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12.妖竿、末永

2023年6月27日(火) 7:30

今日はいつもよりも遅い6時半が目覚めだった。

『さすがに休みも4日目、これまでの三日間はだいぶ濃い日々を過ごしてきたからなぁ。疲れも出るわなぁ』

『やっぱり四十も半ばになると疲れが抜けなくなる。歳は食いたくないわ』

そんなことを考えながら1時間もかけてゆっくりと身支度を整え、朝食会場のカフェへ行くと勇夫と美和子が迎えてくれた。

いつも朝食の時間には居ない勇夫がいるので少し戸惑いながら

「おはよう」

と声を掛けると

「なあ、げにあの竿を使うんやか?わしゃ心配で心配で」

半ば泣きそうなほど不安気な勇夫の顔を見ると思わず笑いそうになる。

「クーちゃん、この人、朝からずっとこんな調子なのよ。笑っちゃうでしょ。いつもは漢気だとか威勢のいいことばかり言ってるくせに、オカルトとかホラーとかまるでダメなんだから」

「心配してくれてありがとうな。でも大丈夫や9mでしか使わん。いつも使ってる旗じいだってピンピンしとる」

子供に話掛けるような優しい口調で勇夫を諭す。

すると、勇夫は両手に握っていたカワイイ狸のお守りを差し出し

「こりゃ、前に愛媛の神社でもろうてきた隠神刑部様のお守りやき持って行くとええ。きっと守ってくれる」

男らしい土佐弁と、厳つい勇夫の容姿と相まったカワイイ狸のお守りに我慢できずに吹き出した。

「ダメや、我慢できん、ありがと、笑ってゴメン、そんでもそりゃないわ」

「何が可笑しいのやか?刑部様は日本の狸の頂点に立つ化け狸の神様で、そりゃそりゃ恐ろしゅう強い妖怪や!」

「ほら、もう、あんたもいい加減にしな。クーちゃん困ってる!大丈夫って言ってるんだから大丈夫だって。でも、クーちゃんその狸は持って行ってあげて。これでもこの人本気で心配してるんだから」

「分かった。ありがとう。大事にベストの胸のポケットに入れとくわ」

そう言うとカワイイ狸を受け取った。


「そしたら、あっちで仕事があるんでしょ?仕事に行きな!クーちゃんも暖かいうちに食べてね、今日のカフェオレはミルクたっぷりにしておいたよ。顔を近づけたときにんにくの臭いがしたら困るものね」

「顔を近づけるようなことはしません!」

『なんか、いつも美和子のペースで弄られてばかりやなぁ。何でやろ?そういえばどことなく亡くなった義理のお姉ちゃんに雰囲気が似ているかな?お姉ちゃんも私の事見守ってな』

そんなことを考えながら狸を見つめ温かいカフェオレに口をつけた。


朝食を食べ終え、カフェを出るとき

「お弁当何がいい?」

と聞かれたので

「玉子焼き」

って答えた。

『そういえば玉子焼きの好きな狸娘の話があったな』

『確か名前は【ぽんぽこ】』

「よし、今日からお前は【ぽんぽこ】な」

勇夫からもらった狸のお守りを見つめて呟いた。


準備を済ませ今日も昨日と同じポイントへ向かう。

流石に成り行き上とはいえ同じポイントも三日目ともなると飽きてくる。

『それでも、約束やからなぁ』

『でも、もともと、三日に一日は釣りをしない日を作る計画だったよなぁ』

『いくら楽しいと言っても体の方はしんどいしなぁ』

『さすがに明日は釣りは休んで、他の事をゆっくりしよ』

そんなことをあーでもないこーでもないいろいろ考えているうちに釣り場に到着した。

時刻は9時丁度であったが巧司のバイクと旗野の軽トラが停めてあり、二人の姿はすでになかった。

空子は車を停めると急いで支度をして河原へ続く土手の小道を降りて行った。


川原にはカメラを持った二人の男がいろいろと話をしているようだ。

「おはよう」

「おう、おはよう」

「おはようございます」


「何の話をしてたんや?」

「カメラについてのいろいろじゃ。こやつ本当に何もわかっとらんのじゃ」

「すみません、急にカメラを渡されて、シャッター押せば勝手に写真が撮れるからって預けられたものですから」

「こんな素人にこんな高級カメラを預けて、全く何を考えておるのじゃ・・・」


旗野は自分のカメラを見せて、カメラのイロハを教えているようだ。

「旗じいのカメラは、巧司のより小さいんやな?」

「物事の本質は大きさだはなかろう」


「いいか、巧司、今日はこのレンズを使って、マニュアルモードで写真を撮るのじゃぞ。さっき教えたようにピントと露出、絞りとシャッタースピード、それと一番大事な構図を常に意識して写真を撮るのじゃ。被写体は今日も嬢ちゃんにモデルになってもらってな。嬢ちゃんもええな?」


「ええな?言われても、もう決まっとるんやろ?まあ、ええよ。そんでも昨日と何が違うんや?」

「こいつは、このFM2に付けていたレンズでな、所謂フルマニュアルレンズじゃ」

言われて空子は旗野の持つカメラをまじまじと見つめた。

「このカメラ、液晶画面が付いてないんやな」

「そうじゃ、こいつは1980年代の初頭にニコンから出たカメラでな、当然デジタルカメラなんてものは存在していない時代じゃ、もちろんオートフォーカスも付いておらん。つまりは不便なカメラじゃな。今日、巧司には不便さを味わってもらおうという訳じゃな。こいつの持っておるD6なんてプロ用の高級カメラはなんも考えんでもカメラが勝手に考えて、それらしい絵を作っちまうからのう」

「そしたら、そのカメラごと巧司に使わせてやればええんやないの?」

「そら、確かにその方がええのじゃがのう、こいつはフィルムカメラじゃから現像してプリントをしないと絵を見て確認することも出来んから、手軽にシャッターを押して試してみるってわけにはいかんのじゃな。そのデカいのは基本的に何でもできる、何でもできるから、あえてカメラに任せずに自分で考えて写真を撮ってみろってことじゃな」

「巧司、さっき、フォーカス、露出、シャッタースピード、絞り、ISO感度について教えたな。フォーカスと露出が合えば止まっているものはキレイに取れる、あとはシャッタースピードと絞りの関係で出来上がる絵に違いが出る。基本的なことはそんなもんじゃて、兎に角いろんな条件でシャッターを押してみるんじゃな」

聞いたのは良いが空子には何を言っているのかさっぱりわからなくなってきた。


「ええから、アタシは釣りがしたいんや、向こうで始めるわ」

「そうじゃったな、嬢ちゃん、嬢ちゃんも折角じゃから今日は返し抜きで縛ってみてはどうじゃ?」

「旗じいの九頭竜返しを教えてくれるんか?」

「わしのは九頭竜返しなんてもんとは違うぞ、わしのは【関東燕返し】じゃ!」

「なんや?えらい、カッコええ名前やなぁ。どこが違うんや?」

「九頭竜返しと、やってることに違いはないな、じゃが、少しだけ昔に関東の那珂川には凄い名人がおってのう。いつも背中に【領】と一文字書かれたハッピを羽織って川に立ち込んでは他の鮎師とは比べ物にならんほど入れ掛かっておった。その名人の返し抜きの名前が【関東燕返し】じゃ、わしも関東の出身じゃと言うたろうが、若い頃に何度も間近でその技を見せてもらったものじゃ、見た目はおっかないが、優しくていい人じゃった。その名人の技を真似ておるからのう、わしのは九頭竜返しじゃなくて、燕返しじゃ。」

「そしたら、アタシにも、燕返しを教えてえな」

「アホウ、昨日、教えておろうが、よく思い出してやってみろ。それに、習うよりも慣れろじゃな」


さて、空子はくるぶし迄川に入ると妖竿 末永を出して仕掛けの準備を始めた。

穂先を出してみると『太い。こんなに太い穂先が付いていたのか?』昨日と一昨日はソリッドの極細穂先を使用していたので余計に太く見える。

「こんなに太い穂先は使ったことがない」

大物釣りが好きだとは言え、泳がせ釣りが基本の空子は繊細な穂先を扱うことが多かった。

『こんな太い穂先でオトリは大丈夫やろか?』

心配になりながらも竿を伸ばしてオトリをセットした。

いつものチャラ瀬からスタートしてみる、昨日と一昨日の経験から一番良いと思う流れにオトリを送り込む、オトリは考える間もなく、入れたいポイントに勝手に入って勝手に馴染んだ。

操作をしている感覚がない。ただ、そこに入れたいと思っただけだ。

『凄い』

オトリの操作をこんなに楽に感じたことはない。

『これならすぐに掛るやろ』

思った瞬間に目印が飛んだ。

『一歩も下らない』

『竿を寝かせたまま、野鮎の走りを止める』

『タモの事は忘れて両手でしっかり竿を支えて、オトリが水面に浮いて来たら一気に竿を立てる』

『そして、掛かり鮎が水面に見えたらおもいっきり両手で引き抜く』

『両手を思いっきり上げて、天に向けてのの字を描き、そしたら少しブレーキがかかり。糸を緩めんように自分の身体の後ろへぶん投げて、振り子の死点の位置で水に落とす』

『糸は弛めない、流れに乗って自分のところへ泳いで来たら、ツマミ糸を左手で掬いとり』

『竿を担いで、ツマミ糸を右手に持ち替えて、左手でタモを準備』

『タモの中に掛かり鮎を落とせば』

『完璧!』

後ろを振り返ると、旗野が満足そうにこっちを見て笑っている。

巧司はカメラのレンズを向けている。

空子は条件反射的に巧司の構えるカメラのレンズに向けてVサインを送った。


『よし、それじゃ、オトリを交換して』

『それー!』

交換して生きのいいオトリとキャストしてさっき掛かった奥の流れにダイレクトに投げ入れる。

『あれ?』

『アタシ、キャストなんてしたことないぞ!』

『しかも、そこは昨日まで届かなかったポイントやろ、そっか、昨日までより竿が50cm長いからか』

思った瞬間に目印が飛ぶ

今度も強烈な追いからの強烈な引きで掛かり鮎が必死に流れに乗って逃れようとしているのが分かる。

『そうはさせない!』

両の腕に力を込めると一気に竿を立てて引き抜く

2匹の鮎がキレイに舞い上がり、上流へ飛んでいく。

上流へ着水させた鮎は素直に自分のところに誘導され、左手でツマミ糸をキャッチした。


『凄い!楽しい』

全てが思い通りになる。

『これが、名工が作り上げた竿?いや、妖竿ってこと?』


オトリを交換すると自分の下に送り、竿を寝かせる。

オトリが扇状に出て行く。

『Youtube動画の中で名人たちが良く話をしている横出しだ』

自分にはこんな釣り方は無縁だと思っていた。

無縁だと思っていた釣りが考える間もなく体が実行している。

そして、扇の頂点に達したとき野鮎が掛かった。

それは、先ほど掛かったポイントよりもさらに奥だ。

気が付くと腿の辺りまで立ち込んでいる。

普段なら絶対に立ち込まない押しの強い流れだ。

でも、怖さは感じない。

身体が安定している。

『竿と身体が完全にシンクロしていて、竿先から足の指先までが一つになっているかのような感覚。竿のバランスがいいというのはこういう事か?』

兎に角引き抜く。

考えはいらない、体が勝手に動く。

3匹目も難なくキャッチした。

『まだまだ、奥に立ち込める』

そんな感覚に陥ったが、ここで思いとどまった。

『あかん、あかん、これはあたしの領域じゃない。あたしの領域に戻ろう』

岸へ3歩ほど後戻りして膝くらいの水深になった。

『これくらいが、あたしにとってはマックス領域や、ここまでで釣れる鮎があたしのターゲットなんや』

その後は少しペースが落ちたものの入れ掛りと言えるペースが続いている。

あと少しでお昼

数は数えていないが引き船は満タンに近い。


『そろそろ、お昼で一休みやな』


「ゴロゴロゴロ!」

遠くで雷の音がし始めた。

『いや、今日はここまでにしよう。満足や』

竿をたたんで仕掛けを仕舞う。


川原に向かって歩き出した途端に小さな石に躓いて転んでしまった。

幸い倒れたときに手を放したので竿は無事だ。水に浮かんでいるのを回収して立ち上がろうとするが力が入らない。

『足の筋肉に無理をさせすぎた』

どうにか立ち上がると

『とりあえず、大丈夫、歩ける』

川や川原で転ぶことは、日常茶飯事だ。旗野も巧司も転ぶところを見ていたが特段気を使うでもなく、空子が上がってくるのを待っている。


空子が二人に近づくと、スマホを見ていた巧司が口を開いた

「どうやら、この雷は今からこちらに着て、抜けるまで少し時間が掛かりそうですね。おそらく3時くらいになれば、また釣りが出来ると思いますがどうしますか?」

「いや、無理じゃのう、ほれ、川の水を見てみい、少しだけじゃが濁ってきたろう。雷は上流にあってこっちに向かってくる。雷が通り過ぎても、増水と濁りで今日は釣りにならんじゃろ。もしかしたら明日も無理かもしれんのう」

それを聞くと空子は少し残念な気もしたが、身体の疲れに限界が来ていることを悟っているので素直に聞き入れて今日の釣りは諦めることにして

「それじゃ、今日はこれで終了やな。明日も釣りは休もうと思うわ。身体が限界や。そもそも、三日に一日は釣りをしないつもりやったしな。昼ごはんも、いごっ荘に帰ってからにしよ」

「よし、そしたら、わしは一度家に帰って荷物を取ってくるでな、先にいごっ荘へ行っててくれい。あ、飯は食って行くから14時くらいに、いごっ荘のカフェでどうじゃ?」

「了解や、巧司は今日はいごっ荘に泊まりやろ?あたしの後ろについてきい」

「分かりました。それじゃ、クーさんの後に付いていきます」

話がまとまると3人は自分の乗り物に乗り込んで各々が進むべき方角へ走り出した。


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