第四章「巨艦再生」-3
「大和級」戦艦。
一般的こう呼ばれる日本海軍の建造した軍艦は、非常に多彩な経歴に包まれている。
その最大のものが、最後の姿がそれぞれ全く違ってしまったことだ。
イージス戦艦、攻撃空母、そして航空戦艦。
それが異形の三姉妹となった彼女たちの最後の姿だった。
だがそこに至るまでにも数多くの事件や戦闘があり、二十世紀後半部の世界海軍史に大きな彩りを添えることになる。
ここでは、一九五一年〜五二年にかけて呉第四ドックで大改装が行われた、ネームシップの「大和」だけを見よう。
「大和」の就役は、一九四一年十二月十六日。
大東亞戦争と呼称された大戦争が勃発して一週間ほどたった日だ。
おかげで、敵味方双方に対して神秘のベールに包まれた巨大戦艦として、戦争全期間を通じて日本帝国海軍に君臨した。
もっとも、戦争の最初から最後まで、彼女が敵水上艦を見ることはなかった。
そして彼女が最初に砲火を交えた相手が妹の「武蔵」だった。
しかも彼女は、最初の砲撃戦で戦術的選択肢の関係から「武蔵」に惨敗を喫し、改装を終えたばかりの自らの生まれ故郷にとんぼ返りする事になった。
まったくもって、運というものから見放されたといえるだろう。
そして戦後、彼女は長い間そのままドックで過ごす事を余儀なくされる。
戦争が終わり、当面必要ない手間のかかる戦艦の修理などより、日本にはしなくてはならない事が山積みしていたからだ。
財務官僚や経済官僚の中には、戦闘で大破した戦艦など解体して鋼材として活用した方が、復興に役立つとまで言い切ったものもあった。
しかし、日本の技術限界まで強化された鋼材で鎧われた彼女の解体費用は、解体を諦めさせるのに十分だったため難を逃れたという。
そしてこれが「大和」に運が向いてきた最初の事件とされた。
もっとも戦後の混乱と経済の低迷にあって、海軍予算は極めて限られたものとなり、修理は遅々として進まなかった。
呉と横須賀から「信濃」の戦艦用に残っていた資材や、「大和級」戦艦全てに用意されていたものを集めても損害全てを埋め戻すことはできなかった。
しかも修理以前に、修理すべき工員の数が全く足りなかった。
戦後の縮軍で、多くが民間に流出していたのだ。
だがこの頃の彼女は、海軍艦艇の中ではまだ幸運な方だった。
なにしろ停戦とほぼ同時に予備役を言い渡された旧式艦など、数年でばらされ溶鉱炉で溶かされていたからだ。
新たな敵との対抗上、最低限の軍備は維持されていたが、停戦時の約束の軍縮にかこつけて連合国は軍縮を迫り、敵の脅威が増大すると掌を返すように自らが大戦中作った大量の武器を押し付けていた。
これが次の争乱が起きる直前の概容だ。
この頃までに生き残れた艦艇は、全体の半数にも満たなかった。
幸運にも戦争を生き抜いた多くが、解体されるか各国に事実上の賠償として引き渡されていたのだ。
もちろん大陸日本に行った艦艇もある。
だが、大東亜人民共和国が引き起こした「解放戦争」と九州への大挙侵攻が全てを覆してしまう。
一日でも早く、日本列島の軍事力を再建する必要が出てきたからだ。
これは、太平洋の軍事力の過半を占めるアメリカ軍の九割が、戦後動員解除されている事からも急務だった。
再建しなければ、極めて短時間で九州全土が敵の手に落ちるだろうと考えられた。
そうなれば、隣接する中国地方や四国も危ない。
それどころか日本列島や東アジア全てが危険だとすら思われた。
幸いにして、戦況は開戦当初から少しばかり好転したが戦争は続いており、このまま停戦でもしたら赤いロシア人に太平洋への入口を差し出すようなものだった。
それはアメリカを中心とする西側世界にとって、断固許容できるものではなかった。
ロシア人に海の玄関口を明け渡すことなど出来ようはずない。
そして日本の領土の一部が占領されているのだから、アメリカと共に日本人がこれを奪回することは当然とされた。
その象徴の一つに「大和」が選ばれたのだ。
また、開戦時の米太平洋艦隊の大損害が、「大和」の再生を強要した。
東側最強の戦艦となって姿を現した「武蔵」を倒せるのは「大和」しかいないのだ。
こうして、数百キロ先で激戦が戦われる呉工廠に、アメリカから膨大な数の物資と技官、技術者が押し寄せてくる。
それは「大和」にとっては運が向いてきた何よりの兆候だった。
同時に、先発したアメリカ側の技術将校と日本側の「大和級」戦艦に携わる技術者が、「大和」の改装設計を開始。
さらに、壊れたまま放置されていたボイラーの強化、刷新を図るべく上部構造物や強固な甲板装甲を引きはがす大工事が急ピッチで開始された。
また、人民軍側の妨害を阻止するために、岩国と松山の航空隊が大幅増強され、その多くの機材がアメリカでも最新鋭のジェット戦闘機とされた。
ミグの傘の下突進してくる「武蔵」打倒は、それ程までの重要性があると考えられていたのだ。
しかし、日米最高の戦艦建造技術を粋を投入しても、「大和」の改造には問題が多かった。
多くは時間さえかければ解決されると考えれたが、何より時間がなかったからだ。
当初アメリカ側は、反撃作戦のためにも実質的な工事開始から三ヶ月で完了しろと言ってきた。
しかしスケジュール的にあまりにも無理があるので、作る側と求める側の折衝の結果と反撃の為の準備、作戦の実行期日の問題から五二年三月までの改装完了、二ヶ月以内の再度実戦配備が決定された。
そして今有賀たちが眺めている「大和」は、改装工事の最終段階にはいっていたところだ。
だからこそ、数日で艦の姿がかわったりする事も起こり得た。
なお、アメリカ側が最初提示した「大和」の主な改修点は以下のようになる。
・船体の修理及び隔壁の大幅補強
・水密隔壁の強化および配置の変更
・装甲そのものの一部換装と強化
・バルジの構造的な刷新による強化
・船体の延長
・機関の修理および強化
・電子兵器の刷新および強化
・主砲以外の火砲の刷新と対空火力の強化
・発電力の大幅増強
・間接防御システムの刷新
・居住性の改善
つまりは、見た目は元の姿に似ているが、全く次元の違う艦にする事を最初は求めたのだ。
アメリカの技術者にしてみれば、「大和」使って未完成に終わった「モンタナ」を作ろうとしたようなものだったろう。
それを表すかのように、ニューポートから呉に向かっている特別あつらえのコンボイには、未完成に終わり、いまだ倉庫に保管されていた「モンタナ」、「イリノイ」、「ケンタッキー」の資材が大量に積み込まれていた。
これ以外にも、新型のレーダーや火砲、まだ米軍の艦艇にも十分搭載されていないものも多数あった。
アメリカ側のレポートと資材リストを見た日本の技術者が、「これでは「大和」ではない「モンタナ」だ」と言ったほどだから、よっぽどのものだったろう。
いっぽう、アメリカ側がこうした「勝てる戦艦」、もっと子供じみた言葉を使えば「無敵戦艦」にしようとしていたのと対照的に、日本側が求めたのは「負けない戦艦」だった。
改訂点も最小限で、各種隔壁、水密隔壁の強化と対空火砲の増強、電子装備の充実に伴う発電力の増強ぐらいだった。
日本の既存施設では、半年に満たない時間で出来ることはこの程度というのもあったが、何より堅実さを求めた結果だった。
だが、アメリカ側は工作機械まで船に乗せて本国を出発させており、予算も自分たちの側が貸し出すことを本国政府にすら認めさせる。
これでは日本側も譲歩せざるをえず、両者の案を折衷した改装が実働する事になる。
そうして完成したのが、新たな「大和」だった。
以下が改装後の簡単な要目になる。
基準排水量:六万八〇〇〇トン(それ以外の主要な寸法などに変化なし。)
機関出力 :一五万馬力(修理のみ)
最高速力 :二六・八ノット(〇・五ノット低下)
乗員 :二八五〇人
主砲:
四五口径四六センチ砲 三連装三基 九門
高角砲・機銃:
五四口径一二・七センチ砲 二×一二 二四門
五六・二口径四センチ 四×二〇 八〇門
この数字からは見て分かる通り、主砲以外の装備が全てアメリカ製のものに刷新された。
しかも多くが最新型の火砲だった。
ほかに目立つ外観の変化は、艦橋周囲の上甲板より上に広いデッキを設けたことだ。
この中に新型高角砲のシステム全てと、電子装備や火砲の増強などで増えた乗員のための居住空間が確保されていた。
ただし甲板上なので、装甲は一部隔壁以外施されていない。
また、垂直型の太いマストが二本立てられ、最新型の大柄なレーダーが搭載された点も目立っていた。
さらに、レーダー装備は各種射撃統制装置に連動する形で搭載されており、アメリカ製の高角砲射撃管制装置「Mk37」が関連のレーダーそのままに設置された。
同様に各種高射兵器のために、機銃統制装置とレーダーが刷新されている点も見逃せない。
これらの大量のレーダーと射撃統制装置とこれを複合的に演算する複数の巨大計算機により、「大和」の射撃能力と防空能力は計数的に増強されていた。
条件さえ揃えば、ジェット機すら迎撃可能なほどだ。
いっぽう見えない方の変化だが、期日と排水量の許す限り水密区画の改変と細密化、非装甲区画の弾片防御の強化に当てられていた。
加えて、ランチ(短艇)や艦載水雷艇を格納していた区画は全てと航空機格納庫一部が居住区に改造され、居住性の大幅改善に充てられている。
そして、ほかは修理以外はほとんど捨て置かれた。
内部で新たに設置されたのは、取り外した副砲用のスペースを利用した発電機の増設と戦闘指揮所(CIC)の設置、それに後部甲板の航空機格納庫にエレベーターを設置して内装を改造して回転翼機の運用能力を付与するだけとなった。
せっかく急いで甲板装甲をばらしたのにと非難もあったが、何よりも期日が重視された。
在るべき場所にない兵器ほど役立たずのものなはい。
しかし、護衛が付くことで補完できる防空火器の増強よりも、耐久力強化の方がはるかに重要だった。
内部の改装で、「大和」の総合耐久力は飛躍的に増強された筈だったからだ。
けっきょく、改装が完了した姿の「大和」は、アメリカの技術者が望んだ「大和」の姿をした「モンタナ」ではなく、単にアメリカの技術で強化された「大和」に過ぎなかった。
しかしこの時求められていたのは、「武蔵」に負けない「大和」なのだ。
これで十分だった。
改装中行われた研究と演習でも、「大和級」戦艦にアメリカの電子技術と間接防御システムさえ加えれば、「大和」の力は相乗的に強化されると結論されていた。
基本的に「大和級」戦艦のハードとしての完成度の高さはそれほどのものだったのだ。
もっともアメリカ側の技官達は、「大和」の主砲運用システムの大きな所を占める、水圧式の動力装置には驚くことしきりだった。
このようなシステムは日本海軍の戦艦以外にありえず、普通は油圧装置を使うからだ。
そういう意味では、「大和」という戦艦は堅実な既存技術の集大成と言える存在だった。
これは主砲の製造方法や、ボイラーの圧力があえて低めに設定されていた点など随所に存在した。
そしてこの巨大戦艦を作り上げた日本側の技官が驚いたのが、大規模な改装を受け入れるだけの余裕が残されていたことだった。
もともと「大和級」戦艦は、日本の既存の港湾施設で運用できるギリギリのサイズに、出来る限りの火力と装甲を与えたものだ。
設計上の無駄はほとんどなかった。
もちろん、十数年ぶりの戦艦設計がもたらした無駄はあったが、それも限られたもの。「長門」以下の戦艦群が受けたような大手術を受け入れる余地など存在しない筈だった。
だが、実際行われたた改装で4000トン(実質は6000トン)も増えた。
そればかりか、アメリカ側が示した過度の改装すら受け入れられる事も分かった。
このため、改装後彼女を送り出したアメリカ側の技術者達は、「大和」が適度に損害を受けて帰ってくる事を期待していた。
資金と時間と政治的環境が許されれば、さらなる改装にゴーサインが出る可能性があったからだ。
だからこそ、呉のドックで「大和」の帰りを手ぐすね引いて待ちかまえていたという。
「状況はよく分かりました。それで、あとどのぐらいで改装完了ですか?」
「半月、正確にはあと十四日を予定しています。すでに艦長以下艤装委員も乗り組んで、新しい配置になった艦内に馴れてもらっています」
「なるほど、流石に手早い。ところで新しい艦長に会えますか、有賀提督?」
「え、ええ、能村君、じゃなくて能村次郎一佐なら、たいてい戦闘指揮所か主砲発令所にいけば会えると思いますよ」
有賀は、それまでバークと一緒に牧野の話しに聞き入いっていたので、突然会話を振られたのでとまどいの声になっていた。
「ほう、能村一佐か。確か「大和」に一番精通した砲術の専門家だったね」
「よくご存じですね。おっしゃる通り、戦争中の多くの期間を「大和」の砲術長や副長として務めていた男です。彼ほど艦長に相応しい者はいないでしょう」
「なるほど、日本海軍も今回はそうとう力を入ているな。艦隊司令官には二代目艦長の松田千秋海将、戦隊司令には有賀、あなただ。そして艦長には能村一佐か。まとめて我が海軍にスカウトしたいぐらいだな」
「ハハハ、お言葉そのままお返ししますよ。このデカ物は扱いが難しくてね。水雷戦に精通した艦の操作の巧い人間でも大変なんですよ。何しろ気位の高いジャジャ馬ですからね。先の戦争で勇名をはせたバーク提督なら、喜んで舵輪をお預けしますよ」
「ほう、それはうれしい事を言ってくれる。けど私じゃ、艦長になるには少しばかり年を食い過ぎている」
最後にバークが肩をすくめておどけて見せた。
釣られて二人も笑った。
それから十四日後、牧野の言った通りの期日で「大和」の改装工事は完了。
翌日には、おごそかにドックから引き出された。
新たに改装を完了した「大和」の艦長には、改装中の会話にも出ていた能村次郎一佐。
彼の乗艦を知り尽くした細やかな指揮のもと厳しい訓練に入り、同年五月に艦隊編入された。
それは戦争開始からまもなく一年が経とうとしている初夏の事だった。




