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残光の箱庭  作者: 米田
2章
45/74

12

 目の前にカラフルな絵本が並ぶ。明るいカラーとは裏腹に、内容は真面目だ。どれも人との距離感やスキンシップが題材で、子供にも分かりやすいようになっている。

 そう、子供でも。

 私はそれを適当にパラパラとめくり頬杖をついて眺め、要点をノートに雑に書き込む。


 チラリと対面にいるレイさんに視線を投げる。図書館で借りてきたらしい本を、ブックカバーをつけて読んでいる。口に手を当て難しい顔をして、およそ一般人が読むスピードではない速さでめくっていく。ブックカバーいる?すぐ読み終わるのに?


 私がそんなことを思っていると、レイさんとパチっと目が合う。私の手元のノートに視線を落としてからまた私を見た。


「終わった?」

「……まだです……」

「飽きちゃった?」

「飽きたというより……何で幼稚園の子向けの絵本を読んでるのかなって気持ちです……」


 いくら私とレイさんで知能に差があるといっても、これはあんまりじゃないか?と思ってちょっと意見してみた。レイさんは腕を組んでうんうん頷きながら、絵本の1ページを開く。


「そう思う気持ちも分からなくもないけど、これ結構大事なことが分かりやすく書いてあるし、いい内容なんだよ」

「いや、そういうことではなく……」


 私がそう言うとレイさんは首を傾げる。


「……あの、レイさんが私に危惧してるのって、他人との距離が近すぎて何らかの性被害とかに遭うことですよね……?これを読ませてるってことは……」

「伝わった?良かった」


 レイさんはパアッと顔を輝かせる。

 ……どれだけ私に常識が無いと思ってるのだろう。さすがに、私だって成人男性に対する距離感は弁えている。ナリタさんにベタベタなんてしなかったし。確かにシュウくんに対しては無防備だったかもしれないけど、あの場にはレイさんもいたし。それに年下の男の子で、弟に近い年齢だしそんな危険性も感じなかった。

 

 パーソナルスペースという知識もレイさんに教えてもらったけれど、でも今この終わってる世界で必要かな?シュウくんの話を聞いた後じゃ、他人に対して警戒心を持たなくちゃいけないというのは心底理解できたし。今更必要?


 そりゃあ私は、確かに友達や同性に対してベタベタくっつくことがある。だって安心するし、触れてるのを受け入れてもらえると嬉しいから。

 でもちゃんと本気で嫌がる人には触らないし、自分では考えているつもりなんだけどな。


 それに昨日のことはもう忘れて欲しいのに。あれは私の勘違いだったし。でもレイさんもなんだかんだ、私が近付くと嬉しそうじゃない?だからキスされそうになった時も、そういうことだったのかな?って。だって、私とレイさん今2人しかいないんだから、そういうことをしたくなったら、相手は私しかいないし。


 この話とレイさんが言っていた自分を大事にする話が全然結び付かない。私が触りたいから他人に触っているし、レイさんにだって触ってもらってもいいって言ってるのに何がダメなんだろう?


 私は少し溜息を吐いて、シャープペンを机に置いた。


「……レイさん、大丈夫ですよ。ここまで何も分からないわけじゃ無いですよ?さすがに……」

「でもここがきちんと理解できてないと、次のステップに進めないから」

「次があるんですか?」

「あるよ。私が今読んでるやつ」


 レイさんが本を私にチラリと見せた。……私、物語性の無い説明文って読むの苦手なんだよなあ。


「あの、レイさん。私ちゃんと気をつけますよ?ここまでしてもらわなくても、大丈夫ですよ」

「いや、ホノカちゃんはちゃんと勉強した方がいいと思う」

「……どうしてですか?私、何か変なところがありますか?」


 まともな人間じゃ、ないのかな。シュウくんも言っていた。私って幼い?もっと分別をきちんと付けるべきなのかな。


 レイさんは困ったような顔をする。それが答えのように思えて、私は顔を伏せた。


「……私にすごくスキンシップ取るでしょ?例えば、だよ?信頼してる人でも急に掌返して襲ってくることだってあるよ?自分を守るために、適切な距離感ってやっぱり必要だと思う」

「それってスキンシップに限らなく無いですか?どんな自衛をしてても急に寝首をかかれるなんて、いくらでもあるじゃないですか。そんなこと言ったら、他人と接触せずに1人で生きていくのが自分を守るために1番って話になりますよ?」

「それは現実的じゃないよね?1人で生きていくって難しいし、こんな世界じゃ尚更。だから、その中でも自分を守るための術をって……」

「だって、レイさん、しないですよね?そういうこと。私は今、レイさんとしか一緒にいないんですよ?」

「いや、だから……」


 私は立ち上がった。スタスタ歩いて、椅子に座っているレイさんの隣に立つ。レイさんは困惑した面持ちで私に体を向けた。


「どうしたの?」

「…………」

 

 そのまま私はレイさんと机の間に無理矢理体をねじ込み、膝の上に座る。レイさんが慌てて後ろに椅子を引いた。

 レイさんは顔を赤くして信じられないという目で、私の顔と体を交互に見る。


「急にどうしたの?!何?!下りて?!また?!」

「…………」


 私はそのままTシャツを脱ぎ、キャミソール姿になった。そのままキャミソールも脱ぎ捨て、下着のホックも外そうと背中に手を回す。


「ま、待った待った待った!!!ストップ!!!!やめて!!!」


 レイさんが顔を今度は真っ青にして、とんでもなく焦った様子で私の手を掴んで止める。

 私は言われた通り大人しくする。


「……ほら、何もしないじゃないですか。大丈夫でしょ?ちゃんと分かってますよ!」


 そう言うと、レイさんは今まで見たことがないような、厳しい顔になった。カッとしたように眉を吊り上げ、私を睨む。急に私の腰に片手を回し、乱暴に抱き寄せた。そのまま逆の手で下着の肩紐に指を通し、肩から外す。そしてその流れで私を睨みつけながら、顔を寄せた。


 私は別にレイさんがそうしたいならそれでいいと思っていた。なのに目の当たりにすると体は硬直してしまい、頭の中ではどうして?とか何で?とか、疑問でいっぱいになっていた。同時に、レイさんに対して期待していた気持ちが、スッと冷めていくのも感じた。


 昨日レイさんが言っていたことって、これかな?私って自分を大切にしてない?望んでなかったのかな。別にレイさんになら、何をされてもまあいいかなって思ってるはずなのに。

 

 私がそんな自分勝手な気持ちを抱いていることを知ってか知らずか、レイさんは動作をぴたりと止め、目を閉じて息を長く吐いた。そのまま俯く。

 そして俯きながら、下げた私の下着の肩紐を元の位置に戻し、私の腰から手を離して、両腕を降参とでも言うように上げた。


「ごめん。私、自分の何が悪かったのか分からないや。どうしてホノカちゃんは怒ったの?」

「……」

「話がしたい。嫌な気持ちにさせたなら、ごめん。触ったことも謝るから……こういうこと、しないでほしい」

「……う」


 何だか私のやっていることが本当に子供みたいで、段々情けなくなってきた。何やってるんだろう?冷静に考えて、自分はそんな被害には遭わないって言って服脱いで煽って、レイさんだってムカついてやり返したくなる気持ちになるよね?

 

 でも何だか素直に謝れる気持ちにもなれなかった。だって、レイさんは私のこと普通じゃないと思ってる。そんな私とずっと一緒にいてくれるのかな。


 私はとりあえず、レイさんから離れて床に散らばった服を拾った。ちゃんと全て着直して、元いた席に着いた。

 レイさんは明らかにホッとした顔をしている。それにも何故かまたいちいち傷付いて、自分がもうどうしたいのか分からなくなった。めちゃくちゃだ。


「……何か飲む?紅茶淹れようか?」


 私は顔を横に振った。レイさんはそんな私を無言で見つめる。 


「分かんない……」

「え?」

「レイさんもシュウくんも、何でみんな、普通なの?私、普通じゃないの……?私だけ、おかしいの?」

「おかしくないよ。普通だよ。ただ、ちょっと距離感が近いだけで……」

「嘘だ、レイさん困った顔してた」

「伝え方を悩んでただけだよ」

「嘘だよ。信じられない」

「…………」


 結局、私は私のことが1番嫌いだ。レイさんにこうやって優しくしてもらう価値なんかない。嫌われるのが怖いのに、レイさんの優しさだって受け入れられない自分が嫌になる。


「もう、もう、分かりました。適切な距離感ってやつですよね?出来るので大丈夫です」

「ホノカちゃん……?」

「出来るよ、出来ます、大丈夫……」

「大丈夫には見えないな……」


 レイさんが心配そうに眉を下げる。

 それも失望されたんじゃないか、そんな風に捉えてしまってもうどうしようもない。

 喉が詰まって言葉が出て来ない。

 何で私こんなことになってるんだろう?今までこんな風になったことないのに。人に感情をぶつけるなんて、リカコさんにした以来だ。レイさんは何も悪くないのに。でも自分で自分が制御できない。この喉を塞ぐ気持ちも言語化できない。

 焦って、辛くて、怖くて、でも腹が立って、嫌になる、そんな気持ち。


 私は喉に手を当てて、キュッと喉元をつまんだ。

 レイさんはそんな私の様子を見て、言葉を探すように視線を横に流しながら、机の上で両手を組んだ。


「……ごめん、価値観の押し付けだった。良かれと思って教えようとしてたけど、そうだよね。ホノカちゃんは人のことちゃんと見てるし、心配ないか。子供扱いされたら誰でも嫌な気持ちになるよね。結構同性の友達と手を組んで歩いている子もいたし、そっちが一般的なのかも。心配しすぎたね」

「…………」

「年上だからって、何でも教えてあげようって傲慢になってた。ごめんね」


 レイさんはペコリと頭を下げた。

 謝らなくてもいいのに。私の方こそ良くなかった。


 それでも今はどうしても謝る気になれなかった。そんな自分にも失望する。

 でも何かは言わなくちゃ。


「……レイさん、私とレイさんの適切な距離って、何ですか?」

「え?」

「だって、きっと食い違ってるんですよね?私は、私の中じゃ間違ってないのに、レイさんは近すぎるって。じゃあ私たちの関係での適切な距離って、どのくらい?教えてよレイさん」

「…………」


 レイさんは私からの質問に腕を組んで口元に手を当て、更に足も組んで考える。

 無言の空間に、食洗機の中で水の跳ねる音と、時計のチクタクと時を刻む音が響く。私は居心地が悪くなってきて、モゾモゾと体を動かした。


 しばらくしてから組んだ体を元に戻して、私に向き合ってレイさんが言う。


「――分かった。今日はもう寝よう。続きはまた明日」

「え?明日?」

「うん。回答に時間が欲しい」

「……分かりました」


 そんなに難しいことかな。ていうか、そんなにすぐ答えづらいくらい、私との接触を拒否したいのかな。レイさん、満更でもないと思ってたのは私の勘違いだったのかな。

 だったとしたら、レイさんは私のことが嫌いなのかな。


『穂乃果は甘えっ子だから、嫌になる!お姉ちゃんなんだから、もう抱っことか言わないの!触らないで』


 急に親のセリフが頭に浮かぶ。ああ、そういえばそんなことも言われてたっけ。あの時と同じだな。そっか、やっぱり私が悪いんだ。


 私は立ち上がって、レイさんに頭を下げて足早に寝室へ向かった。

 こんな気持ちで、寝れるかな。


 私は1人でベッドに転がって、天井を眺めて溜息を吐いた。胸のモヤモヤが晴れない。

 レイさんは、いつも正しい。間違ってないし、優しい。でもその正しさと優しさを突きつけられる度、遠くに感じる。


 嫌われちゃったらどうしよう、でも私はおかしくない、何で、どうして、でも


 ずっと頭の中をぐるぐる回って眠れない。レイさんもこんな感じで夜悩んで寝れなかったのかな。お酒に頼る気持ちも分かる気がする。

 

 私はそのまま夜の深い時間まで寝付けず、回る思考で疲れ切ってやっと睡魔に身を委ねた。

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