25
夜になっても暑さはちっとも和らがない。陽の光がない分涼しくなるかと思ったのに、蒸し蒸しとしていて今夜は熱帯夜になりそうだ。私たちが普段暮らしているところより、格段に暑い。あっちの方がまだ夜の涼しさはある。
暑すぎて車の中でエアコンを付けて寝ようか、なんて話も出たけれど、バッテリーの問題もあるのでやめた。休んだら、陽の出てないうちに出発しようということで話がまとまった。
……でもこんなに暑くて、休めているのかどうか分からない。
ハンディファンを顔に当てているけれど、気休めだ。ぬるい空気をただかき混ぜているだけに感じる。
レイさんに怒られそうだけど、Tシャツを脱いでキャミソールだけにしてしまった。だって暑くて耐えられない。本当なら下も脱ぎたいくらいだけれど、それは自重した。
バルコニーに置いてある、リクライニングできるガーデンチェアで、だらだらしながらぬるい風を受けているとアズマさんが窓から顔を出してきた。
「あれ?ヒカリさんはどうしたんですか?」
「ヒカリなら車の方で何かしていたよ。着替えでも探してるんじゃないかい?」
「そっか……」
少し警戒する。アズマさんとあまり2人きりにならないように言われているし、レイさんも意識して3人になるようにしていたのに。
「……ホノカ、随分扇情的な格好をしているね。私を誘っているのかい?」
「いや、見てくださいよ……どう見ても暑さでバテてるんですよ……無理……」
「かわいそうに。あそこはここほど夏は暑くならないからね。慣れてないから余計暑く感じるんだろう。下も脱いだ方がいいんじゃないかい?」
「ヒカリさん呼びますよ」
「いいね。どうせなら3人で最後の思い出作りでもしよう」
「あ。私たちのこと諦めたんですか?良かった」
私がそう言うと、アズマさんは隣の椅子に腰掛ける。私は前回首を触られたことを思い出し、すぐに逃げ出せるよう、体を起こした。
「まさか。日本でっていう意味さ」
「なーんだ」
「逆になんでそんなに日本を出たくないのか疑問だね。2人とも、随分保守的じゃないかい?」
アズマさんは寝転んで頭の後ろで手を組む。その姿勢じゃすぐには動けないだろう。私はホッとして少し警戒を解いて、チラリと室内にレイさんの姿を探した。
その一瞬でアズマさんは起き上がり、私の椅子の空いている部分にどさりと座って後ろから抱きしめてきた。驚いて先ほどと同じように叫びそうになる私の口を、アズマさんは片手で塞ぐ。
「ああ……ホノカ、本当に君は可愛いね。寝転んだから大丈夫と思って安心したんだろう?フフ、甘いよ」
口から手を離し、まるで猫にでもするように私の頭を優しく撫でる。アズマさんらしくないその仕草に、暑いのに悪寒が走る。
「ちょっとアズマさん……」
「首には触らないから安心してくれ」
「いやそうじゃなくて、ヒカリさんに怒られるし……」
「おや、君は嫌じゃないのかい?」
「え?」
「好都合だ。私が君に手を出して、それでヒカリが君を嫌うなら、心置きなく一緒に来てくれるだろう?」
ギクッと背が凍り付く。確かに、レイさんって人との接触を避けるようにいつも私に言ってくる。真面目だから、好きでも何でも無い人とベタベタしているのを見たら、嫌がりそうだ。私は身の危険を感じて、アズマさんを振り解こうとする。
そんな私を嘲笑うかのように簡単にいなす。アズマさんは私のキャミソールの裾から手を差し込み、鳩尾の辺りを撫でる。
「ちょっと、悪ふざけが過ぎますよ?!ヒカリさん呼びますから!」
「その前に塞いでしまえばいいのさ」
「本気で言ってます?」
「割と本気さ。据え膳食わぬはなんとやらと言うだろう?趣味じゃないけど、慣れてなさそうだから今日は優しくしてあげるよ」
アズマさんの顔が迫ってきて、私は手でアズマさんの顔を押し返す。
「何の話ですか?!ちょっと、ヒカリさ……」
「ホノカは、怖いんだろう?ヒカリに嫌われるのが」
ドキッとした。一番触れられたくない部分を鷲掴みされたような感覚だ。この人は平気で人のそういう柔らかい部分を土足で踏み荒らしそう。だからずっと深い話はしないように避けてたのに。
アズマさんの瞳を覗く。意外にも、そこには私を本気で憐れんでいる感情が透けて見えた。この人に、そんな人間っぽいところ、あったんだ。
「ああ、君の気持ちが痛いほど分かるよ。自分に自信が無いから、どれだけ口で愛を伝えられても信用できないんだろう?そのくせ、相手の一挙手一投足が気になって、嫌われたんじゃないかって不安になって。……可哀想で、可愛いねホノカ」
「何で……」
「何で、分かるのかって?ふふ、私はね、ホノカ。君みたいな子達をたくさん見てきたんだよ。そんな子達と共に理想郷を作ろうと思ってたのに、ウイルスであっさりみんな死んでしまってね。だからホノカ、君のことは歓迎してるんだよ」
「…………」
「怖いかい?知らない世界は。でもね、愛なんて見えないものを容易く信じられるかい?無理だろう?そのくせ、それが欲しくてたまらないんだ。飢えて渇いて、今までさぞかし辛かっただろう?」
自分の心の奥底を暴かれて、読み上げられているようだ。抱き締められて暑いはずなのに、体の内側から凍りついていくような感覚になる。自分でも触れられずに、見ないふりして言語化せずにいたものを、洗いざらいひっくり返してぐちゃぐちゃにされそうで、怖い。
アズマさんは私のうなじにキスをする。びくり、と体が反応する。耳元でアズマさんがフフッと笑い、吐息がかかる。
「ヒカリみたいな、正しくて真っ直ぐな人間の側にいるのは辛くないかい?優しければ優しいほど、逃げ出したくなるだろう?自分が、どうしようもない人間だと思えて」
「それは……」
「いつ、嫌われるんだろう?見放されるんだろう?愛想を尽かされるんだろう?って、ビクビクしてるんだ。可哀想に。2人暮らしなら、尚更だろう」
鳩尾を撫でていた手が、体をなぞって太ももに移動する。優しい手付きが、らしくなくて混乱する。まるでレイさんみたいだ。そう思うと訳がわからなくなって、アズマさんの手を掴む。
「そうなる前に自分から嫌われた方が楽だ、なんて思ってみるけれどそれも勇気が出なくて怖い。なら、私のせいにすればいいさ」
「……え?」
そのまま掴んだ手ごと掴み返されて、優しく押し倒された。顔にかかった髪を、丁寧に指で払われる。慈しむような微笑みを浮かべ、アズマさんは私の額に口付ける。
「このまま私に身を委ねればいい。言い付けられてるんだろう?私には近寄るなって。後で2人でここで何をしていたか聞かれても、黙っていればいいよ。私に任せて。ヒカリは言い付けを守らず何も言わない君のことを、呆れて見捨てるだろうね。でも、大丈夫。私がいるさ」
殊更に優しい声音で囁かれ、困惑する。そしてアズマさんが、私に覆い被さる。前髪が落ちてきて、私の顔にかかる。どうしたらいいのか分からなくて、動けない。
「ホノカ、目を閉じて」
鼻先までアズマさんの顔が寄せられて、吐息がかかる距離になる。絶対良くないって分かってるのに、頭が霞んでうまく動かない。それもいいかも、このままずっと不安なのなんて耐えられない、なんて頭の端に残ってて、モヤモヤとしている。
きっと暑さのせいだ。もういいや。全部、私以外のせい。その方が、ずっと楽だ。
でも、それでいい訳がない。そうやってまた逃げて、行き着く先はどこになるの?
ぐるぐる思考する私に痺れを切らしたのか、アズマさんがそのまま顔を近づけてきた。
――何だか、さっきから玄関の方でガンガンと音がする。無視できない音量になってきて、私はそちらへ顔を向けた。
「あ、ヤバイ。忘れてた」
アズマさんが慌てて体を起こし、私から離れる。玄関の方へ走り、ドアを開けようとする。
ガン!!!!という一際大きな金属がぶつかる音が鳴り響いて、ドアの一部が破壊された。さっきドアだったものの一部が床に散らばる。
「うわ?!マジか!!」
「開けろ」
レイさんの低い声が聞こえてくる。アズマさんはすぐに鍵を開けてドアを開いた。
「お、落ち着いてヒカリ」
そこには、無表情で片手に斧を携えたレイさんが立っていた。斧の先端が小振りだ。恐らく、災害時に使う消防斧だろう。これでドアも破壊したんだ。
レイさんはアズマさんの方へ思い切り振りかぶった。
「ちょっ……」
「えええええええ?!」
レイさんが一切の躊躇もなく振り下ろす。アズマさんはそれを見て素早く避けた。先程まで彼女が立っていた場所に、斧が突き刺さった。私とアズマさんの視線は斧に集まる。無言でそれを見つめた。
レイさんはチッと舌打ちして、私の方まで歩いてくる。無表情なのが怖い。
目視で私に異常が無さそうなのを確認して、辺りをキョロキョロと見回す。そして私が脱ぎ散らかしたTシャツを拾い上げ、渡してきた。それを受け取り、すぐに着る。暑いとか言ってる場合じゃない。それに今は何だか寒い気がしてきた。
「上だけ脱がされた?下は?大丈夫?」
「誤解だ!!ホノカは暑いからって最初から脱いでいたんだ!!」
「黙っとけよ」
「えっと、本当です。おでことうなじにキスされただけで他は何も」
「ホノカ?!それを言ってしまったら、私殺されるね!」
「…………」
レイさんはアズマさんを心底軽蔑した表情で一瞥する。すぐに私に視線で、退出を促した。私は大人しく破損したドアの前まで歩く。
「アズマさんは1人で見張りでもしててください。私たちは別室で休むので」
「1人でかい?心細いなあ、ヒカリ」
「あなたがもし寝て見張りをサボったら、私たちは車で帰ります。あと、私たちがいる部屋に入ってきたら、どうなるか分かってますよね?」
「さあ、私に任せて君たちはゆっくり休んでおくれ」
アズマさんはそう言って、二本指で敬礼した。
「お、おやすみなさい……」
私はそう言って足早に部屋を出た。レイさんも後から続き、もう意味を為していないドアを乱暴に閉めた。




