11
図書館の入り口を抜けると、中央階段の踊り場で倒れているシュウが目に入った。自分で用意していたのか、ランタンの明かりで照らされている。
私とホノカちゃんは中へ進む。階段を上がると、シュウの苦しそうな呼吸が聞こえてくる。この呼吸も段々浅くなり、後は静かに息を引き取るだけだろう。
ホノカちゃんは辛そうにシュウを見つめる。
「……スマートウォッチ外すよ。触るね、ごめん」
もう声も聞こえてないだろうシュウにそう話しかけ、私は無事回収した。
立ちあがろうとすると、ホノカちゃんが私の服の裾をギュッと握った。
「どうしたの?」
「車の音、2台くらい……」
「え?」
「どうしよう、来たんだ、本当に……」
「隠れよう。上の階へ」
私たちは静かに素早く上階へ上がった。屋上へ抜けられるよう、非常階段の側に控える。書架の間から寝転んでいるシュウが小さく見える。ここなら余程奥まで探さなければ見つかることもないだろう。
耳を澄ませても、私には車の音は聞こえなかった。
ホノカちゃんはガタガタ震え、縮こまって私の側にしゃがんでいる。やっぱり、こういうストレスには弱そうだ。
「大丈夫だよ。側にいるし、目を瞑って耳を塞いでてもいいよ。何かあったら肩叩くから」
「……ちゃんと、見て、聞きます……。私の方が、目も耳もいいから……」
「……分かった。無理しないでね」
ホノカちゃんは頷き、顔を上げて中央階段の方を向いた。
その直後、微かに車の音が聞こえた気がした。図書館の前で止まったのだろうか。音はすぐに消えた。
「本当だ。来てる」
「……シュウくん……」
「2人じゃ運べなかった。しょうがないよ」
「……」
バタバタと人が入ってくる足音が聞こえる。ここから見えるだけで3人入ってきた。全員体格が良く、統率の取れた動きをしている。手には武器をそれぞれ持っていて、素人じゃないことはどこからどう見ても明らかだった。
「やっと見つけた……!!手間取らせやがってクソガキが……」
声がやたら大きいので、館内に響き渡る。
1人がシュウの元へしゃがみ、脈などを確認している。
「でもこいつ死にかけじゃないですか?どうします?」
「……死体からでも血は取れる。運ぶぞ」
「ゲッ死体の血?!……こいつの血入れんの、嫌だな〜〜しかもワクチンで汚染されてるんですよね?」
「抗体価が低いから、ブーストしないと満足な値にならないんだ。何度も言ってるが、別に血を直接入れるわけじゃないし、俺らがワクチンの影響を受けることは……」
「いや、そういう話じゃなくて、何か嫌じゃないですか!気分的に!」
「……さっさと運ぶぞ。ったく、こっからまた蜻蛉返りだ……」
「え?休まないんですか?」
「死体が腐ったら血も取り出せねえだろ!まだ生きてるうちに飛ばして帰るぞ!」
「うわー……最悪だ……」
男たちはシュウを背負い、外へ消えていく。バタバタとした足音が消えてしばらくして、車のエンジン音が聞こえてきた。音が段々遠ざかり、やがて全く聞こえなくなった。
体の緊張を解いた。
シュウが言っていた、あれが軍隊のグループだろう。今の私たちじゃどう足掻いても太刀打ちできない。気付かれなくてよかった。
シュウの言っていたことは丸ごと全て嘘だった訳ではなさそうだ。東京で抗体持ちが重要な資源になっているというのは、あの様子では間違いないんだろう。
「……会話全部聞こえました?シュウくん、感染者じゃなかったってことですか……?」
ホノカちゃんが眉を顰め、人差し指をこめかみに当てる。
「抗体持ちだったんだね、シュウ」
「でも、じゃあ何で死にかけて……」
「抗体価が低いって言ってたでしょ?満足な値じゃないから、抗体値を上げるためにワクチンを接種させられてたんだね。……元々の感染のせいで後遺症とかもあって弱ってたんじゃないかな……そこにワクチン打ってたから、副作用で……」
「……そっか……」
「抗体持ちって周りに言わないっていうの、シュウ自身も徹底してたんだ」
間一髪だったな。私はポケットの中のスマートウォッチを取り出した。ホノカちゃんの腕に着ける。
「回収、間に合ってよかったですね……。ギリギリだった……」
「ホノカちゃんが思い出さなかったら鉢合わせてたかもね。ありがとう」
「いえ、考えなしに渡しちゃったから……」
ホノカちゃんは自分の腕に取り付けられたそれを指で撫でる。
「……シュウくん、抗体持ちって言わない方がいいってアドバイスしてくれたし、きっと正直に話してくれてたんだろうな……他のことは……」
「そうだね」
「ごめんね……望む最期にさせてあげられなくて……」
「…………」
それこそホノカちゃんが背負うことではないと思ったけれど、口にはしなかった。私たちはしばらくその場で無言で佇み、時間が経ってから車に戻った。
「移動は明るくなってからにしよう。無いと思うけど、入り口付近にあいつらがいたらまずいし……」
「そういえば、シュウくん何でここにいることバレたんだろう……?」
「……分からない……シュウの車に何か細工されてたとか……?」
「対策万全って言ってましたけど、それも潜り抜けて?」
「…………」
「……でも、私たちがいるってこと分かってなかったみたいですし、大丈夫ですよね……」
「そう、だね」
それから、私たちはほぼ寝れずに夜を明かした。やっと微睡かけたのは少し空が白んできた頃で、結局完全に陽が上って車内が暑くなってきてから目が覚めた。
車を日陰に移動し車を止めて、軽くストレッチをする。車内に戻り、非常時の携帯食料を食べ村へ出発した。
街のどこにも彼らはいなかった。ホッとした。
「東京、憧れてたのにな。ちょっとだけ」
ホノカちゃんはポツリと窓の外を見て呟いた。運転をすると申し出てくれたが、断った。限界がきたら代わってもらおう。
「何に憧れてたの?」
「んー……あの村に居ると、息が詰まるじゃないですか。でも、東京はいろんなところから人が来てるから、他人を気にしてなさそうっていうか。人に興味がない感じが、過ごしやすそうだなって」
でも、とホノカちゃんは呟きながら姿勢を変える。
「今は監視されてそうですね。私、リカコさんたちと東京行ってたらどうなってたんだろう?……怖いなあ」
「……考えたくないね」
「シュウくん、よくメンタル保ってられたなあ。私だったら無理。みんな、すごいなぁ……」
「……私だって、同じ立場なら分からないよ……」
「レイさんはここまで生きてきたじゃないですか。過酷な状況でも」
「それはホノカちゃんも同じだよ」
「…………」
私は小さく息を吐いた。暑くなってきたので、車の窓を開ける。風が一気に入り込んできて、気持ちよかった。
「あ、私の方も開けちゃお。……うわっ」
ホノカちゃんの長い髪が風で煽られ、しっちゃかめっちゃかになる。彼女は慌てて少し窓を閉じ、髪を整えた。
「……何か、疲れましたね。家でゆっくりしたい……」
「あと1時間くらいかな。今日は最低限やることやったら寝よう……」
「レイさん、寝れそうですか?」
「さすがにね。寝酒はしないよ」
「……今日、一緒に寝たいなあ、レイさん」
そう言われた瞬間、頭の中に昨日の夜の映像が流れる。太ももの上に乗られる感触、腰の細さ、きらめく瞳。頬に触れ、唇が触れそうなほど近付いた距離。
危うくハンドルを変な方向に切るところだった。私は思い切り顔を横に振る。
自分が何をしでかすか分からない!絶対に無理だ!
「いやいやいや……ダメダメダメ……」
「……1人で寝たいですか?疲れてるから?」
「いや、パーソナルスペース……」
「そっかあ……」
残念そうにホノカちゃんがそう呟く。
む、胸が痛い。でもそんな状況で自分が何をやらかしてしまうか、分からない。少し前までは自分のこの気持ちを自覚していなかったけれど、今は恋愛感情を持ってるとはっきり自覚しているので、同じベッド上に寝るなんて考えられない。
でもまた今日の出来事で彼女は昔のことをフラッシュバックするかもしれない。そう考えると、1人にするのも心配だった。
私は少し考えて、切り出した。
「同じベッドは無理だけど、同じ部屋ならいいよ。2つベッドある部屋で寝る?」
「え、いいんですか?」
「うん。それならいいよ」
「……ありがとうございます、レイさん」
私は頷いて返事をした。
そのまま私の運転で家まで帰り、へとへとの状態でやるべきことをこなした。
どうにかこうにか2台のベッドメイキングを済ませ、そのまま倒れ込んだ。
「ああ……すぐ寝れそう……やっぱり座って寝るのはちょっと厳しかったなぁ……」
「次はキャンピングカーみたいな大きい車で行こう……」
「横になれますか?」
「なれるよ。でも大きいし、スピードは期待できないかな……」
「そんなに速く走りたいんですか?」
「時間を節約したいだけ」
私がそう言うと、ホノカちゃんは力尽きたように枕に顔を埋めた。同じ空間で寝ることにはなるけれども、これくらい距離が開いていれば変な気も起きない。それぞれのベッドの大きさがダブルなので、かなり間隔が開いている。私は安心して大の字になった。
「……あ、マッサージしますか?約束してたやつ」
「今日は大丈夫だよ。すぐ寝れそうだし」
「分かりました」
会話が途切れた。衣擦れの音だけが響く空間になる。心地の良い疲労感にそのままうとうとと眠りにつきそうになっていると、ギシッとベッドが軋む音がする。腰の上に何か乗り、意識を現実に引き戻された。目を開けるとホノカちゃんが私の腰の上に跨っていた。信じられなくて二度見した。でも、彼女は仰向けの私の腰の上に、足を大きく広げ、少し恥ずかしそうな面持ちで乗っていた。
下から見上げる彼女のその恥じらう姿に、私は身体中の血液が一気に沸騰したような感覚になる。焦って上から下ろそうとしても、どこを掴めばいいのかも分からない。
一旦起き上がろうと思ったけれど、それだとまた昨日のような格好になるのでは?と思い、何も動けなくなってしまった。
「え?何?え?どうしたの?」
「……」
焦って声をかけるが、ホノカちゃんは何も言わない。恥ずかしそうにもじもじして、黙っている。
何か言って欲しい。
「……怖かった?思い出しちゃった?」
ホノカちゃんは無言で首を振る。そして意を決したように口を開いた。
「……レイ、さん」
「は、はい」
「昨日、車の中で、お話ししてた時、私にキスしようとしました……?」
サーーーーッと全身から血の気が引いていく音がした。それはもう、一気に全身から勢い良く。体が強張って、喉がキュッと締まり、息もしづらい。心臓が嫌な音を立ててリズムが早まり、冷たい血が体を巡っているような感覚がした。
取り繕う言葉を早く言わなければいけないのに、頭の中で何も思い付かない。いつも巡る思考で寝付けず苦労してるのに、1番回ってほしい時に頭が停止している。ふざけないでほしい。
何か喋ろうと思って口を開いても、言葉は出てこない。情けなかった。
その私の様子を見て、ホノカちゃんは言葉を探すように視線を彷徨かせる。
「……でも、レイさん、あの……私……」
何を言われるのか、怖い。でも聞かなくては、私とホノカちゃんの間に、何か決定的な壁ができてしまいそうだ。私はきちんと目を開け、ホノカちゃんの顔を見る。
「レイさんが、その、そういうことをしたいなら……いいですよ。私、しかいませんもんね……レイさんなら私……」
自分の中の時間が、止まった。
「……ホノカちゃん、一旦下りようか」
「え?あ、はい」
私はそう指示し、ベッドサイドにホノカちゃんを座らせる。立ち上がり、ベッドサイドでは無く、部屋の電気を付けた。パッと明るくなったので、彼女は眩しそうに目を閉じる。
私は逆に彼女のベッドに腰掛けた。
そして、深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした……!!」
「え?え?何?え?」
「さんっざん、パーソナルスペースについて説いてたくせに、自分からそれを侵すようなことをしてしまい、本当に至らぬ限り……己の未熟さに、慚愧に堪えない……」
「ざ、ざんき?」
「昨日の、そういうつもりじゃありませんでしたって言っても信じてもらえないかもしれないけど……そんなつもりなかった。ごめんなさい」
「……そうなんですか?じゃあ何であんなに顔近付けたんですか?」
ホノカちゃんはあまり納得出来てなさそうに、私に問いかけてくる。正念場だ。私は顔を上げて、毅然と説明した。
「あの時、慰めてくれて本当に嬉しかったから、それを伝えようと思って……。私海外長かったでしょ?あっちだと頬と頬を合わせること、よくあって」
少し厳しいかと思ったけれど、現地にいなければ正しい文化なんて分からないだろう。私は堂々と話すことで押し通すことにした。
「……ああ、ドラマとかでもよく見ますね……」
ホノカちゃんが思い出すように頬に手を添える。いけるか?
「そう、それで顔近付けたけど、日本には無い文化だな、と思って途中で気付いてやめたの。散々距離感についてホノカちゃんに説明してたのも思い出したし。本当にごめんね」
「…………なるほど」
ホノカちゃんは納得したように頷いた後、顔を真っ赤にして両手で顔を埋めた。
「わ、私勘違いして恥ずかしい……忘れてください……」
「いや、私が良くなかったよ。そうだよね、そういう風に見えたよね。ごめんね」
ただ、と私は前置きして言う。
「ホノカちゃん、相手に求められるままに自分のことを差し出しちゃうのは、どうかと思うよ」
「…………」
「私のこと好きなの?そういうこと、私としたいと思ってる?……違うよね?」
そう聞くと、ホノカちゃんは困ったように眉尻を下げる。そしてそのまま顔を俯けた。
「私、ホノカちゃんのことがすごく大事だと思ってる。……ホノカちゃんにも自分のこと大事にしてほしい」
「大事に、する……?」
「そう。誰にでも距離が近いのも、自分の体を他人に許してしまうのも、本当に自分が望んでることかな。少し考えて欲しい」
「…………」
私がそう伝えると、ホノカちゃんは黙ってしまった。
……やっぱり絵本から始めるべきかな。彼女の中で大きく欠落してる部分を補うためには。
「……言ってることは、分かるような、分からないような。……難しいです」
「まあ、別に今すぐじゃないよ。ゆっくり考えてみて」
「はい……」
「……偉そうに言ったけど、今回はごめん。悩ませちゃって。でも、安心して寝てね。考えてくれて、ありがとう。……寝ようか」
私はそう言い、立ち上がって掛け布団の一部をめくり上げる。彼女にそこへ入るようへ促した。ホノカちゃんは一度私の目をじっと見つめてから立ち上がり、移動してころんと寝転んだ。私はその上に布団をかける。
私はそのまま電気を消して、自分も布団に潜り込んだ。
「おやすみ」
「……おやすみなさい、レイさん」
静寂が訪れた部屋で、ジワジワと後悔が湧いてくる。あんなこと、言わせたくなかった。やっぱり軽率な行動は取るべきじゃなかった。
自分の好意がバレることよりも、彼女が自分自身をやっぱり大切にしていない、というところが突きつけられてキツかった。
私と一緒じゃなかったら、どんな道を歩んでいたんだろう?仮に私が死んでしまったら彼女はどうなってしまう?あんなに他人の気持ちに敏感で、汲んで、自分を差し出してしまう子。考えると恐ろしい。
自分の欲求や気持ちは絶対に隠そう。ホノカちゃんが自信を持てるように接していかないと、ダメだ。
再度そう決意して、私はホノカちゃんの方へ寝返りを打つ。スヤスヤした寝息が聞こえてきたので、私も疲労で重くなる瞼に抗わず、目を閉じた。




