第四章「巨艦再生」-2
・一九五二年二月十九日 呉
東雲陸軍技術少佐の言葉を胸に、翌日有賀とバークは汽車で呉海軍工廠に来ていた。
到着は、工場見学のあと陸上自衛軍の高官と話し合いなど様々な事があったため夜行列車になり、呉の海軍用の旅館にしけ込んだのは夜も明けようという頃だった。
おかげでロクに睡眠がとれなかったが、朝一番でいただいた風呂と今眼前に広がる旅館心づくしの朝食を前にしていると気力も出てくる気がした。
もっとも、和食に馴れていないバークは、ぎこちなく箸を使いながら食の異文化交流を続けていた。
おかげで朝の会話は、有賀が主導権を握っている。
彼は、口の中のものを二三度息をかけながら冷まして食べ終えると、これからの事を口にした。
食べていたのは、少し甘めの匂いを白い湯気にとけ込ませている厚焼き卵だった。
「ところでバーク提督。私は呉の事に係り切りでしたが、横須賀の方はどうなっているんですか」
「横須賀のご同業から連絡いってないのか?」
「はい、全く。まあ我が海軍の伝統が邪魔をしておりまして。しかも横須賀の第六ドック周辺は、今やサイエンス・フィクションのごとくの秘密基地並に厳重ですしね」
「SFか、これはいい。けど、私にしてみれば今この現状こそが、異星人の星でもてなしを受けている気分だね。ここが月や火星だと言われても、素直に受け入れてしまうよ」
焼き海苔を食べたのか、口から黒いものをのぞかせながら笑顔を向けてくる。
どうやら有賀の言葉によほどおかしみを感じたらしい。
そんな口調のまま続ける。
「ああこれは失礼。けど、横須賀の第六ドックが秘密基地というのは同意だね。ステイツの技官が大挙して押し寄せて、日本の技術者や将校と毎日喧嘩腰の討論をしていたのは知っていたが、詳細まではなんとも。「信濃」を改造していたという、有賀が知っているレベルでしかないよ」
言葉の最後には、知っているが機密で話せないという声色があった。
だから有賀もそれ以上追求することなく、会話を少しずらす事にした。
雑談を用いてでも話さねばならない事は山積している。
「なるほどねぇ、まあ秘密基地て意味じゃあ、呉の第四ドックも変わりありませんがね。いまだに建造時に作った屋根がそのままですから、中に入らなきゃ何してるか分からんでしょう」
「確かに。しかしドック入りしてから長いな。我が国にそれほどいじられては、さぞ日本の技官の方々もご立腹のことだろう。任務の重さに目がくらみそうだよ」
「ハハハ、そうでもないようですよ。まあ牧野さんや堀井さんに会ってくだされば分かります」
有賀の言葉に短く答えたバークだったが、彼の手にはきゅうりとタコの酢の物の鉢が握られ、それを凝視したまま固まっていた。
(異文化交流ってのは、技術交流より大変だなあ)
自然と優しげな苦笑が浮かぶ有賀だった。
朝食から約二時間後、二人は従兵を案内に二つ目の目的地の呉工廠へと到着した。
そこは、日本海軍最大の艦艇建造施設と鎮守府を兼ねた巨大な空間だった。
ほかに同地域にある軍港施設、海軍戦闘部隊と教育組織の本拠地とも言える柱島一帯、近隣の航空機開発を担当する広工廠の存在を考えたら、海軍の指揮中枢として設備を整えた横須賀より、遙かに巨大な軍事基地群といえた。
ここに匹敵しうる存在は、アメリカのノーフォークとイギリスのポーツマスぐらいだろう。
しかも、今もこの基地は拡張を続けていた。
アメリカから大量の土木機械を輸入もしくは中古を供与された、海軍御用達の土建屋集団水野組が施設拡充に勤しんでいた。
彼らの仕事ぶりがこの時アメリカ人達に認められ、その後スエズ運河の浚渫を行うのは何年か後の話だ。
そんな彼らがいじくり回している呉では、そこかしこに機械仕掛けの恐竜のような大型土木機械が、機械の森の土を食い荒らしたり、鋼鉄の木を植樹をしているのが見えてくる。
その様は、まるで海軍工廠丸ごとが造船ドックになったかのようだった。
実質的な敗戦から七年、まさに呉工廠は生まれ変わろうとしていた。
その証拠に、戦争でも特に傷を負うことのなかった古びた施設が次々に取り壊され、アメリカ式の最新設備へと変貌している。
そうした喧噪に満ちた空間を抜けた二人は、巨大な工場のような建造物に行き当たった。
目的地の呉第四ドックだ。
ここは、隣りにある造船ドックと共に日本海軍の大型艦艇を建造してきた場所であり、第四ドックはもっぱら主な艤装と改装工事、そして長期的な整備を行う場所だ。
ほかにも呉には3つのドックがあり、さらに造船ドックと第四ドックに連動する大型艦専門の艤装桟橋があった。
巨大戦艦とは、それだけ建造に手間を要するものなのだ。
呉の工廠そのものが巨大戦艦を作り上げる専門工場と言っても良いぐらいだ。
もっとも海上自衛軍と名を改めた今の海軍に戦艦と呼べる艦は、ここに鎮座する「大和」と舞鶴に張り付いている「長門」しかない。
ほかにも、練習艦として金剛級の生き残り二隻が存在したが、艦齢三十年を越えて肉体を構成する鋼鉄が劣化し、ブラフとしてはともかく、とても第一線の任務に耐えられるものではない。
戦争がなければ、間違いなく解体されていたほどだ。
しかも二人が今まさに入ろうとしている中で、「大和」は大規模な近代改装中で、敵手たる人民軍側に対して劣勢に立っていた。
何しろ向こうには「武蔵」がいるのだ。
しかも今回の「大和」大改装に、「武蔵」が深く関わっていた。
二人はサブマシンガンを持った陸戦隊兵が警備する扉を二度くぐり抜けると、ようやくドック内へ入ることができた。
中では様々な機械と金属の音に混ざって、アメリカ英語、平たい発音の日本英語、日本語の怒鳴り声が飛び交っている。
そして喧噪の中央に、ひとつの鋼鉄の塊が鎮座していた。
後方側面からの情景なので全てを把握することは出来なかったが、幾重にも組まれたスチールや木製の足場の中に巨大な主砲塔や艦橋構造物が見えている。
(間違いなく「大和」だ。けどえらく変わってしまったなあ)
有賀は見るなりそう感じた。
わずか数日ここを空けただけなのにその変貌ぶりが分かった。
だが、バーグの方には別の感慨があるようだ。
何しろ彼は「大和」の実物を見るのは初めてだった。
「これが「大和」か。美しい」
いつになく言葉少なげに感動しきっている。
(よりにもよってビューティフルか。エクセレントやワンダフルと言った連中はいたけど、美しいって言った外人は初めてじゃないか)
バークの言葉に少しおかしみを感じた有賀は、それに合わせようと思った。
確かに戦艦というものは、理屈より気分で語る方が気持ちいい。
「ご存じですかバーク提督。本艦の装甲は、我が国の誇る伝統的武器の日本刀と同じ製法で作られているんですよ」
「最新鋭の戦艦が伝統技術を、冗談だろ」
「いいえ、冗談じゃありません。我が国にはアメリカやドイツのような優れた冶金技術がないので、日本刀の職人を呼んで装甲板に炭素を染み込ませたそうです。だからでしょうなぁ、これだけ美しく見えるんです」
「なるほど、そう思えば鋼鉄の鈍い輝きもブレードの煌めきに見えてきそうだ」
「もっとも今は、錆止めだらけのあられもない姿ですけどね」
彼らの会話の後ろから声がした。
上品な発音のクインズイングリッシュで、それだけで人物がうかがえる声をしている。
「牧野さん、これは挨拶が遅れ申し訳ありません。バーク提督、紹介します。牧野茂海軍技術将補。今この呉工廠の最高責任者をしておられます」
「牧野です、初めまして」
「こちらこそ初めまして。USネイビー海軍少将、アーレイ・バークです。お会いできて光栄です。では、あなたが今この「大和」を手がけておられるのですか?」
「いいえ。そうしたいところですが、今は福井君、ああ福井静夫海軍技術二佐がこのドックの責任者です。今は所用で呉にはいないので、まあ彼の代わりにヒマが出来るとこうして眺めに来ているわけです。本当なら工廠長にも、設計家の私じゃなく西島君の方が相応しいいんですけどね」
牧野がいう西島とは、西島亮元海軍技術大佐。
戦後はその卓越した建造管理技術を請われて民間に下野。
今はアメリカで、呉で連れ添ってきた元部下数名と共にブロック工法についての技術指導にあたっている。
互いの紹介が終わると、そこからは場所を移して、「大和」が良く見える監督事務所に移った。
少し高い場所にあるそこからは、ちょうど「大和」の第二艦橋が見える。
「工事は順調なようですね、工廠長」
「ハイ、ようやくここまで組上がりました。これも福井君以下工員のがんばりのおかげですよ」
有賀の声に、嘘偽りない謙遜さをもつ牧野の声が答える。
だが、その頑張った者の中に彼自身も含めるべきだろう、有賀の目はそう語っている。
そんな二人を見つつ、バークは我慢しきれないように目の前の巨大戦艦の現状について問いかけていった。
もっとも、最初は英語で「牧野少将」と始めると、当の牧野が肩書きは少し気恥ずかしいのでもう少し柔らかくと懇願され、少し肩すかしを受けたような会話の始まりになった。
「失礼、では牧野さん、写真で見たことある姿との違いは、艦橋構造物のまわりだけのように見えますが、何が大きくかわったのでしょう。ステイツの技官もここに詰めていて、報告書は最後で出すと言い切って本国でも困っているのですよ」
「ハハハ、彼らしい。ではそれとなくレポートの件を言っておきましょう。
しかし、あと半月ほどは難しいかもしれません。何しろ彼は、工員と一緒に寝る間も惜しんで「大和」にかかりきりですからね。どうやら祖国で新型戦艦を作れなかった事がよほど気に入らなかったようです。それを今回晴らしてやると意気込んでいますよ」
「なるほど。ニューポートニューズでの件はそれなりに有名です。だから本国も強くは出ていないのです。ただ、私個人の意見としても、同じ海軍軍人として「大和」の存在は気になります。ですから失礼を承知で、できれば概容だけでもと今日来た次第なのです」
もちろんこれは、日米両軍の技術交流を円滑にするための調停の一環に過ぎない。
しかし彼の言葉に嘘はなかった。
戦後、日本軍の解体が止められてから、戦後受注の激減するアメリカの軍事企業の多くが、新たな仮想敵を抱え軍備を維持しなければならない日本への積極的な売り込みを始めた。
その流れを統制するためにアメリカ国防省も乗り出し、かつての敵に対して積極的な武器輸出と技術供与に出た。
しかし、中には最新技術はほとんど含まれてなかった。
各国で微妙に仕様が異なる海軍艦艇の技術供与も低調だった。
だがそれも一九五〇年六月二十五日までだった。
大東亜人民軍が、大挙北九州に押し寄せた時、東シナ海警備についていた合衆国の打撃艦隊が大きな損害を受けたからだ。
この時のアメリカ海軍のショックは大きく、また復讐心はそれ以上に大きかった。
軽率な者は日本人の前で、「セカンド・パール・ハーバー」と絶叫したほどだ。
だが、人民空軍が作り上げたミグの傘の前に、復讐を成し遂げることは適わず、その代わりとばかりに日本海軍(海上自衛軍)への全面協力となった。
象徴が、呉の「大和」と横須賀の「信濃」の大改装だ。「信濃」については後述するとして、まずは「大和」の変化について見ていこう。




