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残光の箱庭  作者: 米田
1章
11/34

8

 結局次の日も雨だった。あの後から段々土砂降りになり、勢いは多少弱まったけれど今日まで続いた。

 こんな日はもう外に出ないことにしている。毎日細々お世話している農作物だけれど、雨の中作業することにレイさんはあまりいい顔をしない。建前上、『休業中』だからだ。だから家の中にこもって、ダラダラしている。


 何かドラマでも観ちゃおうかな、まだ観ていない有名どころでも。ちょっとアニメも気になっている。そんなことを考えていると、レイさんがバタバタと音を立ててリビングへ入ってきた。


「どうしました?」

「いや、ちょっと、想定外というか……」

「?」


 レイさんは迷っているようだったが、一瞬の逡巡のうちに私へ話すことを決めたようだった。


「昨日の……美沙ってやつ、這ってまでここ目指してたようで……うちの近くで死んでたんだよね……」

「…………」

「ああ言った手前、埋めないと。ホノカちゃんは家にいていいよ」

「埋めるんですか?雨だし大変じゃないですか。手伝いますよ」

「えっ……いいよ。1人でも大丈夫」


 レイさんは私の申し出に驚いたようですぐ断ってきた。こんな雨の日に1人で作業するなんて大変だ。レイさんは大変なことを1人でやろうとするから、私がやれることなら手伝わないと。またクマができちゃう。


「邪魔じゃないなら手伝わせてほしいです。ほら、最近元気ですよ私!」


 そう言って力こぶを作ってみせる。ちょっと筋肉も戻ってきたのだ。


「……じゃあ、お願いしようかな。もし具合悪くなったりしたら、言ってね」


 そう言って私たちはバタバタと準備した。濡れないように上下セパレートのレインコートを用意したり(農作業で使ってたので家に行けばあった)、石灰を倉庫から持ってきたり、大きめのスコップもついでに2本軽トラに積んだ。


「ブルーシートも持っていくんですか?」

「うん。運ぶのに便利だから」


 そうして私たちは2人がかりで道路のど真ん中にあった亡骸を包んで軽トラの後ろに積む。いつも使ってる車には乗せたくないんだろうな。そりゃそうだろう。


 車は山奥へと進んだ。ここなら土壌汚染の影響もこちらの生活圏まで及ばないだろう、とレイさんが考えてのことだった。何でも知ってるんだなあレイさんは。正直、庭先にでも埋めるのかと思っていた。


 雨で湿った土を掘るのはなかなか過酷な作業で、スコップの柄は力を入れても濡れて滑ってしまう。途中から一応持ってきておいたガーデングローブを2人で着けた。何時間経ったのかわからない。

 会話しようにも、雨音で声がかき消されてしまうので必要最低限しか喋らなかった。


 ようやく埋め終わったくらいで雨が弱まって止んできた。

 手を合わせた後、雨具のフードを脱いでタオルで顔を拭った。


「はあーーーーーこれ、レイさん1人じゃ無理でしたよ。私もいて良かった」

「そうだね……やっぱ雨の中の作業はしんどいね……」


 煩わしいレインコートを脱ぎながらレイさんが言う。水も滴るなんとやら。レイさんから落ちる雨の雫が、雨雲の割れた隙間から差し込む夕焼けに反射してキラキラして、横顔を照らして綺麗だった。

 弔いの場にこんなことを思うなんて不謹慎かもしれない。

 私は思考を切り替えるように、レイさんへ話しかける。


「でも、この子も良かった。レイさんみたいな優しい人にすぐ見つけてもらえて。普段だったら見過ごされることも多いから」

「……え?」


 レイさんが私を見る。私はそのまま言葉を続ける。


「交通事故に遭った猫ちゃん、たまにいるんですよね。野良の子多いから。助けられなくても、せめて埋葬できて良かった」


 私はレイさんに微笑んだ。レイさんは私の顔を見ながら大きく目を見開き、そして顔を逸らした。


「…………。そう、だね」


 その反応を少し不思議に思ったけれど、特に何も言わなかった。


「ね、レイさん。私ね、弔いに花火してあげたいな」

「花火?」

「うん。灯篭流したりするでしょ?でも、ここじゃできないから」


 スコップの土を払いながらレイさんに言う。


「……花火、あるかな」

「ちょっと車出して、大きいスーパーにありますよ!あそこならキャンプで結構寄る人多いから、花火とか季節外れでも置いてあるんですよね」


 私がそう言うと、少し悩んでからじゃあ行こうか、と言ってくれた。

 それから私とレイさんは片付けを済ませ、家へ帰った。

 家ではシャワーを浴びて、早めの夕ご飯を食べて、また外へ出る準備をした。夜は冷え込むので、ライトアウターを羽織る。


 レイさんは、取り外しできるファーやキルトで暖かさの調整ができる多機能なモッズコートを持っており、それらを全て外して軽い羽織にしていた。身長が高いので長いコートも映える。

 私はデニム地のフード付きアウターを着て、外に出る。ちょっと暑いかと思ったがちょうど良かった。寒いので、冬ほどではないけれど星も綺麗だ。


「わー、なんか、去年より綺麗に見えるかも。何でだろう?」

「明かりが少ないから?」

「でもいつもこんな感じの明るさですよ。へへ、レイさんと一緒だからかな?」


 夜に外へお出かけという非日常的なイベントで浮かれてる私は、顔中に楽しさを浮かべてレイさんへそんな冗談を言う。レイさんの表情は暗くて分からないけど、多分ちょっと照れてるんだろう。


「……楽しそうで良かったよ」


 レイさんはポツリとそう呟いた。

 車のドアを開けてもらい、中へ乗り込む。私たちはそれから花火や他のものを調達するため、買い物へ向かった。




***




 キャンプ製品売り場から適当に拝借してきたランタンは、有名ブランドの最新式のものだ。

 最新式と言っても数年前のものだけど。特に照らす以外で使おうと思っている訳でもないので、説明書は何も見ていない。意匠も凝っており、ぱっと見では多機能なようには見えない。


 キャンプ製品のコーナーは結構充実していて、多分急にキャンプをすることになっても、ここに立ち寄れば全て揃ってしまうんだろうという品揃えだった。


 パンデミックが起こる前は日本でキャンプが流行っていたんだろうか?それとも道中この辺りにキャンプ場がいくつかあったので、その影響だろうか?


 買い出し後は家まで戻り、庭で花火をすることにした。


「スイッチここかな?このボタンなんだろう?違うか、こっちか?ーあ、付いた」


 ホノカちゃんが少し手間取りながら、明かりをつける。

 ランタンに明かりを灯し、側に置いた。柔らかな光が付き、ほっとする。


「やー、花火久々なので楽しみですねえ。小さい頃やったきりだな」

「私もそうかも。最後にやったの、小学生とかかな」

「そんなものですよね。……ちょっと大きい火花がばちばちするタイプが苦手で、途中で手を離して大騒ぎしてました」


 あの時は、なんてくすくす笑いながら話す彼女に特に変わった点はない。よかった、と少し安堵する。

 

 最近、温泉で会った男や、昨日会った美沙という女のせいで、彼女が認識している現実から大分かけ離れた会話を目の前でしてしまった。避けようのない仕方のないことだが、極力避けたい。彼女はまだ不安定だ。


 ホノカちゃんはあの全て燃えた日から一ヶ月ほど高熱で寝込んでいた。

 そこから一ヶ月は熱が下がり一応動き出したが、返事も曖昧で起きてるのか寝ているのか分からなかった。食事をとったり、指示をすれば簡単な動作もするが、複雑な会話はできるような状態ではなかった。

 その間も高熱を何度も出したので他の病気を疑っても、検査では何の異常もなかった。


 ある日、また熱が出たと思ったら、次の日には突然会話ができるようになり、意識も完全にはっきりしていたので本当に安心した。

 ただ、起きた後の彼女が生きているのはパンデミックが起こり人類がほぼ死に絶えたこの現実ではなく、()()()()()()()()()()()()()()のようだった。私が何度現実を説明しても受け入れられず、話した記憶だけ忘れている。

 高熱のせいなのか、私が作ったワクチンのせいなのか、分からなかった。

 

 私が隣にいることも、彼女の中で正当な事実を作り上げ、納得しているようだった。辻褄が合わないことや、過去とは違う風景も彼女の中で整合性がとれるように塗り替えられているらしい。

 彼女の目には草が伸びきり荒れた道路も、以前のように普通に見えているのだろう。

 ホノカちゃんが完全に覚醒しなかった二ヶ月、このまま元に戻らなかったらどうしよう、と心底怖かった。起きた後も毎日診察しているが、気が気ではない。

 何か変わったところがあったら、彼女がいなくなってしまったら、そう考えるだけでサッと血が引いて目の前が暗くなって何も見えなくなる。そんなことをここ数ヶ月、毎日ずっと繰り返していた。

 

 ―――もう私も限界なのかもしれない。

 

 実際メンタルはとっくに限界を迎えていてもおかしくはないだろう、と客観的に見ても思う。

 少し気が緩み、堰き止めていた疲労や不安が一気に襲ってきた。頭の中も、体も、全てが怠い。

 ランタンの揺れる明かりをぼんやりと見つめる。


「これ、不思議ですね。火をつけてる訳じゃないのに、炎みたいに揺らいでる。そういう機能もついてるのかな?うーーん、あ、モードで切り替わるみたいですね」


 説明書をガサガサと広げながら彼女の声が響く。不思議だ、どんな喧騒で小さく呟いても彼女の声は必ず私の耳に届く。

 私の声、ちょっと変わってるってよく言われるんです、と恥ずかしそうに服の裾をいじりながら話していた彼女が頭を過ぎる。1/f揺らぎ、と言うらしい。

 初めて会った日、別れた後すぐに調べたんだったか。もう何年前のことだろう。

 あの日、あの時の彼女を懐かしく思う。


「うーん、どうしよう?普通にずっとパッと光っていた方がいいですか?これだと気が散りませんか?」

「…このままで私はいいかな、優しいほのかな光で、落ち着くから」


 何の気無しにそう呟くと、彼女は私の顔を見て目を細めて微笑む。どきり、と心臓が鳴る。


「ふふ、私の名前、ホノカだからなんだかうれしい」


 そういうことを彼女はサラッと言ってしまう。何を言っても陳腐になってしまいそうで、黙って彼女の顔を見つめた。


「でも私の名前、お隣の猫と同じ名前なんですよ?この間田中さんが大きい声で名前を呼んで探し回ってたから、私かと思ったら猫を探してたんですって。結局うちの軒下にいたんですけど、もーややこしいから、やめてって」

「……うん、そっか」


 彼女の言う田中さんに、私は会ったことがない。

 美沙とかいうやつが言ってたように、パンデミックの初期に自殺してしまったらしい。猫は彼女が引き取って育てていたが、あの日の騒動でどこかへ逃げてしまって戻ってきていない。

 生きていてほしいが、半野良の家猫ではこの環境で長生きするのは難しいだろう。


 急に頭の上から冷水をかけられたような、ハッと現実に戻ってきたような気分になる。

 分かってはいるけれど、毎回違う現実の話をされるのは慣れない。

 彼女は彼女なりに、懐かしく楽しい昔の現実の世界で生きているのだと思えばいいのだろうか。

 でも、戻ってきてほしい。

 私とともに現実を歩んでほしい。

 でも、


 ずっと答えは出せずに揺れている。


 明かりが、ゆらゆら揺れている。

 彼女は私の返事に違和感を覚えたのか、少し困惑した瞳で私を覗き込んでる。


「……いい名前だなって思ったから、猫にもつけたんじゃない?可愛い響きだし、ホノカちゃんも素敵な子だから」


 言葉だけは本心で、表情を精一杯取り繕って答えると、少し彼女は取り乱して


「えーーー!レイさん、恥ずかしいこと言いますね!!さっきの仕返し?でもお隣の娘の名前を、ふつう猫につけるかな〜〜」


 つけないよな〜などとぶつぶつ呟きながら、バケツに水を汲んできて地面に置く。

 私は持っていた蝋燭にライターで火を灯し、地面に蝋を垂らす。その上に蝋燭を立てた。

 ホノカちゃんは花火と大きく書かれた袋から真っ先に線香花火が入っている小袋を取り出し、ニコニコで封を開ける。


「……それって一番最後にやるものだと思ってた」

「へへっこれが一番好きなんですよ。それに弔いの花火だし、開幕は落ち着いたものの方がいいかなって」


 弔い、と口にするが彼女はもう記憶から昨日会った女のことを消している。彼女の中で私たちが埋めたのは、交通事故に遭った可哀想な猫ということになっていた。あんな女のことはさっさと忘れた方がいいにしても、遺体を目の前にしてもそれを認識できていないというのは、やっぱり何とも言えない気持ちにはなった。


「レイさんは、これです」


 ホノカちゃんは袋を漁って、一番派手に火花が散っていそうな写真が載っている花火を渡してきた。


「線香花火は?」

「これは私が全部やります」

「……私は派手に弔う係なんだ」


 にっこりと笑うホノカちゃんを見て、そんなに好きなら線香花火はまあいいか、という気持ちになった。

 あまり弔う気持ちもないし、とぼんやり思う。


 あの美沙ってやつはウイルスのせいで攻撃的になっているとはいえ、あまりにもホノカちゃんに対して不快な態度だった。この派手そうな花火も、気が強そうなあの女にはお似合いだ。


 派手な縞模様の紙に火をつけると、すぐに派手な色の火花が散った。勢いも激しく、子供だったら怖がるかもなと思った。


「わー、やっぱりすごいですね。線香花火と比べると全然……」


 ホノカちゃんは私の手元の花火を見てそんな感想を述べた。そんなことを言ってる間に、彼女の線香花火が弾ける前にポトリと落ちた。


「あれ?早くない?」


 線香花火に一喜一憂する、その揺れ動く表情を見ていて飽きなかった。

 花火も佳境に入り、残すは噴出花火のみになった。地面に置くタイプのものだ。


「ホノカちゃんやる?」


 ライターを差し出すと、首をブンブン横に振った。


「ちょっと火が怖いのでお任せします」


 そう言われたので、私はパパッと遠くに設置して火をつけた。火をつけてからしばらく間が空き、失敗したか湿気ってたか考え出した頃に火花が勢いよく吹き上がった。 


「綺麗ですね……」


 色とりどりの光が散っていくのを見て、ホノカちゃんが呟いた。彼女の色素の薄い瞳に光が映り、それがとても綺麗でそちらばかり見てしまった。ホノカちゃんは花火に夢中で気がついていないようだった。


 花火が全て終わってしまうと、バケツはとりあえず横に置いてランタンの明かりの側に何となく座って、それから2人でポツポツと話をした。この空間が心地良い。

 会話が途切れたあたりで、私はホノカちゃんの顔を覗き込んだ。


「……ね、何か、歌ってほしいな」


 私は彼女の歌が好きだ。この歌声を、世界で私だけが知っているだなんて信じられない。きっと誰かに見つかっ

たら瞬く間に広まってしまっていたのだろう。

 それを今独り占めできているなんて、信じられないくらい幸せだ。

 こんな終わってしまった世界で、私は幸せを感じている。

 私からの唐突な要求に、ホノカちゃんは一瞬きょとん、とした顔で目を丸くしてから、すぐに微笑んだ。


「いいですよ。スローな、癒される曲がいいですかねえ」

「ギター持ってくる?」

「ふふ、まだ練習中だから今日のところは大丈夫ですよ」


 スゥッと息を吸い込む音が隣で聞こえる。

 ランタンの光が、淡く明滅する。

 変わらない、あの時の揺らぎの歌声が、鼓膜に響く。

 そのまま私は瞼を閉じた。

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