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辺境の魔術師と月下の花嫁  ー引きこもり令嬢と天才魔術師の幸せ結婚生活ー  作者: 愛崎アリサ
第4章 クレアと魔女

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第45話 カイリーと魔術師

 ルークは声を辿って階段を上り切り、広い廊下をコツコツと歩いて行った。廊下を夜風が吹き抜けている。どうやら風は、この先で唯一開いている大きな扉から流れ込んでいるようだ。女のすすり泣きは、その扉の奥から聞こえてくる。あからさまに、罠だ。ルークは一瞬足を止めたものの、すぐに冷たい微笑を浮かべ、まっすぐにその扉に向かった。


(罠だったところで、それがなんだ? サイラスがどの程度の魔力を魔女に与えたか知らないが、魔力増幅の術で与えられる魔力など、最大でも術者の1割程度。僕からすれば、誤差程度のものだ。あの狡猾なサイラスであれば、本人がいつまでもここに残って口を出すような愚策を取る可能性などまずないだろうし、罠を甘んじて受けたところで、こちらが不利になる理屈など何もない)


 ルークは、開かれた大きなアーチ型の扉から堂々と入った。まず目に飛び込んできたのは、部屋の中央に佇む、噴水のような形をした水盤だ。周りに沢山の(いばら)がはびこっている。その向こうに大きなバルコニーがあり、晴れた夜空と大きな白い月が見えた。


 そのバルコニーで、小さな人影が一つ、うずくまっている。華奢な腕に顔をうずめて泣いているのは、若い女だ。ルークは一瞬、クレアかと思って顔を輝かせかけたが、髪の色と質感、それに体格、声、どれをとっても、可愛いクレアではない。ルークは肩を落とし、同時に眉を潜めた。


(バルコニーからの景色を見るに、ここはこの館の最上階に違いない。そんな場所に、なぜ人間の女が? あの女からは魔力は感じられないが……魔女の奴隷か?)


 ルークはコツコツ、と足音をさせつつ、慎重に彼女に近づく。この茨のはびこる広い室内には、他に人影はない。ただ透明な夜風だけが吹き抜けていく。


 女が、びくりと肩を揺らして顔を上げた。涙に濡れた空色の瞳が、こちらを怪訝そうに見つめている。女は、顔を覆っていた両手を外し、恥ずかしそうに胸元に移した。女は全裸だった。金色の長い髪が、その白く滑らかな体躯を柔らかく覆っている。女が問いかけた。


「あなたは……」


「その前に、お前は誰だ? 人間か? こんな所で何をしている」


「わたくしの名はカイリーと申します、見目麗しき旦那様。わたくしは、森で魔女に捉えられた哀れな人間の娘。この館で、奴隷として虐げられておりましたところ、あなた様が炎を使って茨を焼くのを、このバルコニーから見たのでございます。これはきっと、天から遣わされた聖なるお方に違いないと、この場でこうして隠れてお待ちしておりましたのでございます」


 女は濡れた瞳でルークをじっと見上げながら言った。男を惑わせるに十分な、色気のある視線に声。それに……見事な肉体でもある。彼女はさりげなく、しかし明らかにあざとい様子で、肉感的な胸や太ももをルークに見せつけている。大抵の男は、簡単にこの肉体の色香に惑わされるに違いない。しかし。ルークは眉を潜めた。


(何だ? 何かがおかしい……だが、変化(へんげ)の術にしては魔力が消えすぎているし、何か別の魔法……そうか、もしかしたら!)


「あの……旦那様? あなた様がどちら様か存じませんが、どうか、この哀れな奴隷カイリーに、御慈悲を……」


 と言って、彼女は両手をルークに差し伸べ、その淫靡(いんび)な体を惜しげもなく晒した。その白い腹に、微かな綻びがあるのをルークは見逃さなかった。


「やはりそうか。ふん、残念だったな、魔女! 生憎、こちらはまやかしの色香に引っかかるような間抜けな男ではない。『光の聖霊よ 我が名において命ずる 黄泉と混沌の 悪しき死霊術(しりょうじゅつ)より その体解放せよ!』」


「なっ?!」


 ルークの光魔法が、カイリーの体に無数の矢の如く降り注いだ。カイリーが悲鳴を上げて光の中でのたうち回る。


「うぎゃ、ぎゃあああーーー!! あ、あ、ああああーー……」


 次第に声がしぼんで掠れて行くのは、魔女本来の声帯に戻って行くからだろう。溢れる光の渦の中ですっかり元の姿に戻った魔女は、光が消えるのと同時に「ううう……」と言ってその場に膝をついた。


 大型の火トカゲが数匹、黒いローブを引きずって来る。魔女は乱暴にそれを奪取して羽織ると、肩で息をしながらギラついた目でルークを睨みつけた。美しい金髪は跡形もなく消え去り、ボサボサの白髪が彼女の皺だらけの顔に垂れかかっている。魔女はしわがれた声で叫んだ。


「貴様……! 一体何をした……?! どうやってあたしの死霊術を解いた!! これまで誰一人として、このカイリーの術を破れる者はいなかったものを!!」


 ルークは魔女には答えず、まるで講義のように人差し指を一本立てて述べた。


「死霊術。既に死んだ存在をこの世に呼び寄せる、極めて危険な高等魔術だ。と言っても、貴様のはその亜種、とも言うべき変形だな。大方、昔死んだ女の肉体の残滓(ざんし)を死霊術の基礎呪文で練り固め、いわば着ぐるみのように自分の体にすっぽりと纏わせていたのだろう。どうりで、貴様の魔力が外に出ないはずだ。術で再生された肉体は、ほぼ生前の持ち主と同じ状態だからな。元が魔力の無い人間だったら、当然、魔力が無いように見えるわけだ。まあ、貴様のは、本来の死霊術と違って杜撰(ずさん)なものだから、恐らく短時間しか持たなかっただろうが……それでも、森に迷い込んだ男どもを捕らえるには十分だったってわけか」


 ルークは、先程出くわした愛人の男どもを思い返して納得する。彼らは恐らく、このカイリーの姿に惑わされて簡単に囚われてしまったのだろう。魔女が喚いた。


「だから何だってんだい! 顔だけが取り柄の頭空っぽ男なんざ、幾人か(さら)ったところでバチは当たらないだろうよ! それにこのカイリーだって、大層なアバズレだからね! この顔と体を使ってあちこちの公爵どもから貢がせて、挙句の果てにはみんな殺しちまったんだ! 斬首されて死んだ女の肉体を再利用して、何が悪い!! そんなことより、貴様は一体どうやって、あたしの術を破ったんだい、え? これじゃあ商売あがったりだよ、得体の知れない魔術師さんよ!!」


 ルークは、ギリギリと歯ぎしりをしながら膝をついている魔女の前を、コツコツ優雅に歩く。


「簡単なことだ。光の魔術を使ったんだよ。死霊術で呼び寄せたものは、所詮、この世には存在しないはずのもの。光魔法でなら、訳もなく浄化することが出来る」


 ルークの言葉に、魔女が目を剥いた。


「ひ、光の魔術だと?! 貴様は、さっきのが光魔法だって言うのかい!!」


「ああ、そうだ。光の魔術は、滅多に目にできるものじゃないからな。貴様が知らないのも無理はないが」


「光の魔術を扱える天才……! ということは……貴様が、夜半(よわ)の君様が言っていた、あのクソ忌々しい宮廷魔術師か!!」


 ルークは高らかに笑った。


「ご名答。お目にかかれて光栄だね、火トカゲの魔女」

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