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残光の箱庭  作者: 米田
2章
49/74

16

 リビングへ降りるとホノカちゃんはキッチンで水を飲んでいた。少しボーッとした様子でグラスを持っている。寝起きだからだろうか。私に気がつくと、グラスを置いてこちらを見る。


「……あ、レイさん」

「目は覚めた?」

「はい。すみません、寝ちゃって……」

「大丈夫。それより、アズマさんのことなんだけど……」


 私は先ほどアズマから聞いた事情を粗方話した。ホノカちゃんは黙って聞いていて、最後には困ったような顔になってしまった。


「……私は別にアズマさんがここにいるのは構いませんよ。ただ……」

「ただ?」

「アズマさん、東京のグループにいたんですよね……?シュウくん……どうなったのかなって……」

「…………」

「死体から血を抜くって、私……それを仕方なかったって思ってる人とはちょっと……ごめんなさい……」

「分かった。それだけ聞いてみよう」

「ありがとうございます」


 ホッとした顔で胸を撫で下ろす彼女を見て、私は複雑な気持ちになった。この子の大幅にずれている部分について良かれと思って指摘を続けてきたけれど、本当に必要だったのか分からなくなってきた。

 私はアズマとの会話の中で、シュウのことはすっかり頭から抜けていた。ましてや、そんな風に死体から血を取ることについてなんら引っ掛かりを覚えることは無かった。ホノカちゃんの感覚の方がまともだ。

 ますます分からなくなった。このまま全てをなあなあにしていけば良いのだろうか。それは彼女にとって良いことなのだろうか。


 何も分からない。もう私もさっさと寝るべきなのだろう。でも状況がそれを許してくれない。


「アズマのところへ戻ろう。一緒に話をするけど、いいかな?」

「はい。大丈夫ですよ。……レイさんは終わったらすぐ寝てくださいね」


 ホノカちゃんが心配そうに私の顔を覗く。私は微笑んだ。


 それから2人で部屋へ戻った。扉を開けると、アズマは首をこちらへ向けて嬉しそうに話しかけてくる。


「早かったね。戻ってきてくれて嬉しいよ」

「……アズマさん、聞きたいことがあるんですけど……」


 ホノカちゃんはベッドサイドのアズマの頭側の椅子に座る。私は扉近くに放置されていた椅子を持ってきて、その隣へ座った。

 話は私から切り出そうと思ったけれど、彼女が話したいならそれでもいい。ホノカちゃんの方が相手の反応が柔らかい気がするからだ。彼女の方が人当たりも丸いからだろう。


「何だい?何でも聞いてくれ」

「さっきヒカリさんから大体のお話を伺いました。気になったんですけど、グループの人たちと反りが合わないってどうしてこのタイミングで思ったんですか?一年近くは様子を見てたんですよね?」

「気になるかい?」

「はい。アズマさんがここで一緒に過ごすなら、聞いておきたいなと思って」

「じゃあ、ホノカが私にキスをしてくれたら教えよう」

「はい?」「はあ?」


 同時に声が出た。アズマはニヤニヤ笑みを浮かべ、ホノカちゃんを舐め回すような不愉快な視線で見つめる。私は瞬時に怒りが湧いて縫合した箇所をまたナイフで裂いてやろうかと思ったけれど、どうにか怒りを抑えて抗議をしようと口を開いた。

 私が声を発するより先に、ホノカちゃんが笑った。


「も〜〜アズマさん、そういうこと誰にでも言ってるんでしょ?私一途な人じゃないと嫌だな」

「魅力的な子にしか言ってないさ」

「それが嘘かどうか私に分かんないしなあ。お話聞かなきゃ、なんとも」

「反りが合わない理由を聞いただけで分かるのかい?それこそ嘘を言うかもしれないよ?」

「分かりますよ。私、目を見るだけで分かっちゃうんです」

「目?」


 ホノカちゃんはアズマの顔に体を寄せ、目を覗き込む。彼女の長い髪が、アズマの顔にかかった。そのまま至近距離で彼女はアズマに話しかけた。


「綺麗な目。アズマさんの目は、空みたいに澄んでますね。器が大きくて、誰のことも受け入れられるんだろうな。でも、そんなアズマさんが抜け出しちゃうくらいのことがあったんでしょう?私、アズマさんのこともっと知りたいな。お話、聞かせてくださいね」


 ひ、人タラシにも程がある!


 そう叫びたくなるような衝動を抑え、黙ってホノカちゃんを見つめる。髪に隠れ、アズマの様子は見えないが私には分かる。ホノカちゃんのあの目に見つめられ、あの声音であんなことを言われて絆されないわけがない!

 だから、距離感、と言いたくなるけれど、グッと我慢する。私はただ2人を見つめることしかできなかった。


「……そもそも私は反対だったんだ。抵抗できないよう眠らせて、血を抜き取るなんて。丁寧に頼み込めば受け入れてくれたかもしれないだろう?それもせずに無理矢理眠らせるなんて、野蛮じゃないか。私の美学に反するね」


 先程までと打って変わって、落ち着いたアズマの声が聞こえてくる。


「けど、ウイルスは死滅せずにしぶとく存在しているのも確かだ。だから眠らせている人々を健康に保ち、かつ血清が必要なくなるようにワクチンや薬の開発も並行して行うようにずっと言っていたんだ」

「……それが、どうして?」

「事件があって、抗体保持者のうち何名かが逃げ出したんだ。仲間が慌てて探しに行って捕まえたらしいんだが、瀕死の者がいてね。それを無理矢理薬や機械で造血できるくらいに体の機能を回復させ、そこから血を抜き取り始めたんだよ。『まだ使えるから』と言って」

「…………」


 多分、シュウのことだ。ホノカちゃんもすぐに気付いたんだろう。雰囲気が変わった。手がカタカタと震えている。


「もう付き合ってられないと思って逃げてきたわけさ。眠らされてる人々を解放しようと思ったが、事件のせいで監視もガチガチでね。結局何もできなかった」

「……あ……」

「ホノカちゃん?大丈夫?」

「…………」


 彼女はアズマから一旦離れ、椅子の背もたれに体を預けた。顔は青ざめていて、視線は宙を彷徨っている。


「どうしたんだい?」

「……シュウくん……いや……」

「深呼吸できる?」

「あ……はい……大丈夫です……」

「ショックな話だったかな。すまないね。君たちも抗体を持ってるようだし、脅しになるようであまり話したくはなかったんだがね……」


 ホノカちゃんの背中を撫でようと出しかけた手を、私は戻した。そのまま立ち上がって冷蔵庫まで歩き、冷えた水を取り出して渡した。


「ありがとうございます……」

「……ふーん?」


 アズマは顎に手を当て思案する。そして突拍子もないことを言い出した。


「行くかい?東京」

「えっ……」

「行かない。理由がない」


 私がそう跳ね除けようとすると、アズマはニヤッと笑う。


「知り合いでもいるのだろう?心配じゃないのかい?どうなってるのか、一度見てみるといい。私がサポートするよ。どちらにしろ、私はまたあそこへ機体を奪いに行かないといけないし」

「危険性について話したばかりで、東京に連れて行こうって話になる意味がわからない。行くわけない」

「……れ、ヒカリさん……私……」


 ホノカちゃんのか細い声が聞こえ、私もアズマも彼女を見る。先ほどよりは顔色もいいが、まだ元気そうとは言えない。


「行きたい、東京。シュウくん、助けたい……」

「…………」


 無理だろう。さっきの話じゃ、薬漬けで無理矢理生かされているような状況だ。助けに行ったところでどうにもできない。

 それに彼女が何故たった一度会っただけのシュウに執着するのかも分からない。私がおかしいのだろうか。


 そうかもしれない。こんな状況で、こんな年下の女の子に恋してる時点で私はおかしい。

 何だかストンと腹に落ちた。私が、おかしいんだ。


 私は親指の爪の付け根を思い切り押した。痛みで意識がはっきりしてくる。

 それとこれとは、話が別だ。だめだ、何してるんだろう。きちんと考えなければ。疲労で頭が働いていないのかもしれない。

 酸素を体に取り込むように深い呼吸をする。


「言いたいことは、分かるよ。でも危ないところにわざわざ行く必要ないんじゃない?」

「でもシュウくん、東京で苦しんでますよ?!」

「……シュウは死ぬことを受け入れてたよね?何でそんなにシュウを助けたいの?」

「理由必要ですか?助けたいと思ってもいいじゃないですか!弟は死んじゃったかもだけど、せめてシュウくんだけでもって。だって、無理矢理生かされて血だけって、そんな……」

「弟とシュウは違うけど。重ね合わせる必要、ある?自分の命を危険に晒してまで?悪いけど、私が大事なのはホノカちゃんだよ。シュウのためにホノカちゃんをわざわざ危険な場所に行かせたくない」

「大学には行こうとしたのに?」

「リスクが違うでしょ。危険すぎる」

「ヒカリさんがダメって言っても、行く……」

「…………また、置いていくわけ?」

「え?」

「ふふふ……いいね……!!最高だ!!人間同士が生きていくって、やはりこういうことなんだよ……!!」


 火種を作った張本人が、恍惚の表情を浮かべて悦に浸っている。何なんだこいつは。やっぱり助けなければ良かった。何もいい事などなかった。

 私はぶつけようのない苛立ちを、大袈裟な溜息をつくことで堪えた。


「ホノカ、2人で東京に行こうか?シュウって子を助けてそのまま3人で海外へ逃げてもいいよ?」

「それは別にいいかな。私、ヒカリさんとずっと暮らしたいから」


 サラリとそう言われ、大荒れだった自分の気持ちがすぐに凪いでいくのを感じた。我ながら単純で嫌になる。私と離れるとか、そういうことは考えていないんだ。


「残念、振られてしまったね。でもホノカ、ヒカリは東京行くつもりないようだがどうするんだい?」

「説得します。がんばります」

「いや頑張るって言われても……」

「まあ、ゆっくり話し合ってくれ。私が動けるまでまだ時間がかかるだろう?それまでに決めてくれればいい」

「…………」

 

 気楽なものだ。私はホノカちゃんを見る。気まずそうに視線を床に落としている。溜息をついて立ち上がった。


「ごめん、とりあえず私は限界だから寝てきてもいいかな」

「あ、はい。お疲れ様です。私も外回って、家事してきますね」

「その前に私の荷物を取ってきてくれないかい?」

「ベッドの下に入ってますよ。カバン一つだけでした?」

「ありがとう。気が利くね」


 私は立ち上がって扉へ向かう。


「お手洗いは出てすぐの扉です。そこの車椅子にでも乗って自分で行ってください。今日は動き回らず大人しくしててください」

「では私は滞在してもいいのかな?」

「まだ保留です」


 つれないねえ、なんて背後でアズマが言う。そのまま部屋から出ようとすると、ホノカちゃんが付いてきた。


「アズマさん、私ももう出ちゃいますね。また後で見にきます」

「ああ、ホノカ。また愛を語らおう」

「愛、今語らってたかな……?」

「相手にするだけ無駄だよ」


 そのまま廊下に出る。扉を閉めると、ホノカちゃんは私の横に並び歩き始めた。リーチが長い分、私の方が速い。ホノカちゃんは小走りで私を追いかける。


「レイさん、あの……」

「ごめん。今本当に疲れてて、難しいことは考えられないし、答えられない」

「そっか、でも……あの……」

「…………。どうしたの?」


 私は足を止めて、ホノカちゃんを振り返った。所在なさげな手を、胸の前で硬く組んで不安を和らげようとしている。薄い色素の瞳には、うっすら涙が溜まっている。悲しげな光を湛えていて、びっくりして何も言えなくなった。

 陽が上ったばかりで、光は廊下の窓にまだ差し込まない。ぼんやり明るくなった空だけが映し出されていた。朧げな明るさが、疲労で重い頭をさらに曖昧にさせる。何も考えられない。


「…………」

「私、わがままばっかりで、ごめんなさい。でも、私……レイさんに嫌われたくない……」


 曖昧な明るさの中、縋るように、祈るように手を組んで彼女が私に言う。ぼやけた頭も手伝って、私は自分が何か彼女より高等な存在になってしまったのでは、と錯覚を覚えた。

 そんな馬鹿みたいな考えを振り払って、彼女に改めて向き合う。


「わがままだとも思ってないし、嫌いにもなってないよ」

「……そうですか?」

「うん、安心して」


 私がそう言うと、ホノカちゃんは少しだけ笑みを浮かべる。その弱々しい姿を見て、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたけれど、もう私たちの間にそういうものは存在してはいけない気がしてしまい、歩み寄ることすらしなかった。


「引き止めてごめんなさい。寝るんですよね?おやすみなさい」

「うん。ホノカちゃんも無理しないでね。おやすみ」


 私たちはそう言って、階段で別れた。

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