王子は山へ
「ソイツ、エリカに電話してきた? 家まで来た?」
テツが聞いても答えない。
しくしく泣き続ける。
黙って泣いている女子。
座はしらける。
「ゴメン、俺ら帰るわ」
男子3人が申し合わせたように、さっと席を立つ。
「おう。またな」
テツは彼らから千円札数枚受け取る。
「王子、会えて光栄やった」
去り際に、一番背の高いのがマコトの肩をひと揉み。
(そうか、コイツらバスケ部の)
マコトはやっと3人を思い出す。
バスケ部の仲良3人組だ。今でも仲良しらしい。
「うちらも電車やから」
茶髪の女子2人も、慌てた様子で財布を出し、腰を上げた。
終電の時間が迫っていると言う。
マコトは、泣いているエリカと2人になるのは
勘弁して欲しいと、テツの動向を見守る。
テツは電車で帰るのか、エリカはどうか、知らない。
2人とも相当飲んでいる。
朝まで飲む気かも……。
それとも、誰かの家で飲み直そうとか、いうのか?
面倒な展開は避けたい。
先に抜けよう、逃げよう、と決める。
飲み過ぎて気分も悪い。
さっきから
また(ちっ、ちっ)と舌打ちみたいな音が聞こえるのも嫌だ。
空耳だろうが
リアルで気味が悪い。
めちゃ安いチューハイのせいかも。
「ゴメン、俺も帰る。彼女、実家で待ってるから」
嘘を言った。
エリカを警戒した。
中学時代のモテ女。
会ってみれば……特に魅力は感じない。
どころか、よくよく見ると、しょぼい。
袖が膨らんだピンクのブラウスに、
白いフレアスカートに、
ソースか醤油の茶色い点々。
作り物の重い睫。瞼が下がっている。
生理的に無理。
男に襲われる夢の話も、胡散臭い。
酔って悩みの相談、泣いて甘えてくる……。
その次にありがちな展開は経験済みだった。
「お開きにしよ。エリカ。なんかあったら俺にラインしいや」
テツも帰りたかったのか。
「エリカは……タクシーで帰るか?」
テツに聞かれてエリカは
「歩いて帰りたい。王子と途中までいっしょやし」
と。
「え、え?」
マコトは露骨に驚いた。
家が近いなんて知らなかった。
夜道を一緒に帰るの?
母に迎えを頼もうかと、ふと思う。
いや、この女をうちの車に乗せたくない、
母にラインするのは止めにした。
「俺も一緒に行くわ。エリカと王子を2人だけにはさせへんで」
テツが、ふざけた調子で言う。
エリカに気があるのじゃない。
マコトの為について来てくれるのだと
男同士の感で分かる。
「動物霊園の男やけど、それは霊園のスタッフ?」
「そう」
「何か言われた?……今度お食事でも、とか誘われたんか?」
テツは道々エリカに聞く。
「駅まで車で迎えにきてん。
バスの本数が少なかった。約束の時間に遅れると電話入れたら、わざわざ来た。
帰りも、送ると向こうから」
「初対面で親切過ぎる奴、やってんな」
「ココアも飲まされた。丁度作ってたとか、言うて」
「1人で行ったんか?」
「そう」
「ほんで動物霊園は、他に誰も居なかったんか?
山の中で、その男と2人だけでおったんか?」
「墓地ではそう。事務所の中には女の人が居た。凄いゴージャスなオバサン」
「ゴージャスか。それは客やな」
「ベンツが停まってた。柵の中に大きな犬が居て、その横に」
エリカの話を一緒に聞きながらも、
マコトは、徐々に足早になる。
早く家に帰りたい。
坂道に入った時、クラクションを鳴らされる。
赤いワーゲン。母が迎えに来たのだ。
呼んでも無いのに、時間を見計らって「紅酒場」まで迎えに来たのか。
過保護すぎて呆れる。
母はドアを開け、「あらエリカちゃん」と言った。そして
後ろのドアを指差し、「乗って」と。
テツは「俺はすぐそこやから。……角の酒屋や」
バイバイして走り去った。
「お母さん、若かったのにねえ。
今は……1人で住んでるンやね。近いんやし困った時は来たら良いよ」
母はエリカにだけ話しかけた。
なんで?
2人は知り合い?
エリカは小さな声で「はい」と。
母はそれ以上喋らない。
また、マコトは
「ちつ、ちっ」と
妙な音が聞こえた気がする。
数分でマコトの家を通過、1つ山側の通り、4階建マンションの前で車は停まる。
「ありがとうございました」
細い声で言い、エリカはマンションへ入って行った。
「かあさん、アイツ、よお(よく)知ってるの?」
聞かないではおられない。
「お母さんと、小学校のPTA役員で一緒やった。去年亡くなりはった。脳出血。まだ若いのに」
「そう、なんだ」
近所で顔見知り。
会えば挨拶する程度の、付き合いがあって当然か。
「なんで1人暮らし?……お父さんは?」
可哀想な境遇を知って、ウザイと思ったのが後ろめたくて
本当は興味も無いのに聞いていた。
母は答えなかった。
「他人様の話やんか。それともマコト、あの子と関係あるんか?」
語尾がキツイ。
あの子はアカン、と聞こえる。
「無いよ。今までもこれからも」
「そうやろな」
母は満足げに微笑む。
言いなりみたいなのが癪で
「怖い夢の話を聞いた。知ってる男に襲われる夢を何回も見るんやて。
それって予知夢やろか?」
母が打ち切った話を蒸し返す。
タケルの夢と同じじゃ無いかと。
「知ってる男?……マコトやないやろな」
と聞いてくる。
「違う」
「それやったら、ほっとき。相手になりな。ややこしいのに関わり合っても百害あって一利無し」
で、エリカの話は終わり。
とことん息子にしか関心はないのだ。
マコトも、飲み過ぎて、気分が悪いのは、元はと言えばタケルのせいだと
そんな気がしてきた。
今夜の宴会に、行かなければ良かったかも。
いや、つまらない時間でも無かった。
盛り上がったのに、最後がウザかったのはエリカのせいだ。
エリカに釣られて行ったのも忘れて
(ややこしい女)と母に同調。
母が迎えに来てくれて良かったとも思う。
あのまま3人で歩き続けていたら
3人グループラインの流れになっていたかも。
梅が散り
桜を京都で見る頃には
マコトはタケルを思い出すことは無かった。
事件の続報はタイトルを目にしても読まずにスルーした。
エリカのことはもっと早く頭から消えていた。
同窓会ラインは通知OFFにして
よほど暇なときに流し読む。
元々、成人式の直後に活発だったくらいで
動きは少ない。
4月8日
マコトは、中華料理店に居た。
下宿先のマンションの近く。
時々1人ランチしている。
いつもより客が多く、注文した天津飯がなかなか来ない。
携帯を長く触っていて、
何気なく<同窓会ライン>を見た。
数十のメッセージ。
何かあったのか?
(お葬式も無しは可哀想過ぎる)
(3年2組呪われてるな)
(鈴石猛の呪いやな)
直近のメッセージ
誰か死んだ?
始まりはどこ?
(昨日 清水絵理加、エリカが亡くなりました。竹林の中で見付かったらしいです。ベランダから落ちた事故死です。同じマンションの人に聞きました。他に詳しいこと知ってる人、教えて下さい)
4月5日、<夏華>という女子からのメッセージだった。
「マジで?」
マコトは声に出してしまった。
周りが驚くほど大きな声に。
エリカが死んだ。
ショックの次に「紅酒場」の記憶がなまなましく再生される。
男に襲われる夢、だっけ……本当に、事故死なのか?
サスペンスドラマの中に飛び込んだようにゾクゾクしてきた。
<奈良県動物霊園>
検索を始める指が震える。
一番安い、と聞いたのもちゃんと憶えていた。
「山田動物霊園……これだな。JRのG駅からバスか。Hバス停から徒歩18分。特急乗れば3時間で行ける」
事件を追う刑事になった気分。
天津飯を食べながら、明日にでも行こうと決めた。
動物霊園の男を、どんな奴か見たいと思った。
ソイツが殺したかも。事故を偽装して。
ふとテツの顔が浮かぶ。
アイツを誘ってみようかと思う。
同窓会ラインを見たが、どれがテツか分からない。
「酒屋、言うてた。それで分かるやんか」
K市酒屋で検索し住所で特定。
<梅本酒店>に電話してみる。
テツの名字は梅本だったか憶えていない。
○○中学校の、と電話口のオバサンに言う。
「ああ、テツやね。携帯にかけて。番号言うから」
あっさり目的達成。
マコトは調子に乗ってきた。
すぐにテツに電話。
誘いに乗ると期待して。
しかし、反応は真逆だった。
「王子、やめとき。無駄足になると思う。その男が本当に居るかどうかも怪しいで。
もっと言えば、動物霊園に行ったかどうかも」
エリカの話を一番親身に聞いていたテツが
あれは作り話と疑っていた。
「夢の通り、霊園の男に襲われた可能性? ないやろ。事故でないとしたら自殺やで」
エリカは病んでいた、とも言う。
マコトには全く無かった認識だ。
高揚感が一気に萎む。
だが、あっさりテツの説得に従うのは悔しい。
「奈良に用事があるから、ついでに確認してくる。ほんの、ついでや」
電話を切った後は完全にテンションは落ちていた。
わざわざ行く程の事かと。
一旦決めたのに、簡単に翻る自分が嫌になる。
中華料理屋を出ると、地下鉄S駅へ向かった。
あれこれ考える前に、済ませてしまおうと決めた。
近鉄特急の座席は心地よく、気分が上がった。
乗り換えの、橿原神宮駅は懐かしい感じがした。
子供の時に何回か初詣にきたことを思い出す。
初めて降りたG駅。
駅前は想像していたより田舎じゃない。
ファミレスにスーパーマーケット。
おしゃれなイタリアンカフェもある。
目的は何であれ、小旅行のようで楽しい。
山へ向かうバスは乗客3人だけ。
古民家が並ぶ綺麗な町を過ぎ、吉野川を渡る。
マコトは風景を楽しんだ。
道幅が狭くなり
辺りが鬱蒼とした森となっても
初めての道は面白かった。
Hバス停で降りた、その瞬間に
寒気と不安に襲われる。
奈良の山は京都より、ずっと気温が低い。
マコトは
Tシャツに薄手のジャージのパーカー。
持ち物は携帯電話と財布だけ。
時刻は5時50分。
辺りが薄暗い。
森の陰だから。
いや日が沈みかけている。
街灯はない。
見渡すが、どこにも明かりはない。
時折通る車のライトだけが数秒だけ辺りを見せてくれる。
携帯電話の、ナビが示す道の入り口が、分かるのか?
「徒歩18分、この道を……500メートル西?……もっと先か」
マコトは道路を横断し、走った。
寒くて走った。
車で行ける場所、それなりの道路
地図では他に県道から北へ行く道は無い。
「こっちか」
目当ての道に入ったときには、辺りは真っ暗だった。
携帯電話を懐中電灯替わりに先を照らす。
「橋があった」
そこからは近い筈。
橋を渡りきると、急に犬の吠え声。
「犬が居たと、エリカが言ってたような……」
ウワン、ウワン
大きな犬が吠えている。
吠え声は……大きくなってないか?
「うう」
「うわん」
先の闇の中
目玉が四つ光って見える。
マコトは恐怖で金縛り状態。
声も出ない。
指先ひとつも動かせない。
気絶してしまいたいと目を閉じる
どこかにワープしたいと
その時、背後から、オートバイのエンジン音
同時に辺りに光。
「お出迎えか。シロ、トラ。ぶっといウインナー牧場で買ってきたで」
男が、大きな声で言っている。
オートバイは、低速度で近付きマコトの横で、止まる。
「あんた、こんな時間に、こんなとこで、何してる?」
男はマコトの腕を掴んで言う。
ヘルメットで顔は見えない。
「ど、動物霊園に、や、やまら動物霊園に」
歯の根も合わぬほど恐怖で震えていた。
ろれつが回らない。
この男こそ、霊園の男じゃないのか。
夢にまで出てきた怖い男か?
「ん? その顔……キミは悠斗の親戚か?」
「えっ……い、いや、その、自分は、す、すいません、いや、あの」
何か勘違いされている。
説明すべきなのに言葉が出てこない。
恐ろしくて失禁寸前、だった。
「後ろ、乗りや」
男は優しい声で言った。
マコトは、思考を放棄し
男の言葉に従った。