13.カメラマン
12:30いごっ荘の駐車場に空子のCASTが滑り込んだ、その後に巧司のバイクW800が続く
駐車場に入るとまずはカフェに向かう。
時間的にまだカフェはランチタイムだ。
空子がカフェの扉を開けて中へ進み、巧司も後をついて中に入る。
ランチのお客さんが3組ほど居たが、みんな食事中か食事の後のコーヒーを飲んでいるところで、カウンターの中の美和子もコーヒーを片手にくつろいでいる様子だった。
「ただいま、雨が降りそうだから帰って来たんよ」
美和子は顔を上げてこちらを見ると、こちらに近づいてきて空子に耳打ちをして
「あら、イケメンね。クーちゃんも気合が入っちゃうわねぇ」
「だから、そんなんじゃないです!」
あまり声のトーンが大きくならないように耳打ちで返す。
「いらっしゃい、話は聞いてるわよ。でも、今日は生憎満室なのよ。クーちゃんと相部屋で良いかしら?」
「え?」
巧司は驚いた顔で言葉に詰まっている。
「冗談よ、梅雨時の平日にこんな山の中に泊まりに来るお客さんなんて滅多にいないわ。部屋は空いてるわよ」
巧司は安心したように
「それじゃ、2泊ほどお願いしたいです。あまり、お金を持っていないので部屋のランクがあるなら一番安い部屋でお願いします」
「一番安いのは外のレンタルテントになるけど、部屋の方がいいかしら?」
「はい、このところ、テントとか大部屋での寝泊まりだったので、普通の部屋で寝たいです」
「オーケー、部屋の料金はみんな一緒よ。それじゃ、クーちゃんが泊っている離れとは少し遠いけど母屋の空き部屋にしておくわね。その方がお互い気楽でしょ?食事の方はどうする?」
「今晩と明日の朝食、それと、明日の夕食までお願いします。明後日の朝食は自分で準備します」
「そっか、思ったよりも大変な懐事情っぽいわね?そしたら朝食は明日と明後日はコーヒーだけ飲みに来たらどう?ブレンドコーヒーのモーニングでトーストとゆで卵はサービスだから」
「ありがとうございます。それを是非お願いします」
「でも、まだ、部屋の準備はしていないから、ここで少しゆっくりしてもらえる?」
「はい、お邪魔します」
「それじゃ巧司君よろしくね。ランチタイムが終わったら向こうで宿泊名簿に記帳してもらうわね」
「美和子さん、あたしちょっと着替える前にシャワーだけ使いたいんだけど。使えるかな?」
「シャワーだけなら大丈夫よ。しっかりキレイにしてらっしゃい。くれぐれも臭わないようにね♪」
「もう!」
空子は巧司の方に振り返ると
「着替えてくるから10分、いや、15分待っててくれる?そしたら一緒にランチにしよう」
「美和子さん、巧司にコーヒー出してあげてコーヒーはアタシの驕りでいいから、それと15分後にアタシの分のコーヒーも淹れといて」
そういうと、宿泊施設の方へ歩いて行った。
空子はちゃちゃっと、体の汗を流して着替えるとまたカフェに戻った。
空子用のコーヒーが丁度淹れ終わったところで店の中はコーヒーの良い香りであふれている。
シャワーを浴びに行く前にいた他のお客さん達は帰ったらしく忙しい時間帯は過ぎたようだ。
窓際のテーブルを見ると美和子が自分用の大きなマグカップでコーヒーを飲みながら巧司にクダを巻いている。
「へーぇ!川の写真を取りにわざわざ四国にまで来たの?凄いわねぇ。そのでっかいカメラを持って一人で?えぇ?借り物なの?ふーん?よほどの訳ありね?おばさんはこういう仕事してるからいろいろ鼻が利くのよね。さっきまで向こうの角に居た、一見夫婦の二人いたでしょ?あれは不倫よ。。。商売柄そういうカップルいっぱい見てるからさぁ、なんか、わかっちゃうのよねぇ。そのカメラも巧司君の大切な人から預かったんでしょ?」
巧司は黙ってうつむいた。
「はいはい、いいわよ、言いたくないことまでは無理に聞かないからね」
今度は空子に振りかえって続けた
「クーちゃん残念ねぇ」
「巧司君、カメラマンの彼女がいるんだって、しかも年上の」
「ええ?どうしてそんなことまで!?」
巧司はたまらずに声を上げた
「あら、正解?」
「だから、わかっちゃうのよ。年上のおねえさんには。ね」
「巧司、相手が悪かったな、この人は、適当なはっぱをかけては相手に喋らせるプロや、若い頃はハニートラップで外国の要人から情報を引き出しておったらしい」
「あら、クーちゃん酷い言い様ねぇ。外国の方にそんなことしていません。皆、日本人だったわよ」
美和子の口ぶりは冗談とも本当とも区別がつきにくい。
「でも、巧司君はさっきの彼女の話は言っておきたかったんでしょ?」
「はい、本当は言い出すきっかけを探していました。別に話さないといけない事だとは思っていませんが、黙っているのもなんか違う気がして、モヤモヤしていたところでしたので、良かったと思います」
「でも、どうしてわかったんですか?年上の彼女がいてカメラマンをしているって」
「だから、わかっちゃうのよ。年上のおねえさんには。ね。なかにはクーちゃんみたいに察しの悪いおばさんもいるけどねぇ」
「都合よく、おばさんとおねえさんを使い分けないでください。。。どうせ、あたしはおばさんやし」
「いえ、クーさんはおばさんなんかじゃないと思います。たしかに、自分よりは年上だとは思いましたが、そんなに自分の彼女と変わらないかなぁ?ってイメージでしたから」
「そうなんか?巧司の彼女っていくつになるんや?」
「自分より5歳年上なので32歳です。9月の誕生日で33歳になります」
「32歳って、あたしよりも丁度一回りも若いやないの・・・しかも生まれ月は一緒なんやなぁ」
「一回りって、えー!そんな。に。。?」
「えー!そ・ん・な・に。なんや?次の言葉聞いてみたいわぁ」
「いえ、見、見えませんね。。。美魔女ってやつですね」
「ちゃう、ちゃう、あたしはただの、おばさん、美魔女っていうのは、こっちの美和子さんみたいな人の事をいうんや」
「え?美和子さんも、そんなにお歳なんですか?」
「あたしより上や」
「あら、やだ、女性に対していつまでも、お歳の話はいけませんよ。この話はおしまいね。それに、私は美魔女なんかじゃなわ。ただの魔女よ。普通の魔女」
美和子はウインクしながら言ってみせた。
話が一区切りついたところで、カフェの扉が開いた。
振り返ると、旗野が何やら上うっぺらい包を小脇に抱えて入ってきた。
「美和子さん、ランチまだあるかい?家で飯が食えなんだ。残っていたら食わせてくれい」
「ありますよ。ちゃんと代金はいただきますけどね」
「当り前じゃ、わしが食い逃げしたことがあるか?」
「あら、失礼。ここでの飲食がほとんどが持ち込みってだけで食い逃げはしていませんね。いつもお金を貰っていないイメージでしたので。ついつい」
そう言うと、美和子はランチの準備にカウンタの奥に戻って行った。
「旗じいさんも、美和子さんには頭が上がんないみたいですね。もしかして、美和子さんって旗じいさんより?」
岬の詮索に、空子は睨みをつけて
「もう、その話はええねん!女の年齢は詮索したらあかん!」
「なんじゃ?、何の話をしておる?面白い話ならまぜろ」
「いや、面白い話やない。それより、旗じい聞いてえや、巧司なぁ。年上のカメラマンの彼女がおるんやって」
「なんじゃ?いまさら、そんな話をしておるのか?」
「巧司、旗じいには、彼女のが居ることをしゃべっておったんか?」
「いえ、話してはいないです。。。」
「はん!そんなことくらい聞かんでもわかるじゃろ。わしゃ、これでもジャーナリストじゃぜなぁ。しかも、おおかた、病気か何かで動ける状態じゃないのじゃろう?」
「・・・」
巧司は黙っているが、その表情を見るとさすがの空子でも旗野の言葉は的を得ていると察しがついた。
「まあ、言いたくないことまではっきり言う必要はないわ。わしもいい加減なことを少ししゃべりすぎたようじゃのう。悪かった。ジャーナリストというのは相手の気持ちを考えんところがあるでなぁ。。。すまなんだ」
「それより、その脇に挟んでるもんはなんや?」
何となく、重い雰囲気に耐えられなくなった空子は別の話に話を振り向けた
「ふん!そんなことより、飯じゃ、飯の後になったら教えてやるわ」
視線を上にあげると、すぐ隣に美和子がランチを持ってきたところだった。
空子は話に夢中になって美和子が来たのにも気が付いていなかったのだが、旗野はそんな素振りも見せずに普通に気が付いていたのだろう。
『ジャーナリストというのは、皆、こんなに感覚が鋭いものなのだろうか?というか、旗じいがこんなに感覚が鋭い男だという事に全然気が付いていなかった。。。』
それに
『美和子さんは美和子さんで気配消しすぎや。。。ホンマにどこぞで諜報員でもやっておったんちゃうのか?』
そう考えると、なんか自分だけが普通の人に思えてきた。。。
「うまそうじゃのう、いただきます」
旗野が食べ始めるのをみて、自分たちもまだ食べていなかったことに気が付く
「巧司、あたしらも食べよう」
ご飯を食べて一息つくと食事の前の重い雰囲気は消え去っていた。
『良かった。いつも通りや』
「そうやった、それ!」
空子は食事の前に旗野にはぐらかされた包を指さした。
「おー、そうじゃったこいつはのう。ただのノートパソコンじゃ。昼間、巧司の撮った写真をこいつで見ながら勉強会をしようと思ってのう。巧司、カメラのメモリを出してみい」
旗野はメモリを預かるとノートPCのカードリーダーに差し込み、今日撮った写真を画面に映し出した。
画面にはサムネイルで空子の姿が次々と映し出された。
その合間に、少しだけ川の写真がある。
「今日はRAWとJPEGの同時撮影をしておったでのう。まずはJPEGから見て行くとするかのう」
『RAW?JPEG?JPEGは聞いたことがあるがRAWってなんや?』
空子には耳慣れない言葉が耳に入ってきたが、質問する間もなく次々に写真がノートPCの画面いっぱいに映し出されて行く。
「うむ、言いつけはちゃんと守って撮っておったようじゃのう。最初の頃の写真はピントが甘いが、徐々にピンボケ写真は少なくなっておる。その後はシャッタースピードを変えたり絞りを変えたりじゃな?最初の頃の写真は設定を大幅に振っておるので、露出が高すぎたり、低すぎたりもしたようじゃが、徐々に意味をつかんだ写真になっておるようじゃな」
巧司は真剣に聞いている様子だが空子には何を言っているのかさっぱりわからない。
「勉強しているところ悪いんやけど、あたしにも少しだけわかるように説明してくれるか?」
「そうじゃのう」
言うと旗野は一番大きなサイズのサムネイルに変更して、一覧で写真を選んで見せてくれた。
「この写真、最初の写真じゃが、ピントがボケておるのは、嬢ちゃんでもわかるじゃろう?」
「さすがにそれは分かる」
「次にこの写真はどうじゃ?」
「ちょっとだけボケているかな?」
「それじゃ、この写真をこうするとどうじゃ?」
画像の倍率を上げて見せてくれると
「ほれ?輪郭がボケておるじゃろ?それに引き換え、こっちの写真は嬢ちゃんの顔にしっかりとピントがあっておるで」
いいながら、顔の辺りで倍率をもっともっと大きくし
「毛穴のつぶつぶまでよく見えるじゃろ、眉毛を整えた生え際のちょっとだけ生えた部分もこの通りじゃ、うむ、鼻毛は出ておらんのう」
「もうええ!そんなに引き延ばさんでえ!!」
「これがピントってことじゃな。ピントが悪いのは最初だけで後の頃の写真はみんな合わせてある。大概の素人は他の事をやるとすぐピントが甘くなるものなのじゃが、お前さんはなかなか見どころがある。写真が向いておるのかもしれんのう」
「そうなんか?巧司、凄いんやな?」
「続いて、絞りじゃが、この写真を見てどう思う?」
「なんか、画面全体がくっきりしている感じやな」
「こっちはどうじゃ?」
「あたしだけくっきりしているけど、周りがボケてみえる」
「そうじゃな、これが絞りの効果じゃ、絞りって言うのはカメラの撮像面に入る光の量を調節する機構じゃが、小難しいことは置いといて、その絞りを開いていっぱいに光を取り込むと、繊細な解像度になるのじゃが、その分、ピントが合う距離が短くなる。一部分にしかピントが合わなくなると言った方が言いかのう?じゃから、嬢ちゃんの顔の部分だけよく見えて回りがボケるのじゃな。こういう写真は撮りたいものが際立つのでカッコよく見えるじゃろう?そして、こっちが絞を絞った状態じゃ、ピント自体は嬢ちゃんに合っておるが、周りにもくっきりみえるじゃろ?これは、ピントの合う距離が長くなっているってことじゃ、一般的には焦点深度というものじゃな」
「うー。。。聞いたことのない言葉がいっぱいで頭痛くなってきたけど、全体にピントが合うか一部分にピントが合うかってのは分かった」
「最後にシャッタースピード、こっちの写真とこっちの写真は同じく鮎を引き抜いたときの写真じゃがどうじゃ?」
「片方は止まって見えるけど、片方は動いて見える」
「正解じゃ、止まって見える方が、シャッタースピードが速くて、像が流れて動いて見える方がシャッタースピードが遅いのじゃ、シャッタースピードが速いと一瞬を切り抜くことが出来るが、シャッタースピードが遅いとシャッターを開けている間にも物体が動くで、残像が写り込んで動いているように見えるのじゃ」
「へー、写真って凄いんやなぁ?見えるものをただ映しているだけやと思ってたけど」
「そうじゃ、写真とは目に見えないものを捕らえるものじゃが、写真で捕らえたものと人が目で見ているものは同じであって同じではないのじゃな。見える部分と見えない部分をバランスさせるのが写真家でありカメラマンでありフォトグラファーということじゃな」
「ありがとな、今の説明を聞いただけで、写真を見るのが楽しくなったわ」
「そうじゃろ、そうじゃろ」
旗野は満足げに続ける。
「さて、これが最後の頃の写真なのじゃが・・・」
「凄いのう、これが写真を初めてわずか数日の物の写真か。。。ほれ、この嬢ちゃんの写真、撮りたいものが完全に伝わる写真じゃなぁ。こんな写真を撮れるカメラマンはそうはおらんぞ。。。でも、この写真はその年上の彼女に見せたらいかんぞ、完全に惚れとるものの目線じゃからのう」
旗野は言いながら「かっかっか」と笑っている
巧司は照れいるが
「でも、クーさんを撮る写真だけ上手くなっても困るのです。それは多分クーさんの魅力が撮らせているだけですから・・・」
「安心せぇ。川の写真もちゃんと上達しておるわ、ほれ、これなんかコンテストにだしても、素人の大会でなら、なんかしらの賞がつくかもしれんぞ。川の流れの捉え方がええ。全体的に動いているものを撮った写真はいいかんじじゃな。さっき見た引き抜いた瞬間の鮎の写真なんか普通の素人には絶対に撮れん。よほどの動体視力とそれに応える反射神経が備わっておるようじゃな」
「それは、バイクレースで培ったものかもしれません。実は3カ月前まではバイクレーサーをしていました」
「へー!凄いやないの?あたしゃ、バイクレーサーなんて人には初めて会ったわ。でも、過去形なんやな?」
「はい、約1年前ですが練習走行中の事故で首の骨を折ってしまいまして。。。あ、でも、お医者さんとか病院のスタッフとかみんなのおかげで元通りに完治したんです。リハビリも含め半年かかりましたがしっかり元通りになることが出来ました。でも、バイク走行のタイムはどうしても以前と同じには戻すことが出来ず。。。それで、3カ月前にきっぱりと辞めることにしたんです」
「なるほどのう。それじゃカメラの道に入ってみてはどうじゃ?さっきも言ったが、巧司は才能があると思うぞ」
「ありがとうございます。旗じいさんからそう言ってもらえるのは光栄です。あの?これは旗じいさんの撮った写真集ですよね?」
巧司は言うとポケットからスマホを取り出して画面に写真集の写真を出して見せた。
「そうじゃ、な、これはわしの想いの詰まった写真集じゃ」
「旗じいさん、あなたは僕の彼女の憧れなのです。彼女の夢は戦場カメラマンになることです。旗じいは、いや、旗野さんは以前、戦場カメラマンをしてらしたのですよね?戦場カメラマンとして撮った写真で戦争を回避した伝説のカメラマンで、数々のスクープもあげていたと、そんな旗野さんが戦場から日本に帰ってきて数か月後に出した写真集がこの仁淀川の写真集だと聞きました。そしてこの写真集を出した後は戦場には行っていない。。。」
話を聞いていた旗野は少しくらい表情で押し黙っていたが
「やれ、やれ、今更そんな古いことをインタビューされるとは思っておらんかったのう、話してやってもいいが、今日はもう時間が無いでのう、明日の夜にでもここに来るわ。良く舌が回るように美味い酒でも用意しておいてくれるかのう」
「ありがとうございます。でも、一つだけ、ここであなたに会ったのは完全に偶然です。戦場カメラマン旗野という人について聞いたのは昨日の夜に彼女に電話を掛けたときなので・・・」
「分かっておる。二日前に会ったとき、お前さんは何も知らない完全な素人じゃったわ」
そういうと、旗野は立ち上がった。
「RAWについてのレクチャーがまだじゃが、明日ちょっとだけしてやろう」
言い残して出て行こうとする旗野に
「明日は最高のお酒を用意しとくわ」
空子に言えるのはそれだけだった。




