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残光の箱庭  作者: 米田
2章
38/74

5

「レイさん!!今日時間ありますか?ありますよね?」


 昼時も過ぎ、私が今日はさっさと切り上げるかと家に戻ってきた途端、ホノカちゃんが私の元へ駆け込んできた。

 なんかデジャヴだな。


「この後?暇だよ」

「よかった!じゃあ荷物とか置いたら、玄関側から出てウッドデッキの前で待っててください!」

「え?なんで?」

「おたのしみ!」


 長い髪を揺らし、顔いっぱいに何か企んだような笑みを浮かべる。

 その楽しそうな顔が可愛いな、と思うけれど、以前のように掻き乱されたりはしなかった。ここ最近は自分をきちんと律せている。あの日の自分を思い出すと恥ずかしさと後悔で死にそうになるけど、それが盛大なブレーキになったのか何なのか、もう自分が迷うことはなくなった。

 よかった。やっぱり勘違いだったんだ。


 たまたまあの時は疲れかストレスかホルモンバランスの乱れか、多分何かからかちょっとおかしくなってたんだ。変な欲求が出る時って大体そういうものだ。


 ホノカちゃんはそのままどこかに行ってしまった。私は荷物を置き、少し楽な格好に着替えてから庭へ向かった。


 ウッドデッキにはラグが敷かれており、その上に小さめのアンプ、それにマイクスタンドが立てられて簡易的なステージのようになっていた。

 いつの間に準備したんだろう。

 ステージの前にはアウトドア用の椅子が置いてある。これに座ればいいのだろうか。私は恐る恐る腰掛けた。


 ……というか、これはホノカちゃんが歌ってくれるんだろうか。喉を気にして最近こちらからリクエストは控えていたので、正直めちゃくちゃ嬉しい。

 何を歌ってくれるんだろう。


 ウッドデッキの後ろの窓が少し開き、ホノカちゃんが顔を覗かせる。

 長い髪をひとつの三つ編みにして、片側から垂らしている。今やったんだろうか。かわいい。


「へへっようこそレイさん」

「これ全部自分で準備したの?」

「そうですよ!軽トラで運びました!叔父の残していったものです!」

「うちにもスタジオあるし、貸したのに」

「だって内緒にしたかったんですもん」

「……ねえ、ライブしてくれるの?」


 私がそう問いかけると、ホノカちゃんは照れたように頷いた。

 期待で胸がときめく。私のために歌ってくれるんだ。


「すごい楽しみ」


 私がそう伝えると、ホノカちゃんはにっこり笑って窓から出てきた。

 以前彼女が好きだと言っていたバンドのライブTシャツだろうか、それにデニムのショートパンツを履いている。

 ギターをアンプに繋ぎ、音の大きさを確認している。事前にやっておいたのか、特に大幅にいじることはなかった。

 マイクをオンにして、こちらも確認している。全て問題ないことを確かめて、ホノカちゃんははにかんだ笑みを見せる。


「ちょっと恥ずかしい……」


 マイクに乗って、彼女の揺らぎの声が私の耳まで届く。その声を聞いて、身体中が興奮したように血が巡る。マイクに乗った、普段より大きな彼女の声で鼓膜が震えると思うと、喜びが込み上げる。

 

「私しか見てないから大丈夫だよ」

「笑わないですか?」

「笑わない。本当に嬉しい。何歌ってくれるの?」

「レイさんが私に出した課題曲です」

「ああ、洋楽?」


 そう聞くとホノカちゃんは頷く。

 あの日からホノカちゃんは熱心に英語に取り組んでいる。日常の中でも英語の音声を流していたり、ぶつぶつシャドウイングしていたり。私がお題として出して曲も毎日聴いていたようだ。

 そのおかげか、大分文の読み上げもスムーズになった。まだ辿々しいところもあるし、会話も自信がないのか詰まりがちだけど、形にはなってきている。


「えへ、じゃあよろしくお願いします」

「あ、うん、こちらこそ」


 ホノカちゃんはペコリとお辞儀する。私も姿勢を正してお辞儀を返した。


 アコースティックギターの弦に指をかける。前奏が始まった。

 あ、上手くなってる。ギターも練習したんだ。最近は来月の田植えに向けて準備が忙しい、なんて言ってたのに時間を見つけて頑張ってるんだな。


 ホノカちゃんの息遣いまでマイクが拾う。息を吸って、滑らかに歌い始めた。早口のはずの英語も、綺麗にリズムに乗って発音している。

 揺れる高音のサビが心地良い。声が掠れることもなく、以前の様にどんなに細やかでも周囲に響くような魅力的な歌声だ。本当に完治していてよかった。

 高揚感でクラクラする。ずっとこれを聴きたかった。


 最後の一音まで聞き入り、終わった瞬間に立ち上がって拍手した。

 ホノカちゃんは満足そうに微笑み、一度水に口を付ける。


「ご清聴ありがとうございました」

「最高だった!英語も上手だったし、歌声も本当に、もう、最高!」

「英語は、発音理解っていうよりなんかそのまま丸暗記しちゃいました」

「それで出来てるからすごいよ。ギターも上手くなってたね」

「練習しましたからね」


 ホノカちゃんは私が次々褒めるのを満足そうに頷きながらギターを下ろし、早々に片付けに入ろうとしてた。


「……え?おしまい?」

「え?はい。驚かせたかっただけなので。あと、これしかギター練習してません」

「うそ、もっと聴きたかった」


 私がそう言うと、ホノカちゃんは悩み始める。


「でも私、他の曲分かんないしな〜ギター弾けないですよ。アカペラは恥ずかしいし」

「私が弾いていい?即興だから完璧じゃないけど。あ、キーボード出してきたら大体なんでもいける」

「レイさんが演奏してくれるなら、いくらでも歌いますよ」

「じゃあとりあえずギター弾こうかな」

「最初何やりますか?」


 私はギターストラップを掛けたあと、少し悩んでから、イントロの部分を弾く。


「あ、流行ってたやつだ。それなら歌えますよ」

「キー高くする?」

「大丈夫ですよ。そっか、私の男性ボーカル曲って聞いたことないんでしたっけ?」

「そうだね。リクエストしてこなかったから」


 ホノカちゃんはニヤッと笑う。

 

「このくらいの高さなら全然大丈夫ですよ」

「え、そうなんだ。低いキーも出るんだ」

「低すぎるとさすがに出ないんですけどね」


 楽しみだ。ホノカちゃんと目で合図して私はイントロを弾き始めた。





 

 余韻に浸りながら、私はコードをまとめる。

 あの後何曲も歌ってもらい、さすがに疲れたのでやめるか、と言って片付けに入った。めちゃくちゃ良かった。今度レコーディングでもしようかな。研究所で1人で作業するときに聴きたい。必要な機材はあるのか確認しておかなくては。

 それにしても、本当にホノカちゃんって歌が上手い。男性ボーカルの曲もアレンジして綺麗に歌い上げていてすごく良かった。調子に乗ってハイトーンの淡い曲や割と高めのポップスから、力強い歌声が印象的なロックな曲を弾いてしまったけど、イントロを聴いてニヤリと笑ってそのまま歌い上げてしまった。格好良かった。

 歌詞もスラスラ出てきていたし、本当に歌が好きなんだろうな。


「久々にたっくさん歌ったな〜〜カラオケみたいで楽しかったです。レイさんなんでも弾けちゃうし。さすがだなあ」


 弾む声で彼女が言う。

 

「一時期バンドやるってルカに言われて付き合わされたんだよね。ドラムとかもやらされたな……」

「お兄さんですか?へえ、人気出そう〜〜」

「でも私もルカも音痴だからポシャった。あんなに練習させておいて。本当最悪」

「メンバー集めれば良かったじゃないですか?いくらでも集まりそう」

「……まあ、今だったらホノカちゃんに声をかけてたかも」

「え!絶対嫌です!無理無理!」


 即座に拒否されてしまい、若干ショックを受けた。でも、嫌ならしょうがないか。


「そういえばレイさん、忘れてないですよね?」

「え?」

「ご褒美!私楽しみにしてるんですよ!水着も調達したんですから!」

「この間のお店で?」

「そうですよ!海かプールか分からないけど、楽しみ〜〜」

 

 ホノカちゃんがマイクを持ちながらクルクル回る。そんなに楽しみにしてたんだ。

 まあ、あそこまで完成度の高い歌を聴かされたら、ご褒美とか抜きに何か返したい気持ちもある。


「期待に応えられるかは分からないけど、頑張るよ」

「わかりました!海はまだ冷たいですし、もうちょっと後かな〜……沖縄とかは温かいのかな」


 最後の方はボソッと呟いていた。

 ……沖縄、冗談じゃなかったんだ。私は心の中でツッコんだ。


 簡易ライブのセットはまた使うかもしれないし、倉庫の中に入れておいた。

 

 それから私はホノカちゃんに歌を録音させて、と頼み込んだけれど、頼まれたらその場で歌いますよ、と言ってのらりくらりと交わされてしまった。

 こっそり隠れて録音することも考えたけれど、信頼関係を壊したくなかったので、また何かご褒美で釣れないかな、と考え続けることになった。

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