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草案:訪問、家庭裁判所。

閲覧ありがとうございます。

 私、栗葉巧美くりはたくみ! 小学校教諭です!

 今日から生徒の家庭訪問週間! 楽しみだなぁ~! どんな保護者と出会えるかな? 生徒、保護者、そして私。今後の学習についていっぱいお話しして……。も、もしかして、生徒のお兄さんやお父様と楽しいコトになっちゃったりして……! うへへ……!


「今日は……出席番号1番から10番まで。稲駄我いなだがさんから坂名谷さかなやさんまでね」


 さあ、アクセル踏み込みレッツゴー!



 ◇



「ごめんくださぁい! 担任の私です~!」


 チャイムを鳴らしたけれど、応答がない。

 あれ? 時間は間違っていないはずなのに。

 ……なんだか、事件の予感!


「お邪魔します!」


 金色のドアレバーを下げる。……開いてる。

 中に入る。日本には珍しい、洋風の土足タイプの家のようだ。玄関には木製のラック、鳥の絵、生け花などで装飾されている。


「……あら? 先生いらしていたのね? すみません気がつかなくて」


 正面に伸びていく廊下に向かって左側の扉から、母親らしき女性が出てきた。私のタイプではない。


「どうも、私です! ピンポンをピンポンしたのですが……」

「『鳴らす』じゃだめだったのかしら……? ……呼び鈴、故障していたのね。まあ、とりあえず中へどうぞ」

「お邪魔します!」


 部屋の中へと進む。一言で言うとカントリー調、といった感じ。60インチはありそうな壁掛けモニターが若干場違いな気がしないでもないけれど、それを除けば大きなのっぽの振り子時計が目を引き、薄黄色い壁に小豆色のソファーやローテーブルが全体の雰囲気を引き締めている。ここは、いわゆる応接室だろうか。


「どうぞ、おかけになってください」

「言われるまでもなく。失礼します」

「粗茶です」


 横から、音もなくお茶が差し出された。さながら水底から忍び寄る鮫のようだ。お茶を出してきたのは、高校生くらいの女の子。私のタイプではなく、水色のエプロンの胸ポケットからは亀(?)のストラップを付けた、深紅のガラケーが顔をのぞかせている。スマホじゃないなんて今時珍しい。……しかし、稲駄我妃帝いなだがひていさんにはお兄さんがいたはず。ま、まさか男の娘!? 見た目完全に女の子! 声も女の子! ……いや、最近は「両声類」の人とかいるし、全然あり得る……! でもやっぱり私のタイプではない!


「あーどうも」

「『あーどうも』? 粗茶であることを認めるんですか? それって失礼じゃないですか? わたしに高級なお茶は似合わないってことですか?」

「いやいやそんな……」


 うっわめんどくさい子だこの子!


「彼女はアルバイトの神憑かみつくさん。うちのお手伝いをしてもらっているの」

神憑貝砥かみつくばいとです。よろしくお願いします」


 噛みつくバイト……? 名は体を表すってこのことなんだなぁ。……あとお兄さんじゃなかったみたい。名字違うし。


「どうもよろしくお願いします。私は私。私以外の何者でもなく、妃帝ひていさんの担任の栗葉くりはでs……」

「存じてます」

「あ……はい」


 やりにくいなぁこの子。


「それじゃあ……さっそく妃帝ひていのこと、聞いていいかしら?」

「あっ、はい! では、教室での様子なのですが、五年生になってクラス編成が変わったものの、概ね周りの席の子達とも良好な関係を……」



 ◇



「……以上が、妃帝ひていさんの開発状況ですね。基礎はできていますし、立ち退きが必要な言動も……まあ指導が入るほどのものではないので、このまま上棟を進めていきたいと思います」

「……えぇと、それはどういうことかしら?」

始業式じちんさいが済んで基礎も問題なさそうなので、このまま上棟を進めていきたいと思います」

「……。……え、えぇ、よく分かったわ。ありがとう」

「お礼を言われるほどのことではありません。私は私。妃帝ひていさんの担任ですから! えへん! ……それでは、ここいらでお暇させていただきますね」

「……今日は、ありがとうございました」

「いえいえ、任せてください! 私が必ずや、妃帝ひていさんを(知識欲や自己肯定感について)感度3,000倍に開発してみせますから! 私、昔から人を開発するのが得意なんです! 同級生や前職の同僚からは『関係破壊の匠』って褒められちゃっててー。もーう照れちゃうな~!」

「……」

「どうされました?」

「い、いえ。なんでもないわ」

「あれ……? そういえば妃帝ひていさんは? 遊びにいっているんですか?」

妃帝ひていならここにいるわよ。よかったら見ていかれる?」


 そう言うが早いか、妃帝ひていさん母はリモコンを操作し、モニターをつけた。映し出されたのは、大きな、大きな空間。四方に大小の卓……?……が設置されており、手前に4列ほど並べられたベンチには、まばらに人が座っている。大きな窓、しっかりした作りの照明、正面の大きな卓。どれも刑事・弁護士系のドラマで見たことがあるものばかりだ。今はドラマの再放送をやっていそうな時間帯だし、そこまで不思議ではない。

 ……あれ?


「画面、切り替えないんですか?」

「いいえ、これよ?」

「……?」

「夫が検察官で、私は弁護士、上の子が司法書士をしていてね。家族ぐるみで趣味が高じて、法廷ごと家を新築してしまったの。だから此所は自宅であり、裁判所。地域で起こった、公的な訴訟を起こすほどではない細かなトラブルを私達家族が調査して、審議する。ちょっとしたお悩み相談室ってトコロ。うふふ。今は……そうね、口頭弁論の最中かしら。あの奥に座っているのが妃帝ひていよ」

「え……裁判長が妃帝ひていさんですか……?」

「ええ。将来は裁判官になるんですって。楽しみねぇ~」


 な、なんて家族……! 常識が通じない……!


「こちら今回の資料です」

「あーどうも」

「『あーどうも』? わたしには視線を合わせるほどの価値もない人間って言いたいんですか?」


 しまった。適当に対応したら地雷踏むんだったこの子。


「あーそんなつもりじゃないんです。……どれどれ……?」

「原告は鹿島洋太郎かしまようたろう7歳。原告代理人は妃帝ひていさんの兄稲駄我歩竜いなだがほりゅう。訴訟内容は『来週5月27日の自分の誕生日に自宅近くの飯田はんだ商店でごちそうを買いに行きたいと言ったところ、母親に反対された。どうしても飯田はんだ商店がいい』とのこと」

「どうでもい……あぁいいえなんでも」


 うわぁ~、どうでもいい~……。っていうか、あれ? 飯田はんだ商店ってウチのクラスの飯田景希はんだけえきさんの家じゃ……。そういえば妹さんもいたはず。


「被告は鹿島洋太郎かしまようたろうの母親である鹿島美津かしまみつ27歳。被告代理人は妃帝ひていさんの父稲駄我情保いなだがじょうほです。今は被告側の口頭弁論が始まったところですね」


鹿島美津かしまみつさんは鹿島洋太郎かしまようたろうさんの誕生日当日、自宅から徒歩10分の場所にあるスーパーマーケット「ラクショーマート」で誕生日パーティーの材料を買おうとしていました。裁判長、証拠品第2号をモニターに提示してもよろしいでしょうか?』

『許可します』

『証拠品第2号。こちらは、鹿島美津かしまみつさんらの自宅から預かってきたラクショーマートのチラシです。左上に大きく記載されているとおり、誕生日当日の午後7時から対象の惣菜が店頭表示価格の70%引きになるタイムセールが行われる予定であることがわかります。誕生日パーティーを少しでも良いものにするため、これを逃す手はありません』

『裁判長!』

『原告代理人、どうぞ』

『タイムセールでは欲しいものが確実に手に入るかが不明瞭です。ましてや70%引きともなると、より多くの人々が押し寄せ、競争率は跳ね上がるでしょう。確実性の低い勝負は、大事な誕生日パーティーの前にするべきではありません』

『異議あり! タイムセールとはもとよりそういうものです。母子家庭である鹿島かしま家ではコストパフォーマンスが求められます。なるべく少ない出費で、なるべく多く、洋太郎ようたろうさんの好むものを手に入れようとするのは当然のことです。不明瞭などと言って不必要に不安を煽るのはやめていただきたい』

『……。……異議を認めます。原告代理人は過度な表現を慎むように』

『……失礼しました』

『被告側の主張は以上です』

『では、原告側から主張はありますか』

『はい。……まずひとつ、提案があります』

『なんでしょうか』

『ただいまより、原告に「おやつタイム」を設けます』


 会場からざわざわと戸惑いの声が漏れ出てきた。


『みなさん静粛に。……原告代理人、続けてください』

『はい。原告の鹿島洋太郎かしまようたろうさんは小学生です。もう始まって1時間が経過し、集中力も切れ始めているかと』


 しれっと言っているけど、あなたが物申している裁判長も小学生だからね? ていうかすっごいイケメン。私のタイプ。仲良くなりたいなぁ~。教師と教え子の兄とか萌える~! ……あ、よくよく見ると父親もなかなか……!


『分かりました。では一時休廷とさせて……』

『いいえ。原告だけ退席してもらってください』

『……? 意図を明確にして発言してください』

『原告はまだ子どもです』

『私も子どもですが。原告だけが退席する理由になっていません』

『……っ! とにかく!』

『とにかく?』

『……』

『……裁判長。よろしいでしょうか』

『被告代理人、どうぞ』

『ここはひとつ、原告側の提案を呑んでみてはいかがでしょう。このまま不毛な問答が続くのは建設的ではありません。鹿島美津かしまみつさん、問題ありませんね?』

『はい』

『……分かりました。では、原告は控え室へ一時退室してください』


 いつの間にか向こうへ移動していたバイトさんに洋太郎ようたろうさんが連れられていったあと、妃帝ひていさん兄は続けた。


『……ではまず、先ほどは声を荒げてしまい申し訳ありませんでした。必要以上に不安を煽ってしまったことについても、ここにお詫びいたします。どうしても原告には聞かせたくない内容だったもので』

『聞かせたくない内容とはなんでしょう』

『それについては追々。……被告の鹿島美津かしまみつさんにお聞きします。証拠品第1号として示されていた壁掛けカレンダーですが、あれには「洋太郎ようたろうの誕生日」と赤い油性ペンで書かれていましたね。実は、きたる5月27日は鹿島洋太郎かしまようたろうさんの誕生日……だけではないのではありませんか?』

『え、えぇ。私の誕生日でもあります』


 会場が一気にどよめきに包まれた。


『もうひとつ。あのカレンダーはどのくらいの高さに掛けてありましたか?』

『私が書きやすい位置にしているので……、私の目線くらいです』

『そうでしょうね。つまり、鹿島洋太郎かしまようたろうさんはカレンダーに手が届かない……そうですね?』

『えぇ、たぶん届かないと思います』

鹿島美津かしまみつさん。あなたにとっては鹿島洋太郎かしまようたろうさんの誕生日の方が大事ですし、わざわざ自分でも書かなかった。一方、鹿島洋太郎かしまようたろうさんはたとえ書こうとしても手が届かなかった。結果、カレンダーには鹿島洋太郎かしまようたろうさんの誕生日についてのみが記された。そのため、今の今までどの答弁のタイミングでも話題に上がらなかった。……裁判長。ここで証人尋問を行いたいと思います』

『……証人尋問を許可します』

『ありがとうございます。……では、こちらへどうぞ』


 妃帝ひていさん兄が目配せし手招きすると、傍聴席から一人の男性が不意に立ち上がり、真ん中の卓へとやってきた。かなりの大柄で、私のタイプではない。


『ご紹介します。飯田はんだ商店の店主、飯田召兎はんだめしうささんです』

『どうも』

飯田はんださん。聞くところによると、あなたは昔パティシエをされていたようですね?』

『ええ。星を目指してばかりの職場に嫌気がさして、ずいぶん前に辞めてしまいましたが』

『パティシエ、昔から女の子の憧れの職業の一つですよね。娘さんもクラスで自慢されていた……だとか』

『ええ。恥ずかしいからやめてくれと言っているんですが……ハハハ』

『娘さんは、今おいくつで?』

『上の子が10歳で、下の子が7歳です』

『下の娘さんと、原告の鹿島洋太郎かしまようたろうさんは確か、同じクラスでしたよね?』

『はい。去年から同じクラスで、家も近いからよく一緒に遊んでいる……と娘から聞いています』

『当然、鹿島洋太郎かしまようたろうさんはあなたが元パティシエだと知っていた』

『ええ。もう足は洗ったはずなんですが……頼まれたんです、洋太郎ようたろう君に。ママのためにケーキを作ってほしいと』


 会場が本日イチのざわつきを見せた。


『毎日のように……学校帰り、家路の途中でウチに寄って10円ずつ積み立てて……半年以上も。一昨日、全額お支払いいただきました。こんな健気な姿を見せられちゃ……断れないですよ。お母さんの前で言っていいのか分かりませんが……当日店の前で落ち合い、サプライズでお渡しする手はずなんです』

『……裁判長。このように、鹿島洋太郎かしまようたろうさんにはどうしても誕生日当日に親子揃って飯田はんだ商店に行かなければならない理由がありました。不用意に飯田はんださんを待たせる訳にもいかず、サプライズをバラす訳にもいかず、やむをえずラクショーマートへ行くことを拒否していたのです』

『……原告を退席させたのは、そのサプライズを壊さないようにするため……ということですね?』

『そのとおりです。ただ……鹿島美津かしまみつさんに何も伝えないまま裁判を進めることは不可能であると考えたため、このような形となりました。鹿島美津かしまみつさん、勝手な判断でネタばらしをしてしまったことをお詫びいたします』

『あぁ……。ごめん、ごめんね洋太郎ようたろう……あなたの気持ちに気づいてあげられなくて……』

『……以上で、証人尋問を終わります。飯田はんださん、お忙しいなかご足労いただきありがとうございました』

『いえ……。……最高のケーキ作って、待ってますから』

『原告代理人、他に何か主張はありますか?』

『ありません』

『被告代理人、何か主張はありますか?』

『いいえ、ありません』

『分かりました。……では、判決を言い渡します』


 鼻をすする音がわずかに聞こえるなか、法廷全体に木槌の音が鳴り響いた。


『主文。被告人鹿島美津かしまみつは……何も知らない体を装い、鹿島洋太郎かしまようたろうの夢を壊さぬよう、注意を払って過ごすこと。以上、閉廷!』


 ……これ、こんな大事にする必要あった?


「……第三者にとっては、大袈裟なことかも、しれないわね」

「……稲駄我いなだが、さん?」

「……大抵のことは、他人にとってはどうでもいいことなの。たとえば、この地球の反対側で戦争が起きていたとしても、流通をはじめとした様々な分野に影響こそあれど、今すぐ私達が戦地に放り出されることはないでしょう? それくらい、私達は平和な国に住んでいるの。少しの平和を手に入れた私達とその祖先は、対話と法を使って、お互いが住みよいようにルールを設け……そしてそれを逸脱した人をどう裁くか、取り決めた。民事も刑事も、真正面から証拠と主張でぶつかりあう人がいて、それを聞く人がいて、判断を下す人がいて。そうやって、肉体的に……そして精神的に傷つけ合うことのないよう、平和的に、争いごとを減らす。司法って、そのためにあるんじゃないかしら? 少なくとも私達稲駄我いなだがの人間は、それを胸に、こうして家を開いているの」

「いやさっぱりわかんないですね。お邪魔しました!」


 冗談じゃない。モラルに背きながら常識人を装うスリルの方がよっぽど楽しいのに。


作者は法律に詳しくありません。ご了承ください。

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