10 強気の挑戦だって必要
ガラガラ回る車輪の音を聞きながら、ノーチェは困惑していた。
馬車の空気は重く、静寂がのしかかるように落ちている。
ノーチェの隣には得意げに扇を揺らすお姉様。
そして二人の対面には、大変珍しいことに頬を膨らませ、菓子の入った白い箱を奪われまいと膝に乗せて匿う、オルカの姿があった。
馬車は、ベイアー伯爵家へと向かっている。
(どうしてこうなったの…?)
時は少し遡る。
子爵家を訪れたオルカを出迎えたのはのんびり者の妹ではなく、オルカにとって犬猿の仲とも言えるお姉様の方だった。
彼女はいつもノーチェがお土産に持たせてくれる白い箱を抱え、ずんずん馬車から降りたばかりのオルカに近付いてきた。よく見れば、その背後からノーチェが不思議そうな顔でついてきている。
この時点でオルカは大変いやな予感がした。
ノーチェは何もわかっていなかった。
お姉様は白い箱の蓋を開け、オルカに中身がわかるよう下に傾けた。
お姉様は小柄なノーチェと違ってすらりと背が高い。オルカはまだ成長途中でお姉様より背が低い。仕方のないことだが、オルカは彼女から見下されるのが大変気に食わなかった。
ノーチェは小柄で身長差もあまり気にならないが、お姉様は二十歳。差があって当然だった。でもってお姉様はわざわざ屈んで身長を合わせるような優しさをオルカに見せたことはない。
気に食わないが、箱の中身は無視できない。
そこに並んでいたのはオルカの大好物、ドーナツだったのだ。それも今流行りの【デコレーションドーナツ】だ。
【デコレーションドーナツ】はその名の通り、シンプルなドーナツをチョコや木の実でデコレーションしたドーナツのことだ。
チョコの種類も豊富で彩り豊か。デコレーションはカラフルスプレーだけでなくチョコペンや生クリームも使って多種多様。子爵家の厨房スタッフが作ったと思われるそれらはポップでキュートなパステルカラーの目立つドーナツだった。
ドーナツは懐紙で包んで持ち、かぶりつくことが許されている。子供が食べやすいお手軽なお菓子。
お姉様はイチゴ味と思われるピンク色のチョコレートでコーティングされ、カラフルスプレーで鮮やかになったドーナツを箱から出してオルカ様の前でこれ見よがしにかぶりついた。
ドーナツが大好物。更にベスティ同様イチゴも大好きなオルカは珍しく、わかりやすくショックを受けた顔でお姉様を見上げた。
貴族が立ち食いなど大変行儀が悪いのだが、お姉様は庶民のお祭り経験者。出店で買ったものはその辺で立ったまま食べるらしい。祭りでは購入してすぐの出来たてを食べる楽しみ方があると、ノーチェは教えて貰った。
歩きながら食べるのは危ないが、立ち食いに忌避感はない。お姉様はあっさりやってのけた。
「流石私の可愛い妹。いつもアイデアが冴えているわ。【どうぶつさんしりーず】も子供達だけじゃなくて若いご婦人に大人気。手軽に食べられるから売れ行きも最高よ」
「それは、その白い箱はお姉様が僕のために用意してくださったドーナツです。返してくださいアルディーヤ子爵令嬢!」
「おほほいつ誰がそんなことを? 用意したのは妹ですけれどあなたにとは一言も言っていなくてよ。ええ、用意したのは妹ですのでもしかしたらあなた好みに合わせてラインナップされているかもしれませんがあなたへとは一言も、言っておりませんわぁ」
「お、大人気ないですよアルディーヤ子爵令嬢! そのドーナツは、ドーナツは、庶民にも人気で購入するのに二時間はかかる上に午前中で売り切れると有名で…!」
「我が家は本場ですからいつでも食べられますのよ。あー美味しい。全部ペロリと食べてしまいそう」
「アルディーヤ子爵令嬢…!」
「おほほ、さあ! ノーチェ発案【デコレーションドーナツ】が食べたければ、馬車を明け渡しなさい!」
「く…っ卑怯な!」
なぁにこれぇ。
追いついたノーチェは二人のやりとりをきょとんと見つめることしかできなかった。
その後観念したオルカが馬車の使用権を姉に譲り、交渉成立とばかりに【デコレーションドーナツ】を手に入れた。奪われて堪るものかと膝に抱え、主にお姉様を警戒している。
そこまで気に入って頂けたのは嬉しいことだが、大袈裟だ。子爵家ではいつでも作れるし、お店でも売られている。まさかこれで馬車ジャックが成功するとは思ってもみなかった。
そもそも何故馬車ジャック。
戸惑うノーチェに気付いたお姉様は、得意げに言い放った。
「伯爵家の小僧に会いたいんでしょう? 会いに来ないなら会いに行けば良いのよ」
「でもお姉様、オルカ様を虐めなくても、お父様にお願いしたら伯爵家へ行けたと思うの」
「甘いわね。デコレーションドーナツ、チョコレートとクリーム嵩増し砂糖掛け並みに甘いわ」
そんなに?
「お父様はノーチェが大好きだけど、ノーチェの安全も考えているから伯爵家へは連れて行けないの」
「確かにいつも、ベスティには来て貰ってばかりだったけれど…どうして伯爵家が危険なの?」
安全を考えて連れて行けないと言われては、伯爵家が危険だと言っているような物だ。
「危険なんです。お姉様には危険です」
「オルカ様」
伯爵家の人間であるオルカにまで肯定されて、ノーチェは戸惑った。
だって過去に何度か、子供達の集まりで伯爵家へお邪魔したことがあるが、危険な目に遭ったことなどない。それもだいぶ昔の記憶だが、一体何が起きているのか。
「せっかく僕が間に入ってご機嫌伺いして、話を聞いてくれるまでになったのに…もう少し待てなかったんですかアルディーヤ子爵令嬢」
「あら充分待ったじゃない。それなのに二進も三進もいっていないのはそっちの方でしょ。こういうのは時間をかければかけるほど拗れるし、ノーチェを蚊帳の外にするのも反対なの。可愛い妹が理由もわからず寂しい思いをするなんて、妹思いの姉として看過できないわ」
「父様からの許可は」
「お父様が交渉したわ。そっちは心配しなくていいの。大袈裟にしないために私が来たのよ」
「充分大袈裟ですよ。それなら普通に来てください。こんな、強盗のような真似をして…」
「理由をつけて逃げられないように対処したの。アンタも一緒に来なさいよ、ベイアー伯爵令息様。抱っこしてあげるわ」
「やめてください叫びますよ」
「叫びなさいよ。ママ助けてって叫べばいいわ」
「お姉様、この人本当にお姉様と血が繋がっているんですか!」
「お姉様は私のお姉様で間違いないのよ?」
「おほほほほ」
お姉様の高笑いが馬車に響いた。




