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残光の箱庭  作者: 米田
一章
15/32

11

 それから私たち4人の生活が始まった。あの後、リカコさんは荷物を取りに行く車中で説得されたのか、ぶすっとした顔で私たちに滞在させてもらえることへの感謝を伝えてきた。


 リカコさんと私は一緒に過ごすことが多く、日中は農作業を手伝ってくれた。

 汚れる仕事は嫌いだと言っていたけれど、滞在の恩義を返さない方が嫌ということらしい。

 農作業は嫌いなのかな、と思っていたけれど意外にも知識が豊富でいろいろなことを教えてくれた。

 自給自足を目指すなら、来年に向けて小麦や豆、米もやってみるといいと言い、一緒に計画を練ってくれた。


 ちょっと分かってきた。リカコさんは自分の正義感に沿って生きているみたいだ。それを他人にも求めるので、接し方がキツくなることもあるんだろう。少し過ごすだけで理解できた。


 レイさんとナリタさんは一緒に研究所へ向かうことが多かった。部外者を入れちゃっていいのかなあ?と思ったけれど、あの地下室へ向かう階段でのヒヤッとした雰囲気の会話を思い出すと何も言えなかった。


 2人とも、私の知らない現実で生きている気がする。でもそれに言及する気にも全くならなかった。私はとにかく今の幸せを壊したくないんだ。





「ホノカはヒカリさんとは長く暮らしてるの?」


 リカコさんがリビングで洗濯物を畳みながら言う。今日は晴れていたので、シーツなどの大きいものも干せた。

 日中ほぼ一緒に過ごしているので、気安く私に接してくれるようになった。


「うーん、そうですねえ。どれくらいだっけ?でもまだ数ヶ月ですよ」


 大量のタオルを仕分けしながら畳む。


「あら、案外短かったわ」

「そうなんですよ。本当に良くしていただいて……」

「その間、特に誰とも接触はなかったのかしら」


 リカコさんがボソリと呟く。質問なのかな?不思議に思った。


「お隣の田中さんや私の家族には会ってますよ。買い出し行ったりもしてますし……」

「ああ、うん、そう」


 そういったことが聞きたいわけではないようだった。接触?あ、そういえば。


「そういえば、近くの温泉に行ったんですけど薬物中毒みたいな変な人はいましたよ。叫んで車蹴られたりして大変でした。怖かったです」

「ーーそれ、いつの話?」


 途端にリカコさんの声が低く鋭くなる。不思議に思ったが、記憶を辿ることにした。


「えっと、2ヶ月くらい前かなあ?」


 そう答えると、一気に肩の力が抜けたようだった。


「そう……2ヶ月……2ヶ月ならさすがに……」

「?」

「いや、ええと、そうね、ホノカは弟がいるのよね。ヒカリさんは兄弟いるのかしら?」


 リカコさんが顔を上げてパッと話題を変えた。


「ヒカリさんの兄弟?えっと……」


 私は言い淀む。どうしよう、素性がバレたくないと言うなら話してしまうのは良くないのではないか。私からレイさんの情報はペラペラと話せない。

 それに、私ってレイさんの家族の話したっけ?お兄さんがいるのは知っているけれど、それ以外のことがうまく思い出せない。話したことがあったような、ないような。


「……ごめんなさい、どうだったかな」

「あら?知らないの?……そうね、こんなに大金持ちの家なら見せびらかすように家族写真とかありそうなものなのにね。ないのかしら?」


 そう言ってリカコさんはキョロキョロしだす。家族写真?見たことないけれど、探し出したらまずい。


「リカコさん、勝手に見たら良くないですよ……」

「だって気になるじゃない。置いてあるものを見るだけなら……あれは何かしら?」


 立ち上がってリカコさんが飾り棚へ近付く。

 繊細な飾りもたくさんあって壊しそうで怖いので、私はあまり触ったことがない。埃がたまらない程度にサッと掃除しているだけだ。


「これ写真じゃない?」


 上段の隅に伏せられた写真立てが目に入った。本当だ。気づかなかった。


「どんなご家族なのかしら……」

「り、リカコさん」


 リカコさんが手に取って表にした。まずいと思ったけれど私が強く止めるのも不自然だし、体が動かなかった。


「…………」


 表にしたリカコさんが顔を顰めて黙り込む。私は後ろから覗き込んだ。


 紛うことなき家族写真だ。5人写ってる。

 ソファに座っているのは多分レイさんのお母様だ。一目見ただけでお嬢様育ちだと言うことが伺えるような、おっとりした表情を浮かべた可愛らしい綺麗な人だ。

 その肩に手をかけ後ろに立っているのがレイさんのお父様だろう。端正でとても整った顔からは知的な感じが伺えて、レイさんはお父様似なのかなとちょっと思った。

 レイさんはおそらくお母様の隣に座っている人だろう。体格でしか判別できなかった。

 何故なら、マジックでグジャグジャと顔の部分が黒く塗りつぶされていたからだ。同じく、お父様の隣に立っている男性もマジックで塗りつぶされていた。

 その隣へと視線をうつす。左端に立っている人物はマジックで塗りつぶされてはいなかった。

 男性だ、ご兄弟だろうか、これが話に出てた、でも、あれ、なんか、ちょっと、


 急に全身の血の気が引き、心拍数が上がる。頭の中が真っ白になって体が固まって動かない。息がうまく吸えない。吸っても吸っても吸っても吸っても吸っても息が、



「……写真は片付けたわ。もう大丈夫。ここは安全な場所よ。この椅子に座れる?ゆっくりでいいから」


 リカコさんの声が聞こえる。言われるがまま、誘導されるがままにヨロヨロと腰を下ろす。


「呼吸、私の言う通りにやってみて。吸って……吐いて……吸って……吐いて……」


 言われる通りにやってみても苦しくてうまくできない。リカコさんが私から離れて、何か持ってくる。


「これを口元に当てて呼吸して」


 紙袋だ。私は紙袋を口に当てようとするが、手が震えてしまい、うまく動かせない。もたついているとリカコさんが代わりに口元へ当ててくれた。

 数分経つと呼吸が落ち着いてきた。疲労で脱力していると、リカコさんがタオルを渡してくれたり、気を遣ってくれる。


「すみません、ありがとうございます……」

「……今までもこういうこと、あったの?頻繁に過呼吸になってるの?」


 リカコさんがグラスに冷たい水を汲み、私に手渡してくれる。その冷たさに、すこし落ち着く。


「無いですね……なんで急になっちゃったんだろう……。あ、でも温泉で変な男の人に会った時も怖くてパニックになっちゃったかな……」


 情けない記憶が蘇る。あの時はレイさんに抱きしめてもらったんだっけ。急に思い出して恥ずかしくなってきた。


「そう……。とりあえず落ち着いて良かったわ。私は洗濯物しまっちゃってくるから、あなたは座って休んでて」

「はい、ありがとうございます」


 リカコさんが早足で去っていった。手元のコップを眺める。私の微かな手の震えで、少しだけ水面がゆれていた。

 どうしちゃったんだろう。写真を見て過呼吸を起こすなんて。


 私、レイさんのご家族と会ったことがあるのかな。胸の奥がザワザワする。私にそんな記憶はないはずだ。

 でも胸騒ぎだけが消えない。考えたくない。

 自分のことなのに自分でも分からないことがあって、途方に暮れた。コップの水面をただ見つめることしかできなかった。



***





「……さて、きっと長い話になるねえ」


 ナリタさんが椅子に腰掛ける。ここはきっと研究所の中でも会議室として使われるはずの部屋だったんだろう。外にも多目的室、なんてプレートが掲げられていた。可動式のシンプルな長机が数台並んでいる。私も少し離れた席へ座る。


「こんな時は甘いものでも食べながらゆっくり話をしたいんだがね……」


 残念そうにもじゃもじゃの口髭を撫でている。


「少しなら家にスナック菓子とか保存してありますよ。持ってくれば良かったですね」


 途端にナリタさんの顔が輝く。こういうところが人を惹きつけるんだろう。全く食えない性格なのに。

 私は視線を窓の方に向ける。冬の弱々しい日光が窓から差し込んでくる。暖を取るには心許ない。

 貴重な電力を消費するのも気が引けたので研究所内の暖房は入れていない。アウターを着込んだままお互い過ごしていた。


「まず、前提をお互い確認しよう。ーー君は抗体を、持っているんだね?」


 いつもの穏やかな調子で聞いてくる。


「そうですね。感染しても発症せず、抗体のみ獲得しました」

「じゃあリカコと同じだ。彼女も免疫獲得者だ。ホノカさんは?」


 ナリタさんは背もたれに背中を深く預け、椅子をギイ、と揺らす。

 私は迷った。本当のことを伝えて、この人がどんな行動を起こすか想像がつかない。

 でも、腕を怪我していても私やホノカちゃんよりも圧倒的に腕力が強いにも関わらず、素直に滞在したいと申し出、こちらにもメリットがあるような交渉をしてくれた。

 そこは信用してもいいのだろう。まともな倫理観を持っていることは、最初に会った時にも確認できた。


「ホノカちゃんは……。私が協力者と作り上げたワクチンを打って、それで抗体を得ました」


 ナリタさんが普段開かない細い目を、極限まで大きく見開く。


「まさか……!完璧なワクチンを、君は作り上げたんだね……!!いや、さすがだ。そうか、ワクチンは既にできていたのか……。打ったのはホノカちゃんだけなのかい?」

「……打つと、思いますか?私が作ったワクチンを?ホノカちゃんしか打ってくれませんでした」


 自嘲する。世間では私がウイルスを流したと思ってる人間がほとんどだ。

 最初の記事だってそうは書いていないのに、いつの間にかそういうことになっていた。


「そう、か……。いや、そこも確認したいんだが、君がウイルスを流すようには見えないんだ。会社も君に責任を負わせてしまえば簡単な話だったのに、それは否定していただろう?本当は何があったんだい?」


 ナリタさんが顔の前で手を組む。

 少し、動揺した。完璧な第三者の立場である人間は私を糾弾するばかりで、誰も真実なんて私に聞いてはくれなかった。

 この人は心の中ではどう思っているか分からないが、一応は私の話を聞いて判断してくれようとしている。

 震える唇で言葉を紡いだ。


「……私、じゃありません。チームに産業スパイがいて、そのスパイが流しました。このパンデミックは、ライバル会社である<Aethon Biotech>、エートンの画策で引き起こされたものです」


 薄く、弱い陽光が私を照らす。ナリタさんは、ああ……と呻き、目をギュッと瞑った。

 しばらく沈黙が室内に流れる。

 あの忌々しい記憶が、脳内でリプレイされる。

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