表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

第三章「虚ろいの国」-1

 世界的に見ても遅い春を迎えていた満州の大地にも、日本と同じソメイヨシノの優しい色がちらほらと見られるようになった。

 大陸の春の証である紅黄色いヴェールの砂塵でさえ、春の情景に色を添えるようだ。

 

 計画的に建設された幅広の舗装道路を行き交う人々も、ようやく落ち着きを取り戻した風に見える。

 街の中心部という事もあり笑顔も多い。

 しかも、年を経るごとに行き交う人の数は膨れあがっていた。

 そんな情景を見ていると、ここ数年の激変など鏡の向こうの出来事のようにすら思えてくる。

 

 立花清少将は、頭の片隅で周りの景色を観察しつつも、久しぶりに訪れた砂上の都をそれなりに満喫していた。

 それが分かるのだろうか、連れ添っていた女性も明るい声を上げる。

 

「さすが都でございますねぇ、旦那様。大連よりも人も物もたくさんございますわ。これなら不足しているものも買えそう。大連じゃラジオの真空管がなかなか手に入らなくて困っていたんですのよ」


 明るく話す彼女を見ていると、時々自分の身の回りの変化にどうしても戸惑いを覚える。

 

 何しろ連れ添っている女性は、典型的なスラブ系の中年女性。

 年齢もあってか、彼の細君の二倍ぐらいありそうな恰幅の豊かな体つきをしている。

 そして彼の今の立場が、事実上の亡命もしくは流浪状態であるはずの彼に、女中付きの大きな屋敷を手にさせていたのだ。

 

 そんな事を考えつつも、つとめて明るく声を返した。

 

「マリア女史は、新京は初めてですか?」

「いいえ、旦那様。私の生まれはハルピンですのよ。けど、女学校を出てからは満鉄に務めておりまして、新京にも何度か。もう少し若けりゃ「あじあ号」のウェイトレスだって……アラやだ、私ったら何話しているんでしょうね」


 彼女は屈託なく笑う。

 

 しかし、彼女は運の良いロシア人だった。

 

 この年でハルピン生まれということは、ロシア人でも共産主義の支配を知らないロシア人だ。

 今のご時勢、最悪ならソ連に連行されて処刑かシベリアの強制収容所送り。

 そうでなくても、今や小モスクワとなったハルピンならば、共産党バッジを付けていないだけで肩身の狭い思いをしなくてはならない。

 建国の混乱期に、粛清を警戒して日本やアメリカ、カナダに渡ったロシア系住民も多いと聞く。

 一九四四年暮れ以降は、おそらく苦労の連続だっただろう。

 

 彼女がこうして往来を気にすることなく歩けるのは、彼女の主人である彼の地位と立場、専門技術が大きくものをいっていた。

 

 そして、元帝国軍人立花清と彼に付き従う女中、彼らが見る街の情景こそが、今彼らが立っている人工国家の縮図と言えた。

 

 新京一の賑わいと言われる日本橋通りの端にある新京百貨店の繁盛ぶりを見つつ、立花は虚ろい揺れる国の有り様を彼女と重ねて見ていた。

 


 「大東亜人民共和国」。

 それが旧満州地域を中心に、北東アジア中心部に広がる新たな人工国家の名前だった。

 

 建国当初の版図は、旧満州国全域と済州島を除く朝鮮全土、そして蒙古連盟自治政府(内蒙古)と万里の長城以南の華北の一部が含まれる。

 

 総面積は外モンゴル全土にすら匹敵し、日本本土の四倍以上の版図を誇っていた。

 世界的に見ても国土の広い国に含まれるだろう。

 国土の多くは赤い土が特徴的な草原だが、広い国土には農地も多く地下資源も豊富で、人工国家が依って立つには過ぎたる大地かもしれない。

 

 しかも、この国を構成する民族、人民と政治形態は実に複雑だった。

 

 もともと母体となった満州国は、日本の傀儡国家にして昭和日本の制度を完全コピーした促成栽培の国民なき近代国家だった。

 異論も多々あるだろうが、少なくとも建国から十年ほどで近代国家としてのほとんどのシステムを確立したことは、一定の評価に値するだろう。

 内実は日本的官僚専政と軍部独裁の最たる政治組織だが、完全な上意下達組織のため効率は最上級のものだ。

 かのスターリンですら、大東亜建国後に軍部と官僚団を激賞したと言われ、ソ連型共産国家の模範にしようとしたとすら言われる。

 

 他、併合から三十五年で千年前の文明レベルと言われた地域から、日本本土とほとんど変わらない地域に育っていた朝鮮統治についても同様だ。

 軍国主義日本の外地における完成型がそこにはあった。

 

 もちろん、どちらも他民族の国や地域を、日本の一部もしくは疑似コピーに仕立て上げようとした事の弊害は非常に多かった。

 中国共産党とソ連を資金源や武器調達源とする馬賊、ゲリラの問題は、満州国時代の慢性的病とすらいえた。

 従順だった朝鮮半島でも、一時期までは独立運動が激しく、共産党ゲリラが存在する。

 

 だが日本帝国が莫大な国費を投じて整備・建設された様々な制度・統治システムと一部では日本本土以上だった社会資本は、新たな人工国家のこれ以上ない母体となった。

 

 なにしろ大東亜人民共和国の真の目的は、欧米列強に屈した日本本土、日本列島、そして日本民族全ての「解放」にあるからだ。

 だからこそ自らも「日本」であり、「大日本帝国」であり続ける必要があった。

 だからこそ彼らの掲げた国名が、「大東亜」の「人民」の国なのだ。

 

 そして日本本土と海で隔たれた軍事力付きの日本のコピー国家は、本土を追われた流浪の彼らの依身として最上の場所だった。

 

 その上、四五年夏に成立を宣言した新政府は、国家全体の「日本化」と「日本人」、「大日本帝国」化に強くこだわった。

 

 満州の実権を日本人に留め、さらに自らの保身と栄達を引き替えに残った極めて優秀な旧満州官僚団(主に日本本土の各帝大出身者)による公学校教育などの徹底度合いは、軍国主義時代の日本より徹底していたほどだ。

 何しろ新たな国家では、圧倒的少数派で国家から庇護されている日本人以外に、何を押し付けても文句を言う圧力団体が存在しないのだ。

 

 そして日本人による新しい政府は、特に子供への教育に熱心だった。

 国民の教育さえ一元化してしまえば、十数年後にゲリラ問題も民族問題も自然消滅するからだ。

 既に成果も現れ始めている。

 

 そして、初等科義務教育の無料化と無料給食により、中華大陸中央からの流民に対して基礎教育を施したが、これらも全て日本語を「国語」とするための教育だった。

 

 教育姿勢に対する国内での消極的な反論も、日本こそがアジアにおける近代国家建設の模範となったのだから、踏襲するのが欧米に並び立ち、さらには越えるための近道であるという強引な論法で封じられた。

 

 もちろん必要以上に騒ぎ立てる者については、絶大な権限を持つ警察組織又は、警察以上に力を持つ憲兵組織によりしかるべき措置が成された。

 

 その行動はソ連やナチスの秘密警察真っ青と言われ、強制収容所収監者を含めた犠牲者の数は数万人とも数十万人とも言われた。

 

 また日本人以外に対して、厳しい鞭以外にそれなりのアメも振る舞われた。

 

 無料の義務教育の中には、それぞれの出身民族に対して「地方語」として民族語の教育が施された。

 何しろ「大東亜」の同胞の言葉だ。

 また、教育の中で厳しい資格審査を経た者には、「日本人」としての肩書きを与えて日本人と同じ恩恵を与えもした。

 しかも学業の成績優秀者には、民族に関わらず優先的な特待生制度と飛び級、優先的な高等教育の道も開かれた。

 当然ながら、優秀者の「日本人化」は大人の社会にも適応され、日本人以外の民族出身者の抜け穴として激しい競争を生み出す事になる。

 

 他にも社会主義的な、低所得者に対する食料・衣料の低価格販売と配給制度。

 格安の基本医療制度。

 日本人とそれ以外という決定的な差はあるが、一定の公正さを持つ治安維持組織と法制度。

 そして建国時は最低限ではあったが、法外や理不尽ではない租税徴収。

 

 全ては被支配者や奴隷、苦力クーリーからの解放を謳った政策であり、主に一九四〇年代の中華中央部では願っても得られないものだった。

 おかげで、流民として流れてきた漢民族の中には、政策発表と実施のたびに諸手をあげて大東亜の旗を振った者も多かったという。

 盛大なパレードの映像が、今日にも残されている。

 

 その上、新政府の様々な政策は、国内で豊富に産する農産物と地下資源によりまかなわれ、「アメ」の政策により国庫が傾くという本末転倒な事態もなかった。

 そして人々の生活安定と共にゲリラ活動も低調なものとなっていく。

 

 なお、満州国時代より好転したゲリラ活動は、ソ連を根元とするものだ。

 大陸日本とソ連の関係が良好になってからは、主に北部でのゲリラ活動は極めて小規模になっていた。

 ゲリラ活動家の中には、ソ連領内への亡命中にソ連が極秘に抹殺した者も数多い。

 ソ連にとっての満州は、今やアジアの橋頭堡にして極東開発のための金の卵なのだ。

 極東の安定した食糧供給と開発は、満州抜きには考えられなくなっている。

 

 また、中国共産党を根元とするゲリラ活動も戦中に一時は壊滅し、さらに大陸日本の一時的赤化の時に沈静化した。

 そしてその後の軍国主義回帰の際に、組織として完全に殲滅されている。

 

 だが、大東亜人民共和国という人工国家の中央政府は、軍人と官僚団の不眠不休の努力にも関わらず、なかなか安定しなかった。

 多くは、複数の制度、政治団体、組織が日本と東亜の矛盾を抱えながら、人工国家に流れ込んできた事が原因していた。

 彼らが居たからこそ、社会主義的な政策の多くが実施されたと言えば、彼らが誰であるかが分かるだろう。

 

 日米停戦後の改革条件であった政治犯の解放と民主化に伴い、それまで抑圧されてきた共産主義者、社会主義者、無政府主義者が解放された事が大きな変化を呼び込んだのだ。

 彼らの多くが、人工的に作られた新天地に流れてきたからだ。

 

 彼らが大挙流れてきた理由は簡単だった。

 大陸にある人工国家が、共産主義の総本山ソ連の強い影響下にあったからだ。

 また、スポンサー兼ボディガードも兼ねているソ連政府が、彼ら日本人共産主義者の入国と政治への大幅な参画を、最初は強く望んだからでもあった。

 

 そして建国から半年ほどたった大東亜人民共和国では、中立派の満州と朝鮮に元からいた優秀な日本人官僚団、ソ連の思惑により政治の主導的地位に上りつめた共産主義者・社会主義者による東亜共産党、それより先に大量に流れ込み新国家をでっち上げた軍部による三極支配体制ができあがる。

 

 表面的には、人民の理想を云々という共産主義のお題目を掲げた人工国家の完成だった。

 後はこれを、資本主義統制経済から完全な共産主義経済へと移行させれば東側国家の完成の筈だった。

 

 そして奇怪な人工国家の成立は、大東亜人民共和国支配領域に残った、もしくは終戦前後の混乱期に流れてきた日本人達のそれぞれにも、人生の転機、一世一代の大博打と言えるほど大きな変化をもたらした。

 

 簡単に言えば、たとえ着の身着のまま満州に来た開拓団の貧しい人々であっても、政府(+ソ連)からの贅沢な支援を受けて支配階級に祭り上げられたのだ。

 

 昨日までのゴロツキの親分が、大都市の市議会議員になった。

 戦前、東北や長野の寒村から墓やご神体まで持って分村してきた貧農達が、ソ連製トラクター持ちの大地主になった。

 開拓前の職業を持つものが以前と同じ職を望んでも、日本人というだけで好条件で復帰できた。

 特に技術者と日本的な専門職、伝統工芸、芸能者は優遇された。

 優遇政策は日本列島にも積極的に伝えられ、多くの亡命者を生んだほどだ。

 

 軍人たちも、少将以上の上級者以外は、最低でも無条件で一階級特進できた。

 中には軍曹から憲兵少佐になった者もいたほどだ。

 対価として彼らが棄てなければならなかったのは、日本国国民というそれまで最も大切にしてきた肩書きだけ。

 

 そしてロシア人→日本人→朝鮮人→少数民族→その他という支配構図ができあがる。

 

 この国の日本人に、他者からの尊敬や他民族との平等・融和という言葉はとりあえずは不要だった。

 必要なのは、スターリン政権並の鉄の規律と反逆者に対する制裁、そして国内の「日本化」だけ。

 

 でなければ、短期間で成立した奇怪極まりない国家を存続させることなどできない。

 なにしろそこには、日本人社会でありながら天皇はなく、ひどく求心力に欠けるからだ。

 このため国内に入った共産主義者も、日本人による態勢が固まるまでは、国内の完全な共産主義化を思いとどまったほどだ。

 武力と資本力だけが、日本人を支配者たらしめているからだ。

 

 もちろんアメとムチの原則に従い、義務教育制度や社会保障面など、表面的には日本時代よりも良くされた部分もあった。

 だが、真実は極端な日本化だ。

 アメにより多数派の中華系が従順な姿勢を示した資料も多数あるが、どこまで真実を語っているかは分からない。

 誰でも空腹時にパンを与えられれば、その時は従順になるものだ。

 

 そして日本人の上に、ソ連から入り込んだソ連の軍人、官僚、共産党員が居座り、虚ろいの国の支配構造ができあがる。

 つまりは、十万人のソ連系ロシア人が三百万人の日本人に「助言」を行い、七千万人(実数は七千五百万人程度)の人民を支配するのだ。

 

 こうして組み上げられた虚構の国だったが、国是だけは明確だった。

 国家の政治目的が、国名が現すように全てのアジアの国々の「解放」にあったからだ。

 

 もちろん最優先事項は、日本本土をあるべき姿に戻すことだ。

 

 彼らが自分たちの事を自ら「大陸日本」と呼ぶようになるのは、様々な混乱を経て建国から十年以上を待たねばならなかった。

 


 なお、この国に居住する日本人を三百万人と説明したが、その内訳は以下の通りになる。

 

 約二百二十万人が、もとから満州や朝鮮に住んでいた一般市民。

 次に多いのが軍人で、停戦後の混乱期に合流した者も合わせるとその数は約六十万人にもなる。

 次に中華を始め、日本外地の各地から終戦後の混乱に乗じて流れてきた人々が約三十万人。

 彼らは、今更日本列島には戻れない移民者、「日本降伏」に納得できず主に日本本土から流れた人々、ドイツに望みを託して移りそのまま帰れなくなった者、新天地に望みを託した者、戦後解放され流れてきた政治犯などになる。

 

 そして面白いのは、戦後の日本列島で特権を剥奪されることになる華族や士族の一部や、戦争犯罪者として裁かれる事になる軍人、政治家、財閥の一部が、持てるだけの財産を抱えて逃げるように移ってきた事だろう。

 中には、連合国から戦犯とされた有力者も多数にのぼる。

 

 また、国連主導により双方の交流が一時的に再開された時に、家族、一族が日本から移り住んできた総数も十万人に上る。

 この時日本列島を逃げ出すように後にした旧特権階級も多い。

 逆に、日本列島に戻った軍人の数は全体の三分の一の約二十万人にも達し、残った軍人の多くも進んで残ったというよりは、それまでのしがらみから帰れなかった軍人が多い。

 

 そして増減はあれど、日本人軍人の異常な多さから男性比率が相対的に高くなった。

 必然的に未婚者、日本本土に家族を残してたままの残留者などと婚姻関係を結ぶことで「日本人」の地位を得る他民族出身者が続出。

 短期間で、日本人勢力を拡大することになる。

 

 そして国家成立から二年と八ヶ月、立花たちが首都新京を歩いていた頃までに事態はさらに進む。

 

 この頃までに統計上の日本人の数は四百万人の大台に乗っていた。

 ソ連系ロシア人も、満州在住の白系ロシア人を彼らの視点での恩赦により水先案内人としたことで順調に増えた。

 そして旧南満州鉄道沿線の大都市中心部は、日本と同じ情景が完全なまでに再現されつつあった。

 それぞれの街には、今までよりも多くの日本名、日本的建築物が建ち並んだ。

 寺社や日本橋はもちろんとして、銀座や敷島、朝日などの名を冠した街路が繁華街としてさらに整備されるなど、満州国時代より徹底していた。

 本願寺や真言宗を始め、果ては天理教などの宗教団体も、日本本土の政策など無視するかのように平然と自らの寺社を構え続けていた。

 天皇を中心に一元化されていた筈の神道(神社)も、日本本土と切り離されると言われてもそのまま現地に残った。

 

 何しろそこには日本人が大勢住んでおり、彼らが寺社が存ることを心から望んでいるからだ。

 一方で、寺社の権限が小さくなる日本本土に対する当てつけと言えなくもない。

 

 また地方でも、開拓団として分村してきた村は、そのまま以前の名を命名して、中心部に神社を造り寺を建立しての日本人コミュニティーが作られた。

 駐在(警察)に郵便、診療所、学校なども全てに日本式が取り入れられ、満州国時代より徹底された。

 同じ景色を日本本土に求めるのなら、北海道の一部に近似値を求めてもよいほどだ。

 しかも地方組織の日本化と社会資本の整備は、日本人の村から順次朝鮮、漢人の村にも拡大された。

 国の隅々にまで張り巡らされた強力な政府組織の存在は、日本化政策云々に関係なく民心安定に大いに貢献した。

 

 一方、ロシア人が真っ先に荒野に作り上げ、古くからロシア人の多いハルピンだけは、ソ連の出先機関としてモスクワのコピーのような都市へと変貌しつつあった。

 単純な赤化だけでなく、ソ連国内で表向き存続の難しい教会勢力、贅沢品の伝統工芸などの長期疎開先としてハルピンが活用されている点も興味深い。

 おかげで、まさに東ヨーロッパそのものがハルピンの街を覆い尽くしていた。

 一時期は、日本人を含め他民族の居住が厳しく規制されていた程だ。

 

 また中華中央部の内戦から逃れる移民・流民と、日本本土に徴用されていた朝鮮人が、朝鮮半島や満州に戻ったことで人口は膨れあがり、自然増加を含めた総人口が八千万人の大台に乗るのは確実と見られた。

 

 八千万人という数字は、敗戦頃の日本本土の総人口を凌駕するほどで、これは大東亜という国名を掲げる政府にとって極めて重要な要素だった。

 

 もう数年もすれば、自分たちこそが「大東亜」の枠組みの中で、日本列島を抜いて多数派になるのが確実となるからだ。

 

 そして多数派となる事を最も求めていたのが、建国から少し遅れて日本から流れてきた、共産主義者と社会主義者たちだった。

 

 日本各地の監獄から解放された彼らは、大陸に渡るなりソ連共産党と深くつながった。

 そして新たな国家で実験と改造を続け、血の涙を流したと自ら信じて疑わない軍人達が、日本奪回の橋頭堡としていた筈の組織を自らの妄想と夢想の玩具としてしまう。

 

 もっとも軍部は、自らの持つ巨大な軍事力故、ソ連共産党よりもソ連の絶対的権力者、赤い皇帝ヨシフ・スターリンと直接パイプを持っていた。

 それが人工国家で争乱の火種を起こすことへと繋がる。

 

 理由の多くは軍人達ではなく、日本列島から流れてきた共産主義者達と社会主義者だ。

 

 彼らは、革命を自らの血で勝ち取り国家を運営してきたロシア人から見れば、とんだ夢想家だった。

 東亜共産党幹部に意外に元富裕層が多いと言うのも、スターリン個人の気にくわなかった。

 しかも奇妙なまでに日本に対する愛国者で、共産主義と決して相容れない天皇制を完全に否定しない点にあった。

 スターリンにとっては、彼にとって最も重要な判断基準となる武力を握り、多少は現実を見ることができる旧関東軍(軍部)と手を結ぶ方がいくらかマシだったのだ。

 

 日本人軍人どもを利用すれば、太平洋の出口をもう少し広くすることが出来るかもしれない。

 

 そうスターリンが決意したのが、四八年の新京の桜が咲こうとする三ヶ月前の出来事だとされている。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ