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残光の箱庭  作者: 米田
2章
55/74

21

 歩く度に水が跳ねる音がする。レイさんは顔を顰めて、自分の靴に水が染み込まないか気にしている。

 見渡すと視界一面に薄く水が張っていて、太陽の光を受けてキラキラと光っていた。靴底が水に浸かるけれど、私はあまり気にならなかった。多分、深さは2、3センチほど。わずかに流れがあるのか、水は澄んでいて綺麗だった。水面が夏の鮮やかな水色の空を映し出す。白亜の建物が水の上に浮かんでいるようで、とても幻想的だ。


「綺麗……」

「……ふーん。近くの川から流れ込んでるんだろうね。この間の地震のせいかな?」

「かもしれません。この辺りは水害で有名ですから。建設当初も、川の側なんて危ないって反対の声もあったらしいですし」


 2人が並んで会話を続けているが、私はただ目の前の景色に見惚れていた。シュウくんが見せたかったのは、これか。私は納得した。


 アズマさんは視線を地面に向けて、しげしげと眺めてから呟く。


「でもこれじゃあ、通信設備とやらは水没しているんじゃないかい?」

「屋上にあるので、それはないと思います。端末も恐らく上階にあるでしょう」

「…………」

「ハハッ、ホノカは気に入ったようだね」

「はい、とても……」


 私は目の前の景色から目を離さず、そう答えた。蝉の大合唱がわんわんと耳に響いて、ぬるい風が頬を撫でる。



 あの後も何度か話し合いを繰り返し、準備を経て私たちは遂に村を出発した。道中はとてもスムーズで、その日中に通信設備のある大学へ着いた。

 アズマさんに運転してもらったけれど、やっぱり運動神経もいいからなのか運転がとてもうまかった。唐突に野生動物が現れても軽やかなハンドル捌きで避けてしまうし、反射神経も良い。道案内のため助手席に座っていたレイさんは、しょっちゅう話しかけられるのでうんざりしていたけれど。



 少し先に進んでいたレイさんが、戻って声を掛けてくれる。


「写真でも撮っておく?」

「……目に焼き付けておきます」


 いつまでも景色を眺めている私を置いて、アズマさんはスタスタと先へ進んだ。ボトムの裾が濡れるのもお構いなしに、水飛沫を派手にあげて歩いている。


「非常倉庫の中身はすべて持ち出されていたし、人はいなさそうだ。見た感じ入り口が地面より高さがあるから、建物内に水は入ってないだろうね」

「今は水位が低いだけで、過去もっと高い日があったかもしれません。その場合、浸水してる可能性はありますよ」


 レイさんは肩をすくめてみせた。アズマさんは腰に手を当て首を振る。


「入ってみれば分かるさ」


 そう言ってまた歩き始めた。


「…………」

「ごめんなさい、行きましょうか」

「あいつ……建物の中に潜んでた人間に狙撃とかされないかな……」


 アズマさんの後ろ姿を眺めながら、ボソッと呟いた。

 レイさんはアズマさんとの暮らしで相当うんざりしているらしい。恨みを募らせ、物騒なことを考えている。レイさんの忍耐が限界を迎える前に、アズマさんをさっさと送り出したい。


「ほら、あと2、3日できっとお別れできますよ!もうちょっとの辛抱ですよ!ヒカリさん!」

「…………」


 ジトッとした目でレイさんが私を見る。盛大な溜息を吐いてから歩き出した。

 私はその後ろを付いて歩く。


「ブーツで来れば良かったね」

「取り替えます?」

「やめておこうかな。車の隠し場所、遠すぎたね。往復が大変」

「そうですねえ」

「一応破傷風のワクチンはしてるし、水も綺麗に見えるけれど、怪我しないように気をつけて」

「分かりました。……あれ?それってアズマさんも打ってますっけ?」

「知らない。軍属のパイロットなら一通り打ってるんじゃないの」

「な、なるほど」


 アズマさんの話を振ると、途端に険のある声音になった。何で私があんなやつの体調に気を遣わないといけないわけ?という心の中の声が聞こえてくる。レイさん、リカコさんの時は気が合わなくても感情を抑えてて大人だな、と思ったのに、アズマさんには不快感を隠しもしない。まあ、確かに絡み方が度を超している。怒るのも無理ないだろうな。


 レイさんは厳しい表情を浮かべながら私の耳元に顔を寄せる。


「気を付けてね。何するか分からないよ、アズマ」


 最近、レイさんは私が言ったことを気にしてか、あまり何かに気を付けろ、とか子供のような扱いをすることはなかった。

 そんなレイさんが言うくらいなのだから、相当やきもきしているのだろう。


「分かりました。気を付けます」


 私がそう素直に言うと、レイさんも納得した表情を浮かべた。


「ヒカリー、こっちでいいのかい?」

「その奥の建物です」


 奥で叫ぶアズマさんへ向かってレイさんが言う。


「行こう」

「はい」


 私とレイさんは奥へと進んでいった。

 アズマさんは建物の入り口の前で腕を組んで立っていた。視線の先では派手に破壊されて開いているドアがある。ガラスは綺麗に脇へまとめられていた。人為的に壊されたものだとすぐに分かった。


「物資探しで中に入ったかな?まあ、ここにはもういないだろうね」

「いない?」

「鍵もかけられない建物の中に潜んでいるとは考えにくいね。ただでさえ水害の危険もあるんだろう?」


 アズマさんは特に警戒もせず中に進んでいく。大丈夫なのかと思ったけれど、レイさんも無表情で後に続く。いつもならもっと慎重なはずなのに。私は慌てて後を追った。


「大丈夫なのかな?」

「アズマが先行してくれてるからね。真っ先に危険を被ってくれてありがたいよ」


 平然とそう言ってのけた。狙撃されないかな、とさっき言ってたのは冗談じゃなさそうだ。


「……えっと、屋上に行くんですよね?確か」

「そうだね。まずアンテナが壊れてないか……」


 そうして建物内を歩いていく。床が木の葉や土で汚れているように見えた。開いた扉から侵入したんだろうか。

 ホールに出たところで階段を見つける。地下へ行く階段に目がいった。

 階段を数段下がった辺りまで水が張っている。プールみたいだ。水は透明で綺麗だけれど、枯れ葉などが浮いていた。

 ここまで水が満たされているということは、地下は水没している。屋内まで水が侵入したんだろう。地下だけ水が捌けず、そのままになっているんだ。


 アズマさんがやれやれ、という風に手を広げて言う。


「これじゃ通電はできないね。ソーラーパネルが置いてあるからいけると思ったけれど」

「地下が水没してると通電できないんですか?」

「大体こういう施設って、地下に電気系統や設備の管理のための部屋があることが多いからね。そもそも、水没してるだろう?怖くて通電なんてできないよ」


 私はレイさんの方を見る。レイさんも同意見のようで、肩をすくめた。


「こちらで電力を補う前提で準備していましたし、大丈夫です。車からポータブル電源を持ってくればいいだけですから」


 そう言ってレイさんは上り階段の方へ向かう。アズマさんも地下を最後に一瞥して、階段を登り始めた。


 最上階まで登り、屋上に出ると巨大な傘のようなアンテナが建っていた。その端に小さなアンテナもいくつか設置してある。更に空いたところは、ソーラーパネルで埋め尽くされていた。太陽の光を受けて、それらがギラギラと輝いている。私は思わず目を細めた。


 アズマさんがアンテナの横に立ち、太い柱をノックするようにコンコン、と叩く。


「見た感じ、壊れてはなさそうだね。問題無さそうだけど、どうかな?」

「ケーブルの確認もしましょう」

「あっついですね……」


 にじんだ額の汗を袖口で拭う。私のその様子を見て、アズマさんが私の横へ来て肩を組む。


「わ!暑いって言ってるのに!」

「ふふ……暑いね?ここ、近くにすごく綺麗な湖があるんだよ?後で一緒に水浴びしよう、ホノカ」

「えー、蚊に刺されないかな」

「君の肌にキスをするのは私さ」


 アズマさんは力がものすごく強い。私はもう抵抗すらせずに、されるがまま頬を指で突かれた。


「…………」


 レイさんの視線が刺さる。無表情なのに、氷点下のような冷たさの眼差しをしている。急に辺りの気温が下がったように感じた。私は慌てて顔を寄せてくるアズマさんの頬を思いっきり押した。


「違うんです!ヒカリさん!アズマさん力が強いから、抵抗したところで無駄というか!受け入れてるわけじゃないんですよ!ほら見て!ぜんっぜん動かないの!見て!信じて!」

「へえ……」

「おや、嫉妬かい?ヒカリ、私は勿論君とも一緒に……」

「ケーブルは腐食もないようですし、大丈夫そうです」


 レイさんは冷たい目をしたまま、サラリとそう言った。手に持った大きな持ち手付きの箱を私たちに見せる。


「電源も見つけました。ソーラーパネルに繋いで充電されていましたよ。これでどうにかなるでしょう」


 私たちが持っているのとはタイプが違うけれど、ポータブル電源だった。非常時に備えて、大学が準備していたものかな?しかも充電していたなんて、随分都合がいい。


 レイさんは背を向けてさっさと階段の方へ歩き出してしまった。

 その背中を見て、アズマさんはやれやれ、というように首を振る。


「ヒカリはいつまでもつれないね」

「アズマさんが悪いですよ」

「私かい?」

「嫌がることして、反応見て楽しんでるじゃないですか」

「ああ、どうしても綺麗な蝶は捕まえて羽がボロボロになるまで遊んであげたくなるんだよね……」


 そんなことを言うので、ゾッとした。私はアズマさんの方を振り返る。


「悪趣味!」

「よく言われるねえ、それ」


 私とアズマさんはレイさんの後を追って階段を降りる。他の建物の影にあるこの棟は、屋内は思ったよりひんやりしていて、涼しかった。というか、屋上が暑すぎた。パネルで跳ね返る光で猛烈に暑かった。屋内の涼しさに安心しながら、部屋の中に入る。


 窓は黒いカーテンで覆われていて光が入らないようになっていた。雑然とパソコンやモニターが置かれていて、埃っぽかった。

 カーテンで覆われて完全に遮光しているせいか、廊下よりも更に涼しい気がする。


 レイさんはすぐに電源を置いて、ラックに近寄り配線をいじり始めた。

 アズマさんは室内に入り、キョロキョロと辺りを見回す。そして椅子にどかっと座った。


「ふーん。不思議だったけど、ここに直近で来てる人間がいることは確かだね。しかも外部と連絡を取ろうとしてる」


 アズマさんが人差し指でモニターをなぞる。そういえばここのだけ埃が積もってない。他のモニターはうっすら埃が積もっているのに。


「ガラスもわざわざ踏まないようにまとめていたし、屋上の鍵も開いていた。電源もわざわざ屋上で充電していたね。誰かが持ってきたんだろう?まあ、おかげで取りに帰る手間が省けたけれど」


 レイさんがアズマさんの方へ顔を向ける。


「それよりこっち手伝ってくれません?」

「今日にでも来るかもしれないよ?一体誰だろうね」

「…………」


 アズマさんは立ち上がってレイさんの隣に屈む。私も手伝えることがないか一応聞いたけれど、2人で十分だと断られてしまった。正直機械系はちんぷんかんぷんだし、大人しくしてることにした。


 廊下に出てちょっと探検しようかな、と扉へ向かうとレイさんに名前を呼ばれた。振り返ると、無言で首を振られる。室内にいて、ということかな。別に誰もいなさそうなのに。

 私は大人しく室内で過ごすことにした。黒い遮光カーテンを捲り、外を見る。上から見ても、キラキラとした水面が地表を覆い尽くしていて、綺麗だと思った。

 これがシュウくんがもう一度見たかった景色だ。どうにかここまでは連れてきてあげたいな。レイさんに嫌がられるかもしれないけど、優しいからきっと許してくれるはず。


 シュウくんは長生きできないかもしれないけれど、せめて見たかったものだけでも見せてあげたい。

 弟とはぎこちなかったけれど、その分シュウくんには納得のいく最期を……

 少し前と同じ思考をなぞったところで、気付いた。


 ――あれ、私、またやり直そうとしてる?今度は、弟との関係をシュウくんで?


 胸がドキッとした。

 リカコさんに母親を見ていたように、シュウくんに弟を見てるの?

 心拍数が一気に上がる。

 また誰かに勝手に期待して、勝手にガッカリするのかな私は。純粋に人を想う気持ちって、自分にはないのかな。他の人は自分の欲を満たしたり、何かを実現させるための道具なのかな。

 私、間違ってるのかな?シュウくんにとっては私は赤の他人で、助けようなんてただのエゴだったかな?


 ここまで来て、急に不安になる。もう引き返せないのに。



「――ああ、送れたね。良かったよ。あとは返信を待つだけだ」


 アズマさんの声で現実に引き戻される。私は慌ててカーテンを閉じて2人の側へ行く。

 私がボーッとしてる間に端末を起動し、既に送信まで済ませたようだった。特に装飾もなく、無機質な画面に文字だけが打たれている。


「すみません、全部お任せしてしまって……」

「いいさ。お礼はその可愛い口で……」

「ホノカちゃん、顔色悪くない?大丈夫?」


 レイさんが当然のようにアズマさんの発言を遮り、心配そうな顔をして私の顔を覗き込む。言われて、思わず自分の頬に触れた。暗いモニターに顔を映してみても、色までは分からない。どんな顔をしているんだろう。


「ああ、そういえば白いような気がするね」

「熱はない?水分取ってる?」

「あ、えっと、多分ずっと外見てたから高さでクラクラして……それだけです。大丈夫です」

「この高さで?屋上は大丈夫だったのかい?」

「は、はい」


 レイさんは一瞬眉を顰めたけれど、そのままいつもの表情へ戻った。


「具合悪くなったらすぐに言ってね。ただでさえ暑いし」

「はい」


 誰にも相談できない。今更こんなところで話したって、呆れられるだけだ。もう、エゴだろうと何だろうと、ここまで来てしまった。すごくすごく不安で、情けなくて、馬鹿で、浅はかな自分が大嫌いだ。感情で頭がいっぱいになって、今すぐ叫んでどこかに逃げ出したい。

 でも、それでもやるしかない。もう、やるしかないんだ。シュウくんをここに連れてくるのが、最良の選択肢だって信じて。


 震えそうになる両手を、背後でギュッと握った。鋭いレイさんはきっと何か違和感を覚えてしまうだろうから、隠して。


「来ましたね。返事」

「ああ、本当だ。早いね。それだけ私との文通を心待ちにしていたのかな?可愛いね」


 2人がモニターに釘付けになっている後ろで、一歩引いて私はそれを眺めた。

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