第二章 アターリ伯爵領
子爵領を拝領して十日。俺の元副官であるエルキュールが侍従長として城内の使用人の統括に当たり、中央派遣の代官を辞したジルベールが家令として財政を仕切る。そして元懲罰兵だった部下のギヨムが憲兵隊長として城の治安維持を受け持つ。
ここで三人の容貌について紹介しておこう。
エルキュール侍従長は長い軍歴が嘘のようなダンディーな男で、髪は白髪交じりのグレーである。既に城の使用人たちを掌握し、まるで何年も一緒に働いているかのようである。
ジルベール家令は長身痩躯。青白い貌で切れ長の目には常に隈が浮いている。ワーカホリックだが、ギヨムに斬られてエルキュールに闘気治療を施されてからは何故か体調が良いらしい。陛下に直談判したら、所属変更はすぐに承認された。あまり借りを作ると後で怖いのだが。
ギヨム憲兵隊長は傷だらけの顔。中でも最も目立つ額の縦傷は俺が付けたものだ。一刀両断にする心算で放った渾身の一撃を持っていた木の棒で威力を弱めて一命を取り留めた。武器が同じならやられていたのは俺の方だっただろう。
解雇した民兵たちだが、帰る場所が無いと言う事なので、子爵領内の耕作放棄地の再開発をやらせている。取り敢えず三年は無税。その頃には領内も復興しているだろう。
さて今日は家令のご母堂が到着する予定だ。
「何だ。今日は休暇の筈だろう?」
ご母堂を出迎えている筈の家令が俺の執務室に現れた。
「ご心配なく。用が済んだらすぐに引き上げます」
ジルベールは母親に付き添ってきたと言う親切な聖職者を俺に紹介して帰っていった。
「久しぶりだな」
「もしかして兄上ですか?」
祭服を纏った人物はどうやら俺の次兄らしい。何しろ会うのは十年ぶりだ。
「俺は聖職者の衣装には詳しくないのですが、リシャール兄上の着ているのは司教服ではないかと拝察しますが?」
「私は半年前から司教だが」
「その若さで司教とは大層なご出世でいらっしゃる」
次兄は俺よりも四つ上だからまだ三十になっていない筈だ。
「まあお前ほどではないよ、子爵殿」
と苦笑したが、
「兄上が生きていたらさぞや喜んだだろうに」
「兄上が、亡くなられた?」
「それも知らなかったか。三か月前の事だ」
「そうすると男爵家の跡継ぎは?」
「それは心配ない。アンリ兄上は結婚して息子を遺している」
長兄のアンリは俺よりも十一歳上で、生きていれば三十六歳。俺が少尉に任官したと連絡した際に、折り返しで結婚したと言う返事をもらった。
「甥っ子はいくつになるのかな?」
「まだ四歳だ。実を言うと私が司教職を戴いたのも甥を後見させるためでもあってな」
「後見と言ったって、まだ父上はご健在なのでは?」
「実家の男爵家の話ではない。甥のアンリが継いだ伯爵家の話だ」
話をまとめよう。
長兄のアンリは伯爵家のご令嬢を娶った。ご令嬢は一人娘だったので、兄は伯爵家の婿養子となり、今は二人の遺児であるアンリが伯爵位を継いだ。ここまでは良いとして、
「俺たちの甥っ子はアターリ伯爵で、私は伯爵領に属するサン・ナーブルの司教だ」
なるほど。本当に手頃だ。
「そう言う訳なので、一度アターリ城へ顔を出してくれ」
「…お急ぎですか?」
「何?」
「急いで帰る必要が無ければ、今日は泊って行ってください。十年分の情報交換をしましょう。その上で、明日同道しますよ」
これから向かう伯爵家については後で語るとして、父のアンリ男爵がどうしているかと言えば、
「あの人に伯爵家の後見人は務まらないよ。商才はあっても、貴族の家のしきたりなど何も知らない人だから」
俺たち三兄弟の母は俺が家を出る直前に亡くなったが、その後に迎えた若い後妻との間に子供が二人いると言う。男爵位はその幼い弟のどちらかが受け継ぐ事になるだろう。
「俺も軍隊の事しか知らないぜ」
「伯爵家の経営については私が受け持つ。お前に頼みたいのはまさにその専門分野だ。伯爵領は内乱の余波で治安が悪くてなあ」
ある意味渡りに船である。伯爵家の資産を使って直営兵を調える事が出来るのだ。
俺はギヨムとその配下の懲罰兵二名を引き連れてアターリ伯領へ向かった。残り七名の憲兵見習いは城に残してエルキュールに任せる。俺とギヨムは自前の騎馬で、懲罰兵二人は兄の一行が乗ってきた馬車に便乗した。
兄のリシャール司教の護衛で来た伯爵家譜代の騎士が俺に喧嘩を売って来たので、兜の上から剣でぶっ叩いて兜だけを両断してやったら大人しくなった。
「流石は殿だ。俺がやると兜だけでなく全身を真っ二つにしてしまいますからねえ」
とギヨムが豪快に笑う。そちらの方が凄い気もするのだが。
アターリ伯爵領はコーバス子爵領と比べて面積では四倍ほどだが、山がちなコーバス領と比べて平地が多いので耕作可能面積では十倍近い。加えて街道が交差する要衝にあるので商業も発達している。だからこそ内戦による痛手も被っているようだ。
アターリ領に入って程なく傭兵崩れの盗賊団と遭遇した。数にして五十ほどだが、闘気の使い手は数名だろう。戦って勝てなくも無いが、
「生憎だけど、襲っても実入りはほとんどないよ」
と交渉を持ちかけると、
「かもしれないが、俺たちも喰うに困っていてねえ」
と敵の指揮官。幸いにも話せば判るタイプの様だ。
「ではそちらで一番強い人間を出してくれ。こちらからも一人出すので一騎打ちで勝負を付けよう」
と持ち掛ける。
「そちらの代表が勝ったら、ここの伯爵家に雇ってもらえるように交渉してやる。こちらが勝ったら、俺の部下になってもらう」
「それはこちらに都合が良過ぎないか?」
と疑念を持たれるが、
「馬車に乗っているのはアターリ領サン・ナーブルの司教様だ。俺たちは伯爵領の治安回復のためにアターリ領へ雇われた、軍事顧問団でね」
嘘は言っていない。
「彼の条件は私が保証しよう」
と兄リシャール司教も馬車から顔を出して後押ししてくれた。
「それなら」
と剣を抜こうとする敵の隊長だが、
「悪いが隊長以外で頼む。万が一体長が死んだら残った部下が自暴自棄になって襲ってくるかもしれないから」
「では副長に頼もう」
こちらはギヨムが出る。
「全力で行け」
と声を掛ける。相手に聴かせることで向こうの全力を引き出すためだ。
思った通り闘気を全開にしてきた。ただ小細工なしで真っ向から打ち込んできたことがやや減点だ。ギヨムはその全力の一撃を真正面から受け止めると、鍔迫り合いの状態から逆に押し返して背中から地面に叩きつけた。彼が軍曹として新兵を鍛える際によく使った勝ち方で、自分の実力を誇示することでその後の教練をやり易くするのだ。
「ちょっと強すぎたかな」
相手の副長は血を吐いてぐったりしている。
「こちらの勝ちで良いかな?」
「ああ。救護を」
軽装の兵が駆け寄って来て、
「まさか。ヒーラーか?」
手を触れることで対象の傷を癒す術者で、エルキュールのやる回復補助とは全く違う。
「ヒーラーまでいて、どうして盗賊行為なんかしているんだ?」
「俺たちは、第一王子を後援していた大公爵に雇われていてね。王子が即位したら騎士として取り立ててもらえる契約だったのだが」
第一王子は内乱の半ばで急死して、そこから戦いの様相が一変したのだ。
「公爵は戦いから身を引いて領地に籠ってしまい、俺たちは契約を打ち切られて路頭に迷う事となった」
なるほど。初期の武功が仇となってどこの陣営からも受けれてもらえなかったか。
「全盛期にはこの十倍は居たんだけどなあ」
「まだ生き残っているだけでも十分凄いよ」
第一王子が勝ち残っていれば俺たちの立場は逆だったか。
「隊長、名前は?」
「アンニバーレだが」
俺は剣を抜いて、
「跪け」
アンニバーレ隊長の左右の肩を剣の峰で叩き、
「コーバス子爵アルチュールの名において汝アンニバーレを騎士に叙する」
呆気にとられるアンニバーレを尻目に、
「残りの叙任は城についてからゆっくりと行う」
俺は一気に五十名の精鋭を手に入れる事となった。