王は胃痛持ち
「馬鹿息子が母親にそそのかされて婚約破棄という茶番をしようとしているんだ」
胃を抑えながら国家元首であるその人は宰相と宰相の妹である伯爵夫人。そして夫である伯爵と愛娘に執務室のソファに腰を下ろして話をする。
「馬鹿息子……それは、可愛い姪のベルベットの婚約者である第三王子の事ですね」
宰相の目がきらりと光る。それはさながら獲物を見付けた猛禽のごとく。
「ああ、側室の子だからという理由でたかが伯爵の娘と婚約するなんて間違っていると」
「たかが?」
王の言葉に反芻するのはその件の伯爵。
「お方様は分かっていないようですね。先祖代々の掟を敢て曲げて、殿下の婚約者になったというのにそれをたかが、ですか」
ブリザードが吹き荒れる。寒さと胃痛で今にも倒れそうな王だったが、ここで倒れたら国を守れないと必死に耐える。
「だからもういっそ、その前に婚約を解消しようと思う。もちろんあの馬鹿の有責で」
「当然です。いや、お方様にもきっちりと責任を取ってもらいますよ。喉元過ぎればと言いますが、この婚約も元々はお方様のたっての希望で実現したものであるのですから」
伯爵夫人は憤慨しているが、表に出さない。ただ、言葉の端々に棘がしっかりとあるだけだ。
ブリザードの伯爵。
猛禽の宰相。
そして、巨大なバラの棘持ちの伯爵夫人。
王の精神は限界に近かった。
「陛下。大丈夫でしょうか?」
そんな四面楚歌な状態で唯一清涼剤になっているのはその馬鹿が婚約を破棄したいと言っているご令嬢ベルベットである。
「ああ、すまない。ベルベット嬢」
「お気になさらないでください。陛下がこの婚約を結ばせないように手を回していたのは理解しています。そして、気にかけてくださったのも」
王子妃になるからという理由で側室と馬鹿王子はベルベットに自分たちの執務を押し付けようとしていたのを必死に防いでいたのは王と側近。そして、第四王子であった。
それで何らかの手を打ちたかったが側室の実家が面倒な輩だったのと庇っていた第四王子も側室の子供であったがために手も出せずにずるずると来てしまったのだ。
「婚約解消の件了解しました」
「あっさり許してしまうのか?」
ベルベットの了承に父である伯爵が驚いたように問い掛ける。
「陛下の御立場も理解していますし、まあ、殿下がやらかしたらそれ相応の事をさせてもらうので許可していただければ……」
清涼剤であったベルベットも実は怒っていたのだと王は理解して、それくらいで済むのならと了承する。
「お方様にはいいのかい?」
宰相が尋ねる。
「………えっと」
そこでベルベットが困ったように言葉を濁す。
「ベルベット……?」
「実は……トール殿下には学園でも庇っていただき、その時何度もあの馬鹿王子に暴力を振るわれていたのです」
そんな報告来ていない。というか馬鹿王子は馬鹿王子というけど、第四王子の事はトールと呼ぶんだな。
「初耳だが……」
伯爵も知らなかったのかそんな呟きが聞こえる。
「ええ。――あの、馬鹿王子。トール様を怪我させて、『不細工がより不細工になっても分からないから丁度いいよな』などと……」
怒りでわなわなと身体を震わせている様を見て、あの馬鹿と言い側室と言い醜いからと第四王子を蔑ろにしているとは聞いていたがどうして醜いと言われる外見なのか全く分かっていない。というか、なんで第三王子は綺麗な顔立ちなのにと言い出す側室には呆れるというかなんであいつを側室にしたのかと当時の自分の愚かさを責めたい。
掟を曲げてまで婚約者になってくれた令嬢。その価値を忘れた息子には婚約破棄と言い出した瞬間バツが下るだろう。まあ、あの側室に関しては第四王子に影響がでないように罪を与えないと――。
「嫡男と次男がまともでよかったよ……」
つい本音を漏らしてしまう。第一王子と第二王子はきちんと育てたからベルベット嬢を婚約者にした第三王子のような展開にならなかった。
「妃殿下に感謝ですね」
宰相の言葉にこくこくと頷く。この件が済んだら感謝の言葉をきちんと伝えないとと決心したのであった。
「ベルベットお前との婚約を破棄する」
事前に知っていたが、案の定やらかした。まあ、ここまで目立つ行いをしたのだから罰し易くなったなと敢て止めなかったのだが。
馬鹿の傍らには公爵令嬢。どうやら側室は第三王子と公爵令嬢が深い関係になったから欲が出たのだろう。というか、当の公爵は自分の娘のやらかしに驚愕している。
「婚約破棄。了承しました」
ベルベット嬢は動じない。ただ綺麗に頭を下げて、
「ならば。――わたくしの献身を返していただきましょう」
そこで思い出せば許してもらえたかもしれないが、
「献身。なんだそれ? お前からそんなものをもらった覚えはないぞ。なんでお前のようなものと婚約をしたんだろうなお前みたいな地味な女は僕じゃなくて、あの不細工な弟にぴったりだ。どうせ嫁ぎ先もないだろうし、あいつに譲ってやるよ」
「…………トール殿下が望んでくれるのならお受けします。有責なのは変わらないですが」
馬鹿の発言に一瞬迷うように視線を動かして、どこか嬉しそうに、それでいて期待しないでいようという気持ちを抑える仕草をしている様に、そういえばこの卒業式典にトールはどこにいるんだろうかと視線を動かして探していると、
「どうやら、孵化が始まったようで遅れてくると連絡がありました」
すかさず宰相が報告する。
「そうか」
ならば、ベルベット嬢に少し待ってもらおうと合図すると、ベルベット嬢も頷いて時が来るのを待つ。
「はっ、馬鹿馬鹿しい。お前と一緒に居た時間をこっちが返してもらいたいくらいだ」
こっちが時間を待っている間にもまだ理解していない息子が愚かな事を告げている。
「そうね。なんでわたくしの可愛い息子がたかが伯爵令嬢と婚約したのかしら」
「…………それはお方様の要望でしたよ。お忘れですか」
「意味が分から……」
「――いいえ。確かに母上の希望でしたよ」
遮った声と共に扉が開かれて馬鹿王子とそっくりだが、こっちの方が品のいい顔立ちの青年が現れる。
「おお、待っていたぞトール」
もう大丈夫だと合図を送るとともに、馬鹿王子の身体から煙が立ち上り、今まで美丈夫だったのがそんな面影がすっかり消え、そう、おそらく本人たちが一番毛嫌いする不細工な姿に変貌する。
「やはり、こうなったか。――王家の呪いはいまだ健在なのだな」
自分の息子なのかと実は浮気を疑っていたのだが、しっかりと真実が明らかになったがここまでひどい呪いなのだなと自分も掛かっているのでそのプレッシャーで胃が痛む。
息子四人中三人が美丈夫になったのだが、自分はかなり平凡な顔立ちなので居心地悪いのだ。
「陛下っ!! わたくしの可愛い子が……」
「王族は古の魔女の呪いで国を担う王族としての性根が立派であればあるだけ美丈夫に自分勝手で愚かな者には醜くなる呪いが掛けられているんだ」
幼少期にまず見た目が醜くなり、成長期になると善良さではなく、王族の覚悟を持っているものには孵化と呼ばれるかのような現象が起きて顔立ちが変化する。名君になれる素質があればあるだけ美形なのだ。
自分は名君にはなれない凡人の王なので見た目は平凡だが……。
ああ、胃が痛い……。
「なっ……!?」
「事の始まりは、美形な王子が魔女のお気に入りを醜いと嘲笑って害したからで魔女が呪いを与えたのだ」
そう本来ならその王子だけで終わった呪いだったのだが、事もあろうかその呪いを自分の息子に押し付けて息子を森に捨てたのだ。
で、その息子は別の魔女に助けられて、呪いを解除してもらい、英雄となったのだが、その英雄の見た目が自分そっくりだったので王になったばかりのそのもと王子は自分の子供だと捨てた事実を忘れて利用しようとして英雄を育てた魔女が怒り狂い、国を滅ぼそうとしたのを英雄の腹違いの弟が謝罪して事なきを得たのだ。
その際、王族全員に呪いを掛けるだけで許したのだ。
「名君の器になりそうな心の持ち主のみ綺麗な顔立ちになれる呪い。逆に心が醜いものはその心が外見に現れるように……。その呪いを何とかするには英雄と魔女の子孫である伯爵家に娘が生まれ、娘に呪いを緩和してもらうしかない……」
「我が家代々の掟で娘が生まれたら魔女の修業をさせて貴族の暮らしを捨てろとありました。例外は王族との結婚です」
それを知ったお方様がわたくしを婚約者にしたのではありませんか。ベルベット嬢の言葉に側室がショックを受ける。
「ちなみに王族との結婚も両思い前提です。今までの献身を蔑ろにされて、しっかり婚約破棄を申しつけられたのですからそちらにもこっちに愛情などないのは分かっていますので」
魔女自身が英雄と結婚したからそんな条件を付けたのだろう。娘が生まれると魔女の力を必ず受け継いでいくのも理解していたからこそ。
「ずっと呪いを緩和するのは大変だったので清々しました。だって、あなたはわたくしを利用するだけ利用してわたくしを助けてくれたトール殿下を侮辱していましたから。でも、トール殿下は見事に呪いに打ち勝ってくれました」
幼虫が蝶になるかのように王族として役目を担う覚悟を宿しているからこその呪いの解除。王族の責務を蔑ろにしてきたモノには決して出せない輝き。
トンビが鷹を生んだと言われてもおかしくないが、自分が醜い外見のままで終わらなかったのは王妃の献身があるからだろうと王は切ない想いを抱きながら自慢の息子を眺める。
眺めた後。
「心が表に出てしまった以上お前に王族の務めはさせられない」
凡人の王は凡人らしく自分の子供と側室に刑罰を与えるのであった。
その刑罰の判断が間違っていなかったかと不安で胃が痛いのを表に出さずに。
実はこの英雄と魔女の恋愛は制作中。