用が足せないトイレ。
『─現代パブリックアート展2024─』
最も世界に影響を与えた現代アーティスト100人に選ばれた私は、ニューヨーク郊外に新設されたとある美術館の公園に、新作のオブジェを創って欲しいとの依頼を受けた。
しかしながら、私が芸術家を志すに至る初動は、デュシャンの『泉』を置いて他、語ることは出来ない。
1917年──。マルセル・デュシャンが発表した作品『泉』。私にとっては芸術の根底を覆すほどの衝撃であった。
「先生、この度は、どのようなものをテーマに創作されたのですか?」
「それは、私にとっても甚だ不可解な跳躍に対する追求の究明の過程である……」
「?」
私は芸術家らしく謎めいた言葉を記者に残したが、取り分け理解し難い様子で、しばらく沈黙の時が流れた。
ニューヨーク郊外にある新設された美術館のこの公園の空は、何処までも青く、まるで絵画の世界のような雲が時を忘れるほど美しく流れている。
「これは、人間の体内における排泄物との対比であり、また、その世界そのものである」
私は、空を見上げて再び記者に答えた。
「──? つまり、どう言ったことなのでしょう?」
「つまり、人間の尊厳における世界の抽象化を芸術の概念から跳躍させて、至高を夢見ようとした試行の現代作品である」
「?」
ますます訳の分からないと言った様子で、記者が録音の機材とメモを取る。
それでも構わない。私は、自身のトレードマークとなる色褪せてくすんだ茶色の紳士帽を深く被り直した。
「ちなみに、どうやって用を足すんです?」
「よくぞ聞いてくれたね、君。それは、そもそも不可能なんだよ」
堰を切ったかのように、記者が私へとマイクを向けて、作品の核心へと迫ろうとした。
悠々と流れる青空と白い雲。私は彼方を遠くに見据え、目を細める。
「この青い空に届かんばかりに支えられし金の支柱──。その先にあるもの……」
「──公園の外灯よりも高さのある支柱の先端部分に、透明のアクリル板で立方体の形状をした空間が、形作られ設置されてますよね?」
「そう。この青空に輝く太陽を反射させているのが、君にも分かるかね?」
「はい。ですが、その中に置かれているのものは──。先生、アレですよね?」
「なるほど。君には、アレがアレに見える。つまり、見る者によって芸術は作られる──と言う事象が証明された訳だ」
「デュシャン──。ですか……」
──芸術家マルセル・デュシャン。芸術を放棄した芸術家。
彼の作品『泉』は破損消失しており、現存するのは一枚の白と黒の写真だけである。
その作品は、当時の芸術の世界で批判と物議を醸したが、2004年、世界の芸術を牽引する500人に最もインパクトのある現代芸術作品として、1位を獲得している。
「君の見たものは、何かね?」
デュシャンの作品から100年の時を超えた空を遠くに見つめ、私はもう一度、記者へと改めて尋ねた。
まだ少し冷たいニューヨークの風が吹き、青空の彼方に雲が白く棚引いて行く。
「便器──、ですよね?」
「そう、便器だ」
この青い空に届かんばかりに支えられし金の支柱──。公園の外灯よりも高さのあるその先端部分に、透明のアクリル板で立方体の形状を形作った空間の中に設置されているもの。
それは、便器だ。
確かに作品としては、デュシャンを模倣したものに過ぎないのかも知れない。
けれども、このニューヨークの青空に、燦然と輝く太陽と白い雲とともに、美しく輝く便器が空に浮かぶのは、まさに芸術を超えた至高の芸術作品とも言えよう。
しかしながら、私は、あの透明のアクリル板に囲まれた立方体の空間の中で、美しいこのニューヨークに新設された美術館の公園を遥か足もとに望みながら、用を足すことこそが──、
──私のデュシャンへの憧憬の念を完結させることの出来る、唯一にして永遠に到達し得ない未完の芸術なのである。




