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私たちだけの卒業式

作者: 結城 刹那


 1


 ノートに走らせたペンを止めると、無音の静寂が自室を包み込む。

 平日朝の時間帯は家の前を通る車はなく、外からも一切音が聞こえない。

 まるで私一人がこの世界に取り残されたみたいだった。もしそうなってくれるならどんなに有難いことだろう。だって、志望校の繰り上げ合格があるかもしれないから。


 次の問題に頭を悩ませつつ、チラッと置き時計に目をやる。

 10時30分を示す時間の下に記載された3月8日が嫌でも視界に入ってくる。その数字を見て、私は深くため息をついた。


 今日は高校の卒業式。本当なら今頃、私も参加していたことだろう。

 でも、それは叶わない。叶えたくないというのが正しい言葉かもしれない。知り合いがみんな高校を卒業して大学に入学する中、私だけ高校を卒業しても何もないという事実を受け入れるのが嫌だった。


 先月行われた国公立大学前期試験に落ちて、晴れて私は浪人生となった。

 教育熱心な親の元に生まれた私は県内で一番偏差値の高い大学以外の進路を断たれてしまっているのだ。その大学は後期試験がないため、もう浪人の道しか残されていない。


 パンッ、パンッと邪念を祓うように手で頬を叩く。止まったペンを走らせて、頭に浮かんだ考えをノートに書き殴っていく。


「ピンポーンッ!」


 ひたすら問題を解いていると、自宅のインターホンが鳴った。

 再び時計を見ると11時30分を示していた。こんな時間に誰だろうかと椅子から立ち上がり、部屋を出て階段を降りていった。階段からはインターホンよりも玄関の方が近いため直行。靴を履いて勢いよくドアを開けた。


「げっ……」


 門扉の前に佇む見知った顔に対して、眉間にシワを寄せる。

 アップバングのショートヘアに、毎日ケアしているのかと思うほどのきめ細やかな肌。私よりも頭二個分大きな身長の彼、悠凪ゆうなぎ まことは憎たらしいほど燦々とした表情で私に手を振る。


 手には卒業証書を入れる筒が握られていた。胸の辺りを見るとコサージュが付けられている。性格的に抜けているところがあるからか、コサージュをつける方向を間違えており、葉が上を向いている。


「何か用?」

「香恋が学校に忘れていったもの持ってきたよ」

「何も置いてきてないでしょ。前日までに全部家に持って帰っておいたから」

「流石はきっちりしているよね」


 そういう誠は最後の最後まで置き勉をしていたようで、大量の荷物を抱えている。重い荷物を抱えて歩くのは辛いだろうに私のところまで来てくれるとは面倒見のいいやつだ。まあ、自業自得か。


「でも、一つだけ忘れ物があります。これだよ!」


 そう言って、手に持っていた筒をもう一度振る。

 どうやら、あの卒業証書は私のものみたいだ。


「いらないから、誠にあげる」

「えー、俺の分はもうあるよ」

「それは学校からのでしょ。なら、手に持ってるそれは私からの。私たちの関係に対してのね」


 私は持っていたドアノブを引っ張り、勢いよく扉を閉じた。

「それは困るよ!」という誠の声が聞こえてきたが、無視して鍵をかける。その後も色々とガヤガヤ言っていたが、私は聞き入れることなく自室へと戻っていった。


 卒業式を機に私は再スタートする。合格するまでは全てと縁を切る。

 そうでもしないと自分を許せないのだ。約束を破った自分自身の存在を。


 ****


 私の強い決意はすぐに打ち破られることとなった。


「悠凪くん、ちょっと来てもらっていいかな?」


 予備校に入った私は初日に校長と軽い面談をした。面談を終えたところで、彼から担当するチューターを紹介してもらうこととなったのだが。


「げっ……」


 苗字からイヤな予感がしたが、私の予想どおり校長に呼ばれたのは誠だった。卒業式の日に会ったとき同様、燦々とした笑顔を向けて私のところへとやってくる。


「柊くんの目指す大学、それも同じ学部に通う学生がいてね。彼に担当してもらった方が色々と教えてもらえていいだろうと思ってね。悠凪くん、挨拶を」

「この度、柊さんの担当をさせていただくことになりました悠凪 誠です。よろしく」

「そんなかしこまった言葉遣いしなくていいから」

「へへへっ」


 誠は照れるように頭を掻く。校長は私たち2人のやりとりを見ながら私の個人情報が書かれた資料を手に取る。


「もしかして、2人とも同じ高校だったかな?」

「はい。香恋とは2、3年の時に同じクラスだったんです」

「なるほど。なら心配なさそうだね。悠凪くん、講義の仕方や受験に向けてのスケジュールについて説明をお願いしてもいいかな?」

「了解でーす」


 校長は「これからよろしくね」と一言置いて足早に立ち去っていった。たくさんの生徒を抱えているためか非常に忙しそうだ。


「まさか香恋がこの予備校に来るとはね」

「両親に塾から予備校に変えたらって提案を受けたの。私も場所を変えたいと思って否定しなかったから流れに任せて予備校に移ったの」

「確かに、香恋の場合は指導形式よりも講義形式の方が合うもんね。授業中も先生の話を聞かず、黙々と自習している感じだったし」

「うん。それにしても、まさか誠がチューターとは。給料がいいから選んだでしょ」

「バレた? でもまあ、勉強嫌いじゃないから性に合ってるんだよね。それに香恋の担当を任されたのがすごく嬉しい。よしっ。俺が絶対に香恋を合格に導いてやるからな」

「オンデマンド授業だから、あんたに出番はないわよ。せいぜい躓いたところを聞くくらい」


 私としては誠が担当と聞かされて嬉しさと悲しさは五分五分ってところだ。

 校長の言ったとおり、自分の目指す大学の学部生、それもまだ入学して間もないというのであれば、彼を再現すれば合格する可能性は高くなる。


 ただ、相手が交流の深い親友であるのが傷だ。

 誠のことだ。きっと楽しいキャンパスライフを私に聞かせてくれるだろう。私は彼の話を聞きながら厳しい受験戦争をしなければいけない。それは苦痛以外の何者でもない。


 でも、今更引き返すことはできない。

 デメリットしかないわけではないのだ。自分なりに誠がいるメリットを上手く活かせるように接すれば良いだけの話。


「じゃあ早速、今後のスケジュールについて話そうか」

「はい、よろしくお願いします」

「そんなかしこまった言葉遣いしなくていいのに。これじゃあ、さっきと逆だよ」


 こうして私の第2の受験勉強がスタートした。


 2


 共通テスト1、2ヶ月前までは二次試験対策の勉強をするのが主流だ。

 難易度の高い問題をただひたすら解き続け、問題のパターンを覚えられるかが勝負の鍵。大学の入試試験は他の大学の入試試験で出題された問題をアレンジして取り入れることがある。だから自分の志望している大学よりも偏差値の高い大学の過去問も解いていく。


「こんにちは〜」


 高校が夏休みに入るまでは予備校の開校時間は昼からだ。

 朝に問題集をひたすら解き、午後一番に予備校に行って講義を受ける。それが私の日課だった。


「こんにちは。流石は香恋、今日も早いね」


 受付に行くと誠が私へと挨拶をする。予備校生証をカードリーダーにかざす。入室と退室の際には、これをすることを義務付けられている。なんでも出席数を把握するためだとか。


「誠も早いね。大学生って案外暇なんだ」


 私は皮肉を込めて言う。誠は担当である火、金、日は毎日のように開校から私が帰る時間まで受付に座っている。あまりにも長居しているからか担当の生徒以外にも勉強を教えていた。整った顔をしているため女性人気が高い。昼休憩でランチを食べていると、誠の噂をする女性たちの話をよく耳にする。


「まあね。火、金は比較的講義が少ないから」

「あっそ」

「そういえば、模試の結果見たけどすごい良かったよ。香恋の志望校を第一志望にしている予備校生たちのうち3位。申し分ない結果だね」


 予備校では共通テスト前まで2ヶ月おきに共通テスト形式の模試が開催される。

 二次試験対策の勉強を行っている時は、共通テストの勉強は模試を復習するという形で行っていく。6月に開催された模試の結果は数学と生物が9割、それ以外が8割だった。6月開催だからか本番よりも難易度は低かったので、まずまずの結果と見ていいだろう。


 この調子をキープすることができれば、合格ラインに入ることができるだろう。

 だが、浪人生には越えなければいけない壁がある。それが『2・6・2』の法則。浪人生のうち成績が上がるのは2割、成績が変わらないのは6割、成績が下がるのは2割になると言われている。


 現役時代に猛勉強しても志望校に受かることができなかった私は、上の2割に入るにはかなりの苦難を強いられるはずだ。でも、合格するためには上の2割に入る必要が出てくる。なんとしてでも入るしかないのだ。


「浮かれてばかりはいられない。現役生は夏休み終わりから成績を上げてくるだろうから」

「そうだね。今から模試について面談しても良い? 得点分布も出ているから香恋の得意不得意をチェックして、そこから今後のスケジュールを組み立てていこう」


 誠は棚に置かれた私のファイルをすぐに取り出し、受付横のカウンターに置く。

 抜けているところはあるが、彼は真面目にチューターの仕事に取り組んでいた。担当している生徒全員のファイルの場所を暗記しているかと思うくらい行動が早かったのだ。


「よろしくお願いします」


 私は担当である誠に敬意を表する形で、面談に臨んだ。


 ****


 夏休みになると現役生を交えた大勢の生徒が予備校へ来ていた。

 今まで暗黙のルールのように一席ずつ開けて座っていた席は、そのルールを破らざる終えないかの如く隙間なく埋め尽くされていた。中には、席を取ることができず、仕方なく自習室を使って勉強する子もいた。


 開校と同時に来ていた私は意気揚々とお気に入りの1番端の席で受講をしていた。両方を人で挟まれることがないので、勉強がしやすいのだ。夏になった頃には一通り全ての受講を終え、2周目に入っていた。最初に問題を解き、分からなかったところだけを再生して再受講する。


 12時を告げるチャイムが流れると、受講室に漂っていた緊張感が途切れ、ほんわかとした空気が流れる。私は予めコンビニで買っておいたサンドウィッチとカフェオレを手に取り、受講室を出ると休憩室に足を運んだ。


 3つの椅子に囲まれた丸いテーブルが数セット乱雑に並べられており、その中の一つを使用する。勉強に集中するためにオフにしていたスマホの電源を入れる。画面が現れると同時にオフにしていた間に届いた通知が一気に流れる。


 その中に、高校時代のグループに送られてきたメッセージがあった。

 どうやら県外に出ていた同級生が帰郷したようで、遊んでくれる人を募集する旨のメッセージを送っていた。


 久々に帰ってきて懐かしい気持ちになったのはわかるが、キャンパスライフを楽しんでいる人だけじゃないことに気を遣って欲しい限りだ。私はメッセージに応答することなく再びスマホの電源を落とした。


「かーれん、横に座っていい?」


 スマホをポケットにしまおうとすると横から声をかけられる。見ると誠の姿があった。彼は私の返事を待たずして空いてる席に座る。休憩室の電子レンジで温めた弁当を置き、両手を合わせて「いただきます」と言う。


「まだ承諾してないんだけど?」

「気にしない、気にしない」

「はぁ〜、それで何の用?」

「特にこれといって用はないよ。久々に2人でいるのもアリかと思ってね」

「ついこの間、2人で話したでしょ?」

「それはチューターと生徒の関係、これは高校時代の俺たちの関係さ」

「……好きにすれば」


 私としては気の乗らない限りだが、それを言っても誠は聞いてくれないだろう。とっととランチを食べて自分の席に戻ろう。私は目の前に置かれたサンドウィッチの袋を開ける。


「そういえば高校時代のクラスチャットにメッセージ飛んで来てたの知ってる?」

「さっき見た。本当に嫌になっちゃうよね。人が頑張ってるっていうのに、あんな大学生を見せつけるかのような文章送って。身内だけでやれっての」

「はははっ。確かに香恋の言うとおりかもしれないね。俺もあれはないなって思った」


 自分を棚にあげてよく言ったものだ。私の志望校に受かったやつが目の前にいる状況が1番ないなと思ってしまう。おこがましいため声に出すことはしないが。


「誠はどうなのよ。夏休みは大学の友達とどっか行ったりしないの?」

「俺は特に何もないな。夏休みはただただバイトしてお金を貯めようかと思って」

「そっ。何か欲しいものでもあるの?」

「うーん、内緒。合格したら教えてあげる」

「うわ……面倒くせぇ」

「はははっ。香恋は合格したら何かしたいことある?」

「そんなこと知らないわよ。今はただただ受かるために勉強するだけ」

「真面目だね。そうだ。今のうちにこれあげておくよ」


 誠はそう言うと自分のバッグから一冊の参考書を取り出した。現役時代に彼が使っていた参考書だ。表面が綺麗なため新しく買ったのだと思われる。


「こんなんにお金使っていいの?」

「こんなんだからだよ。俺だって香恋には合格して欲しいと思っているんだ。チューターとして、同じクラスだったものとしてね」

「ふーん、ありがとう」

「というわけで、俺は先に戻るね。この後、難関大の入試問題の解説をしないといけないから一度解いておこうと思って」

「はいはい。とっとと行きな」


 あしらうように手を前後に振る。誠は私にハニカムとゴミ箱に弁当容器を入れて、休憩室を後にする。取り残された私は彼がプレゼントしてくれた参考書を見ていた。高校時代に彼が使っていたため逆張りして使わなかった参考書。


 これで勉強すれば、私も誠と一緒になれるだろうか。

 こう言うところがあるから、私は彼を嫌いになろうと思っても、嫌いになれない。

 サンドウィッチを食べ終え、同じゴミ箱に入れると私もまた参考書を胸に抱えて休憩室を去った。


 ****


 順調そのものだった受験勉強だが、秋の半ばを迎えたあたりで私は一つの壁に当たった。

 

「前回よりも成績が落ちてしまったね」


 向かい側に座る誠が重い雰囲気で話し始める。カウンターを挟んでの会話。私たちの間には10月に行われた模試の結果が置かれていた。二次試験を意識して作られた記述テスト。そこで私の成績は合格ギリギリのラインだった。


 これだけ見ればそんなに落ち込むことはない。

 しかし、夏頃に行われた同じ模試では私は合格圏内上位という余裕を持った成績だった。それがここ2ヶ月間で合格ギリギリになったのだ。


 理由は明白。夏を経ての現役生の飛躍的成績の向上。それから私の成績衰退。

 2回目の受験に対するプレッシャーは相当なものだった。良い結果が残せなければ、また地獄の日々を繰り返さなければならないという不安に気を取られて思うように解くことができなかった。


 本番まで残り4ヶ月。共通テストの勉強があるため二次の勉強は実質2ヶ月くらいだろう。それまでに悪い部分を克服して、成績の衰退を防がなければならない。


「でも、前の模試で悪かったところはちゃんとできている。この調子で克服していこう」


 誠は私を勇気づけるように励ましてくれた。

 だが、問題はそこではない。そして、それは誠も気付いているはずだ。そこに目を背けたことが私としては許し難かった。


「なにが『克服していこう』よ。今回成績が悪かった場所は前回まで成績が良かった場所なの。こんなのどれだけ頑張ってもキリがないじゃない」


 まるで老朽化した排水溝のように水漏れを修復していたら、別のところで水漏れが発生するみたいな感覚だった。修復しても修復してもこぼれていく記憶という名の水に、どう対処して良いか分からなかった。


「キリはあるよ。全て克服してしまえば、いつかは必ず良い結果を残せる」

「いつかっていつよ。残り4ヶ月だよ。もし、今年勉強したところをまた取りこぼしたら一生かけても克服できないじゃない」


 表面張力の限界まで注がれた感情の容器に、大きな不安が侵食して溢れていく。溢れ出る感情が抑えきれず、呼吸が乱れていくのを感じた。


「大体、あんたが私にくれた参考書が悪いの。あれで勉強していたから成績が落ちたんだ」


 当たりたくないものに当たってしまう。自分のせいにしてしまっては気持ちが保たないと思ったのだ。誠は私を哀しげな目で見つめる。それが私を一層苛立たせた。


「高みの見物のつもり。一緒に頑張って受かろうって約束して、あんただけ受かって。待ってるみたいな風を装って私を蔑んでいるんでしょ!」


 荒れ狂う自分の中で俯瞰している自分がいる。私は最低な人間だ。人の善意を悪意だと決めつけて八つ当たりしている。こんなことしてなにになるんだって話なのに。


「あんたよりも私の方がずっとずっと強い思いで頑張ってきたんだ。それを『私が受けるなら、俺も受ける』っていう軽い気持ちで受けて、受かって。得意げに私を応援するなんて言って。ほんとーに、最低!!」


 最後の最後に頭に浮かんだ最悪な言葉。頭ではどうにかして押さえ込みたかった。一時の感情に任せて発してはいけない言葉だったのだ。でも、抑えきれない思いの揺れが、感情の海を波立たせ、容器から溢れさせる。


「あんたなんかと『恋人』にならなければ良かった……」


 私はそう言って目尻に溜まった涙を流すと、なにも持たぬまま勢いに任せて受講室から出ていった。


 3


 高校1年生の時に誠の存在を知った。

 中学校の頃に学級委員を務めており、その名残から高校でも学級委員を務めることとなった。高校では毎月学級委員会が開かれ、そこに他クラスで学級委員を務めていた誠がいた。


 誠の印象はフットワークの軽い気遣い上手といった感じだ。何でも器用にこなし、周りがよく見えていて困っている人がいるとすぐに助けてくれる。私は彼とは真逆で、よく言えば真面目だが、悪く言えば頑固。不器用なのに多くの仕事をこなそうとしてパンク。それでいて頼り下手なのでいつも困っていた。


「柊さん、今日からよろしくね」


 高校2年生で私たちは同じクラスになり、当然のように2人とも学級委員になった。

 委員が決められてすぐに開催された委員会で、私たちは深く交流することとなった。2人で学級委員が集まる教室に行く最中に軽い挨拶を交わした。


「私の名前、よく覚えていたね」

「いやいや、流石に自分と一緒の委員の名前は覚えるよ。それに去年も一緒だったでしょ。逆に俺のことは覚えている?」

「……せい?」

「多分、下の名前の事言ってるんだろうけど違うね。まことだよ」

「ごめん。ちょうどその時、漢字テストで『誠実』が出てたから『せい』で覚えてた。でも、去年も同じ学級委員だったのは覚えているよ!」


 誤解を解くために慌ててフォローする。名前を覚えるのが苦手なだけで、生徒自体のことはよく知っているのだ。私の弁明に誠は驚くような素振りを見せると少しして破顔し、盛大に笑った。


「はははっ。柊さんって面白いね。じゃあ、改めて自己紹介しようか。俺は悠凪 誠。趣味はこれと言ってないけど、基本的に何でも手をつける。今はサバゲーにハマってる。取り上げていうことはないけど、クラスの友達からは明るくて馴染みやすい性格って言われるかな」

「それは何となく見れば分かる。私は柊 香恋。趣味は知らない所に行くこと。大学に入ったら海外旅行に行きたいと思ってる。クラスの友達には真面目って言われる」

「あー、柊さんも見れば分かる。真面目というよりは頑固だよね?」

「なにをー!」


 図星を突かれたため大きな声を出してしまう。誠は「ごめんごめん」と両手を合わせて謝罪した。彼の友達が言うように、誠は陽気で馴染みやすい生徒だった。私たちはそれからも2人で軽い雑談をしながら教室へと向かった。


 ****


 学級委員は『体育祭の競技決め』や『文化祭での出し物決め』などイベント毎に定期的に仕事が発生する。委員会も毎月開かれるため、私は誠といることが多かった。男子の中でならダントツだろう。


「なあなあ、クラスで俺たちが付き合っているって噂が流れているらしいぜ」


 ある日の授業後。文化祭の出し物が決まり、スケジュールを2人で立てていると誠が不意にそんなことを口走った。噂が流れているとは言っても、私のところには届いていない。だから私は本人から聞かされて少しばかり胸が高鳴った。


「へー、それで?」

「いや……柊はどう思ってるのかなと思って。俺と恋人って嫌だったりする?」

「どう思うも私はそんなこと知らなかったんだけど」

「まじ?」


 私はジーっと誠を見る。彼は気まずいようなのか視線を私から窓側へとずらした。逃げるとはとんだ意気地なしだ。


「別に私は何とも思わないよ。誠と恋人って言われても嫌だとは思わない。誠は?」

「俺もまったく嫌だとは思わない。むしろ良いとすら思う」


 誠は調子づいたように言葉を足した。意図的なのか、天然なのかは分からないが、ドキドキさせるような物言いだった。胸の高鳴りが先ほどよりも強くなっているのが分かる。なるべく平静を装ってノートにスケジュールを書き込む。


「だからさ、俺たち付き合わないか」


 不意をついた誠の言葉に思わず手が止まる。彼の顔ではなく、ノートに顔を向けていて良かったと思った。きっと頬が赤くなっているに違いない。冷房の効いた教室のはずなのに体が熱くなっている。


 なるべく彼と顔を合わせないようにノートを持ち上げて顔を隠す。誠は顔を左に寄せて私を見ようとするが、腕を右に寄せることで防いでいく。今度は右に寄せて私を見ようとするから、腕を左に寄せて防いだ。そのやりとりが何だかおかしくて気づけば胸の鼓動は治っていた。


「ばか。そう言うのはちゃんとしたシチュエーションでやりなよ。まあ、良いけど」


 ノートを下げて彼の顔を見つめる。私の突然の行動に今度は誠が頬を染めた。

 私は「してやったり」と得意げな表情で誠を見つめた。拙くてぎこちない告白だったけど、陽気な彼とはまた違った様子が見れたのは良かった。


 こうして、私たちは噂ではなく本当の恋人となった。


 ****


「香恋はさ、どこの大学に行くの?」


 体育祭や文化祭と毎年恒例の大きな行事が終わり、大学受験がほんわかと近づいて来たのを感じる2学期の終わり。学級委員会を終え、帰る支度をしていると横にいる誠がそんなことを聞いてきた。


 彼の手には進路希望調査票が握られていた。3学期の文理選択の際に必要となってくるため今学期中に提出しなければならないのだ。私は両親から県内トップの大学の理系学部を選択するよう言われていたため、その旨を記述していた。


「〇〇大学の△△学部」

「うわぁ〜、めちゃくちゃ頭いい大学じゃん。じゃあ、俺も第一志望はそこにしよ!」

「そんな簡単に決めちゃっていいの? 大事な進路だよ」

「いいのいいの。特に行きたい大学はないんだけどさ、香恋と一緒にいたいって思いはあるから」

「別に大学が同じじゃなくても、一緒にいられるでしょ」

「でも、同じ大学だったらもっと一緒にいられるじゃん」


 そう言われると否定はできなかった。

 確かに誠は何でも器用にこなす。それは勉学も例外ではない。テストは一夜漬けと言いつつもクラス3位以内には入っている。進学校でその成績ならば難関大の合格も夢ではないだろう。


 私としても誠が同じ大学に来てくれることは嫌ではなかった。むしろ嬉しいくらいだった。誠と同じ志を持てるのなら、きっと辛い受験勉強も乗り越えていけるだろうと思った。


「私は別にいいけど」

「ホント! なら俺も香恋と一緒のところにしよ!」


 誠は意気揚々と進路希望調査票に私の言った大学と学部を書いていく。先ほどまでの悩みは嘘かのようにスラスラと記入していった。第2第3希望は白紙のまま。それが「私と同じ道以外あり得ない」と言っているかのようで体が熱くなった。誠の意図しない天然なところが私の心をかき乱す。


 こうして私たちは共に同じ道を歩んでいくことになった。

 そして、誠だけが先を歩んでいき、私だけが取り残されてしまったのだ。


 4


 受講室を出たものの行き場がなかったため、私はトイレの個室へと籠もった。

 便座へと腰をかけ、乱れた感情を深呼吸で落ち着かせる。「私はなんてことを言ってしまったのだろう」と冷静になっていくにつれて後悔し始める。


 自分の不甲斐なさを誠のせいにして、挙げ句の果てには『恋人にならなければ良かった』と言ってしまった。もし、私が誠にそんなことを言われたら、立ち直れないくらいショックを受けていたことだろう。それを彼に言ってしまうなんて、私は愚かな人間だ。


『成績の不安』と『誠との関係性の不安』が同時に押し寄せてくる。

 ただでさえ大きな負の感情が、その強大さをさらに肥大させて押し寄せてくる。関係を拗らせている場合じゃないのに、自分の行いで自分の首を締めてしまうとは情けない。


 本当に私という人間はつくづく馬鹿だ。頑固すぎるが故になにもかも失ってしまう。いっそのことこの個室に閉じ込められてもう2度と外へ出られないようになってしまえば良い。そうなれば、私も他の人たちもみんなハッピーだろう。


 こんな人手なしの私に存在価値はない。


「さっきの凄かったね。受講室全体が凍りついてたよ」


 トイレのドアが開く音と一緒に女子生徒の声が聞こえてくる。

 個室に入る様子はなく、おそらく小休憩のつもりで身だしなみを整えにきたのだろう。


「受講室を出る前に悠凪先生の様子を見たんだけどさ、取り繕っているように見えて相当取り乱してたね。そりゃ、自分の彼女にあんなこと言われたら凹むよね」


 誠が吹聴したのか私たちの関係は他の生徒たちにも知れ渡っているようだ。私に対する誠の親しい話し方とか、私が座っているテーブルの席に誠が腰掛けたことから、私たちの関係について質問されたんだろう。「地獄の受験生活の唯一の癒し」と言っている人もいるくらい誠は女性人気が高いのだ。

 

「可愛そうだよね。せっかく彼女のために大学を休学したのにね」


 彼女たちが話す内容に耳を疑った。

 自分の存在を消すように息を潜め、話に耳を傾ける。


「ついてないよね。一緒にキャンパスライフを送りたいから、休学して足並み揃えようとしたのに、その前に関係が崩れるなんて」

「彼女思いの良い先生だよね。それにさ、彼女が行きたかった海外旅行に合格記念として行かせるために今はお金貯めているんでしょ。最高じゃん」

「あと格好しいしね」

「まったくだよ。あれにはもったいない男よね。もし、これで別れたら私がもらっちゃお」

「むりむり、やめときな」


 再びドアの開く音が聞こえて彼女たちの声が遠ざかっていく。小休憩を終えて勉強に戻ったみたいだ。私はしばし呼吸するのを忘れており、おでこに手を当てながら大きく息を吸った。


 まさか誠がそんなことをしていたなんて。でも、よくよく考えてみれば辻褄が合う。

 平日にも関わらず開校時間から居たことや夏休みはただただバイトすると言っていたこと。あれはすべて私を海外旅行に連れていくためだったのか。


 誠の思いに気づかないまま、彼を罵倒してしまった。私は本当に救いようのない女だ。

 何度も何度も両手で顔面を叩く。愚かな自分とおさらばして、目の前にある問題に目を向けよう。ここで真面目にならなくてどうする。


 先ほど大きく息を吸ったように、今度は大きく息を吐く。

「よしっ!」と気合いを入れるために小さく呟く。スマホを手に取って時間を確認。人がいないことを音で確認してからトイレを後にした。


 ****


「クシュンッ!」


 秋も半ばとなり、半袖では過ごしにくいほど寒さが肌に染みる。

 私は予備校近くの壁に背中を預けながら、誠が来るのを静かに待っていた。


 結局、あの後戻ることはできなかった。誰かに見られている中で誠と会うのは憚られたのだ。変なプライドが邪魔して素直になれないのが嫌だった。だから大事な話は2人きりでしようと思った。


 荷物は受講室に置いてきたままだ。今日は手ぶらで帰って明日取りに行くことに決めた。 幸いスマホは持ってきていたので、閉校時間まで予備校専用のアプリにログインして英単語テストやリスニングテストを受講した。


 スマホで受講していると右上に掲載されたデジタル時計が閉校時間を告げる。

 しばらくすると続々と生徒たちが校舎から出てきた。私は気づかれないように角の方で身を縮ませる。みんな友達と喋ったり、イヤホンやヘッドホンで音楽を聞いたりしているため私の存在に気づくことなく素通りしていった。


 良くも悪くも、人は私が思っている以上に私のことに興味がないのだ。

 チューターは片付けや見回りなどがあるので、出て来るまでにはまだまだ時間がかかるだろう。私は誠が来るまでの間、どのように彼に接しようかと頭を働かせた。


「香恋……」


 その時は案外早く訪れた。

 ボソッと私の名前を呼ぶ聴き慣れた声。儚い小さな声にも関わらず、私の耳には確かに彼が私の名前を呼ぶのが聞こえた。一種のカクテルパーティ効果というやつだ。


「よっす」


 体に力を入れて立ち上がる。長時間しゃがんでいたからか足が微かに痺れていた。

 誠は私を見たきり動かない。代わりに私が誠へと歩んでいった。


「それ……」


 ふと彼の脇に目を向けると見慣れたバッグが目に映る。私の鞄だ。


「本当は帰りに香恋の家に届けようと思ったんだけど」


 誠は私の視線に気づくとバッグを肩から外し、私へと差し出した。受け取り、中を確認すると外に出していた参考書等が綺麗に並べられている。その中には面談の際に使用した成績表があった。


「ありがとう。それから……酷いこと言ってごめん」


 自然と謝ることができた。馬鹿みたいに溢れ出した激情が今はすっかりと寝静まっている。きっと誠の優しさに触れることができたからだろう。

 誠はハッとした表情で私の顔を覗く。謝ったことに対して心底驚いている様子だ。


「一時の感情の起伏で誠をたくさん傷つけたと思う。本当にごめんなさい」


 気にすることなく言葉を続け、深々と頭を下げた。


「ふっ、はははっ。まさか香恋が謝るなんて。珍しいね」


 緊張が解れたかのように誠は息を吐いた。顔を上げると彼の表情が和らいでいるのが見えた。目元が垂れ、いつもの誠の笑みが伺える。


「私だって、自分が悪いと思った時くらいは謝るよ。成績が落ちて焦ったとはいえ、罵詈雑言を口走ったのはいけなかったと後悔したから」

「確かにかなりショックだったな。でも、香恋の気持ちを考えれば仕方ないことだと思った。それでも流石に『恋人にならなければ良かった』は効いたけどね」

「本当にごめんなさい。あんなこと言うつもりはなかったの。誠と恋人になって良かったことはたくさんある。ただ……」


 私はそこで口を噤んだ。


「成績開示のこと?」


 誠は私が言おうとしたことを促すように心に押し留めた言葉を口にする。


「よく分かったね」

「それくらいしかないと思ってね。香恋があんな重い言葉を口にするってことはきっと何かを見て考えてしまったんだろうと思って」

「夏の初めに志望校の成績開示が届いたんだ。私の点数は、ホームページに掲載されていた去年の合格最低点と誤差だった。だから誠がもし私と同じ大学を志望しなかったら合格できたんじゃないかって思ったんだ。本当に最低な人間だよね。自分の不甲斐なさを人のせいにしてさ」

「そんなことないよ。予備校での香恋の様子を見ていれば必死さは嫌でも伝わってくる。そんなところに俺みたいな剽軽物がやってきて、合格したら怒るのも無理はないよ」

「誠……なんかその言い方ムカつく」

「ええー。せっかくフォローしたのに!」

「はははっ。うそうそ。一緒に帰ろうか? 誠は自転車だったっけ?」

「いや、歩き」


 互いの気持ちが晴れたことで私たちは一緒の帰路を歩んでいく。

 この時間は酒につぶれた人たちの姿がちらほら見える。イルミネーションはまだ点灯していないが、点灯に向けて着々と準備が進められていた。


「ねえ、誠。ありがとうね」

「いきなりどうしたの?」

「いや、実はお手洗いで盗み聞きしちゃってさ。学校休学してるんだってね」

「あぁ……うん。まさかそんなところでバレちゃうなんてね」

「他の生徒に話すからいけないんだよ。それに海外旅行の話も」

「えっ! そんなことまで漏れてたの。やっぱり、話すんじゃなかったなー」

「噂はすぐに広まるから気をつけないとダメだよ。でも、私としては嬉しい限りだよ。本当にありがとう。私さ、誠のためにも絶対に合格する」

「うん。期待してる。香恋ならできるさ。合格ギリギリってことはいつもの調子でいけば絶対にできるよ」


 誠はそう言って私に向けて拳を作る。

 私は改めて彼に誓いを立てるように彼の握った拳に自分の拳を合わせた。


 ****


 次に誠が出勤した日、私たちはすぐに面談を行った。

 私たちを遮るテーブルの上には前に使った模試の結果が置かれている。


「この前言ったとおり、前回の模試では結果の残せなかった分野が今回の模試では良い成績を残せている。確実に苦手なところは消せてるよ」

「でも、苦手を潰せても他の部分で取りこぼしが出ちゃう。それをどう防ぐかだね」

「ただ、去年の結果も交えて、取りこぼした分野について追っていくとその前に良い結果を残せなかったのは1年以上前になるんだ」

「つまり、この調子で克服し続ければ、いずれは満遍なく取れるようになると言うことだね」

「あくまで可能性が高いという話だけど、信じてみる価値はあると思う」

「そこは私の力量次第だね。傾向が見えているなら、予め対策を取ることができる」


 去年の頭から成績の悪い分野についての問題を解いて、躓いたところを復習すれば次の模試までには良い成績を残せるようになっているはずだ。あとは私がどれだけ集中して取り組むことができるか。


「ありがとう。自分の傾向が知れただけで有益だった。あとは頑張るのみ」

「応援してるよ。それからこれ」


 誠は隣に置かれた自分の鞄に手を伸ばすと中からリングケースを取り出した。蓋を開けて私の前に差し出す。見ると、紺色の珠が結ばれた腕輪が入っていた。


「1ヶ月以上早いけど、誕生日プレゼントを渡しておこうと思って。これは『タンザナイト』の腕輪なんだ。正しい判断力を与えてくれて、落ち着きと思慮深い思考で成功に導いてくれるらしい。香恋の誕生日である12月の誕生石だから効果は高いと思う」

「こんなところで渡さなくていいよ。なんか恥ずかしい」


 私はチラチラと周りを見る。休憩している生徒や先生は不思議な様子で私たちを見ていた。それもそのはず。あんな騒動があって、数日後にはイチャイチャしているのだ。「一体何があったのだろうか」と思うのは当たり前のこと。


「ほらほら、これつけて落ち着いて」

「こんなところで効果を出させるな!」


 そうは言いつつも、嬉しくないわけがない。

 私はケースの中に手を差し伸べると、腕輪を取り、利き手とは逆の腕につけた。光り輝く紺色の珠。思っていたより軽く、つけていてもあまり気にはならない。


「ありがとう。絶対に成功させるから見ていてね」

「今度こそ絶対に合格しよう」


 一つの不安が払拭されたことで、心の器に空きができた。落ち着きを取り戻し、私は再び受験に専念した。


 5


 あっという間に月日は流れ、共通テストが無事に終わりを告げた。

 去年の母校での受験と違い、今年は指定された試験場での受験だ。場所に慣れるまでずいぶん時間がかかった。それに緊張感が去年と比べても桁違いだ。「ここで失敗したら来年はどうなるのか」というプレッシャーに圧迫された。


 しかし、試験が始まってしまえば全ては杞憂に終わった。

 最初の科目である『地理』が、自分の得意分野だったのが良かった。去年に比べてスムーズに解け、緊張感が一気になくなった。そのまま波に乗り、ベストを尽くすことができた。


「おじゃましまーす」


 朝。身支度を終え、リビングでくつろいでいると誠が家へとやってきた。

 

「どうぞ。中に入って」


 私は玄関の戸を開け、中へと通す。


「変わらないね」


 リビングに入った誠は部屋を見渡しながらポツリと呟く。

 誠が自宅にやってくるのは10ヶ月ぶりだ。その間、私は受験勉強に勤しみ、両親もいつものように仕事をしていた。だから模様を替えたり、買ってきた物を置くなんてことはないため部屋が変わるはずもなかった。


「適当に椅子に座って。今、紅茶を出すから」


 事前に沸かしておいた湯をティーバックの入ったカップに注ぐ。紅茶が浸透したところで砂糖を入れ、甘くする。私たち二人ともまだ子供舌の甘党だ。

 紅茶の入ったカップをテーブルに置き、いつものように誠の向かいに腰掛ける。


 これから私たちは共通テストの答え合わせを2人で行う。

 去年は2人で答えを見ながら一緒に正否の確認をしていた。今年は私一人のため誠が回答を教えて私が正否を確認することにした。


 少しでも不安を癒せるように誠が提案してくれたのだ。私としても孤独な正否確認よりかは一緒にいてくれた方が心強い。だから喜んで誠の提案を呑んだ。


「それじゃあ、まずは地理から行こうか」

「うん」


 2日目に影響が出ないように1日目の科目も答えを見ていない。

 試験を受けた順番に答え合わせをする方向で進めていく。


「まずは第一問の設問1、答えは1」

「よし、合っている!」


 誠が言う数字を聞いて問題用紙に書いた答えと照らし合わせる。合っていたので丸をつけた。誠は続けて残りの設問の答えを言っていく。設問と答えの数字を逆に言ったり、見ているところが違って別の数字を言ったりと誠の言葉に不安を抱きながらも正否確認を行っていく。


「ふー、終わったー。なかなかいいんじゃない!」


 全ての正否確認を終えて、私は確かな感触を得ていた。

 二次試験科目である数学、英語、生物、それから元々得意な地理は9割。それ以外は8割と言う結果だった。


「全体を通して8割後半。去年の俺より全然良い成績だよ!」

「だてに1年勉強し続けてないからね」


 不安が消え、希望が出てきたことで互いに笑顔を合わせる。

 ひとまず、第一関門は好成績で突破した。しかし、まだまだ気を抜くわけにはいかない。一次で良い結果を残せても、二次でずっこけたら、その時点で合格は見えないのだ。


 私は再び気を引き締めて、午後からは二次の対策に臨んだ。


 ****


 共通テストが終わってから月日の流れは格段に早くなる。

 1月下旬から始まる私立受験を終えると、本命である志望校受験がすぐにやってきた。


「よしっ!」


 受験票や筆記用具など必要なものをチェックすると、気合を入れるように掛け声を出す。玄関まで歩いていくと両親の「頑張ってらっしゃい」と言う声が聞こえてきた。それに「いってきます」と返事をして外へと出ていく。


「香恋、おはよう」


 外に出ると門扉に誠の姿があった。今日は大学の門前まで見送ってくれるらしい。去年行ったことがあるので場所は分かっているが、気持ちの面ではかなり助かる。

 空を見上げると雲ひとつない快晴だった。冬風の寒さはあるものの、太陽の光が暖かく心地いい。


「いよいよだね」

「ようやくこの日がやってきた。できることは全部やった。だから悔いはない」

「それを言うのはまだ早いよ。それに受験が始まるまでは最後の悪あがきをしないと。問題です。nが奇数である時、n二乗のマイナス1が8の倍数であることを証明しなさい」

「まさかの数学の問題。用紙が欲しいよ」

「これくらいは頭の中でやってもらわないと」


 誠に言われて仕方なく頭の中で考える。電車に乗るまでは声に出しても問題ないため、考えたことを声に出して説明していく。計算は頭の体操になるし、定理を知っていないと解けない問題なので、知っているかどうかの確認にもなる。一石二鳥の問題。流石は誠だ。


 そうして私たちは大学に着くまでの間、ひたすらに問題と回答のやりとりを行った。数学から始まり、英語、生物。電車内では互いのチャットでやりとりを行っていく。気づけば、私たちは大学の前に辿り着いていた。


「じゃあ、行ってくるね」


 本番前に不正がないようにスマホの電源はここで切っておく。

 誠に最後の声をかけると、私は手首にはめた『タンザナイト』の腕輪を見せる。それを見た誠は自分の手首にはめた『アクアマリン』の腕輪を見せる。彼もまた自分の誕生石の腕輪を購入したらしい。


 去年の3月は誠に何もしてあげられなかったから今年は盛大に祝ってあげよう。彼に微笑みかけると私は顔を引き締めた。ここからは自分との戦い。もう何度言ったか分からない「よし!」という気合の言葉を口にして会場へと足を運んだ。


 ****


 入場前は東の空にあった太陽は、今では西の地平線と交わりつつある。

 まだ17時前だと言うのに、暗くなり始めていく空を見て、冬なのだなと改めて思わされた。ハーッと息を吐くとあぶれた水分が白くなって頭上を駆け上る。


 その様子をしみじみと眺めながら門へと足を運んでいった。

 私の周りにいる生徒たちの様子は多種多様だ。はじめに来た時と同様、何食わぬ顔で音楽を聴いている生徒。同じ高校の生徒と仲良く話しながら答え合わせをする生徒。結果が良かったのか浮かれた表情をする生徒。結果が悪かったのか今にも泣きそうな表情をする生徒。


 私は彼らの様子を冷静に眺めながら、流れに沿うように歩いていく。

 つくづく思うが、大学というのはとてつもないほど広い。門に入ったとしても自分の指定された席まで行くのに数十分もかかる。


 流れる人の雑音に耳を傾けていると最初に入ってきた門が見えた。

 前には何十、何百の生徒がいる。まるで祭りの後のようだった。受験というのも一種の祭りのようなものか。


 門を抜けて歩いてすぐ、見知った顔を発見した。

 誠だ。彼は私が門から入った時と同じように、その場所に佇んでいた。もしかすると、私が教室で受験している間、ずっとここで待っていたのかもしれない。そんな錯覚を覚える。


 私が見つけたのとほぼ同時に、誠もまた私へと顔を向ける。

 彼は胸のあたりで小さく手を振った。私は彼の元へと淡々と歩いていく。

 少しずつ2人の距離が近づく。依然として誠は佇んでいたので、主に私が距離を近づけている。やがて一定の距離まで詰めると私は誠と対峙した。


「どうだった?」


 誠は優しい笑みで聞いてくる。

 その笑みは結果が良かろうが悪かろうが受け入れてくれる包容力があった。

 だから私は誠の笑みに向けて力強く腕を前へと出した。結果が悪かったなんてことがないように人差し指と中指を立て、ピースして見せる。


「力の限り尽くした。後悔はない」


 私の動作を見て、誠は笑みを崩さぬまま笑い始める。


「お疲れ様。なら、心配はいらないかな。これから焼肉食べに行く?」


 誠の誘いに私は無言でうなずいた。

 結果はどうあれ、これにて私の受験は終わったのだ。


 6


 3月6日。ついにこの日がやってきた。

 私は自室に篭りながら、パソコンの前でその時を今か今かと待った。

 デジタル時計は9時55分を示している。10時から始まる『合格発表』まで残り5分を切った。


 残り時間に反比例するように鼓動が高鳴っていく。

 共通テストの結果確認の際にいてくれた誠はいない。もし落ちた時に彼に対してどんな顔をすればいいのか分からなかったため呼ぶことができなかった。


 誠には私の受験番号を伝えてあるので、彼もまた調べてくれていることだろう。

 私は孤独の中、掲載される時を待つ。早くなる鼓動とは対照的にゆっくり呼吸をする。5秒吸って10秒吐く動作を繰り返しながら時計を見る。


 9時58分。15秒。30秒。呼吸を繰り返すごとに時間はどんどん進んでいく。

 9時59分。15秒。30秒。45秒。そして、10時。

 私はマウスのクリックボタンを押し、合格発表の掲示板を開く。


 アクセスが集中しているのか、アイコンの周りを青いバーがグルグル回る。サイトの上にも青いバーが微かに姿を表す。それは動くことなくフリーズしている。私は青いバーを見ながらもどかしい気持ちに駆られる。


 おそらく私を含めた受験生の全員が同じ感情を抱いていることだろう。

 もう一度、ロードしてみるも結果は変わらず。青いバーは左端でずっと止まっている。

 私は合格できているだろうか。孤独の中で湧き上がる不安を押し留めながら必死に画面に目を向ける。


 手首につけていた腕輪を外し、まるで数珠のように親指以外の4本の指に括っては祈りを込める。何度ロードしても全く開いてくれない掲示板に苛立つ。頼むから早く結果を見せて欲しかった。


 いつまでも待たされることにうんざりする。

 せっかくの願いが消えてしまいそうになる。不安も消え、無気力な感情が私を包み込む。

 お願いだから早く結果を出して。何度も何度もロードしてもアイコンに映る青いバーが回るだけ。


「プップーン!」


 すると、ポケットにしまっていたスマホから通知が飛んできた。

 合格発表の緊張が揺らいでいたからか、私はポケットからスマホを取ると届いた通知に目をやる。


 そこでパッと視界が開かれる感覚に陥った。

 瞬間、目の前に映るパソコンの画面が切り替わる。上下左右に広がる数字たち。ふと見た視線の先に私はとある数字を目にした。


 私の受験番号だ。

 驚愕と安堵で脱力し、手に持っていたスマホが手元から離れ、床に落ちる。


「ははっ。まったく馬鹿なんだから。先に送ってくんなよ」


 パソコンを閉じて机にうつ伏せた。その状態で床に落ちたスマホに目を向ける。そこには誠からのメッセージが表示されていた。


「香恋っ! 合格おめでとう!!!!!!」


 大学からの発表を見る前に誠から先に結果を教えられてしまった。

 本当なら怒りたいところだが、今は合格した嬉しさ故に寛容な気持ちになっている。色々な感情が合わさり、なんだか笑えてきた。体がブルブル震えてくる。


「プップーン!」


 さらにスマホにもう一件通知が届く。

 見ると、誠がさらにメッセージを送ってくれていた。


「今夜19時、俺たちの母校に来て!」


 ****


 約束の時間ピッタリに行くと誠は校門の前で待っていた。

 3月に入り、ほんわかと暖かくなってきたものの夜はまだ寒い。普段は長ズボンを履いて過ごしているが、今は丈の短いスカートを履いている。


 誠から「学校に来る際は制服を着用すること」と指示を受けたのだ。

 校門の前で待ち合わせをするため、怪しまれないように制服を着ていくのかと思ったが、待っていた誠はスーツを身に纏っていた。大学の入学式の際に買ったのだろう。


「合格おめでとう!!」

「ありがとう。てか、あんなに早く報告して来ないでよ。誠のメッセージで自分の合格を知ったんだからね」

「ごめんごめん。でも、どのみち合格だったんだから良かったじゃん」

「そりゃそうだけどさ。なんて言うか、呆れの方が強くて感動が薄れちゃったな」

「まあまあ、今度何か奢ってあげるから勘弁してよ」

「海外旅行でチャラにしてあげる。それで、こんなところに呼んで何するの? しかも、私だけ制服って」

「ああ、そのことなんだけどね」


 誠は持っていたカバンを探り、中からあるものを取り出した。

 細長い筒。蓋の部分に赤いリボンが括り付けられている。私はそれを見てハッとした。 

 去年、誠からの受け取りを拒否した私の卒業証書だ。


「去年、卒業式に来なかったじゃん。だからさ、今から卒業式を行おうと思って。とは言っても、卒業証書授与だけだけど。さあ、俺の目の前に来て」


 誠は筒から賞状を取り出すと、角の方にカバンと筒を置く。

 私はそそくさと誠の前へと歩んでいった。誠は賞状を広げ、綺麗な声を出すため咳払いをする。賞状から手を離したことで丸まっていき、慌てて広げる。おっちょこちょいなやつだ。


「えー、柊 香恋。あなたは本校において普通課程を卒業したことを証します」


 両手でうまく賞状を反転させ、私に差し出す。私は左手右手と順に賞状に手を添え、誠に向けて一礼をした。先ほどまで照れ臭い感情に包み込まれていたが、賞状を受け取った瞬間、心がジーンとするのを感じた。


「香恋、泣いてる?」


 顔を上げて誠と目が合うと、彼は驚いた様子で私を見る。

 そこで頬を伝った涙が手に当たる。寒さのせいか涙は暖かかった。

 気づいてからはとめどなく涙が流れてきた。拭うも拭うも湧き出る涙。それを誠に見られるのが恥ずかしかった。


「おかしいな。こんなことになるなんて」


 卒業証書を受け取ったことで、今まで抱えていたものがすべて精算された気分だった。

 受験が終わった安堵、志望校に受かった歓喜、大学への羨望。それらすべてが一気に心を満たしていき、溢れ出た不安や憤りが涙となって現れる。


 いつしか誠に怒った時とは真逆のことが私の中で起こっていた。

 ただただ涙する私を誠は優しげな表情で見つめる。だから安心して泣くことができた。

 

 1年遅れの卒業式。

 去年参加していたら、きっとここまで泣くことはなかっただろう。

 すべてを終えることで私はようやく心から卒業することができた。これからはまた別の環境で新しい生活を営むことになる。


「香恋、本当に卒業おめでとう」

「誠、卒業式を開いてくれてありがとう」


 夜空に光る満月は私たちだけの卒業式を祝福するように綺麗に輝いていた。

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