顔
「殺ったんは、猛ちゃうんか……あっちも、こっちも、えらいこっちゃ、」
電話の向こうは居酒屋らしき喧噪。
薫は、明け方まで聖と一緒に酒を飲んでいた。
午後から仕事。で、今(22時)また飲み屋にいるのだ。
なんてタフ。
ガサガサと静かな場所に移動の気配。
「あっちも、こっちも?」
「うん。エリカは突き落とされたかも知れない。調べて欲しいと電話があったんやて」
「へっ?……誰から?」
勤務先のファミリーレストランのパート。50代の主婦、と言う。
「夜中にベランダに男がおったと。覗いていたと、言ってたんやて」
「ベランダ?……外からは入れないんでしょ?」
「見間違いかも知れないねんけど」
エリカは強度の近視だった。目撃はコンタクトを外した裸眼時。
はっきりは見えてない。
「オバチャンは、えらい事や、警察に届けるように言うたらしい」
「届けたの?」
「それがな、ロミオかも知れないと言うたんやて」
「ロミオ(なにそれ)?」
「ロミオとジュリエットしらんか? オバチャンの比喩やろな」
ベランダに居た男は、初恋の人かも知れない。
似ていたと、エリカは言った。
片思いと思い込み、告白もしなかった。
彼も……もしかして私が好きだった?
(私が欲しくて、夜中に忍んで……そうなら、拒みはしない)
そんなニュアンスだった。
「オバチャンは、『誰であれベランダから覗くのは犯罪者や、夢みたいなこと思たらアカン。ガラス割って入ってきて殺されたら、どうするねん』と、諭した」
間もなく鈴石猛の事件が起こった。
エリカは身近に起こった殺人事件で、<夢>から醒めた。
侵入者が、初恋の人で無かったら、(初恋の人でも)とても怖い事だと、やっと分かった。また来るかもと、怯えはじめた。……殺されるかもしれないと。
「ほんで現場の再調査となった。(ベランダへの)侵入経路、侵入手段がないか再検証や。
鈴石の方は、捜査は続行中。猛はまだ重要参考人やで。現場検証で案山子のように黙って立っているだけで、検証にならんかったんやて。明白な自白が無しでは物証が要るやんか。現場は徹底的に調べている。一家の交友関係もな」
「そうか。捜査は終わってないんだ」
聖は少しほっとする。
「マユの言っていた通りだね。エリカのストーカーは存在したんだ」
「……やっぱりね」
「なんで、そうだと?」
「悪夢が怖いと泣いた、って変でしょ。問題のある人柄でも無かったようだし。切羽詰まった事情があった気がしたの」
「現実に起こった事は、軽はずみに喋れなかったんだな……初恋の人は、的場真かな?」
「桜木さんに似た大学生ね。辻褄が合うわ。会って話したのは中学卒業以来、だったわね」
「そう聞いた」
「エリカさんはずっと彼を想っていた。けど、再会して分かったのかも。この人はベランダから覗いたりしないと」
エリカは動物霊園の男を、真に似た顔だと記憶していただろう。
そして、
ベランダに<ロミオ>が出没したのは動物霊園に行った後だ。
「的場ではない。では、あの顔は動物霊園の男? と思ったのかな。一度会った男がベランダにいたらマジで怖いよな」
「泣きたくなるかも、ね」
「でもさ、的場に似ていたって、どうなんだろ。願望が事実を歪んで見せた、とか。いや、やっぱり、そんな奴は居なかったかも。可能性はあるよ。洗濯物を見間違えたとか」
「セイ、ベランダの男は現実に居たと想うわ」
「侵入不可能なのに?」
「道具を使っても不可能?」
「どう、かな。……竹林の中に、大きな木があればね。楠とか。4階まで届く大木がベランダ近くに枝を伸ばしていれば登っていける」
航空写真で確認してみる。
マンションよりずっと高く伸びた竹。
密集していて林の中は見えない。
「警察が調べているわね、きっと。殺人事件かも知れないんだから」
「そうか。……殺されたかも知れないんだ。……的場に似たストーカーに」
「似た男……あるいは本人?」
「アイツは、違うよ」
的場真の手に<人殺しの徴>は無かった。
「セイが言うなら間違い無いね。殺人犯からは、除外ね」
「ストーカーでもないだろ。ストーカーを見に動物霊園に来たんだし。……ねえ、ベランダで男を見たのは、エリカが動物霊園に行った後。それは偶然だと思う?」
「偶然では無い。そんな気がする」
マユは立ち上がり、人差し指を顎に当て、ゆっくり歩き始める。
推理が始まったのか。
「セイ、単純な理由かも」
微笑む。すぐに答えは出たようだ。
「ベランダの邪魔なプランタンが無くなったから、じゃない?」
「あ、そうか。成る程ね。大きめのプランタンなら足の置き場も無いか。けど、それって、ずっと前から覗いていたってコトだよね?……でも4階だよ。前は竹林。付近にマンションとかの高い建物はない。あのベランダが見える所は無さそうだよ」
聖は開いたままの航空写真の画像を指差す。
マユが側に来る。
細い指が、画面に触れる。
竹林をなぞり、茶色い屋根の上で止まる
鈴石猛の家、だ。
「大きな三角屋根(切妻屋根)に見えるわ。屋根裏部屋がありそうじゃない?」
「屋根裏部屋?」
ストリートビューで家の画像を出す。
壁が半分煉瓦。スペイン風のオシャレな家。
大きくて尖った屋根に、(屋根裏部屋の)小窓が、あった。
「ベランダまでの距離は10メートル位ね。
間にある竹林が邪魔して覗くのは無理かしら?」
「そうでも無いかも」
視界を妨げる竹の葉っぱは、もっと上。
2、3本竹を切れば、すっきりベランダが見えそうだ。
そんなコトが出来るのは
竹林を所有している鈴石家の誰か、なのか?
「一家3人惨殺事件と、エリカさんの転落死。なにか関係あるんじゃないかしら」
「転落が殺人でも、鈴石猛は犯人じゃ無い。捕まった後だからね。でも、エリカの部屋を覗いていたとしたら、ベランダ男は、コイツじゃないのか? 的場に全然似てないけど」
「エリカさんの部屋が見えるのは、家の構造に過ぎないわ。誰が覗いていたか、分からないわ。この家の住人とは限らないと思うの。引きこもり一家だから、訪問客も無かったかどうかなんて分からないでしょ」
家に出入りしていた中に、エリカを覗いていた人物がいるかも知れない。
3人を殺害した犯人が、この家の人間では無かったように。
「そうだね。竹槍で3人殺した奴がいるんだからね。犯行の時に初めて家の中に入ったかどうか分からないよね。何度も家に来ていたかも知れない。鈴石猛と関係のある奴、なんだから」
「鈴石猛と犯人、絆は強そうね。自分が殺したと通報したんでしょ。3人も殺したら死刑になるのにね」
「なんで犯人を庇ったんだ。自分が罪を被ってまで……否、違うか。直接手を下してないだけか」
「セイ、鈴石猛は『人殺し』じゃない、それって実行犯ではない、よね?」
「そう、だよ。俺に分かるのはそれだけ」
聖は
連行されながら、なんだか楽しげだった、
あの、あどけない顔を思い出した
鈴石猛は父と母と姉を殺してはいない。
……でも、3人の死を喜んでいる。
「セイ、現場には行けないの?」
実際に見ないと、分からない事は沢山ある。
聖は、今は事件に無関心ではいられない。
鈴石猛が人殺しでないと、薫に告げた以上、無関係では済まされない。
現場を自分の目で見たい気持ちはあった。
「行きたいんだけど……日中は捜査官が入ってるからね。
かと言って夜にウロウロしてたら野次馬か不審者だよね」
「そうよね。捜査の邪魔は出来ないわよね。大丈夫よ。警察が犯人をあぶり出してくれるわよ。カオルさんが何か言ってくるまで、セイは待機ね」
「……うん」
マユはもう事件について語らなかった。
「このSFドラマ、見れる?」
ポストアポカリプス(終末もの)ゲームがドラマ化された記事を見て言う。
「ドラマ、あるのか。知らなかった。もちろん見られるよ」
顔がほころぶ。
元のゲームは最高だった。
明け方まで全話見て、満足して
陰惨な事件、顔も知らないエリカの死は、頭の隅っこに、いってしまった。
それから1週間、薫からラインはない。
金曜の午後9時、電話が鳴ったときには、てっきり薫だと思った。
だが違った。
知らない携帯番号。
剥製の客かと思い、電話に出た。
すると
「夜分済みません。的場です。こ、この前は済みませんでした、いや有り難うございました」
と、男が一気に喋る。
「マトバさん?」
山田動物霊園であった大学生と分かるまで数秒要した。
なんで携帯電話に?
「どうしました?」
何かあった前提で聞いた。
的場の喋り方が、緊急事態を臭わせていたから。
「あの、ぶ、不気味な『顔』が、竹林に、ぶら下がって……すぐメールで画像、送ります、1回切ります」
……顔、って言った?
……何だよ、それ。
……それにメール送るって?
あ、そうか。名刺渡したっけ。
それで、携帯番号もアドレスも分かったのか。
すぐにメールが来た。
真っ暗な、なんだか分からない写真が添付。
パソコンに転送して拡大して見る。
「竹林だよな……どっかに『顔』があるの?……心霊写真かコレ」
白いボンヤリした人の顔のようなモノを探す。
「うわ……コレ? へっ、首つり死体?」
竹の枝に絡むように、顔がある。
生々しい人間の顔だ。
<顔>はひしゃげてる。
目玉が……無い。




