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第一章「星の国」-3

 ではここで、後世「ウォレス・レポート」と呼ばれることになる機密文書の要約を列挙しよう。

 


表題

・ルーズベルト前大統領の過剰な親中国姿勢と

 中華民国の現状

・国務省の過剰な親ソ連姿勢

・日本の政治、政府、軍部

・今後の戦争方針


 表題は大きく四つに分かれていた。

 概要は以下のようになる。

 

 ルーズベルト前大統領の親中国姿勢は在任中から有名だが、アメリカの一部情報以外中華民国が前大統領の言うように東洋の民主主義の理想郷などではないのは明らか。

 それどころか、現行の中華民国政府は、旧態依然とした全体主義的独裁政権に過ぎない点からも民主主義国家など誤り。

 

 親中国姿勢については、自らによる現地情報収集の徹底と、国内のチャイナロビーの調査、同盟国からの情報提供をもとに抜本的な変更を行う事。

 また、共産主義に対する同盟相手として中華民国が相応しくないのは、現在進行形で行われている日本陸軍の攻勢に、援助により著しく強化された筈の中華民国軍が全く成す術がないことからも明らか。

 中国問題に連動して、日本帝国こそがアジアの共産主義の防波堤の役割を果たしている点を指摘。

 その証拠に、満州地域での共産主義活動はほぼ皆無となっている。

 

 次に、国務省の過剰な親ソ連姿勢だが、建国以来のソ連政府の行動から彼らの膨脹傾向は明らか。

 

 今は同盟国として戦争中のため問題は少ないが、ドイツと日本に対する勝利が確実になりつつある今日、次は独裁政権と共産主義の二つを内包する現ソ連政権に対する警戒を強める必要がある。

 現政府が独ソ開戦以前に見せたように、帝政ロシア以上に貪欲な領土拡張欲と共産主義の拡散姿勢を見せている事からも、早急に対策を立てる必要がある。

 場合によっては、ナチスとの戦いが終わる前に強い政治的牽制をかけてもよいだろう。

 これに連動して、中国共産党の活動を押さえる動きを強化すべき。

 

 日本ついては、日本の政体はナチスドイツとは全く異質であることは、少しでも調べれば明らか。

 

 彼らは、天皇とこれに連動する大日本帝国憲法という象徴権力を利用した、擬似的な軍事独裁に過ぎない。

 ヒトラーが直に率いるナチスとは、根本的に違っている。

 ここ十数年、クーデターすらあっても内閣が替わり続けているのが何よりの証明。

 彼らは単に目の前の目標しか見ない無定見な行動の結果、自ら窮地に追い込まれただけに過ぎない。

 しかも彼らの政府は、首脳部ではなく主に陸軍内の急進的で粗暴な中堅幹部が主導している向きが極めて強い。

 

 そして今日、敗北が濃厚となってきた日本政府が第一に求めるのは国体護持。

 つまり天皇の保全。

 カイロ宣言での無条件降伏を撤回して、この点で少しばかり譲歩すれば、イタリア以上に容易く日本が降伏もしくは停戦に応じる可能性がある。

 

 また、先にも触れたように、共産主義の拡大を防ぐためにも、日本に余力を残したまま民主主義国家に導く必要がある。

 

 ただし、日本の側から民主化を成させるために、今以上にマリアナ諸島に対する攻撃を強くし、一日も早い同諸島の制圧と新型爆撃機の配備、そして対日本本土爆撃を急ぐ。

 このため、カートホイール作戦は修正し、短期的にマリアナ諸島地域への努力を傾ける。

 

 最後に戦争全体の方針だが、日本に対して本土爆撃されたくないのならと、天皇の保全、つまり国家・政府の独立存続以外を連合国の自由とする停戦に応じさせる。

 この際、ある程度領土と政府、軍隊に関する保証を含ませてもよいだろう。

 

 合衆国市民達が求める日本に対する戦争責任については、自らの無定見と暴走であの国の道を誤らせた彼らの軍部に取らせればよい。

 

 日本の政治が民主化され軍があるべき姿に戻れば、共産主義の脅威を前に自ら我々の同盟国となるだろう。

 

 そして、早期に日本を屈服させた上で、太平洋に展開する膨大な戦力を素早くヨーロッパに回し、一気にナチスドイツを殲滅する。

 

 これらが連動して成功した場合、アメリカン・ボーイズの戦死者は十万の単位で少なくなる可能性がある、と結ばれていた。

 


 十数分、紙をめくる音とわずかな呼吸音以外沈黙に包まれていた会議室は、徐々にざわめきが大きくなっていった。

 

 既に敗北が見えた弱小国日本に対して無条件降伏を適用しないだけで、戦争は短期に終わり戦死者も減るという提案は、非常に魅力的な案に見えた。

 欧州を第一と考える、当時のアメリカ人の一般常識にも合致している。

 卑怯な真珠湾攻撃の復讐は重要だが、この点は主に感情問題に過ぎないのは誰でも知っているし、多くは既に果たされた。

 

 またルーズベルトや国務省の一部以外、親中国でも親ソ連でもないので、早期に戦争を終わらせることができるのなら、東洋の小国日本の無条件降伏など二次的な事に過ぎない。

 

 そして日本を早期に屈服させナチスドイツに全力を向けたいという考えは、アメリカ人のもう一つの本音でもあった。

 

 さらには日本の牙城といえるマリアナに対する攻撃成功で、日本との戦略的な意味での戦争に決着が付いたのも、ウォレス・レポートを感情面で肯定させていた。

 

 そして全員がレポートを読み終わるのを待って、ウォレス大統領が最後の爆弾を投じた。

 

「さて、私の若い頃の技術が少しでも役だったようだね。ではそれを踏まえたうえで、私はもう一つの話をしなくてはならない。それは大統領昇格以後、英国宰相のチャーチル卿と一度手紙を交換して、お互いの意見を確認しあったということだ」


 声なきどよめきが部屋をおおいつくした。

 特に国務省関係者の驚きは大変なものだった。

 

 たまらず国務長官のハルが意見しようとしたが、ウォレス大統領が再び制した。

 

「まあ、話は最後まで聞いてくれ、ハル長官。チャーチル卿には、このレポートの概要を先に見ていただいた。情報提供に対する礼も兼ねてね。そして彼は、ナチスに対する無条件降伏は必要だが、アジアの共産主義に対する防波堤として、日本をある程度残す案については賛成だといっている。

 もちろん、日本の事実上の降伏と、軍事政権の解体というプロセスを経てだ。つまり、今のレポートは今後の連合国としての総意の草案だと考えてもらいたい。何しろこんなものはスターリン閣下には見せられないからね」


 大統領はそこで言葉を切ったが、あとは喧々囂々の議論となった。

 最後の言葉が、暗に国務省関係者の多くがソ連の中枢と繋がっていると臭わせた事も助長した。

 

 事実、国務省のスタッフの一人は、ウォレスの最後の言葉に反応したかのように激しく言い立てた。

 親ソ連姿勢に対する方針変更と、ソ連に無断で戦争方針を変更することは、同盟国各国の相互不信を拡大し、連合国の結束を乱すことになる。

 ドイツ、日本に対する無条件降伏は、断じて譲るべきでないと。

 

 さらには、枢軸国全てを無条件降伏させてこそ、新たな世界秩序の中でのアメリカの地位は確立されるのだとまで言い切った。

 

 それに対してウォレスは、次の言葉で「演説」したスタッフの言葉を封じてしまう。

 

 君の言う事の一部は、ルーズベルト前大統領が示された事だ。

 だが今は私が大統領であり、だからこそこうして、私が最上であると考えた方針を説明した。

 議論、検討はこれからなのに、断言することは明らかに越権行為だ。

 それとも君は、これ以上にアメリカ市民の犠牲を減らす方策があるのかね。

 

 さらに私の理想論を言わせてもらえば、アメリカの為政者とは、アメリカの利益を最優先としつつも人道と正義を貫くべき存在なのだ。

 そうであればこそ、アメリカの民主主義は世界からの尊敬を集め広めることもできるのだ、と。

 

 この言葉に代表されるように、彼は良きアメリカ人といえた。

 

 そして以前とは比較にもならない強い眼光で反論を押さえ付けた「臨時」大統領は、アメリカの良き部分を体現したような言葉で会議を締めくくった。

 

「私は、これから合衆国が、民主主義社会さらには世界のイニシアチブを取っていくためにも、無条件降伏という文明国にあるまじき提案を主権国家に突きつける事は、できる限り避けるべきだと考える。

 これはドイツに対しても同様だ。彼らが過ちに気付き、自ら悪しき勢力を駆逐して講和を求めてくるのならば、話し合う余地は十分にあると思う。つまり国務省の任務は今以上に重くなるだろう。それを十分わきまえてもらいたい。以上だ」


 ワシントンでの新方針提示から数日。

 

 一九四四年六月二十六日、マリアナ沖海戦に敗北しサイパン島での巻き返しも不可能となった時、中立国を介してアメリカから日本に内密にメッセージが送られる。

 

 内容を要約すれば、無条件降伏を撤回して国政の民主化と引き替えに国体護持を認めるので、今すぐに条件付き降伏に応じろというものだった。

 それ以外にも、一方的軍縮など開戦の最後の引き金となったハル・ノート以上に厳しい条件が突きつけられていた。

 

 各種放送でも、日本ばかりか全枢軸国対象の放送で、大西洋憲章では国民が国家の政体を決めることができると流した。

 

 そして、日本軍部は一時的に意気消沈していた。

 海軍主力が壊滅しマリアナ諸島の防衛も不可能、東条内閣は崩壊寸前、インパールでも惨敗という状況が重なって、八方ふさがり。

 

 特に、7月7日にサイパン島から送られた決別を告げる電報は、その内容共々精神的に致命傷となった。

 司令官南雲中将は、国家と国体の護持のため死して護国の鬼とならんと結んでいたからだ。

 

 さらに日本にとっての敗報は続き、日本政府が右往左往する中サイパン島の爆撃機基地が異常な速度で整備される。

 

 そして四四年八月六日、サイパン島から行われB24、B29合計約150機による低高度夜間無差別爆撃は、帝都東京の下町を焼き払った。

 死者は2万人に達し、日本政府、軍部全ての人に戦争敗北を実感させるには十分なものがあった。

 


 なお、サイパン島陥落から数日後の七月十八日、さらなる内閣改造で難局を乗り切ろうとしていた東条英機は、水面下で動く講和派の政治家、軍人の策謀と、一部大臣の実質的な造反により内閣総辞職を余儀なくされた。

 

 そして東条の後を引き継いだ形の小磯国昭新内閣は、ただちに即時停戦と講和のメッセージを送った。

 

 国体護持を確約せれば、我講和に応じる用意あり、と。

 

 これに対して、「サンフランシスコ宣言」とされる日本に対する停戦案がラジオ放送で示されたのが、ドイツがクーデター未遂騒ぎで大混乱に見舞われていた七月二十六日。

 

 そして全てが実を結んだのが一九四四年八月十五日の日本の停戦成立であり、九月二日の東京湾での停戦条約調印だった。

 

 新たなアメリカ大統領の示した日本の国体護持確約と日本海軍壊滅・マリアナ諸島陥落が、日米の戦争に幕を引いたのだ。

 


 ◆



 ・一九四四年九月二日 東京湾



 東京湾上に停泊した米国の戦艦ミズーリの甲板に、すぐ側に停泊した日本軍艦長門からランチを使い移乗してきた日本国全権が上がった。

 

 日本国全権には重光葵外務大臣と梅津美治郎陸軍大将が選ばれ、ミズーリ艦上にはアメリカ側代表のチェスター・ニミッツ大将の姿があった。

 

 そして日米の戦艦が並ぶ中、日本と全ての連合国との停戦がここに成立し、大東亞戦争は終了した。

 

 それが任期五ヶ月に過ぎなかったヘンリー・ウォレス大統領がもたらしたものだった。

 


 多数の報道関係者、軍人、政治家、そしてミズーリの乗組員が見守る中、握手を交わして文書を交換した日米の代表は、停戦への深い感慨をいだきつつ、静かに視線を交わしあった。

 そこに少し表情を変えたニミッツ大将が、阿南大将に語りかける。

 目には敵意はなく、瞳を見た者に戦争が終わったのだという事を実感させる。

 

「ところで将軍、私はこの席上で一つの小さな楽しみがあったのですが、どうやらそれは叶えられないようでした」

「と、申されますと」

「ハイ、警備のし易い軍艦上での文書交換ということで、日本海軍も最新鋭の戦艦を持ってくるものと思っていました。ですが、眼前にあるのはビッグセブンのナガトです」


 自分たちは就役したばかりの新鋭戦艦を持ち込んだのに、少しアンフェアではないか。

 阿南大将は、言葉の裏にそのようなニュアンスを感じた。

 日本側もそれは十分考えていたので、阿南はよどみなく返答した。

 

「帝国海軍が保有する「大和」と「武蔵」の事ですね。我々としても、当初は「長門」ではなく、二隻のどちらかを出すつもりでした。ところがどちらも停戦直前に長期整備と改装工事に入っていて、どうにもならなかったのです。何しろ停戦が急でしたので。まったくお恥ずかしい話しです」


 そのかわり、今後自由に見学していただく事もできるでしょう。

 皆さんが通過してきた横須賀には、同級三番艦を改造した巨大空母も有りますぞ。

 阿南はそう続け、欧米風のリップサービスを忘れなかった。

 事実上の降伏を余儀なくされたとはいえ、外国から礼儀知らずと舐められるわけにはいかない。

 最新兵器を見せることによる示威というより、当時の日本人の誰もが持つ気分を代弁するかのような、そんな言葉だった。

 

 だが、日本、そして日本海軍に対して尊敬の念を忘れないニミッツは、言葉通り受け取る事にした。

 それも礼儀というものだ。

 

「それは凄い。落ち着いたら「三笠」共々ぜひ見学したいものです。そうそう、「三笠」を見学するのも候補生以来数十年ぶりで、これも楽しみにしているのです」

「日米停戦は成り、これからは友誼を以てつきあう仲です。それも容易でしょう」


 二人の会話に、重光葵が如才なく言葉を挟み入れた。

 

 そうした穏やかな日米停戦の儀式とは裏腹に、その後の東アジア情勢は日本を中心に二転三転することになる。


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