9.民宿いごっ荘 第二夜
18:00空子は釣りを終了して、後片付けをしている。
18:30まで釣りをするか悩んだが17:50親子丼を食らってしまった。
(※親子丼、オトリと掛かり鮎を仕掛け切れで同時にばらしてしまったときの、鮎釣り用語)
言われた通り17:30からの怒涛の入れ掛りは凄いものがあった。交換したオトリを入れさえずればすぐに次が来る20分で17:30~17:50の間に6匹の釣果を上げ、7匹目が掛かった時に一気に下流に走られて竿を伸された。
掛かり鮎について下ろうと思ったが、足元の石が大きいし足が上手く回らない。
朝からの釣りでだいぶ足に疲れが来ていたようだ、足が追い付かなければ伸された竿から仕掛けと断ち切られるのは一瞬だった。
フッと持っていた竿は軽くなり、無重力にでもなったかのように重さを感じない。
呆然として次の行動になかなか移れない。
『あーあぁ。。。』
気を取り直して、もう一度仕掛けを張り直すことも考えたが、自分の予想以上に足が疲れていることに気が付いた。
「今日、無理して釣りをするよりも、明日の釣りに備えた方がええよなぁ」
女性釣師である空子はいつも自分の体力のなさに嘆いいていた。
『自分が男であったなら次の仕掛けを張り替え真っ暗になって、鮎の追いがなくなるまで入れ掛りが堪能できただろうか?』
釣りをしていて体力の壁にぶつかった時には、どうしても、そんなことを考えがちだ。
「まあ、楽しめたから良かったことにしよう。無理をしてもろくなことないしなぁ。それにちょっと寒いし風邪なんか引いたら、それこそおおごとやしなぁ」
「気持ちの切り替えが肝心や」
竿をたたむと穂先から伸びた天井糸を仕掛け巻きに巻き取り、切れた箇所を確認する。
水中糸の真ん中でぷっつりと切れている。あれだけ見事に竿が伸されてしまえば仕方がない。切れた仕掛けもポケットに仕舞うと、オトリ缶を置いたところに戻って、しゃがみ込みタモをベルトに挿して準備をする。
右手で曳舟を持つと、曳舟の蓋のロックを外して半開きの状態を作る。
スマホを準備して、動画の録画ボタンを押すと、曳舟の中身を、タモ網の中にワサーっと空けた。
今日の釣果が勢いよく出てきてタモの中で暴れまわる。その一部始終を動画に収めると。
「今日は今シーズン初めての鮎釣りで、こんなにたくさんの鮎が釣れました」
と自分の声を吹き込んだ。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、、、」
数えながらタモの中の鮎をオトリ缶へ移していく
「にじゅうしち、にじゅうはち、にじゅうきゅう」
「オトリは7匹スタートだから釣れた鮎は22匹や!」
「結局、あの後、釣れたんは15匹やろ?あと40分やったらもう15匹釣れたんかなぁ?」
そんなことをあれやこれやとブツブツと独り言を言いながら、重いオトリ缶を担いで車に戻った。
「今日もちゃんと待っててくれて偉いなぁ」
愛車CASTに労いの言葉を掛けると鍵を開けると、何よりも先に竿をしまい込んだ。
『竿は鮎師の魂やからな、何よりも先に仕舞わんとな』
次に本日の成果物の鮎をラゲッジに仕舞うと忘れないうちにブクブクのスイッチを入れた。
宿に帰ってから明日のオトリと家へ持ち帰り用の戦利品とに仕分けして持ち帰り分はすぐに冷凍してもらおう。ここから片道30分程度であれば、万が一★になる子がでても新鮮なうちに冷凍出来る。
ベストを脱いで、ベルトを外し、曳舟と、タモを雑に大き目の衣装ボックスに突っ込むと、ウェーディングシューズのまま運転席に乗り込んだ。中途半端に足だけ履き替えるより、一刻も早く宿に向かいたい。
それくらい疲れを感じていた。
18時半、いごっ荘の駐車場に到着すると大将の勇夫が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、こじゃんと遅うまで釣りをしちょったのじゃのぉ?なんか、事故にでも遭うちょらんか心配しちょったところや。」
「ごめんなさい、夕方の入れ掛りが止まらない感じで、ついやりたくなってしもうてなぁ」
「鮎釣りする連中は入れ掛りになると、みんなやめられんなるやつらばっかりやきな。それでどればあ釣れたか?」
ブイ!
ブイ!
空子はピースサインを2回送って二十二匹を示す。
「そりゃ凄い、釣れた魚でお祝いせんといけんね。魚を出いとーせ、食う分を何匹かとって、残りは冷凍しちょくね。」
勇夫はそういうと後ろのドアを開けてクーラーボックスに手を掛けた。
「いや、まだ全部、後ろのオトリ缶の中なんよ」
「そしたら、あいたのオトリと、今から焼くのと、持ち帰りの冷凍用を仕分けしちょくき、早う着替えて楽になりな。こっちに戻ってこんずつ、そのまま風呂に行ってもええぜよ」
勇夫は言うやCASTのハッチバックを開けるとオトリ缶を持って行ってしまった。
「本当に何から何までありがたいお宿や」
空子は勇夫が既に聞こえる距離ではないことを承知でつぶやいた。
空子はウェーディングシューズをクロックスに履き替えると部屋に戻ってタイツを脱いだ、車に乗る前に砂や泥は雑巾で拭きとったつもりであるが、歩いてきたルートに砂など落としていないか気になり部屋を出て廊下を確認した。
「大丈夫そうやな?」
そのまま風呂に行っくことにする。早く体中の汗や汚れを洗い流したい。
そして、その後はお決まりのプシュッ!
想像しただけで『なんて、幸せなんだろう?』軽やかな足取りで風呂場に向かうのであった。
風呂から上がると20時を回ってしまっていた。
そんなに遅すぎる時間ではないが、民宿の業務スケジュールを考えると少し申し訳ない時間に思える。
『明日からはもう少し早い時間に戻って来よう』
塗れた髪を雑に乾かすと、その足で囲炉裏端へ向かう。
囲炉裏端からは如何にもいい香りの鮎の塩焼きの香りが漂ってくる。
「ごめんなさい、遅くなりました」
空子がそう言いながら中に入っていくと
「嬢ちゃん、早かったのう、もっと、真っ暗になるまで入れ掛りで帰れんようになると思っておったのじゃが」
つい最近、聞いた声で独特の語り口調の言葉が話しかけてくる。
そちらに目をやると、なんと、昼間川で出合った新聞記者の旗野の姿があった。
空子は事態が把握できずに、あたふたしたが、とりあえず複雑な笑顔を作ると、ちょっと頭を下げて見せた。
「そいで、その後はどうじゃった?」
「あ、はい、その後はポツポツ掛かり17時半までに10匹追加、17時半からは凄い入れ掛りで17時50分までで6匹、7匹目が掛かったところでドンぶり食らってしまいました」思わず敬語になる。
「すると1の5の1の10の7のマイナス2つで、いくつじゃ?」
「22匹です。スミマセンあの後はおっしゃられた半分の15匹しか釣れませんでした」
「ドンブリで心が折れたか?まあ、そんなもんじゃろ。そいでも、22匹も釣ったら大したもんじゃ、今日はお祝いじゃな」
すでにコップ酒を手に持っている。
酒も入っての事か、楽しそうで昼間最初に会った時よりも気さくな感じがする。でも、昼間もあらたまった感じは全くなかったか。。。?
「ほら、突っ立っとらんでこっちに着て一緒にどうじゃ、嬢ちゃんがいける口だという事は聞いておるぞ」
そういうと、日本酒の一升瓶を差し出した。
「旗じい、クーちゃんは最初はビールが好きなんちや、こっちを注いじゃって」
勇夫が冷えた瓶ビールと何やら小鉢をお盆に載せて持ってきてくれた。
「それはすまんかったな、酒は好きなものを飲むのが最高じゃ、わしの驕りではないがのう、飲んでくれや」
旗野は、そういうとお盆の瓶ビールの栓を抜いて、グラスを持つように空子にうがなした。
空子も何故かちょっと照れ臭かったが素直にコップを取ると旗野からビールを継いでもらい一気に飲み干した。
「ほう、嬢ちゃんはやっぱりいける口だのう」
旗野は空いたグラスにもう一杯ビールを注いだ。
「喉がカラカラなのにグラスが小さいんですよ」
空子は笑って返した。
「それより、この小鉢は?」空子が勇夫に尋ねると。
「鮎の背越ししじゃな」旗野が答えた。
「クーちゃんの釣ってきた鮎の小さいのを選んで背越しにしてみた。内臓を取ってキレイに洗うて骨ごと薄う輪切りのようにスライスしただけの刺身みたいな料理や。そっちの酢味噌を付けて食うとうまいぜよ」勇夫が負け地と解説をした。
空子は鮎釣りを初めて5シーズン目になるが、鮎を生で食べるのは初めての経験だ。
何となく神妙な面持ちで箸を取り、一切れ取って酢味噌をつけると口の中へ入れてみた。
一瞬、口の中は酢味噌の香りでいっぱいになったが、一噛みした瞬間に酢味噌の香りに負けていない鮎の芳醇なスイカの香りが口の中へ広がり鼻へ抜ける。釣りで嗅ぐ鮎の香りそのものだ。
「美味しい!初めて食べたけど、凄く美味しい!骨も全然気にならんわ」
「そっちのショウガ醤油や、わさび醤油でも試してみとーせ。また違うた味わいになるぜよ」
空子は言われるように背越しの味を楽しんだ。
そして、上手い肴には日本酒も捨てがたい、残っていたビールを煽ると、旗野から日本酒を注いでもらった。
「こっちも、たぶん、今ままで食べた中で一番うまい思うぜよ」
そういうと勇夫は囲炉裏に並べてあった鮎の塩焼きを一串抜き取ると、串に着いた灰を払って空子に差し出した。
一見普通の塩焼きに見えるが?
空子は背中の一番美味しいところに齧りついた。
『なんだろう?普通の鮎の塩焼きだけど、なんか、全てにおいて、これまでに食べた鮎よりも1割2割美味しく感じる。なんだ?味も香りも食感も本当に今までで食べた中で最高の味わいだ』
「うんまい!なんで?こんな美味いのは初めてや。前にもここで鮎を焼いてもらったことあったよなぁ?そん時とは段違いの味やわぁ。何が違うん?」
「こりゃね、生きた鮎をそのまま串に刺して炙ったが、クーちゃんが川で魚を〆ないで、生かして帰って来たき、作れた味や」
「生きてる鮎にそのまま串を打つんか?なんか、残酷やなぁ」
空子は少し居たたまれない気持ちになったが、今までに食べた鮎の塩焼きで一番美味しい鮎の塩焼きであることに納得した。
『川で氷で〆ようと、生きたまま串を挿そうと命を奪う事には変わりはない。それならば、一番美味しく命を頂くのが一番の供養になる』空子はそんなことを考えながら再び鮎に齧りついた。
「ところで旗野さん」
「うん?どうした?嬢ちゃん?あ、でも、わしの事は皆【旗じい】って呼ぶで、旗じいでええぞ」
「そしたら、あたしだってクーでいいです。第一、嬢ちゃんって歳じゃないです。だいぶオバハンです」
・・・旗野は少し考えて
「やっぱり、嬢ちゃんは嬢ちゃんじゃな」
なんか、これ以上訂正しても埒があかない気がするので話を進める。
「旗じいは、昨日の夕方、あのポイントに立ち込んで、虹色の竿を使って入れ掛りしていた方ですよね?」
「なんじゃ?見ておったのか?そうじゃ、あそこはわしの得意とする漁場じゃよ」
「はい、虹色の竿で豪快に返し抜きを決め手は、無駄のない手返しで、次から次へと入れ掛りを演じて、見ているこっちが痺れました。腕もええんでしょうけど、やっぱり、竿もええんですか?S社の最高峰ですよね?繊細なイメージやけど、あんなに豪快に扱える竿ですの?」
聞かれて旗野は少し考えたが
「あの竿は特別じゃ、特別な一振りなんじゃ」
少し意味深な素振りで言うとニヤリと笑って見せた。
「まあ、あまり、深いことは言わんが、今度ちょっと使ってみるとええじゃろ」
そういうと、旗野は手に持っていたコップ酒を煽った。
酒宴はその後しばらく続いたが話が話の途切れたところで終了となった。
最後に、美和子が鮎の塩焼きの身をほぐして、作ってくれた鮎茶漬けが最高に美味しかった。




