5 美味しいけど駄目なもの
「ベスティ、それは食べちゃ駄目よ」
「え?」
「それ、ブランデーが入っているの」
使用人にお願いして出来上がったデザートプレート。ノーチェの分と、ベスティの分。
ベスティの皿に載っている、テーブルに見当たらないパウンドケーキが一切れ。あれ? と思って覗き込めば、ノーチェの鼻腔を擽るブランデーの香り。
(七歳の私達にはちょっと早いの)
美味しいだろうけど、子供の舌には適していない。
でも勿体ないので、ベスティのデザートプレートを持ってテラスに向かった。大人達がお茶会をしている所によちよち近付く。ベスティも慌ててついてきた。
よちよち歩いてくるノーチェとベスティに気付いた大人が、不思議そうに視線を向けてくる。
ノーチェはお母様を探したが、見つける前に目の前にダンディなおじさまがしゃがみ込んだ。
「どうしたんだいベスティ、ノーチェちゃん。何かあったのかい」
「父上」
「伯爵様」
一年、ベスティと顔を合わせたのだ。その親とも顔を合わせる。
ベスティは基本的に伯爵夫人と集まりに出てくるけれど、夫婦で参加することもあった。だからノーチェもベスティの両親を覚えている。ご挨拶したことだってある。
ここは伯爵邸だから、当主の彼がいてもおかしくない。
でもって当主なので、子供のデザートコーナーにブランデー入りのお菓子が交ざっていたことをそっとお伝えするには最適な相手だと思った。
お母様にこっそり伝えて、お母様から伯爵夫人にそれとなく知らせて貰おうと思っていたけれど、当主自ら声を掛けてくれたのだからここで伝えてしまおう。
ノーチェは抱えたデザートプレートを伯爵に差し出した。
「あちらに、大人の食べ物が交ざっていたので、お知らせに来たのです」
「大人の食べ物?」
「お父様が好きなブランデーと同じ匂いがしました。これは、子供には早いのです」
お酒に興味を持つノーチェに「子供にはまだ早い」といってブランデーを遠ざけたお父様。その通りなので深追いはしなかったが、ブランデーの香りはしっかり覚えている。前世と変わらぬ芳醇な香りだった。
ちなみにノーチェはこっそり伝えているつもりだが、子供が大人の集まりに近付けば目立つ。さらに子供の声は、潜めていてもよく通る。
差し出されたお菓子を見て、匂いを嗅ぎ取った伯爵の視線が一瞬だけ鋭くなる。しかしノーチェが不思議に思う前に、プレートは伯爵に回収された。
「教えてくれてありがとう。他の子は食べていないかな?」
「ベスティのお皿にだけ載っていたので、食べてないのです。きっと一つだけ交ざっちゃったのです」
「そうか…ありがとう。他の子が食べていたら大変だった」
「そうですね。お酒は、子供には早いのです」
「ふっ、そうだね」
何故か笑われた。子供が大人ぶっているように見えたらしい。
伯爵は不安そうにしているベスティの頭を軽く撫ぜて、二人に戻るよう告げた。役目を終えたノーチェは素直に、ベスティは何か気になるのかチラチラ振り返りながら中庭に戻った。
「…ノーチェ、あれ、本当にお酒?」
「お酒なのよ。匂いがお酒だったの。子供が食べたらうえってなっちゃう」
大人でも人によってはむせるほど濃い匂いだった。耐性のない、味覚が敏感な子供が口にしたら吐き出してしまうかもしれない。
そうなる前に気付けてよかった。子供はおかしいと思っても好奇心で何でも口に入れてしまうのだ。あのままベスティが食べていたら、彼はとんだ醜態をさらすことになっただろう。
ふと、ベスティの足が止まっていることに気付いた。
振り返ると、ベスティは短いズボンの裾を握りしめ、涙目で俯いている。
ノーチェはびっくりした。
「べ、ベスティ…そんなにケーキが食べたかったの?」
「ち、ちがう…」
弱々しく首を振られたが、涙目のベスティを見てそれ以外思いつかなかった。
ノーチェは慌てて中庭に駆け戻り、よいしょとクッキーをプレートに載せて急いでベスティの元へ戻った。涙目でぷるぷる震えるベスティにクッキーを差し出す。他のお菓子はフォークを必要とするので、つまめるクッキーを選んだ。
「ケーキは残念だったけど、お菓子は他にもあるの! ベスティのお家はね、クッキーが絶品だと思うの。ジャムが載ったものは種類が豊富で退屈しないの。ほら、一緒に食べ比べしましょう!」
「別に、ケーキが食べられなかったのを、残念がっているわけじゃない…」
「でも何か哀しいのでしょ? なら美味しい物を食べなくちゃ」
「そんな…気分じゃない…」
「ええ…どうしましょう…」
自分の機嫌は食べて回復するタイプのノーチェは、食欲がないと訴えるベスティに戸惑った。ノーチェは美味しい物を食べて回復するが、ベスティは違うらしい。ぷるぷる震えるベスティを前に、ノーチェはオロオロした。ノーチェは自分のご機嫌の取り方しかわからない。千差万別ある他人の機嫌の取り方など、正解がなくてわからない。
わからなくて暫くベスティの前でオロオロして…。
「えーとえーと…えいっ!」
「!?」
やっぱり食べさせることしか思いつかなくて、ノーチェはベスティの小さな口にクッキーを突っ込んだ。ベスティは涙の溜まった黒い目を見開いて、間を置いてからさく、と咀嚼する。
咀嚼しながら、ベスティの目元からポロリと涙がこぼれた。
「ああ! 無理矢理は駄目だった!? ひゃあ! ごめんなさい!」
「さくさくさく…」
「えーとえーと、泣かないで? あのね、こっちは多分イチゴなの。ベスティはイチゴ好きよね。こっちも美味しいのよ」
「さくさくさく…」
「えーとえーと、サクランボも美味しいの。全部美味しいのよ。本当よ。ベスティのお家のお菓子、全部美味しいのよ」
「さくさくさく…」
オロオロしながらわんこそばのようにベスティの口にクッキーを詰め込むノーチェ。
ぽろぽろ泣きながらクッキーを咀嚼するベスティ。
見かねた使用人がジュースを片手にノーチェを止めるまでわんこそば的クッキーの配給は続いた。




