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残光の箱庭  作者: 米田
1章
29/74

23

「……やられた」


 レイさんは駐車場でそう呟いた。

 レイさんが乗ってきたはずの、スタイリッシュなシルバーの車が無くなっていた。中に置いてあった荷物は全て駐車場の地面に綺麗に並べて置いてあった。

 リカコさんが多分乗って行ってしまったんだろう。


「鍵差しっぱなしでした?」

「……道具一旦取りに戻ってもらったでしょ?その時に渡したままだった……カードキー……」


 レイさんが大きな溜息を吐く。


「あれが1番速いのに」


 私はしゃがんで地面に置いてある荷物を拾い上げようとした。レイさんのバッグのポケットに白い紙が折り畳んで入っていたので抜き取った。


「……あ、レイさん宛に手紙ですよ」

「捨てて置いて」


 バッサリそう言った。


「読まなくていいんですか?」

「必要ある?」


 言いながら、私がリカコさんたちと乗ってきた車のトランクに道具を積み始める。


「……じゃあ私が読んでいいですか?」

「捨てたから何でもいいよ」


 リカコさんは死ぬって言っていたし、それなのに最期に他人に残したものを読んでもらえないのは可哀想だとちょっと思ってしまった。

 折り畳まれた紙を開いて読んで、私は一行で読むのをやめた。ポケットからライターを取り出して火を付ける。そのままコンクリートの地面に落として、燃やし尽くして灰になったのを見てから足で踏み潰して完全に鎮火させた。


「ね?読まなくてもいいような内容だったでしょ?」


 レイさんが苦笑いしながら言う。


「でも、読まなきゃきっと燃やせませんでした」


 私がそう言うと、レイさんは笑った。


「……全部積み込んだし、そろそろ帰ろうか」


 そう言われ、少しだけ悩む。


「レイさん、ワガママ言ってもいいですか?」

「いいよ。どうしたの?」


 すぐにそう言い、何でもないように受け入れてくれるので、ホッとした。


「私ね、昔ここの高速に乗って祖父と海を見に行ったことあるんです。ここから1時間半くらいかな……そこがすごく綺麗で、また見たくて……運転するから、付き合ってくれませんか?」

「分かった、付き合うよ。でもその足じゃ無理でしょ?運転は私がするよ」


 レイさんがそう言って、助手席の扉を開け、私に乗るよう促した。レイさんも疲れているだろうと思い少し悩んだけれど、確かにテーピングされた足が痛んでブレーキやアクセルを踏み間違えて事故っても嫌だな、と思い甘えることにした。



 レイさんは誰もいない高速をアクセルベタ踏みで飛ばす。


「すごい!速い!誰もいない!」

「思ったより荒れてないね。まあそうか。東京方面ならまだしも、こっちに来る人いないよね」

「こんなに飛ばした車、初めて!」

「私も。せっかくなら、日の出見たいなと思って。あーあ、あっちの車ならもっと出せたのにな」

「十分速いですよ」


 私たちはそんなやり取りをしながら、高速を駆け抜けた。1時間もしないうちに高速を降り、下道を走って目的地へ着いた。空はまだまだ暗かった。

 車から降りると、冷たく刺すような風が私の体を凍らせる。そこまで雪深くはなかったけれど、積もった雪が砂浜をところどころ覆っていた。


「さ、寒い……」

「……ブランケット取ってこよう。寒いね」

「そ、そうですね……」


 若干自分のわがままを後悔しながら、ありったけの防寒グッズを車内から出して外にいようとしたものの、数分でギブアップして車内へ戻った。

 エンジンを切った車内で日の出を待つことにした。一枚のブランケットをぐるぐる巻きにして、その上から更にかなり大判のモコモコのブランケット1枚をレイさんと一緒に被る。


 ダッシュボードの上にランタンを置く。かなり明るさを暗くしてるので、ちょっとだけ眠くなってきた。波音もバックに流れているし、もう少し暖かくなれば確実に寝てしまうだろう。疲れてるし。


「……レイさん、一枚で寒くないですか?」

「全然大丈夫。私、寒いところに住んでたから」

「ここと比べ物にならない?」

「もっと寒かったかな。海風はさすがにちょっと耐えられないけど」

「そっかあ。私これだけモコモコなのに、まだ寒いですよ。ほら」


 私はゴソゴソと手を出し、隣へ差し出した。レイさんはゆっくりと私の手に恋人繋ぎのように長い指を絡めた。ドキッとした。レイさんの手はポカポカだ。安心するような温かさなのに、今はドキドキして仕方がない。


「……ほんとだ、冷たい」

「…………」


 レイさんが私の手をギュッと握る。私もそれに応えるように力を込めた。


「……無事で、良かった」


 ポツリとレイさんが呟く。私は絡めていた人差し指で返事をするように、レイさんの手の甲を撫でた。


「レイさん、何で来てくれたんですか?」

「え?」


 さっきした質問をもう一度してみる。


「私、レイさんを捨てたみたいなものでしょ?心拍数が上がったくらいで助けになんて来なくても良かったじゃないですか。何で、来てくれたの?」


 握っていると自分の手の温度とレイさんの手の温度が混じって、自分が温かくなったのかレイさんのものなのか分からなくなった。


「…………ホノカちゃん、覚えてるかな?私のワクチンを打ってくれた日」

「覚えてますよ、もちろん」


 ワクチンを打ったと同時に、レイさんと再会した日だ。

 レイさんは思い出すように遠くを見つめる。私も自分の足元を眺めた。


「……私、あの時本当にボロボロだったんだ。折角ワクチンを作り上げたのにどこからも信用がないせいで使ってもらえなくて。死ぬ間際まで頑張ってくれた仲間に申し訳が立たないし、どうしても誰かに打って欲しかった。……だからやっと弟があの村にいるって分かった時本当に嬉しくて、弟なら打ってくれるって苦労して日本に向かったんだけど……あんな感じだったでしょ?」


 レイさんは鼻で笑った。


 レイさんの弟、リオさんは変なウイルスが海外で流行っているらしいと噂になり始めたくらいで村にやってきた。あの豪邸に人が越してきたとみんなで顔を顰めて噂していたが、すぐに村に馴染んでリーダーシップをとり始めた。本当に人の懐に入るのが上手な人だった。


 日本にもウイルスが入ってきて段々社会が機能しなくなっても、この村の中で生きていけるようにいろいろな設備や器具を用意したり、人を村の中に入れないことを徹底し始めた。こんな田舎なのにワクチンも調達してきて、村人は彼を崇めていた。

 だから段々振る舞いが横暴になったり、彼の周りに次々不審な出来事が起きたりしても誰も何も言わなかった。彼に着いていけば大丈夫、誰もがそう思っていた。


 私は正直少し苦手だった。透けて見える承認欲求と劣等感がいつも目の奥でギラついていて、一緒にいると疲れてしまった。幸いにも彼は若くて派手な女の人を周りに侍らせていたので、地味でおとなしい私には興味なさそうだった。


 リオさんは自分より遥かに優秀な自分の兄姉を受け入れられず、田舎に逃げてこの村で優越感に浸っていたはずなのに、そこに自分の姉が来てしまったのだ。自分の立場を取って代わられると思ったのか、はたまた自分の劣等感を刺激されたのか、その両方か。彼はレイさんを諸悪の根源として村人へ晒し上げ、村から追い出した。



「もうさ、すごいショックだったの。まさか弟にあんなに嫌われてると思ってなくてさ。本当に死のうかなって思って、絶望して、帰ろうとしたんだけど……そこでホノカちゃんと偶然、会って」

「…………」


「知ってたはずでしょ?私がパンデミックの犯人って噂されてたの。あんなにネットでもニュースでも、いろんなところで騒がれていたから。でも、まず第一声がさ……」

「なんて言いましたっけ?」

「『髪型変えました?』だよ」


 レイさんは笑った。確かに、そんなことを言った気がする。


「私、あの日のことずっと忘れられない。ワクチン打ってほしいって言ったら、ホノカちゃんが笑って、いいですよって、あっさり。……何もかも覚えてるよ。あの白いワンピースも、夕陽も、何もかも」


 レイさんは私を見つめ、握る手に力を込めた。真剣な表情から目を離せない。レイさんの瞳の奥は恍惚とした熱に浮かされていた。



「……ホノカちゃんは、あの日から私にとっての"光”なんだよ」



 ランタンが淡く明滅する。心臓の音が早くなる。淡い光に照らされ光る瞳が、私を射抜く。あまりに綺麗なレイさんから目を離せない。私にはとても眩しく感じた。

 よっぽどこの人の方が光じゃないだろうか。

 だって、そうでしょう?ここまでこの人は折れなかった。一筋の光のように、私の道標として光を絶やさずにいてくれた。

 ……リカコさんもいなくなってしまったから、もしかしたら人類は私たちだけなのかもしれない。

 この箱の中で、私たちは文字通り2人きりになってしまったような、そんな感覚を覚えた。


 同時にものすごく罪悪感が湧いてきて、レイさんからパッと顔を背けた。


「……でも、私、そんな綺麗な人間じゃないよ」


 私はレイさんから手を離そうとしたけれど、レイさんは私の手を離してくれなかった。諦めてそのまま話を続けた。 


「嫌なことは全部忘れて、レイさんに全部辛いこととか嫌なこと押し付けて、逃げてたよ」

「それは、」

「違わないよ。聞きたくない怖い現実は忘れちゃって、怖いことがあったらパニックになって全部代わりにやってもらって、最後にはレイさんのこと置いて出てっちゃって」

「…………」

「それもさ、レイさんに嫌われたくないから自分で決められなくて、行ってもいいよなんて言ってもらってから出て行くこと決めて。すごくずるいと思わない?私、自分だけ大事なんだよ。誰かに子供みたいに守ってもらいたくて、ずっとずっとそんな風に振る舞ってた。だから誰からも愛されるような自分を、演じてた」


 波の音が聞こえる。冬の荒い、激しい海の音だ。私は黒い海を眺めた。


「…………私、親のこと、ずっと馬鹿だと思ってた。性別で役割を決めて、弟を長男だからって囃し立てて、私のことはどうせ家から出さないからって好き勝手感情のサンドバッグにして、便利な労働力扱い。今は小さな幸せをかき集めて、私は大丈夫、こんなところでも幸せに健気に生きてるよって思い込んでて。でも、絶対大人になったらこんな家族捨ててやろうと思ってたの」


 でも、と続きを話そうとすると目から涙が零れた。泣くもんかと思っていたのに、止められなかった。


「……感染が広がっていよいよって時に、北に住んでいる叔父のところへ逃げる話が出たの。叔父は辺境な土地で1人で住んで、何でも1人でできたから。でもね、もしパンデミックが終息した時に家や畑が無かったら困るって。帰ってくるところがなくなるって、言われて。……私1人だけ置いていかれたの」


 抑えようと思うのに、涙が止まらない。無理に抑えようとして、喉から変な声が出てしまう。レイさんは聞いていると伝えるように、私の手を強く握る。


「最後までずっと、嫌だ、連れて行ってって、お願いって縋ったんだけど、連れて行ってもらえなかったの。あんなに離れたかったはずなのに、いざ捨てられると思うと辛くて仕方なくて。……結局、私って親から捨てられたくなくて、愛されたくて仕方なかったんだなあって。……馬鹿みたいだよね」


 嗚咽が漏れた。

 私が泣く声と、海の音だけが聞こえる。もっと波の音が大きければいいのに。私の声なんて、消してくれれば良いのに。


「……だから、リカコさんを母親に見立てたってこと?」


 レイさんが私に聞く。


「……そう。やり直したかったの。今度こそ完璧に振る舞えたら、捨てられなくて済むのかなって。みんながもらって当然の、親の愛ってやつをもらえれば私もまともになれるのかなって」


 それも無駄だった。私はまた捨てられた。ナリタさんを撃てなかったリカコさんは、私を捨てたも同然だった。

 レイさんが来なければ、私はあのまま死んでいただろう。


「……ホノカちゃんが欲しいのって、親の愛なの?」


 レイさんはどこまでも落ち着いている。泣きじゃくっている自分が恥ずかしく感じた。


「……ずっとそう思ってました。でももう、分からないです。何も」


 事実だった。私の中にまだ渇いて何かを求めている部分があるのは事実だけれど、でももう誰かに満たしてもらおうとは思えなかった。

 レイさんは足を組んで、顎に私と繋いでいるのと逆の手の人差し指を当てて考える。


「…………私はホノカちゃんってすごく自立してると思ってて。任せてたら1人で家事もご飯も、野菜作ったり狩りもできるでしょ?……正直私がいなくても1人で暮らせるのかなって思ってたよ。だから、ホノカちゃんがそんなに私を頼りにしてくれてたなんて知れて、ちょっと嬉しい」

「……買い被りすぎですよ」


 私はダッシュボードの中にあるティッシュを取り出して涙を拭いた。


「そうかな?事実だよ」


 レイさんは自分の横に置いてあったダストボックスを私の近くに置いてくれた。


「……子供が親の愛を求めるって自然なことだと思う。だってそれがなきゃ、か弱くて脆くて生きていけないから。それがもらえなかったら、ずっと不安で、愛してもらえるように演じて、誰かに守って欲しくなるのは当然じゃないかな」

「…………」


 私は黙ってレイさんの話を聞いた。


 私の話を聞いても引かないんだ。私がそういう行動をとってしまうのは当然だから気にしなくていいんだよって言ってくれるんだ。どこまでもレイさんは大人で余裕があって優しいんだな。

 その優しさを受け入れたいような、でもまだ怖いような、言われた通りに受け取れない自分がいた。

 俯いて視線を彷徨わせる私の反応を見てレイさんは柔らかく笑った。 


「私さ、本当にホノカちゃんと暮らしてて、楽しくて幸せだったんだ。ホノカちゃんはどうかな」

「……私も、レイさんと暮らすの楽しかったです」


 それは嘘じゃない。本当に楽しかったし、幸せな時間だった。

 初めて会った時に飾らない素の私を褒めてくれたレイさんは、私にとっても特別な人だ。

 そんな人が私と一緒に暮らしてくれて、くだらないことで笑ったり、ささやかな幸せを大事にできる、穏やかな毎日を送ってくれて感謝の気持ちしかない。

 私のその返事を聞いて、レイさんは私を見つめる。真っ直ぐな瞳から視線を逸らせなくなる。


「また、2人で暮らしたいな。親の愛はちょっと無理だけど、私のじゃダメかな?」


 愛、と言ってレイさんは指でハートを作った。

 私はその指を凝視してしまった。いつもクールなレイさんがそんなことをするなんて。その茶目っ気ある仕草が面白くて、私は泣きながら笑ってしまった。


 その指を私の方へ差し出す。

 私はその手ごと、繋いだ手とは逆の手で、大事に包み込んだ。



「ーーーあ、」


 レイさんの背後から眩い光が差し込む。私は思わず目を細めた。

 車内が淡いオレンジの光でいっぱいになる。

 日の出だ。

 夜明けを告げる朝日が、私たちを包み込んだ。

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