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残光の箱庭  作者: 米田
2章
51/74

18

 あれからアズマさんと話をし、傷が治るまでの滞在をレイさんは許可した。ただ、東京行きについてはもう少し考えたいとのことだった。考える時間が必要なのかなと思い、私は特に答えを急かさずに待つことにした。

 アズマさんの方も今は回復に専念したいのか、騒ぎ立てることもなかった。


 アズマさんとレイさんの仲は良くなさそう。レイさんはいつも余裕があるはずなのに、それが無くなっているようだった。無視しているようだけれど、癇に障ることを言われ傍目に見ていてもイラついているのが分かる。アズマさんもそれを見て、反応を喜んだり確かめたりする様子が見てとれた。それを本人も分かっているのに、反応せずにはいられないのか、日に日にフラストレーションが溜まっていくようで可哀想だった。


 だから主に私がアズマさんの相手をしているのだけれど、それも何だか気が引けるようでちょこちょこ代わってくれたり、会話に混ざったりしてきてくれる。

 私は特に負担じゃないけれど、大変だと思ってるんだろうな。そういうところも優しいんだなあ、レイさんは。


 1週間近くが経つと、アズマさんは軽くなら動けるようになっていた。激しい運動はまだやめて、とレイさんに言われていたが、元々アクティブな人なのか立ち歩く許可が出ると敷地外を歩き回ったり、私の後について作業を眺めていた。




「……アズマさん、こういうの退屈じゃないですか?」


 しゃがんで草をむしる私の後ろで、アズマさんがただ座って私を眺めている。

 アズマさんはきっちりした格好を好むようで、かっちりした真っ白のシャツとピタッとした黒いパンツしか持っていないみたいだった。背が高く、均整の取れた体付きの彼女がそんな格好をしていると、普段から人を食ったような態度やキザなセリフを言っているような人間には見えず、ギャップに驚いた。

 養生していた時は私が毎日三つ編みなどして遊んでいたけれど、今は長い前髪をきちんと分け、後ろでまとめてきっちり結い上げている。整った顔立ちも相まって、何か偉い役職とかお堅い職業に就いている、優秀なお姉様という雰囲気でちょっと緊張する。レイさんともまた違った感じだ。何だか私だけ間抜けな感じで、ちょっと居心地が悪い。


 足首を膝に乗せ、頬杖をついていた姿勢から、体を起こし優雅に足を組み直してアズマさんが私に返事をする。


「5日も部屋にこもってたから、それよりはマシさ。可愛い君の姿も見られるしね」

「えー!私が厳選したドラマ、面白くなかったですか?」

「ハハ。動けないのは退屈でね。外にいる方が好きなんだ」

「……でもパイロットさんなんですよね?動けない時間の方が長そう」

「そうだけど、意外とやることが多いんだよ。瞬時に様々な判断をしなくてはいけなくてね。退屈はしないさ」


 そうなんだ。空を飛ぶ乗り物って一度も乗ったことがないから分からないや。車の運転とも訳が違うだろうし。そんなことを考えながら無心で草をむしる。


「ふーん、そうなんですね。アズマさん、意外と頭脳派なんだな〜」

「意外かい?体を動かすのも得意だよ。怪我していなかったらホノカと遊べたのに、残念だ」

「遊ぶ?スポーツですか?」

「大人のスポーツさ」


 よく分からないけれど、レイさんがいたらイライラしそうな発言だ。スルーしておこう。


「私、バレーボールとか好きですよ。でも人数足りないなあ」

「パス回しならできるんじゃないかい?」

「大人数でわちゃわちゃ試合するのが楽しいんですよ」

「誰か誘うかい?東京に私の元部下たちがいるよ。私が呼べば、喜んで参加してくれるはずさ」


 ……今はアズマさんのこと血眼で探してるだろうに?参加してくれるかな。それに、アズマさんの部下かあ。多分、軍隊グループにいたと言うからにはムキムキマッチョな人たちばかりなんじゃないだろうか。え?そんな人たちと私バレーをやるの?


「えー……うーん、遠慮しておきますね。なんか、怖い試合になっちゃいそう」

「残念だ」


 ちっとも残念そうではない声音でアズマさんは言う。

 私は最後の一本を抜き終え、汗を拭い隣へ座った。グローブを外し、カバンから飲み物を出して口に含む。アズマさんは暑くても全然汗をかいていない。涼しい顔をして座っている。まあ私は動いていたのもあるけれど。


「終わりかい?お疲れ様」

「まだ水やりもあるんですよ。暑いから、夕方にももう一回」

「大変だねえ」


 私は立ち上がり、水やりの準備をしようとする。アズマさんもちょこまかと後ろをついてくる。何か、そういう動物みたいで可愛いかも。大型犬みたい。


「……アズマさんはどれくらい動けるようになりましたか?」

「ん?まあ別に動いてもいいのだけれど、傷が開くらしいからね」

「まだ痛いんじゃないですか?」

「大きく動かせばね。歩くだけなら引き攣る程度さ」

「そっかあ。じゃあ無理はできませんねえ」


 立ち止まって、アズマさんの方を見る。私を見て口元に微笑みを浮かべ、首を傾げた。

 あ、なんか見える。ゴールデンレトリーバーが、ちょこんとお座りして舌を出して笑ってる映像が。あ〜動物と触れ合いたいなあ。狩りの動物なんて、全然可愛がれないし。猫も、あの日以来見ていない。


 私はアズマさんに近寄って、その手を握った。目を瞑って頭の中に大型犬を思い浮かべて、手の感触を確かめるけれど、当然あのもふもふの感触はない。残念だ。

 アズマさん、手も大きいな。私の手より指も手のひらも大きい。そんなことを考えていると、私の唐突な行動を眺めていたアズマさんが口を開く。


「どうしたんだい?」

「アズマさん、後ろちょこちょこついてくるの、大型犬みたいで可愛いなって」

「大型犬……?初めて言われたよ。でも可愛い君に言われるのは、嫌な気分ではないね」


 アズマさんは、そのまま手を引っ張り、私を引き寄せる。対面で向き合う形になり、体がもう少しでくっつきそう。背の高いアズマさんを見上げる。


 あの日、アズマさんの目を見た時に思った。この人、ちょっと危ないなって。暴力とか、そういうことに対して躊躇がないような。瞳の奥に獰猛そうな本性が見えた気がして、でもレイさんには言わなかった。

 多分、この人に私たちが協力的ならこのまま何もしないだろうし、東京行きを拒むなら無理矢理にでも協力させようとするんだろう。今は傷のこともあるし、レイさんの様子を見て大人しくしているだけだ。

 穏やかなワンちゃんも、やっぱり敵が来たら果敢に向かっていくもんな、とぼんやりと思った。


「ヒカリさんよりも背が高いですね!首が痛い!」

「……ホノカぁ、あまりに無防備じゃないかい?そんなんじゃ、私に襲われてしまうよ?」

「えー?アズマさん、怪我してるしそんなことしませんよ」

「これくらいなら、できるよ」


 そう言ってアズマさんは急に動いた。一瞬のうちに視界がぐるりと回る。向き合っていたはずの体は、アズマさんに背を向ける形になる。繋いだ私の手は捻られ、背中側で動けないように固定される。ぴた、と喉元にアズマさんの親指を当てられた。

 あっという間に私は拘束され、動けなくなってしまった。


「…………」

「君に何かあったらヒカリはどんな反応をするかなぁ?ふふ、楽しみだねぇ……」


 熱で浮いた声と共に、ぐり、と喉元の親指が肌に食い込んでいく。ザワザワと体の中で嫌な感覚がした。首に何かが触れると、いつもこんな感じになる。思い出したくないことを、思い出しそうになる。

 恐怖に脳が支配されそうになるけれど、堪える。アズマさんは人の反応を見てよろこぶタイプだ。私が怯えたら負けだ。

 短く息を吸って、震える声を出さないように努める。


「……私にそんな価値があると思ってるなら、大間違いですよ?」

「ん?そうなのかい?」

「ヒカリさんは優しいけど、ちゃんと判断できる人です。人質交渉は無駄なんじゃないかな」

「……ふーん?君、そういう認識なんだ」


 不意に、拘束が解かれた。無理な角度で捻られた肘が痛い。腕を振って痛みを逃そうとする。


「いたた……」

「ホノカ、君気をつけた方がいいよ。犬って、急に凶暴になったりするからね。東京に行ってもそんな感じだと、可愛い子猫ちゃんはすぐに食べられてしまうよ?自分のことは大事にした方がいい」

「じゃあ、東京では気をつけます」

「ふふ……いい子だ」


 アズマさんが私の手を取り、肘を撫でる。そのまま恭しく、手の甲にキスをして離れた。


「ヒカリが東京行きを決断してくれるよう、ホノカからも言っておいてくれ。友達に会いたいんだろう?」

「じゃあアズマさんは大人しくしててください」

「フフ……頑張るよ」


 全く信用ならないなあ。私は痛んだ手をさすりながら、水遣りの準備を再開した。

 アズマさんはフラッとそのままどこかへいなくなってしまった。


 この場でのやり取りをレイさんに言ったら、絶対にレイさんは怒ってアズマさん追い出すだろうなあ。多分私が言わないだろうことも見越してるんだろう。

 自分のことは大事にした方がいいって、アズマさんにも言われちゃった。私って、そんなに無防備なのかな。レイさんともあの件について話してないや。もう表面上いつも通りだけど、私たちにわだかまりがないと言ったら嘘になる。

 自分から逃げたくせに、問題をそのままの状態にしているのはソワソワする。

 口だけで嫌いじゃないって確認しても、やっぱり不安になるし。本当に嫌われてないか、近付いて、目を見て、触れて確かめたくなってしまう。でも触れたとしても、結局、ここまでなら大丈夫かな、こうしたら拒否されるかな、なんていつも自分の心の中は不安だらけだ。


 ノズルから水が出た。結構な勢いで出てくるそれを、乾いた土に向ける。こんなにたくさん水をあげても、強い陽の光ですぐに蒸発して夕方には乾き切っている。ここ5年くらい、暑くて嫌になる。5年前は冷夏で1ヶ月雨が降り続き作物が育たず、それも大ダメージだったけれどこう暑すぎても困ってしまう。暑すぎて毎年溢れ種で咲いているはずの朝顔さえ咲いていない。綺麗な水色と紫色で可愛かったのにな。私の住んでいる地域は比較的夏は涼しく過ごせる地域だったのに。


 私とレイさんの生活もずっと穏やかに続いていってほしいと思ったけれど、こんな風に突如暑くなったり、花が咲かなくなったりするみたいに、急に変わっちゃうこともあるのかな。それともそれって結局、突発的にそうなったのではなくて、何か理由が重なっていってそうなってしまったのかな。

 じゃあ私がこの間話を避けちゃったのは良くなかったんだろうな。


 私は軽く溜息を吐いて、ノズルから出る水が描く放物線をただボーッと眺めた。

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