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7 初めて作った料理


 卵は可能性の象徴だ。

 生命の象徴。生誕の神秘。卵が先か鶏が先かとメビウスの輪を生む学者の命題。

 黄金の黄身と透き通る白身。加熱されることで彩りを濃くする目玉焼き。

 半熟か完熟かの議論も熱い。

 なんなら調味料の議論も小競り合いが起きるほど多岐にわたる。つまりどんな調味料にも合う可能性が満ち満ちている。

 溶き卵からのオムレツも最高だ。

 卵料理はシンプルなのに種類が多く、どれもこれも美味しくて仕方がない。


 その中でも特に舌を唸らせるのは、繊細な出汁と焼き加減で味が大きく変動するだし巻き卵だと思っている。


 味だけではない。だし巻き卵はその名の通り、綺麗に巻かれていなければオムレツになりかねない。もしかしたらスクランブルエッグになるかもしれない。

 勿論個人の好みで分かれるところだが、出汁の繊細な味を感じるだし巻き卵は、シンプルだからこそ作り手の実力がよくわかる一品だ…。


 と、ノーチェは考えている。

 そんなノーチェの前に、美しく巻かれた黄金の輝きが一切れ。


「いただきます」


 両手を合わせて挨拶し、箸を取る。

 この世界、箸もある。味噌も醤油もみりんもコンソメも充実している。米の種類も豊富で、日本食も当たり前にある。

 だから目の前のだし巻きも珍しいものではなく、一般家庭で作ることが可能だ。

 しかしこの味は、一般家庭では出せないに違いない。


 長方形の皿に綺麗に並べられただし巻き。

 期待を込めながらその一つを箸で割り、半分にする。

 一口サイズにしたものを箸で摘まみ、ゆっくり口元に運んだ。

 箸で挟んで感じるふわりと柔らかな感触。口元に運んだ時に香った出汁の香り。咀嚼した時にじゅわりと広がる旨味。


「ん~っ、でりしゃす~!」


 出汁と卵のマリアージュ。手を取り合った食材の旨味が凝縮された一品。ノーチェは前世日本人の知識が強く、やはり和に通じるものが食べたくて仕方がなくなるときがある。

 そんなとき料理長にお願いしただし巻き卵。そのときは思いつきだったが、その一切れがノーチェの好物になった。

 前世の知識ではなく、今世の好物は料理長が作っただし巻き卵である。

 シンプルながら難しい、作り手の技量が試される一品。


「これが…ノーチェの好きな食べ物」


 対面に座っているベスティの前にも、同じだし巻きが置かれている。

 いつものように遊びに来たベスティが、ノーチェの好物を知りたい。できれば食べてみたいと言ったので、料理長にお願いしてこの日のお菓子は取り止めて、だし巻きを焼いて貰ったのだ。

 個人的に、だし巻きを食べる前後に甘いものは食べたくない。出汁のお味をしっかり感じたいので本日のおやつはだし巻きのみだ。ただし物足りなく感じることはない。料理長のだし巻きは最高なのだ。

 ノーチェだけでなく、ベスティもだし巻きの味を確認するようゆっくり咀嚼している。出汁の成分をテイスティングするかのような味わい方だ。


「だし巻きはね、とても難しいのよ。なんちゃってだし巻きなら簡単に作れるけれど、職人の作るだし巻きには敵わないの。出汁と卵の配分だけじゃなくて焼き加減も重要よ。熱を加えすぎるとパサパサしちゃうから、このじゅわっと感がなくなっちゃうの」

「難しい料理なんだな。こんなにシンプルなのに…」

「シンプルだからこそ誤魔化しが利かないのよ。このだし巻きからわかることはただ一つ…うちの料理長は最高なのよ!」


 胸を張って得意げに言い切るノーチェを、使用人達は微笑ましく見守っていた。

 あとで料理長に教えてやろう。お嬢様からのお褒めの言葉を教えてやるとアイツ賄い豪華にしてくれるんだ。

 使用人達は無言で同じことを考えた。誰だって美味しい物が食べたいので。


 ベスティは真剣な目でノーチェの言葉を聞き、難しい顔で頷いた。


「実は俺、厨房に入ってみたんだ」

「え!」

「オムレツ作ってみた」

「ええ! すごい!」

「いや、あっという間に焦がした…」

「ああ! 火加減!」

「そう。火の調整とか知らなくて、すぐ…鍋に貼り付くし、全然うまくできなかった」


 多分それ油引いてないのね。

 初心者あるあるを聞いて、ノーチェはうんうん頷いた。わかる。とにかく強火で焼けばいいと思っちゃうの。


 ちなみに食いしん坊のノーチェは厨房に立ったことはない。入ったことはあるが、実際に包丁を握ったこともない。

 興味はあるが厨房スタッフの仕事を邪魔するわけには行かないし、ノーチェは自他共に認める不器用さんだった。

 絶対指を切る。

 周囲もだが、自分でもそう思ったので挑戦していない。ノーチェはお嬢様なので、流血沙汰になったら大惨事だ。

 ちなみに前世でもスーパーのお惣菜に大変お世話になった記憶がある。食べるのは大好きだったが、自分では作れないからこそ余計に映えるお菓子や料理が大好きだった。


 だからノーチェはベスティが焦がしながらもオムレツに挑戦した事実がとても勇敢に思えた。


「ベスティ、すごいわ…私、火の点け方も知らない…」


 焦がしたからなんだ。火を点けられただけでも素晴らしい。

 尊敬の眼差しを受けたベスティは、「でも失敗したし」といって視線を彷徨わせている。


「勝手に厨房使ったからたくさん怒られた。怒られたけど、作り方教えてくれたんだ。だから次は、もっと上手くできると思う」

「まあ! よかった。楽しみ!」

「そんなに楽しみ?」

「だってベスティが美味しい物を作れるようになるって、すごいわくわくするの!」


 本来なら、伯爵家嫡男のベスティは厨房に入るような立場の人間ではない。

 勝手に使って叱られたようだが、その後オムレツの作り方を教わったというし、伯爵はベスティが厨房に立つのを許したということだ。それなら何も気にせず、ベスティは興味のあることに取り組めばいい。


「ベスティが作ったオムレツ、私も食べたいの。上手にできたら、一緒にピクニックへ行こう! オムレツをお弁当にするの!」

「…うん。ノーチェが美味しいって言うくらいの、作る」

「きゃあ! 楽しみ~」


 ノーチェは純粋にきゃっきゃと喜んだ。

 ベスティは嬉しそうに、しかし真剣に頷いた。


 ちなみにノーチェは多少失敗作でも味わうつもりだった。失敗から成功の過程を存分に味わいたかった。

 しかし成功作しかノーチェに食べさせたくないベスティは彼が納得するまでの年月、一切手作りの品を持ってくることはなかった。



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