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第一章「星の国」-2

 ・一九四四年六月二十一日 ワシントン



 一九四四年六月九日午後午前十一時五十五分、ノルマンディーの勝利の余韻がまだ続いていたこの日、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は脳卒中で死去した。

 

 ノルマンディー上陸作戦の勝利を祝った祝勝会が続いたため、酒量が増えたことが原因だと診断が下った。

 死の直前に飲んだワインが、最後の引き金となったのだ。

 

 もちろん市民には、ただの脳卒中と発表された。

 そして市民と兵士にとっては、勝利を掴みつつあった英雄の不慮の死。

 ただそれだけでよかった。

 

 兵士や市民たちは、ひととおり涙を流して悲しみに暮れた後は、目の前の地獄に立ち向かうか、日々の生活に戻れば良かった。

 

 偉大な大統領とはいえ、人一人の死。

 

 ステイツの優れた政治システムが、天国へと席を変えた英雄の穴を埋めるに違いない。

 国家を信じるのが良き市民というものだ。

 

 しかし、急遽穴を埋めさせられた人物にとっては、大きな荷物を突然持たされただけだった。

 

 去りゆく副大統領から突然大統領選に押し上げられたヘンリー・A・ウォレスは、決裁書類と資料の山にうずもれた数日間苦悩し続けた。

 

(だからだろうか、自らと共に主君の死を目撃した人物に再び会う気になったのかもしれない)


 ルーズベルトの死から一週間も経たずに大統領官邸に呼び出されたトルーマンは、そう思う事にした。

 でなければ、自分が再びホワイトハウスの中にいることが簡単には説明できない。

 

 そして彼を呼びつけた新しい大統領は、自らの苦悩を隠そうとはせずに話し始めた。

 

「ミスター・トルーマン、いやハリー、私の得意分野を知っているかね?」

「農政だったのでは。以前著書を拝見したこともあります。確かトウモロコシの品種改良に関する著書だったかと」

「そうだ、その通りだ。知っていてくれて少し嬉しいな。あれこそ私の分身ともいえる。そう、私はアイオワの田舎農場でトウモロコシを作るしか能のない男なのだよ。それがアメリカ合衆国連邦の大統領とはお笑いだろう」

「何をおっしゃいます。あなたは立派に四年間副大統領の任務を果たしたではありませんか」

「副大統領といえば聞こえがいいが、ようは大統領の予備だ。せいぜい内政を担当する決済屋に過ぎない。見せることはできないが、ルーズベルト氏が抱えていた問題の全てをさらして説明したい気分だよ」


 しばらく、悪態をつくウォレスと何とかなだめようとするトルーマンの会話が続く。

 

 トルーマンは、わざわざこんなところに呼ばれて、臨時雇いの大統領のお守りをするのかと内心辟易とした気分だった。

 

 だが、一通り悪態をつくとウォレスの気分も幾分落ち着いたのか、中身が半分ほど残っていたバーボンのグラスを一気にあおると、ゆっくり語りだした。

 

「済まないハリー。今までの話は聞き流してくれると嬉しい」


 「もちろんです」即座に応えるトルーマンの声にウォレスが続けた。

 

「ありがとう。さて、何から話そう。……そうだ、呼んだのは他でもない、君が今私の立場ならどうするかを聞きたかったのだ」

「なぜ、私に?」


 トルーマンは内心回答に近いものを持ちながらも、聞かずにはおられなかった。

 

「ルーズベルト氏の死が突然だったからだよ。もし彼の死が半年遅ければ、今の私の立場は君のものとなっただろう。つまり、私の気持ちを理解できそうな、数少ない人物が君だということだ。

 副大統領から大統領になるなんて事、ジャックポットの大当たりみたいなものだ」

「なるほど、そうかもしれません。それで、私が抱えたかもしれない問題とは何ですか。気分的なものぐらい教えてもらわないと答えようがありません。それとも単に愚痴を聞くだけなら、ここで立ち去らせていただきますよ」


 トルーマンは、あえて少し突き放すような口調で話すと、ポツポツとウォレスの口から、合衆国中枢部に巣くっている問題が浮き彫りにされていった。

 半分は予測できたもの、もう半分は政治的には無役に近い自分に話しても良いのかと疑問符の付くものだ。

 

 会話の内容を要約すれば、ルーズベルト大統領と国務省が、合衆国人の一般常識から判断するとバランスを欠いているということになる。

 

 確かに思い当たることはある。

 

 国家社会主義的なニューディール政策。

 

 ルーズベルト大統領就任以後の、政府の親ソ連姿勢。

 いかに不況脱出のためとはいえ、民主主義の対局に位置する共産党独裁政権と積極的に貿易するという姿勢が突然できたのは、彼も少なからず疑問だった。

 

 そしてさらに、奇妙なまでの親中国姿勢と、親ソ連、親中国に対するように発展した異常なまでの反日姿勢。

 

 いかに最後の市場と言われようと、潜在的に巨大な市場と言われようと、中国にそれ程肩入れする理由が思いつかなかった。

 中国など、ただ広くて人間の数が多いだけの蛮地だ。

 欧州のように発展するには、あと百年は待たねばならないだろう。

 限定的な市場として以外の価値はない。

 

 中国の近隣にある日本は、軍事に特化して危険性が高いとはいえ、しょせんは後進国に過ぎない。

 あからさまな外交的挑発をして戦争など起こさず、ナチスとの戦いが片づいた後、貿易戦争で飲み込んでしまえばいいのだ。

 

 トルーマンの冷静な思考は、数年前そう考えていたほどだった。

 

 費用対効果から考えたら、今の日本との全面戦争など利益の方が少ないとしか見えない。

 

 日本に投入する戦力をナチスに向けていれば、今頃戦争は終わっているだろうとすら思えてくる。

 

 彼の漠然とした考えこそが、世界情勢に通じる良識ある合衆国の政治家の一般見識というものだ。

 

 そしてウォレス新大統領も、トルーマンと同じように考えている節があった。

 この数日間の彼の分析では、親中国姿勢は親が中国と貿易していたルーズベルト個人のものだとしても、ソ連とその裏口に位置する日本に対する執着は、国務省そのものに原因があるのではというものだった。

 

 それだけ中国と日本、そして共産主義に関する分析とレポートが偏っているのだ。

 

 一通り話を聞き終えたトルーマンは、ならばと語り始めた。

 

「おおよそのところは分かりました。私も意見を同じくすることがいつくかあります」


 その言葉に、ウォレスは一筋の光明を見つけたかのような顔を向けてきたので、慌てて彼は付け加えた。

 

「ああ、私は政治の細かいことに意見する立場ではありません。それは理解してくれていると判断します。よって、私が助言できることは二つです」

「何だね」


 トルーマンの言葉に、小さな落胆と大きな期待を込めた瞳を向けてくる。

 

「ハイ。一つ目は、中国と共産主義に関する研究と情報は、同盟国英国の方が遙かに詳しく正確だろうということ。

 これについては、日本に対しても同様です。何しろ、二十年前まで軍事同盟の関係にあったほどです。二つ目は、あなたが今のプレジデントだということです。情報が欲しければ、直接命令を出して取り寄せればいい。

 このワシントンの名を思い出してください。ワシントンD・C。D・Cは通常コロンビア特別区ですが、ダイレクト・コントロールの略称と揶揄される事もあります。この別名こそが、こそが大統領が持つべき力だと思いませんか」


 見る間にウォレスの顔に朱が刺す。

 

 彼の言葉にウンウンとうなずきながら、急速に頭を回転させているのもわかった。

 

 そして、緩やかに立ちトルーマンのもとに歩み寄ったウォレスは、彼の手を取りつつ語った。

 

「ありがとうハリー。大天使からお告げを聞いた気分だよ。さっそく、駐英大使のジョセフ・ケネディに直接連絡を取って資料を取り寄せよう」


 農政に明るい内政家に過ぎないウォレス大統領だが、彼は分野こそ違え研究者であっただけに、自らの外交的無知を熟知していた。

 

 だからこそ、彼は複数の方面から資料を集めた。

 

 国務省、各国駐留大使を介した各国からの情報、次第に力を持ち始めていた軍の情報組織からの資料。

 大統領側近や国務省の一部が言うことを半ば無視して、一週間近くも近親のスタッフと共にホワイトハウスに閉じこもってしまう。

 

 そうした彼が公に外交的命令を発したのは、六月二十日のことだった。

 


 大統領に昇格してから十日の過ぎた四四年六月二十日、ウォレス大統領は赤い目と疲れた体をしつつも、主だった長官たちとスタッフを集める。

 

 スタッフのテーブルの上には、高く積み上げられた書類の山があった。

 

 全員が着席するのを待って、その書類を手にウォレス大統領が静かに語り始めた。

 

 多角的な分析、主観を廃した客観的な論評、端的かつ的確な言葉。

 

 同時期の日本の首脳部が見たら、言葉の穏やかな東条英機みたいだと感想を抱いたであろう光景が、その日のホワイトハウスを支配した。

 

 そして一通り現状の要約を彼が語り、国務長官のコーデル・ハルに内容をイエスと言わせたあと、言葉の爆弾を投げ込んだ。

 

「ハル長官の言葉は、現在の外交状況、国際概況の要約を私が理解している了解と考えてもらいたい。そして、それを踏まえた上で今後の方針を示そうと思う」


 この「臨時」大統領は何をするんだ。

 

 全ての人間がそう思った。

 不安げに視線を交わす人間もいる。

 なにしろノルマンディー上陸作戦が成功し、今日も中部太平洋で大勝利を飾ったという報告が舞い込んだのだ。

 

 このまま押し続けるだけでいいじゃないか。

 どうせあんたの任期は五ヶ月なんだ。

 余計な事はしないでくれ。

 

 今以上の面倒を抱え込みたくない外交関係のスタッフの中には、そう考えている者も多い。

 

 だが、「臨時」大統領は構わず続けた。

 

 今は彼こそが大統領なのであり、合衆国の全権を持つ者なのた。

 

「今、我々合衆国はイギリス、ソ連など他の連合国ともども、枢軸国陣営に対して勝利を収めつつある。それが最大公約数の要約だ」


 最初の言葉は、勝利を自分の手柄にすり替えて、次の大統領選挙に出るんじゃないだろうな、と考える者も出てくるレベルの言葉だ。

 だが、これが次の不意打ちにつながった。

 

「そして私は、様々な資料を検証した結果、今達成しつつある勝利を、より効率よく達成できるであろう方策に行き当たった。今回は、より効果的な勝利を達成するための方針変更だと理解してもらいたい。さて、国務長官、我々の第一の敵は誰だろうか」

「独裁者アドルフ・ヒトラーとエンペラー・ヒロヒトです、ミスター・プレジデント」

「うん。ヒトラーはいいとして、もう一人はトージョーではないのかね?」

「いえ、トージョー政権は近日中に倒れるだろうというのが、我々国務省の分析です。前日の勝利とマリアナ諸島の陥落が政権交代をもたらすでしょう」

「なるほど、ではイタリアのように、日本が降伏するのも時間の問題と見ることもできるわけだね」

「いいえ、ミスター・プレジデントそれは違います。最初に申し上げたように、日本の真の独裁者はエンペラー・ヒロヒトです。トージョーは代行者に過ぎません」

「では日本は戦い続けるのかね?」

「それは次の内閣と彼らの軍部の動き次第です。大臣や軍人の一部には講和を望む声もあると分析されています。ですから今、安易な判断を下すことは難しいでしょう」

「国務長官。今の言葉は矛盾しないかね? 独裁者がエンペラーなのに、次の内閣と軍部が日本の進路を決するというのは?」


 ちょっとした議論を続けていた大統領と国務長官だったが、国務長官が外交の素人を諭そうと口を開きかけたところで大統領が制した。

 

「済まない国務長官。もう少し私に話させてくれ」


 そうして演説を開始した大統領の言葉は驚愕に値するものだった。

 

 一つ目は、マリアナでの敗北により、日本が自分たちなるべく有利ながら、敗北に近い停戦ですら強く望むようになっている事。

 

 二つ目は、大統領がイギリス大使を通じて得た英国の情報と自国の情報を比較検証したと言うことだった。

 

 そしてその回答が、目の前の紙たばの中程に存在していた。

 

 大統領に促されるまま文書を読んだスタッフたちは、うなり声をあげる者、蝋人形のように無表情になる者、顔を真っ赤にする者、様々だった。

 例外は、スチムソンと国務次官のジョセフ・グルーぐらいだ。

 

 特に国務省関係者の反応が対照的で、顔が無表情になるか朱が差すかのどちらかだった。

 


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