中編
3時までには帰るよう言いつけてあった二人の子供が3時を過ぎても帰って来ないので、両親は心配しはじめていた。
「まさか……気づいたのか?」
父が顔を曇らせる。
「イザンが何か知らないか、聞いて来る」
母は心配で心臓が張り裂けそうな顔をして、食卓に座り込んでいた。
イザンの家は小さな林を越えてすぐ隣だ。家というよりは馬小屋のような建物だった。
「イザン、いるかね?」
父がノックをするが、返事がない。
「勝手に入るぞ?」
中へ入るとイザンはいなかった。調理台も居間も一緒になった一部屋しかないのですぐにわかった。
出ようとして、父の動きが止まる。部屋の壁に写真が飾ってあった。
側まで行って見ると、美しい女性の写真だ。グレーの長い髪に明るい笑顔がとても強そうに見えた。右目が白く、見えていないのがわかる。
「ふん……。監視官というのは皆、身体のどこかが欠けているものなのか?」
そう呟いた時、戸口のほうで物音がしたので、振り返る。
「イザンか? すまんが勝手に……」
戸口を塞ぐように、そこに異形の化物が立っていた。触手で立ち、獲物を見つけると、顎の下から巨大な鋏を出し、嬉しそうにそれを打ち鳴らした。
「牛の……首っ……!?」
後ろへよろけ、尻餅をついた父をめがけ、牛の首はガサガサと木の床を鳴らして接近し、ばつんと音を立てて鋏を閉じた。父の首がごろんと床に落ちた。
食卓で手を合わせ祈っていた母が顔を上げる。
「アキラ?」
誰かが家に入って来た物音を聞いたのだった。
「ユキナ?」
急いで立ち上がり、玄関のほうへ駆けた母は、自分から鋏の中へ飛び込んでしまった。
キシュッと音を立てて血飛沫が飛び散り、牛の首は転がった首と胴体を見下ろし、満足そうに何度もうなずくような、笑うような動作をした。
イザンは家に戻らなかった。
兄妹を洞穴に連れ込むと、そこで座り込んだ。
アキラは息を切らしていた。イザンに聞きたいことが山ほどあったが、呼吸が整わず、言葉を口にすることが出来なかった。その横でユキナは魂が抜けてしまったかのように放心している。
「すまんな」
イザンは息も乱していない声で、重々しく言った。
「俺がドアに鍵をかけていなかったばっかりにこうなった」
「どっ……ゲホッ、ハアッ、ハアッ……」
アキラはまだ言葉が発せず、ただイザンの姿をまじまじと見る。
いつものイザンだった。左目が縦の傷とともに潰れている。右手の手首から先がなく、袖をくくっている。
図鑑で見たオオカミに似ているといつも思っていた。身体は細いのに、どう見ても強そうだ。
「あれは……何なの?」
ようやく喋れるようになったアキラは聞いた。
「なんで……なんにもないの!? 町は!? 雨は!?」
「こうなっちまったら明かしてもいいだろうな……」
イザンはそう呟くと、兄妹に言った。
「お前さんはここが地球だと信じて育ったんだろうが、残念ながらここは流刑星だ」
「る……けい……?」
「重罪人が送られる星だよ。あの両親はほんとうのお前らのパパとママじゃない。宇宙旅行中の自家用宇宙船がこの星に漂流したことがあってな。乗員は幼い兄妹を連れた若い夫婦だった。それを殺害し、あいつらはお前らをぶん取って、自分の子供にしちまったんだ。あいつらは地球では、二人で37人の人間を殺した猟奇殺人犯だからな」
イザンが何を言っているのか、アキラはわからなかった。わからないことだらけで気が狂いそうだった。
「俺は宇宙刑務局に雇われた、ただの監視官だ。役人じゃねぇ。監視官は身体の欠損で役に立たなくなった傭兵がやらされる仕事さ。流刑囚に脱走されれば罰されるが、それ以外では何のお咎めもない。だから好きにやらせてる」
アキラの顔が蒼白になっている。何も言わず、ただ目を大きく見開いて、うつむいている。
「おうち……帰りたい」
ユキナがぽつりと言った。
「パパとママに会いたい……」
「今頃食われてるよ」
イザンが平気な顔で言った。
「ドアを開けっぱなしだったろ? 瘴気がドームの中まで入り込んで来ていた。瘴気が流れる先に牛の首は動く」
ユキナが静かに泣き出した。
その頭に左手をぽんと乗せて、イザンが言葉を続ける。
「ま、どうせお前らのほんとうの親じゃねぇ。パパはユキナを、ママはアキラを狙ってた。子孫を増やしてこの星で生き続けようとしてたのさ。二人とも、あいつらに襲われなくてよかったな」
「どうしよう……」
ようやくアキラが口を開いた。
「どっ……、どうしよう! どうしようどうしようどうしよう! イザン!」
「落ち着け」
自分に縋りついて身体を揺らすアキラを、イザンが引き剥がす。
「これはチャンスだ。刑務局に連絡し、受刑者は死んだと報告すれば……。そう、罪のない子供が二人取り残されていると言えば、迎えが来るだろう。俺1人じゃ来てくれねぇだろうが、お前らがいてくれて助かった」
イザンが何かに気づき、人差し指を立てる。
嗚咽を漏らすユキナの口を左手で塞ぎ、聞き耳を立てた。アキラが懸命に息を殺す。
洞穴の外を、シャラシャラというような音がいくつか、通り過ぎて行った。
「……行ったな」
イザンがようやく声を出した。
「歩く地面によって、あいつら足音が変わるから面倒臭ぇ……」
「どうするの?」
アキラはイザンに頼りきっていた。
「イザンの言う通りにする。どうしたらいい?」
「局に連絡するには俺の家にある無線機を使わないとだが……」
イザンは難しそうな顔をした。
「ドーム内は牛の首で溢れ返ってるだろうな……。あそこには食い物もあるし」
アキラが聞く。
「あれは何を食べるの?」
「動く生命体しか食わん」
イザンは答えた。
「基本的には共食いだ。森の動物たちが見つかって大変なことになってることだろう……。しかし、戻らないわけにも行かんな。牛の首は夜のほうが活動的になる」
イザンは立ち上がった。
「考えてる暇はねぇ。強行突破だ」