「そうですね……」
「帰ったらさ、やりたいことある?」
「やりたいこと?」
「うん。私はまたホノカちゃんの歌聴きたいな」
レイさんは絡めた小指を、指切りげんまんするように軽く揺らしながらそう言う。
「やりたいこと……」
「海は?行きたがってたよね?」
「そうですね。海に行きたいな。綺麗な、海」
「行こうよ。今海で遊ぶにはちょうどいい季節だし」
「ちょっと涼しくなったらウッドデッキで日向ぼっこしたい」
「いいね。気持ちいいよね」
「天体観測もしてみたい」
「そういえばしたことなかったね」
「大きい公園行って、難しいアスレチックやりたい」
「えー、いいね。体動かしたい」
「花火も、またやりたい」
「また線香花火だけ?」
レイさんが思い出したようにクスッと笑った。そうだ、あの時は線香花火だけで遊んだんだ。懐かしい。あれは弔いの花火だった。
ふと、シュウくんの姿が過ぎる。シュウくんだけじゃない。私が酸素を止めた人たちの姿が。私、楽しくなったり、幸せな気持ちになってしまって、いいのかな。
少しだけ明かりが灯っていた気持ちが、まるで蝋燭を吹き消されたかのように暗くなってしまった。
「…………」
「ホノカちゃん?」
顔が歪んでしまったのを、レイさんに見られてしまう。慌てて指も外して、顔を俯けた。
「……帰れるように、頑張ります」
なるべく平静を装って、そう一言呟く。帰れないことを怖がっているのかと思ったのか、レイさんは一度大きく頷いた。
「私も頑張るよ。早く帰って、お風呂入って休もう」
「はい……」
「じゃあ、これからどうするか、話をしよう。持ち物も一旦全部出してもらってもいいかな」
声をさっきよりも一段階小さくし、秘密の話をするように私に顔を寄せた。




