26
「……ごめん、2人にしちゃって。目を配ってたはずなんだけど、気づかないうちにいなくなってて」
「いえ、大丈夫ですよ」
部屋から出てすぐ、レイさんにそう言われる。アズマさんならそっと離れるのもお手のものだろう。だってあの猫みたいな身体能力を見てしまっているし。
「今日は隣の棟のゲストルームで寝よう。そっちの方が造り的にこっちより少し涼しいから。あと冷感の寝具も見つけたよ」
「分かりました」
私たちは無言で隣の棟まで向かう。
ゲストルームには、ベッドは二つ置いてあった。部屋は風が通るように窓が開けられていて、さっきの部屋より涼しかった。レイさんが用意してくれた冷感の寝具も、ひんやりして心地よかった。
壁寄りのベッドに腰掛けると、レイさんも向かい合うように隣のベッドに座る。何を喋っていいか分からず、しばらくの間無言だった。
「……首、見てもいい?」
「え?首?」
「いや、キスされたって言ってたけど、変な風になってないかなって……」
変ってなんだろう?よく分からないけれど、別に見るのは構わなかった。私は腰を捻って壁の方を向いた。後ろで一つに括っていた髪の毛を、肩のほうに流して見やすくする。レイさんは立ち上がって、私の近くへ寄る。
「ここです。この、首の後ろのあたり」
「うなじ?」
「はい」
「…………」
レイさんの指が、壊れ物でも触るみたいに優しく首筋をなぞる。さっきのアズマさんの触り方と比較してしまって、体がびくりと跳ねた。その私の反応を見て、レイさんがすぐに手を引っ込める。
「ごめん、触っちゃった」
「いえ……」
「跡はなさそう。良かった」
跡?キスだけで?いまいち要領を得なかったけど、まあ付いていないなら良かった。
「おでこも大丈夫ですか?」
私が前髪を上げてレイさんに聞くと、ちょっと微妙そうな表情をされる。それから私の顔を覗き込んだ。
「おでこには付けないと思うけど……うん、ほら、付いてないよ」
そういうものなのか。安心したのか、レイさんは軽く息を吐いてまたベッドに座り直した。
またしばらく沈黙が続く。もうお互い寝てしまえばいいのに、何となくそれもしたくない。話したいことは喉まで出かかっているのに、それを話すのは何となく憚れる。
レイさんは一度唇を噛んでから、立ち上がって窓の方まで歩く。風でたなびいていたレースカーテンを、タッセルでまとめた。
「……あそこ、綺麗だったね」
「大学ですか?そうですね。でも地震でどうなったのかな……」
あそこは川の側だ。津波が遡ってきてあの川まで流れてきたら、流れ込む水の量も増えて水かさも増すんじゃないかな。透明な水だったけれど、濁ってしまったかもしれない。そしたらもう今日のような光景をすぐには見られないだろう。
「特別な条件でしかあんな風にならないだろうね。奇跡だったんだ」
「でも、ああいう風になるように造られたんじゃないかな、と思いました」
「どうだろう。そんな風にわざわざするかな。……シュウに話を聞けたらよかったけどね」
「…………」
シュウくんの名前が出てきて、少し居心地の悪い気持ちになる。レイさんはそんな私の様子を見てか、話を振ってくれる。
「シュウのこと、地震もあったし心配?」
「そうですね……心配、です」
嘘じゃない。それは本当だ。ただ、自分の行動に自信が無い。いいことをしているのかも、本当にこれがシュウくんを思っての行動だったのかも、何もかも。
私が言い淀んでいるのを見て、レイさんは逆側のカーテンも止めてから、またベッドに戻って向き合って座ってくれる。
「どうしたの?」
レイさんの、優しい気遣うような声音にドキリとする。
言うなら、今のタイミングしかない。シュウくんを助けようとしているのは、私のエゴじゃないかって。でも、今更そんなことを言って、そもそも私は最初から反対だったのにって呆れられるのも怖い。
アズマさんの言ってること、大当たりだ。そうだよ、レイさんの一挙一動に怯えてる。優しくされても、言葉で嫌いにならないよ、なんて言われても信じられない。いっそ嫌われた方が楽なのかも、なんて考えも浮かんでくるけれど、そんな勇気も無い。
目も見れず俯いて黙り続ける私に、レイさんは苦笑して足を組んだ。
「やっぱり、アズマの方が話しやすい?」
「え?」
「私にだと話しにくいかなって。……アズマの方がフランクに話せる?」
「そんなこと……」
「私が警戒してるだけで、ホノカちゃんにとっては明るくて楽しい人なのかもね」
明るくて、楽しい……?そんなことはない。レイさんには楽しそうに見えたのかな。
「違いますよ、ちゃんと、危ないって分かってて……」
「じゃあ単純に私が頼りないだけか」
レイさんは自嘲気味に笑って、肩をすくめた。私は焦った。何でレイさんはそんなことを言うんだろう?私、何かしてしまったんだろうか?
「違くて、レイさんはちゃんと、優しくて……私の問題で……」
「……ごめん、言い方が嫌味っぽかったね」
はあ、とレイさんが小さく息を吐く音が聞こえてくる。
冷静になれない。体が強張る。頭の中で、ぐるぐる全部回る。洗いざらい全部話すべきなの?シュウくんのこととか?レイさんを信じるのが怖いこととか?アズマさんに言われたこととか?そんなことしても、ただ困らせるだけじゃない?自分の心の中をレイさんに全部見せて、引かれてしまったらもう立ち直れる自信無いよ。いっぱいいっぱいだよ、私も。だったら、何も見せないで、嫌われた方がマシだよ。
ボロッと、目から涙が溢れた。溢れ出すまで気付かなかった。レイさんの目がギョッと見開かれる。
「どうしたの?!大丈夫?!」
「レイ、さんは……」
私は落ちた涙を拭うこともせず、ただそのままボタボタと手の甲に落ちるのを眺めた。
「もし、私が、アズマさんとキスしたって言ったら、私のこと嫌いになりますか?」
「…………は?」
「軽々しく2人きりになって、ずっとレイさんは私に人との距離感について気を付けなさいって言ってたのに、嫌に、なりませんか?」
「………………」
レイさんは両手で顔を覆って、俯いて長い溜息を吐く。しばらくそのままだった。
そしてゆっくり顔を上げた。今までにないくらい、暗い顔をしている。瞳の奥は、怒りでギラついている。あ、終わった。これで、レイさんにはっきり嫌われたんだ、と思うと絶望で目の前が真っ暗になるのに、どこかに安心している自分も居て、訳が分からなかった。
レイさんが口を開く。
「殺してこようか、あいつ」
「え?」
「だって、生きてるのも許せないでしょ。そういうことを、同意なしで無理矢理してきたってことでしょ?」
レイさんがベッドサイドの引き出しにしまっていた銃を取り出して、準備しようとする。私は慌てて止めた。
「ちょ……待って待って、誤解です誤解」
「誤解?ごめんね、ちょっと冷静になれないや。部屋入った時点でやっておけば良かったね。ホノカちゃんに辛いこと言わせて、ごめんね」
「待ってレイさん、してない!してないから!キスしてない!ごめんなさい!もしも!もしもの話だから!」
私がはっきりそう言うと、やっとレイさんは動作を止めて私のことを見た。
「あの、なんだろう、飼い主がペットを可愛がる以上の、何か意味があるようなことはされてません。大丈夫です」
数秒止まって、引き出しに丁寧に戻してから、レイさんはベッドへ上半身を投げ出した。
「はあーーー…………」
「ご、ごめんなさい……」
「本当に……良かった……私が不甲斐ないせいでホノカちゃんにトラウマを作ってしまったのかと……」
涙も引っ込んだ。レイさんの反応が思ったより何倍も過激で、びっくりしてしまった。
レイさんは上体を起こして、ベッドの上であぐらをかく。後頭部をかいてから頬杖をついて、気まずそうに私に言う。
「えっと……何だっけ……アズマにキスされたら、今までの私の言い付けを守ってなかったホノカちゃんを嫌いになるかって話?」
「……はい……」
「なるわけないよ!何で?どういう理屈で私がそんな風に思うと……」
「…………」
「そういう目に遭ってほしくなくて言ってただけで、何かあったからって嫌いにならないよ。見たでしょ?今の私の反応。すごく大事だと思ってるよ」
必死なのが伝わってくる。レイさんはそうやって、毎回ちゃんと私を安心させようとしてくれる。でも、それが今の私には辛い。
「……わ、たし」
「どうしたの、本当に。アズマに何か言われた?」
「…………」
首を振った。アズマさんには図星をつかれただけ。ずっと私の中で考えてたことを、指摘されただけだ。私の問題で、誰のせいでもない。私が悪くて、他の誰も悪くない。私だけが、ずっと間違ってる。
喉がギュッと詰まって、声を出そうと思っても上手く出せない。そんな私を、レイさんは心配そうに見つめる。私に触ろうとしてか手を差し出して、そしてすぐにハッとして手を引っ込めた。
あの話をした日からレイさんは私に触らない。私もレイさんに触らない。当然だ。
何だかたまらなくなって、絞り出すように声を出した。
「レイさんに、大事にされるの、つらい。私、大事にされるような、人間じゃない」
ほとんど、私の中では叫び声のようだったのに、掠れた悲鳴みたいな声しか出なかった。
顔は上げられない。どんな反応をされるかなんて、知りたくない見たくない。できるなら耳だって塞ぎたい。この場から逃げ出したい。
壊したくて叩いてるのに、壊れたら悲しくて泣いちゃうんだ。でも、どこかで安心してしまう、そんな自分が嫌だ。
レイさんの、息を呑む音が聞こえる。部屋に湿った風が入り込む。いつの間にか握り込んでいた手の中に、汗がにじんで不快だ。
「――ホノカちゃんの言いたいことは、分かった。私に、どうしてほしいの?」
声が少し震えている。泣いているんじゃないか、と思って顔を上げた。レイさんは泣いてなんていなかった。凛とした表情で、真っ直ぐ私を見据えている。その揺らがなさに、私は動揺した。
「……分かりません」
自分の、消え入るような情けない声が聞こえた。どこまでも惨めだ。
「じゃあ分かったら教えて欲しい。それまで、私は自分の行動を変えるつもりはないよ」
そう言ってレイさんは立ち上がる。そして扉に手をかけてから、私の方を見た。
「一緒の部屋じゃ寝づらいよね。私移動するから、この部屋使っていいよ。おやすみ」
一方的にそう言って、出て行ってしまった。私はただそれを眺めていた。
さっき止まったはずの涙が、また溢れ出してくる。
私、レイさんをどうしたかったんだろう。永遠に私を嫌いにならないで、その証明をして、なんてどう考えてもおかしいことを要求しようとしてるのは分かってるのに、それでもそれを求めずにはいられない。とても苦しかった。
レイさんを傷付けてしまったかな。ごめんなさい、私いつも自分のことばかりで。
涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔を枕に押し付けて、私は気付けば浅い眠りについていた。
起きては思い出して泣き、疲れては寝てを繰り返すと、起きる時間になっていた。
***
「うわ。ホノカ、どうしたんだい?その顔」
「…………」
朝起きて鏡で確認した自分の顔は、自分史上一番可愛くなかった。目は腫れて充血して、顔は浮腫んでいた。冷やすものもないし、もうどうしようもない。
「ハハッ私と別々になってしまって寂しかったのかい?こっちにおいで、離れてた分愛を深めあおう……痛っ」
「…………」
レイさんが無言でアズマさんを蹴り飛ばした。
昨日レイさんどこで寝たんだろう。顔色があまり良くない。寝れなかったんだろうか。
アズマさんも見張りで寝てないはずなのに、一番元気だ。いつもと変わらないテンションで、ケロッとしている。恐ろしい。やっぱり軍隊出身だと、そういうお仕事もあったのかな。というか、フライト自体が寝ないお仕事か。
「何だい?2人して。私のせいで喧嘩してしまったのかい?嬉しいね。フフッ……魅力的すぎるというのも困ってしまうね……安心しなさい。私の愛は上限が無いんだ。2人まとめて相手できるから、心配しなくても大丈夫さ」
「充電は大丈夫そう。準備を終わらせたら、出発しましょう」
「はい……」
「大丈夫かい?2人とも万全には見えないのだけれど」
「車の中で休むので大丈夫です」
「ふーん。ホノカは?」
「私は……大丈夫です」
「…………」
どんよりとした空気の中、アズマさんだけ私たちを見て嬉しそうにニヤついている。何がそんなに面白いのか分からない。
食事を行なっている最中、地面がグラグラ揺れた。昨日みたいにずっと地面が揺れていることは無くなったけれど、それでもたまに揺れ出す。さほど大きな揺れではないので、もう慣れてきてしまった。
「余震が怖いねぇ。同じような大きさの地震はそうそうこないだろうけど」
「…………」
「…………」
「あはっ、君たち本当に大喧嘩したんだね?漣立った感情に触れると、生きている実感がするよ!どんな内容なんだい?私も混ぜてくれよ」
「うざ……」
「アズマさんの声、大きくて頭に響くから黙っててください」
つれないね、なんて言う彼女を無視する。興奮したようにレイさんにもちょっかいをかけていたが、全て無視されていた。
それから、出発のための片付けや準備を行う。もしかしてまた今度使うかもしれない、と思ってある程度は備品などがどこにあるか分かるようにしまった。
アズマさんは厳しく言いつけられたのか、レイさんの目が届く範囲でしか行動しない。私の側にベッタリしているものの、不用意に触れてはこなかった。
外して皺くちゃになったシーツを溜息を吐いてから畳もうとすると、アズマさんが手伝うよ、と言って逆側の角を持ってくれる。
「大丈夫かい?ホノカ」
「見ての通りぐちゃぐちゃですよ」
「その顔も愛らしいよ。いつも可愛らしい君の顔がやつれて影があると、何かあったのか想像が掻き立てられて興奮するね」
私はシーツの話をしたのに。顔の話になってる。確かに別に整ってはないかもしれないけど、ぐちゃぐちゃで顔のこと想像するのひどい!
思いっきり拗ねて、アズマさんから顔を背ける。
「アズマさん、嫌い」
私がそう言うと、ニヤッと笑って私へ近寄ってシーツの端を合わせてくる。少し離れたレイさんに届かないようにするためか、声が小さくなる。
「でもその方がいいだろう?好きじゃなくて、期待できない人間の方が安心する」
「…………」
「私はそんな君が愛おしくて仕方ないよ、ホノカ。これで心置きなく私に付いて来てくれるね?」
「分かんないです。もう何も。今はどうでもいい」
「嫌ならその時に手を引く私を拒絶すればいいさ」
そう言って、私の手からシーツを奪い、テキパキと畳む。そして傍に置いてからさっさとどこかへ行ってしまった。
ぎこちない雰囲気のまま、準備を終えて私たちは車へ乗り込んだ。
「では、出発するよ?いいね?」
「はい」
「……」
「元気が無いね。士気は死亡率に直結するんだが。まあ、私は燃料を奪取できれば何でもいいけどね」
ゾッとするようなことを言って、アズマさんはアクセルを踏み込んだ。抜けるような夏の青い空に対して、グレーで重い雰囲気の私たちを車が運んでいった。




