7話 グロキシニア魔術帝国
鮮やかな花ばなが咲き誇る庭園に、鈴を鳴らしたような女の子の声が響き渡る。
声の主は、零れるほど大きい碧色の瞳に、陽の光で輝く金色の波打つ髪の美少女だ。少女の雰囲気によく似合うパニエのドレスを身にまとった姿は、まるで花の妖精の如く可憐である。
『わぁっアスターさま、すばらしいです!もっと見せてくださいますか』
庭園の中央には大理石で造られた白亜の噴水があり、神話に登場する女神の彫刻像が四対建っている。女神が持つ水瓶からは水が流れ出る豪華な造りの噴水だ。
『ティアが喜ぶならいくらでも見せてあげるよ』
アスターは嬉々として噴水の水面をひとなでする。すると水面から小さな水の玉がポンポンポンといくつも浮かび上がり、水の玉は一瞬のうちに帯びれの長い魚の姿へと変化した。
『まぁ、水でできたお魚さんですね。かわいらしいですわ』
カンティアーナは小さく手を叩いて喜びはしゃぐ。水の魚たちは水の中に飛び込んだり、水面を飛び上がったりと飛び魚のように飛び跳ね、まるで意思を持った生き物のように水が動いている。
『アスターさまとてもすてきです。ティアは、毎日アスターさまのまじゅつを見ていたいのですが……』
何かを思い出したように、途端に悲しげな表情になったカンティアーナは俯く。
『ティア?』
アスターは優しく声をかけながらカンティアーナの前に膝まづく。下を向くカンティアーナの顔を覗きこむと、大きな碧色の瞳は潤んでおり今にも雫が落ちそうであった。
『お父さまのお仕事がおわったので、明日ルピナスにかえらなくてはいけないのです……』
話し終えると同時にポロッと涙が頬を伝う。アスターが零れる涙を指でそっと拭うと、耐え切れなくなったカンティアーナがポロポロと泣き始めた。
『うぅっ……つぎにお会い……できるのが……ヒック……らい年なんて……アスターさまと、もっといっしょに、うぅぅ……いたいです……』
『ティアのお父上と皇帝陛下の定例会談は今日までだったね。そうか……この帝城庭園でティアと出会ってからあっという間に日が過ぎていたんだね』
美しい涙を流す少女を前にアスターは可愛らしいと思う一方で、自身も離れがたいという気持ちが沸々と沸き起こっていた。
『あぁ泣かないでティア。君の宝石のような瞳が赤くなってしまうよ』
ついには声を上げて泣き出すカンティアーナに、遠くで控えさせている護衛や侍女らが駆け寄ろうとしているのを目で制す。アスターはわんわんと泣いているカンティアーナを抱き上げると、髪を優しく撫でながら落ち着くまで抱きしめていた。
『僕もティアと離れるのはとても寂しいよ。でも来年また会うと約束しよう。その日までティアに魔封書を送ろうと思うのだけど……そうだ、その中に魔術を同封するというのはどうかな?』
アスターの提案にカンティアーナの泣き声がピタリと止まる。
『まふう書にまじゅつを……ですか?』
目を赤くさせ涙で滲むカンティアーナの瞳に、眉を下げたアスターの顔が映った。どうにかこの愛らしい王女を笑顔にできないかと、アスターは虚空に大きく手を振るった。
『たとえば、こんなのはどうかな?』
その直後、カンティアーナの目の前には圧倒的な色彩の海が広がっていた。帝城庭園中に光輝く蝶の軍勢が舞っているのだ。さらには、七色に輝く粒子がその羽ばたきよって舞い散り周囲を虹色に染めていく。
『アスターさま……とても……とてもきれいです!!』
幻想的な光景に感激して声を出せずにいたカンティアーナは、ぎゅっとアスターにしがみ付いてようやく感嘆の声を出した。
先程、下がらせた護衛や侍女達からも歓声があがっている。
カンティアーナは未だ惚けた様子であったが、ひらひらと近付いてきた蝶に興味を示し自らの手を差し出した。蝶がカンティアーナの小さな指に止まった瞬間、しゃぼん玉が弾けるように黄金の光の粒となって弾ける。それを合図に他の蝶たちもカンティアーナのドレスにくっついて消えると、見る見るうちに黄金に光り輝くドレスへと変化した。
『まぁ!なんてすてきなドレス!!』
『ハハ、ちょっとやり過ぎたかな。でもティアが光り輝く妖精のようでとても綺麗だよ』
アスターは微笑みを浮かべて囁くと、そっとカンティアーナの額に口づけた。すると、飛び回っていた光の蝶たちは一瞬で弾けて黄金色の光がゆっくりと舞い落ちてくる。
頬を染めたカンティアーナとアスターの二人は、光りに包まれながら微笑み合うのだった。
『ここにいたか、アスター』
庭園に響いた低く威厳のある声。アスターはゆっくりとカンティアーナを下ろすと、その人物に向かって敬礼をした。
『ハオルシア皇帝陛下』
グロキシニア魔術帝国の皇帝ハオルシアその人は、青みがかった艶のある黒髪を後ろに流した色気のある美丈夫だ。金色の瞳がアスターを見て柔らかく弧を描く。
『堅苦しい挨拶はいい。今は叔父として甥のお前に会いに来たのだ。ルピナスの王女も楽にしなさい』
敬礼をするアスターの後ろでは、カンティアーナが幼いながらも完璧なカーテシーで挨拶をしていた。
『ハオルシア叔父上、御用でしたら私の方から伺いましたのに』
『ちょうど回廊からアスターの魔術が見えたのでな、ちょっと顔を見に来たのだよ。それでついでにだな……』
アスターの肩に手を回したハオルシアは、ちらっと後ろを振り向く。
『お父さま!』
ハオルシアが視線を送った先へと、カンティアーナは可憐な声と共に駆け出していく。そして、父と呼ぶ男性に飛びつくと満面な笑みを浮かべた男性は、カンティアーナを抱き上げてこめかみに口づけを送った。
『アスターがルピナスの王女と親しく接しているという報告は受けていたよ。王女の父君であるユーフォルビア国王とは長年の親友でな、自慢の甥を紹介しようと思って連れて来たのだ』
ハオルシアはそう話すとアスターにウインクをした。
ルピナス王国の国王ユーフォルビアは、ウェーブがかった金髪に碧色の瞳の持ち主で顔立ちは甘くスラリとした長身の男性だ。カンティアーナと面立ちが似ており、今は周りの目を気にもせず娘に頬ずりをしている。
『ユーフォルビアよ、余の末弟アドニス・デライトの息子で甥のアスターだ』
もう一人の叔父であり皇帝でもあるハオルシアが自慢気に紹介を始める。ユーフォルビアは、カンティアーナを抱きしめたままハオルシアの話に耳を傾けた。
紹介が終わるとアスターは姿勢を正し、ユーフォルビアに敬礼する。
『君が初代皇帝オロスタキスの再来と呼ばれている魔術士アスターか。ユーフォルビア・セレネ・ルピナスだ。大陸で唯一の全属性持ちの魔術士殿に会えて光栄だよ』
カンティアーナを片手に抱いたまま、ユーフォルビアは手を差し出しアスターと握手を交わす。
『私も賢王と名高いユーフォルビア国王陛下とお会いでき大変光栄です』
胸に手をあてたアスターは敬意を称するように目を伏せた。
『お父さま!アスターさまのまじゅつは、うつくしくてすばらしいのですよ!』
大人達の会話の魔術士という単語を拾い、カンティアーナは興奮気味に話しかける。
『あぁ、私も先程の光の蝶を見ていたよ』
ユーフォルビアは腕の中ではしゃいで話す愛娘の頭を撫でた。一見柔和な表情を浮かべているが、その腹の中はアスターに嫉妬の色を滲ませているのだった。
『カンティアーナがね毎日、君の魔術がすごいと話していてね。全く妬けてしまうよな、はは。先程の魔術も庭園中が光輝いて本当に素晴らしかった。でも、なんでティアは泣いていたのかなぁ?君が泣かせたのかなぁ??んん???』
笑顔でぐいぐいと詰め寄ってくるユーフォルビアの目は全く笑っていない。
『お父さま!わたくしが泣いてしまったのは、明日からアスター様にお会いできなくなるからです……ですから……かなしくて……うぅ』
見かねたカンティアーナが間に入るが、アスターとの別れを思い出して涙を滲ませ始める。ユーフォルビアとアスターは慌ててカンティアーナをなだめた。
その後ユーフォルビアはパッとしない表情を浮かべながらも、真剣な眼差しをアスターに向ける。
『君の魔術には本当に脱帽したんだ。ルピナス王家は代々"セレネ"の称号を受け継いでいる光属性の魔術を扱う家系なんだ。けれど、君が展開した光属性をベースにした他属性を組み合わせる魔術なんて見たことがないよ。あんな高度で繊細な魔術を一瞬でやってのけるなんて、ハオルシアが自慢したくなるのも頷ける』
『恐れ入ります、ユーフォルビア国王陛下』
アスターは恭しく頭を下げる。その時、豪快な喋り口で会話に入る男性が現れた。
『だが、アスターは加減ってもんを覚えないと、いつかデッカイ魔術ぶっ放してどっか吹っ飛んでくかもな』
『レオノティス叔父上』
『ま、王女サンの泣き声がそこら中に響いてたからな。好きな子が泣いてたら力も入るってモンでしょーがねぇよな!』
レオノティスはニカっと笑いながらアスターの頭をガシガシと撫でる。いつもの事なのでアスターは特に抵抗することもなく無表情でされるがままになっていた。
ここにいる誰よりも身長が高いレオノティスは、鍛え上げられた体躯をしている。切れ長の目にハオルシアと同じ金色の瞳を持ち、短めの黒髪はアップバンクにした無造作な髪型で襟足の部分だけ長く三つ編みに束ねている。魔術士団のローブは片方の肩に引っ掛け、軍服のジャケットは開けてラフに着こなすヤンチャな雰囲気の偉丈夫だ。
一方カンティアーナは「泣き声が庭園中に響いていた」と「好きな子」と言ったレオノティスの言葉に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にさせてユーフォルビアの胸に顔をうずめた。ユーフォルビアは愛娘のそんな姿にあたふたしていると、低音の効いたハオルシアの笑い声が響く。
『ははは!そのように愛らしい王女だと、アスターが気に入るのも仕方がないの。幼き時分より滅多に笑わぬ子でおったが、たった数日で王女に笑顔を見せるほど心を開いたのだからな。よもやユーフォルビアと縁者となる日も近いのかもしれんな』
それを聞いたユーフォルビアは、顔色を変えて愛娘をさっとマントの中に隠す。そして焦った様子で抗議の声を上げた。
『なっハオルシア!?うちの娘はまだ7歳だぞ!婚約者などまだ早い!!というか、結婚などしない!!!あっまさか……急に紹介するとか言い出したのって……!?』
アスターとカンティアーナの婚約を示唆するハオルシアの企みに気付くと、わなわなと指をさしながら問い詰める。
『はて、何の事やら。余は天才の甥子を紹介したまでのこと』
優雅な仕草で肩をすくめしれっと切り返したハオルシアに、さらにカンティアーナを隠すようにユーフォルビアは抱きしめる。
『交際……婚約……絶対反対!!』
『おいおい、相変わらずの親バカだなお前は。俺達の甥子だってまだ12歳だぜ。来年には史上最年少のグロキシニア魔術師団の入団が決まってんだ。今の内に婚約を締結しとかねぇと、目の色変えたご令嬢方に捕られるぜ』
父親のマントの中で聞こえてくるレオノティスの言葉にカンティアーナはビクっと体を揺らせた。
『だだだがなっ!カンティアーナはお父さま大好き♡って毎日言ってるんだ!!私以外の誰かを好きになるはずないではないか!!絶対にあり得ない!!!』
駄々をこねた子供のように首を振るユーフォルビアに、レオノティスはドン引きする。
『うわ、ユーフォルビアうぜぇ……』
ルピナスの賢王と賞賛されている国王ユーフォルビアと、グロキシニア魔術士団団長で皇弟であるレオノティスの突然始まった言い争いの声が、鮮やかに咲き誇る庭園に響き渡る。ハオルシアは友人と弟の言い争いを面白いし止めるの面倒くさいという理由で傍観し、無表情で眺めていたアスターは早く終わらないかなと、ため息を一つついていた。
そんな時、ジャケットの裾をちょいと引かれたアスターは下を向く。するとそこには、ユーフォルビアの腕からいつの間にか抜け出ていたカンティアーナがいた。
『あのアスターさま、少しかがんで下さいますか?』
『ティアどうしたの?』
先程まで無表情であった顔は、愛らしい王女を目前に一瞬にして蕩けるような笑顔になっている。そんな甥の見たこともない表情を目の当たりにしたハオルシアは思わず「おぉ?」と声を上げた。
『アスターさま……どなたかと、こんやくされるのですか?』
カンティアーナは上目遣いでおずおずとアスターに問いかける。一瞬驚いたアスターは、クスっと小さく笑うとカンティアーナの頭を撫でながら口を開いた。
『いいや、婚約をする人はいないよ』
『では、わたくしとこんやくしてくださいませ!』
ひと際大きく可憐な声が響く。アスターも含めてその場にいた者達が目を見開いてカンティアーナに注目する。
『アスターさまがいちばん大好きです!わたくしだけのまじゅつしさまになってくださいませ』
手を前に握りしめて気合を入れ一気に言い切ったカンティアーナは、目の前に跪くアスターの唇に口づけをした。
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