前編
家紋武範さま主催『牛の首企画』参加作品です。
アキラは11歳、ユキナは9歳。
兄妹はのどかな森の側の家に生まれ、育った。
パパとママは優しくて、隣に住むイザンさんは不審者だけど、本や漫画や図鑑に囲まれて、外へ出れば可愛い動物達と戯れて、毎日を楽しく過ごしている。
「今日はリスとブロッコリーのスープよ」
ママがそう言ってテーブルに並べたお皿が香る。
友達のリスが食材になることには慣れっこだ。
とろみのある緑色のスープを口に運びながら、兄妹は話し合う。
「パパが作ったブロッコリー、丸々青々で美味しいよね!」
「あたし大好き! パパ、ママ、いっつもありがとう」
優しいパパとママは、顔を並べてにっこり笑った。
「ところでアキラ。おまえ昨日、イザンと何かしてなかったか?」
急に厳しい顔になって、パパがそう言った。
「いつも言ってるが、イザンとは口を利くんじゃないぞ?」
「狩りに使う網を作るの、手伝ってただけだよ」
アキラは素直にほんとうのことを言った。
「あのひと、右手と左目がないから、困ってそうだったから」
「優しいのはいいことだけど」
ママが心配そうに言う。
「優しすぎるとつけ込まれて、酷い目にあわされるわよ? ほんとうに……イザンとは関わらないでね?」
「それから、これもいつも言ってるが」
パパがいつものように注意する。
「外で遊ぶのはいいが、丘の向こうには絶対に行くな。危険なオオカミがいるからな」
「うん、わかってるよパパ」
「はーい、パパ」
兄妹は朗らかな声を揃えた。
兄妹は今日も森へ遊びに出掛けた。
森はのどかで、いつも明るく、可愛い動物たちがいっぱい、いた。
木から降りて挨拶して来るリスに、ユキナがにっこり挨拶を返す。
「昨日、食べちゃったの、あなたの子供かもしれない。ごめんね」
リスは何も食べ物を貰えないとわかると、平和な顔つきで木の上へと戻って行った。
二人で手を繋いで散歩して、森を抜けた。目の前に小高い丘が現れる。
「ねえ、ユキナ。あれに登ってみようよ」
いきなりそんなことを言い出したアキラに、ユキナはびっくりして口を大きく開けた。
「ダメだよ! パパに言われたばっかりでしょ! 怖いオオカミがいるんだから! 食べられちゃうんだから!」
アキラは妹を安心させるための笑顔を作り、言う。
「パパはいっつも大袈裟なんだよ。イザンさんと口を利くなって言うけど、イザンさんもいい人だし」
「でもぉ〜……」
ユキナは不安そうに身体を縮こまらせた。
そんな妹に夢を見せるように、アキラは語った。
「なぁ、図鑑や漫画で見たろ? 僕ら一度も行ったことないけど、世界には町ってところがあって、人がたくさんいるんだって。僕ら生まれてからずっとパパとママとイザンさんしか見たことがないだろ? もっとたくさんの人に会いたいよ。あの丘の上から町が見えるかどうか、それだけでも確かめてみないか?」
「え〜……」
「ユキナは雨が見たいって言ってたろ?」
「うん」
「僕も見たい。空から水が降って来るなんて、どんなんだろう? 空の色が変わるんだぞ? 昼と夜だけじゃなくて、空は灰色になることもあるんだって。町に行けば雨も降るんだって。見てみたくないか?」
「見たい!」
「じゃあ、行こう」
二人は丘を登りはじめた。
息を切らし、急な丘を登る。
へこたれかけた妹の手を引いて、アキラは遂に丘を登りきった。
その向こうにあった景色を見て、絶句した。
丘の向こうは一面のクレーターの景色が広がっていた。
「町は……?」
アキラが声を漏らす。
「草木の一本も……ないよ?」
ユキナが怖がって泣き始めた。
もう少し近づいてみようと妹の手を引き、数十歩進んだところでアキラは顔から何かにぶつかった。
「いて……!」
あまりの痛さに後ろに転んだのを、一生懸命ユキナが抱き起こす。
「な……、何にぶつかったんだ?」
顔を上げ、よく見てみたけど何もない。
しかしさらによく見てみると、気がついた。
空中にひとつ、金色のドアレバーがぶら下がっている。
「なんだ……これ?」
「ドアのあれだよ。回すやつ」
「開いてみる?」
「鍵かかってるんじゃない?」
アキラはおそるおそる、それを掴むと、回した。
それは容易く回転し、カチャリと何かが開く音がした。
外の瘴気が入り込んで来る。のどかだった空気が急に冷たくなり、背筋がぞくりとした。
「こんな感じ初めて」
泣いていたユキナの顔が興味津々になっている。
「ドア、開いたんだよね? 出てみよっか」
「う……、うん」
ドアはあまりに透明で、目には見えなかったが、そっと身体を潜らすと、さっきぶつかったものに阻まれることなくあっさりと二人はそこを通り抜けた。
丘の向こうの下りからいきなり砂漠になっていた。砂漠のところどころに岩が突き出しており、盛り上がった岩山のようなものは遠くのものを見ればクレーターだとわかる。
「くさい……」
二人は手で顔を覆いながら歩く。
「なに、この臭い……」
二人には嗅いだことのない臭いだったのでわからなかったが、それは鉱石の臭いだった。酸化鉄の臭いが大気に充満している。
生きているものの影は見当たらない。植物は一本も生えていなかった。暫く歩き続けても何もない。出て来たドアの位置がわからなくなる前に、もう帰ろうかと思った時だった。
クレーターの横に洞窟があるのを見つけた。その中から何やらざわざわという、森の木が夜に不吉に揺れるような音がする。
「誰か……いるのかな?」
アキラが言った。
「リスさんじゃない? 行ってみよう」
ユキナが言った。
洞窟の入口に二人で立ち、中を覗き込んだ。
ざわざわという音が大きくなる。
「こんにちはー」
「リスさん、いる?」
それらが一斉に、振り向いた。
それらは黒い牛の首だった。首の下から無数に細い触手が生えており、赤黒いその触手を足のように使い、ざわざわと足音を鳴らし続けていた。
15体はいるであろう牛の首たちは、二人を見つけると、どれもこれもが顎の下から大きな鋭い鋏のようなものを出し、二人のほうへそれを向けてシャキシャキと打ち鳴らしはじめた。
「うわ……!」
「お兄ちゃん……!」
二人は大慌てで振り返り、しっかり手を繋いで走り出した。
牛の首たちは洞窟の中からそれを追って出て来た。
二人は一生懸命、必死で逃げた。
牛の首たちの歩行速度は鈍く、追いつかれることはなさそうだった。
しかし砂の上になると兄妹の速度が落ちた。砂が体重を吸い込み、なかなか前へ進ませてくれない。
対して牛の首たちの速度は砂の上で加速した。触手による歩行は砂の上に適しているようだった。
鋏を打ち鳴らし、狂った目をして、牛の首たちが触手を前に伸ばして来た。それはゆっくりとしたものながら、確実に兄妹との距離を縮めている。
黄色い閃光が走った。
牛の首の一体が後ろへ弾け飛び、他の者がたじろいだ。
「こっちだ!」
その声に兄妹が振り向くと、右のほうからイザンが駆け寄って来るのを見た。
「イザンさん!」
アキラは泣き叫ぶようにその名を口にし、ユキナの手を必死に引いて走る。
アキラの手を左手に掴むと、イザンは物凄い速さで駆け出した。
臆したように牛の首たちはその場に停止していた。みるみる距離が離れて行った。