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残光の箱庭  作者: 米田
2章
34/74

2

 最近、夜も眠れないほど悩んでいることがある。

 勿論ホノカちゃんについてだ。

 当の彼女は今、体育座りする私の膝の間に入ってご機嫌に鼻歌を歌いながら、私の手を脇に抱え指の爪にネイルを塗っている。


 家に眠っていたジェルネイルのセットを見つけ、爪に塗ってあげたらとても喜び、それから自分でもやりたくて雑誌を読んでいろいろ学んだらしい。その様子が可愛くて微笑ましくて、上手に出来るようになったから塗らせて欲しいと頼まれたので快く引き受けたら、これである。

 

 ……いや、なんで?普通にネイルって対面でやるもんじゃない?!


 彼女の左脇に私の腕は抱えられ、必然的に密着することになる。訳が分からない。

 髪は結い上げられていて、うなじが見える。


 あの日から1ヶ月近く経ち、ホノカちゃんの喉も完全に治ったようだ。首の鬱血も消えている。

 うなじにも跡が残っていないことを再確認できて、少しホッとした。

 ホッとはしたけれど、この密着度合いで心臓は相変わらず激しく鼓動を打っている。


 この距離なら自分のこの心臓の音も聞こえてるんじゃないか、とハラハラしていたが、彼女は真剣でそれどころでは無いらしい。


「……ホノカちゃん、あの、これやりにくくない?対面でやるもんじゃないの?」

「自分でやってるのと同じ向きじゃないと……」

「え、待って、ネイルって時間かかるよね?ずっとこのままってこと?」

「そうですよ?レイさんの綺麗な手で失敗するわけにはいかないし……」

「…………」


 1時間近くこの姿勢?!ずっと密着してなくちゃいけないの?!嘘でしょ?!


 心の中で叫び声を上げる。


 そう、この子最近、めちゃくちゃ距離が近い!!!

 一緒に寝るのを一度許したら、なし崩し的に距離が近くなった!

 やたら腕組んでくるし、くっつくし、顔は近いし、抱きついてくる!!!

 

 一回距離感について話をしたら、きょとんとし、でも私友達とこんな感じでしたよ?と言われてしまった。

 これが友達との距離感なの?!今の子ってそんな感じなの?!恐ろしい!!!

 彼女のデフォルトがこうなのか?じゃあ指摘するのもおかしいのか?と悩んでいるうちに、どんどんこれが当たり前の距離のようになっていき、口を出す隙がなくなってきてしまった。


 困った。非常に困った。


 だって、最近、私は彼女に対しての気持ちが以前とは異なっていると感じているからだ。

 あの日、ホノカちゃんが私と共に暮らすと決めてくれた日、私は彼女が帰ってくるのが幸せで嬉しくてしょうがなかった。自分を選んでくれた彼女を甘やかしたい気持ちもあったし、まあこれもしばらく経てば落ち着いてくるだろうと思っていた。


 ……なのに、全然収まる気配がしない!!!!!


 日増しに彼女のことを可愛いと思うし、良い匂いだし、てか可愛いし、鼻歌も上手だし、上手く出来たよって言って嬉しそうにニコニコして私に見せてくれるのもすごく愛らしいし、本当に、本当に、良くない!!!!!!


 っていうか今脇の下に挟んで腕を通してますけど、いいの?!当たってるよ?!何がとは言わないけど、女同士だから別に気にしてないわけ?!気にしてる私の方が気持ち悪いのか?!何で?!何なの?!本当に何?!指摘するのも何かキモくない?!胸が当たってるけど気にしないの?!って聞くの?!無理!!!そんなこと絶対言えない!!!!!


 私はもしかしたら、もしかしなくても、ホノカちゃんへ恋愛感情を抱いてるのかも知れない。

 でも自分ではそれを否定したい気持ちが強い。

 ……8歳年上の社会人が、社会に出たこともない20になった女の子を好きになるって、相当アレな気がする。こんな崩壊した世界で常識なんて今更、とも思うけれど、やっぱりそれまで培ってきたものは自分の中にずっと根付いている。


 それに、じゃあこの気持ちを仮に恋だとして告白したとしても、返事がNOだった場合ものすごく気まずくないか?!これからずっと一緒に暮らしていくとして、振った相手と過ごすの?!キツくない?!

 正直この村ってすごく優秀な拠点だから出ていくって選択肢考えられないし、ここ以外で生きていける場所があれば別の話だけど、それだって2人の方が安全面などを考えれば生活しやすいのは明らかだ。

 また、順当に付き合えたとして、別れましょう、となったときに同じ問題に直面する。


 そしてもうひとつプラスすると、今のホノカちゃんは非常に危うい。リカコさんの日記を読んだ時にホノカちゃんについても記載があったが、彼女は非常に複雑で根深い問題を抱えているようだ。

 記憶は戻ったけれど、彼女は小さな頃から親との関係で深い傷を負っている。自己肯定感が低く、何か役割をこなさないと自分は認められない、存在価値がないと思っている様子が見受けられる。かなり不安定なのは間違いない。

 ……そんな子に告白してしまったら、「恋人としての役割」を押し付けていることになるんじゃないか?私が求めてしまったら、彼女はそれに応えようとするのでは?

 容易に想像できた。


 要するに、私は私の恋心を認めてしまったら詰む状況だ。好きで仕方なくても、思いを伝えるのにものすごくリスクを伴う。

 できれば、この淡い気持ちの間に、勘違いだったと思い直したい。


 なのに!この子ときたら!私の気持ちを知ってか知らずか!くっついてくる!


 良くない、本当に良くない。私も拒否できなくて、なあなあでここまで来てしまったけれど、そろそろ本当にまずい。

 くっついてくる彼女がどうしようもなく可愛くて、嬉しくて、否定できなかったっていう下心があったけど、そろそろもう本当にそんなことを言ってられない。

 これが終わったら、ちょっと距離感について一度真剣に話そう。

 

「……終わりそう?」

「まだ……あと二回くらい重ねたい……」


 気付けば鼻歌も止まって、真剣にグラデーションを作り込んでいる。

 彼女が私の指先に触れ、ブラシで丁寧に塗っているのが伝わる。丁寧に、大切にあの指先で扱われているのだと思うと、ゾクリ、と背中に何かが走った。

 そんな自分が情けなくて不甲斐なくて、項垂れる。

 

「右手は対面でやらない?この姿勢ホノカちゃんも辛いと思うんだけど」

「ん〜……?大丈夫ですよ」


 いや、私が大丈夫ではないんだけど、と言いたいのを飲み込む。

 そのままされるがまま、ホノカちゃんに左手を預ける。脳内から煩悩を追い出すように、私は大きな数から素数を逆順で数えることにした。単純だけど、頭を使うからちょうどいい。


 そんなことをしていると、ホノカちゃんが急に背中を私に預け、私の顔を見上げる。抱きしめるような形になり、心臓が跳ねた。

 私を見つめる色素の薄い瞳が、喜びでキラキラと輝いている。可愛くて目が離せない。思わずそのまま顔を寄せそうになったが、慌てて顔を後ろへ引いた。


「見てください!できましたよ!どう?!めちゃ綺麗じゃないですか?!」


 私は自分の左手に視線をうつす。ブルーグレーの落ち着いたカラーが、根本から爪先に向かって淡いグラデーションを描いている。爪を傾けると、キラキラと夕焼けのようなラメが輝く。ミラーパウダーも乗せたようだ。綺麗。


「すごい、器用だね。お店でやってもらったみたい」

「ふふーん。自分のより、人にやる方が上手くできますね」


 ホノカちゃんは私が褒めると満足そうに微笑む。そのままニコニコと私の手を光にかざし、眺めた。

 

「レイさん指細長くて綺麗だな〜。パーソナルカラーはブルベ冬かな?この色似合いますねえ」

「そうなの?知らなかった」

「でも何色でも似合いますね、レイさんなら」


 そう言ってホノカちゃんは光にかざしていた私の手の上に、自分の手を重ねた。

 近い。本当に近い。全身がホノカちゃんに触れている。

 意識しないようにしているはずなのに、意識せざるを得ない。彼女が体を預けて触れてくれる、それだけで愛しくて仕方がない。

 恥ずかしくて顔も見れなくなってしまった。


「ほら、私と全然血色の感じが違う!私多分イエベ春なんですよね〜」

「……本当だね」

「?疲れましたか?」

「ちょっと、一旦休憩しない?」

「そうですね。わ、もう1時間経ってる!」


 ホノカちゃんは立ち上がり、コーヒーでも入れますね、なんて言ってキッチンへ消えていく。

 私は大きなため息を吐いて、床に倒れ込んだ。


 こんなの、心臓がいくつあっても足りない!

 自慢じゃないけど、今までの恋愛遍歴では、大体相手から告白されてたから!いい感じの男といい感じだから、まあいいかなって付き合い始めることが多かったから!自分みたいな人間が!まさか!こんなに他人の一挙一動に心動かされると思わなかった!!!

 本当にこれを勘違いで済ませられるのか?!いやでも認めても茨の道すぎる!!


 私が床で頭を抱えて暴れていると、足音が聞こえたので慌てて起き上がった。


「はい、どうぞ」

「ありがとう……」


 私はカップを受け取り、口をつける。

 ホノカちゃんは私の横に座った。


「……?レイさん、髪の毛ぐちゃぐちゃですよ?」

「え?ああ、うん……」


 そう言って彼女は私の頭に触れようとする。私は彼女に触れられる前に、自分で左右に頭をバサバサと振り、雑な手櫛で整えた。


「あ、すごい。それで整っちゃうんだ」

「――ホノカちゃん!!お話があります!!」

「え?何?はい、え?」

「そこ!!向かい側に座って!!」

「え?は、はい、ここですか?」


 私の勢いにのまれ、ホノカちゃんはちょこんとローテーブルを挟んで向かい側に正座する。

 いまいち状況が分かっていなさそうな彼女に、私は話し始めた。


「最近、距離近すぎない?」

「距離ですか?」

「その、触りすぎじゃない?!抱きついたり、くっついたり、さっきだって何で私の足の間入ったの?!」

「だって、やりやすいから……」

「だからって!パーソナルスペースってものがあるから!」

「……?」


 こてん、とホノカちゃんが首を傾げた。

 え?知らないの?


「聞いたことない?他人に近づかれると不安になるエリア」

「んん〜〜?」


 知らないんだ!だからか!

 この子そういえばリカコさんにも距離が近かった気がする!母親だと思って接してるからと思っていたけれど、もしかしてちょっと仲良くなるとやたら触るタイプの子なのか?!

 私は内心の動揺を抑えながら、話を続ける。


「人にもよるんだけど、大体手を広げたくらいのスペース、ここは親しい人、例えば恋人とか家族とかしか入れないエリアで、それ以外の人が入ると怖かったり不快に感じるって言われてるんだよ」

「……友達は?ダメなんですか?」

「人によるだろうけど、私はあまり入れたことないね」

「そうなんですね……」


 ホノカちゃんは私の話を真剣に聞いてる。分かってくれてかな?

 ホッとすると、ホノカちゃんが少し考えてから私に質問をする。


「レイさんは私がパーソナルスペースに入るのが嫌ってことですか?」

「えっ」

「私は家族でもないし、友達でも恋人でもないから入っちゃダメってことですか?」

「そっ……」


 そういう言い方をされると、答えづらい。

 いや全然不快じゃなくて、むしろ嬉しいんだけど、だからこそダメで、別に家族や友達未満の関係性だからダメとかそういうことではなく……

 待って難しいなこれ?!なんて伝えればいいんだ?!

 私が脳内で思考を巡らせている間、ホノカちゃんは不服そうに唇を尖らせる。


「……私はレイさんになら、どこ触られてもいいのに……」

「は……」


 脳内がショートした。

 待って待って待って、それ、意味わかって言ってる?!?!?!

 どういうこと?!?!?!


「まっ……え……なん……」


 とりあえず何か言おうとしたけれど、何も言葉が出てこない!

 視線を左右にうろうろし、不審な言葉を吐くだけになってしまった。

 ホノカちゃんはうーん、と腕を組み考え込む。


「あんまり考えたことなかったな〜〜女の子の友達とは結構ベタベタしてたので。いつも誰かと手を繋いでたし。ポッキーゲームとか普通にしてたなあ。でもきっと文化が違うんですかねえ」

「え?ポッキー?」

「レイさんは学生時代も人にベタベタしなさそうですもんね。私はお子様だからそんな感じなのかも」

「…………」


 なんかいろいろ衝撃的な言葉を聞いた気がするけれど、脳の処理が追いつかない。

 何とか頭を動かして、伝えなければいけないことだけは伝えようとする。


「えっと、あの、とりあえず、その、伝えたかったのは、ホノカちゃんのことは特別だし大事だと思ってるけれど、私のパーソナルスペースは尊重してほしいという……」

「でも、寂しいなあ……」

「う……」

「たまには、ダメですか?」

「た、たまに?」

「ちょっとだけ!」

「ちょっと……なら、まあ……」


 いいのか?大丈夫なのか?


 私がそう答えると、ホノカちゃんは花が綻ぶように笑う。その笑顔を見ると、胸がキュッとなった。


「へへ、ありがとう!レイさん!特別だもんね!私!」

「う、うん?どういたしまして?」


 じゃあ、と彼女は一拍置いてからまた私の隣に座る。

 右手を脇に抱え、またネイルを再開しようとするので、私は腕を慌てて上にあげた。

 何でこの話をした後にそうなるの?!


「だから!近い!対面でって言ったじゃん!」

「でもこっちからじゃ遠いし塗りにくいよ〜〜」

「パーソナルスペース!!」

「ちょっとはいいって言ったのに!」


 ホノカちゃんと私は揉め、結局今回だけ脇に抱える形を許容することになった。

 納得いかないけれど、とりあえず一応は理解してくれたようなので今回は良しとする。


 私は彼女にこれからこの世界で生き残っていくための知識だけでなく、人との距離感についても教えることを堅く心に誓った。

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