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残光の箱庭  作者: 米田
1章
28/74

22

 それから私たちはナリタさんの遺体を運んだ。大柄だし、本当に大変だった。カーテンで包み、ロープで縛ってから階下へ下ろし、そこからすぐ裏の山へ運んでそこに埋めることにした。敷地内に残っていたスコップや車に積んでいた道具でどうにか大きな穴を掘り、何とか埋葬できた。

 最後の作業を終えた瞬間、リカコさんは道具を置いてフラッとどこかへ行ってしまった。


「あ……」


 声を掛けようとしたけれど、何て声を掛けていいかも分からない。

 そちらに気を取られていると、隣にいたレイさんがフッと力が抜けたようにその場にへたり込んだ。


「え?レイさん、」


 慌ててしゃがんで顔を覗き込むと、レイさんはポタポタ大粒の涙を流していた。無表情でとめどなく涙を流してるのを私はただ眺めるしかできない。いつも冷静沈着で大人で、優しいレイさんが泣いているのを私は初めて見た。


「もう、もう無理だよ。こんなの、私が、私じゃなければ、こうは、ならなかった、ナリタさん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………」

「……レイさんのせいじゃないよ……」


 レイさんは大きく首を振った。自分のせいだと、強く思っているのだろう。何で?ワクチンを打ったのはリカコさんでしょう?

 ……この人は優しすぎる。何でも自分で背負ってしまう。寄り添いたくても、ずっと逃げ続けてきた自分にその資格は無いように感じた。

 何て言っていいのか分からなくて、隣でただ座っていた。


「ごめん、大丈夫だから、リカコさんのこと、追いかけたいでしょ?行ってきて、いいよ」

 涙を拭いながらそんなことまで言う。正直リカコさんは気になっていた。あのままいなくなってしまいそうで。

「でも……」

「本当に、大丈夫、落ち着いたら、戻るから、だから……」


 私は自分のランタンを持ち上げた。


「……レイさん、後でまた話しましょう……」


 こくりと頷くレイさんを見て、私は山を下った。

 まだ辺りは暗い。冬なので、日出まで長く感じる。暗闇の山中を抜けて、駐車場まで降りるとリカコさんが車から降りるところだった。


「リカコさん……」

「…………」


 目に正気が無い。疲れた顔に乱れた髪で、いつもの不安で神経質そうな雰囲気は全くなかった。


「……あの人、甘い物が好きだったでしょう?口寂しいといつも食べてばっかりだから叱ったら、これ……」


 スッと握っていたものを見せてくれた。

 タバコとライターだった。吸ったことがないので分からないけれど、甘い種類なのだろうか。


「甘い物供えてあげられれば良かったけど、そんなものないし。供えるのもあれだから、吸っちゃおうかなって」

「…………ナリタさんも喜びますよ」


 私がそう言うと、リカコさんは薄く微笑んだ。


「……私もご一緒していいですか?」

「……。いいわよ」


 それから私たちは場所を移動して、屋上まで来た。星がまだ綺麗に見える。


「ホノカって20歳(ハタチ)だっけ」

「そうですよ。だから吸っても大丈夫です」

「……そう」


 リカコさんがタバコに火を付けた。私にもパッケージを傾け、一本差し出してくれる。それを受け取って火を付けた。

 一度口に含んだだけで咳き込んだ。焦げた砂糖と煤を混ぜ合わせたような味が、痛めた喉を焼く。

 それでも、もう一度だけ吸い込んでみる。ナリタさんが好きだった味に想いを馳せた。


「……私、死のうと思う」


 煙を燻らせながら、リカコさんが急にそんなことを言った。心臓がざわざわし始める。また、誰かの死を見なくちゃいけないのか。


「でも、埋葬って大変ね……迷惑かけないように死ぬから、安心して」

「え……何で、ですか?」


 リカコさんはタバコを人差し指と中指で挟み、親指で頰を掻いた。


「理由?そうね、もう生きる目的が特にないわ。私は夫と子供と生きていければそれで良かった。今はもう2人ともいないもの。この世界で新しく生きる意味が見つかるとも思えないわ」

「…………」


 じゃあ私のことは何だったんだろう。生きていくために利用しただけなのかな。でも私もそうかもしれない。自分の渇きを満たしてくれる『母親』としての役割をリカコさんに求めていたんだから。

 ……それって、便利な道具としての私を求めていた、私の親と一緒なんじゃないかと思って苦しくなった。その苦しさを消すため、私はタバコを吸い込んだ。喉の痛みに安心を覚える。


「…………ホノカも私と来る?」

「え?」

「一緒に、死ぬ?」


 リカコさんが笑う。一瞬、母親が手を差し出して、私と手を繋いで歩いてくれる、そんなシーンが脳内に流れた。

 

 その次の瞬間甘くて苦い香りと共に、どうしようもない怒りと嫌悪が腹の底から湧いてきて、私は自分で自分を制御できなくなった。



「馬鹿にするのもいい加減にして!!!!!!」



 怒りで声が震えるというのを、初めて経験した。喉を痛めているのもあるのかもしれないが、こんな風になるんだ。


「あなた、私を何だと思っているの?!ずっと、ずっと!!!!!レイさんへの復讐の道具?!便利な運転手?!それとも家族の穴埋め要員?!」


 掠れる声がもどかしい。私のこの怒りを、全力で相手にぶつけたかった。

 リカコさんは困ったように眉尻を下げる。


「……私はあなたを、娘のように」


 そんなわけない、強い気持ちが湧いて私は話を途中で遮った。


「思ってるわけないよね?!娘が首を絞められてるのに夫の体を傷つけるのをためらったわけ?!娘に自分の夫の命を奪わせようとしたの?!?!自分の意見に私が同意しなければ、機嫌を悪くしてコントロールしようとするのも!!ナオちゃんにもやるわけ?!」

「…………」


 困ったように視線を泳がせている。この人、全部無自覚だったの?有り得ない。信じられない。


「自分の夫すら撃てない女が、私を一緒に連れて行けるわけなくない?!苦しんでる夫を助ける責任も覚悟も持てなくて、何で私ならいけると思うの?!無いでしょ?!」

「それは……」

「ナリタさんや周りの人に全ての尻拭いをやらせて、自分は好き勝手ギャーギャー騒いで楽でいいね!!!」


 私がそう言うと、リカコさんがフッと笑ってタバコをまた口に含んだ。そしてゆっくり吸って吐いてから、私に言う。


「……そうね。その通りだわ。私は他人に尻拭いをさせているわ。…………でも、それってあなたも同じじゃない?」

「……何が、言いたいの」

「レイにさせてるじゃない。全部」

「…………」


 何も言い返せなかった。

 記憶を消してから、苦しいことや大変なこと、辛いことは全部レイさんに押し付けていた。その自覚もある。


 でも私はこの人みたいに開き直ったり、しない。私は、この人とは違う。同じ過ちは繰り返さない。


「そうだね。そうだよ。私は、レイさんに甘えて頼り切ってたよ。今が幸せならそれでいいって」

「……」


 リカコさんはレイさんがやるように肩をすくませた。


「でも私はリカコさんとは違う。もう、逃げたりしない。レイさんが助けてくれたんだから、ちゃんと生きていかないと。リカコさんの気まぐれに付き合ってなんかいられない」


 ハッと鼻で笑ってリカコさんはタバコを床へ捨てた。靴底で踏みにじり、火を完全に消す。


「随分ご立派ですこと」

「……リカコさんは、ナオちゃんを失った悲しみをナリタさんと分かち合うべきだった」


 私はリカコさんが触れられたくないであろう部分に口を出した。

 きっとみんな思っていたけれど、あまりにも繊細な部分だから触れられなかった。

 あえてそこに言及して、この人をぐちゃぐちゃに傷付けてやりたいと思った。

 同時に、怒りに任せてそんなことをしようと思っている自分にブレーキもかけたいと思った。

 

 リカコさんは鬼のような形相で私を睨みつける。組んだ腕の指先で、イライラしたようにトントンとリズムを刻む。


「偉そうに知った口聞かないで。あなたに何がわかるの?」

「ほらそれ。他人に自分の痛みが分かるわけないって。ナリタさんにも同じこと言ったの?夫なのに?」

「言ったでしょう。娘の死を仕方なかったって受け入れるなんて、有り得ない」

「でも、ナオちゃんが生きてた、幸せだった時間は共有できたんじゃないの?それもしなかったんでしょ?」

「…………!!」


 リカコさんは私にそう言われると、目を大きく見開いた。


「ナリタさん、言ってたよ。顔を近づけると髭で遊ぶのが可愛かったって。だからずっと残してるんだって」

「…………私は、汚いから剃って欲しいって、ずっと言ってて……」


 ああ、そういうのすごくリカコさんらしいな、と思った。ナリタさんとのやりとりを想像できる。

 リカコさんはナリタさんが死んだ直後もあんなに泣いたのに、また目から涙をこぼし始めた。


「……そういうの、私じゃなくてリカコさんと話したかったんじゃないんですか?」

「ううっ……」


 リカコさんは頭を抱えてしゃがんで動かなくなってしまった。


「ナオ……ケンイチさん……ああ……」

「……リカコさんは、レイさんにも謝ったほうがいいよ……」

「うう……ああ……」


 呻き声しか聞こえない。私はリカコさんの側からタバコとライターをそっと取ってポケットへ入れた。

 やっぱりナリタさんに供えたかった。


「…………さよなら、おかあさん」


 私はそう言ってリカコさんを残して屋上から立ち去った。





 私はまた山の中へ入って、埋葬場所へ戻った。レイさんが道具を片付けまとめ、下りようとしているところだった。


「……おかえり。リカコさん、どうだった?」


 レイさんの目は泣いたのでやっぱり腫れていた。声も泣いた後独特の鼻にかかった声だった。


「……これ」


 私はポケットからタバコを出した。レイさんはキョトンと眺める。


「これ、ナリタさんが好きなんですって。お供えしようかと思って」


 レイさんはああ、と納得したように頷いた。


「どうすればいいかな?これごとこの上に置いちゃえばいい?」

「そうだね。喜ぶと思うよ」


 私はナリタさんの墓標として刺してあるスコップの下にタバコを置いた。置く前に一本だけ抜いておいたので、レイさんにそれを手渡した。


「?」


 不思議そうに受け取って、指先でクルクルと回す。


「レイさんも吸いますか?あれ?前は吸ってたけど、最近はそういえば吸ってないんですか?」

「…………!!!!」


 レイさんが驚いて指先からタバコが落ちそうになる。慌てて空中でキャッチして、焦ったようにまた私を見た。


「え?え、私、タバコ吸ってたこと……」

「あれ?吸ってましたよね?」


 私は首を傾げる。記憶の中では気怠げにタバコを吸っている。あれは幻だったのかな。


「うん、吸ってたけど……でもそれって、研究所が焼ける前の話……」


 それを聞いて少しホッとした。自分の戻った記憶が、幻じゃなかったことに。


「そうですよね。レイさんがタバコ吸ってる姿、本当に絵になってかっこよかったな。でも結構量吸ってましたよね?やめたならそれはそれで、心配だったから良かったです」

「…………」


 レイさんが今にも泣きそうな顔をする。あれ?私変なこと言ったかな?


「記憶、戻ったの……?」

「あ、言うの忘れてました。そうですね、概ね戻ったと思います」


 サラッと私が言うと、ボロッとレイさんの目から涙が溢れた。

 私は慌ててレイさんに近寄る。さっき車に寄ってアウターのポケットに入れたハンカチを取り出して、私より背の高いレイさんの涙を、腕を伸ばして拭いた。


「う、ごめん、一回泣いちゃってるから、涙腺緩くて……」


 されるがままに涙を拭かれるレイさんを可愛く感じた。


「……私の記憶が戻って嬉しいですか?」

「嬉しいよ!!だってずっと私のワクチンの後遺症だと思ってたから、本当に申し訳なくて……」


 レイさんはまた涙をこぼす。私が弱いせいで、こんなにレイさんを追い詰めていたんだと思うと、申し訳なく感じた。


「……レイさん、私の記憶がない間、私をずっと守ってくれてありがとう」


 私はレイさんに再度タバコを握らせ、それにライターで火を付けた。


「……そんなの、当たり前だよ……」


 そう言って、タバコに口を付けて一口吸う。ちょっと顔を顰めて、煙を吐き出した。


「…………甘いね、これ」

「レイさんが吸ってたの、めっちゃスースーするやつでしたもんね」

「うん。……ナリタさんは甘いもの好きだもんね」


 そう言ってもう一度タバコに口を付けた。

 私はレイさんの久々の一服に付き合った。すごく懐かしい気がする。タバコを指に挟み、物思いに耽るその姿はやっぱりずっと見ていても飽きなかった。


「……レイさん、どうして私のところに来てくれたんですか?」

「……スマートウォッチのバイタル監視切り忘れてて通知が来たんだよ。心拍数が180超えてたから只事じゃないなと思って。移動しながらずっと発信してたら繋がって、場所言ってくれたからここまで来れたよ」


 何だかそういえばバイタル異常って画面が出た気がする。それに加えて、レイさんから着信がきたのを思い出した。ああ、ずっとかけ続けてくれたんだ。あのタイミングで繋がったのは奇跡だったんだ。何だか私って本当にラッキーなんだな。


「……あれレイさんに聞こえてたんですね」

「うん。ノイズがすごかったけどね……。こっちの声は聞こえた?」

「いえ、聞こえませんでした」


 そっか、と言ってレイさんは吸い終えたタバコを少し悩んだ後に、持ってきていた残り少しのペットボトルの中へ入れた。


「あ、えらい」

「ナリタさんの側にゴミ捨てられないからね。火事も怖いし」


 レイさんは再度道具を手に持つ。私はそれを半分引き受けた。


「降りよう。積もる話はまた後で」

「はーい」


 レイさんが先頭に立ち、歩き始めた。


「……またね、ナリタさん」


 私は小さくつぶやいてから、レイさんの後を追った。

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