ノコギリは今日も元気に魔物を屠ります
「で? 言い訳はそれだけなの? なんなの? 馬鹿なの? 削るよ?」
「やめてください削らないでくださいお願いします」
俺は頭を地につけた土下座の体勢のまま、立ちはだかる少女に懇願した。
ここは冒険者ギルド。荒くれ者たちが集い、日々迫りくる魔物や魔人の脅威から人々を守る最前線だ。
そして俺たちが今いるのは、そのギルドに付随した施設である酒場である。
日中のクエストを終えた冒険者たちはここに集まってくる。依頼を終えた後は仲間と楽しく駄弁りながら酒を飲み、夕飯を食らって一日の疲れをいやすのだ。
そんな憩いの場であるはずの酒場で、何が悲しくて俺は土下座をしているのだろう。
「もっと他にマシな言い訳があるなら言ってみなさい」
ちなみに土下座している俺の前で仁王立ちしている少女。名前をサリネさんという。
ふわりとして緑がかったブラウンの髪にまだ成長途中の背の丈で、冒険者らしい武装をしていなければ、ただの可愛らしい町娘に見えないこともない。のだが、その身に似合わないほどいかつく巨大なノコギリを背に背負って椅子に座り、腕組みをしながら真っ黒い笑顔を浮かべている様は、まさに鬼か悪魔といっても過言ではない。
その年端もいかない少女の前で成人男性が床に必死に額をこすりつけながら土下座をしている。その姿ははたから見ればなかなか奇妙で滑稽だろう。しかし俺にとっては明日また無事に新鮮な空気を吸えるか吸えないかの瀬戸際なのだ。
酒場でのんびりと食事をしていた冒険者たちも、なんだなんだとこちらに注目している。なにこれ結構恥ずかしい。
「ええとですね、これにはクラーケンのひそむ深海よりもディープな理由が………」
「シャラップ」
少女は容赦なくノコギリを振り下ろした。
「うえぁぁああ!?」
スカッと耳をかすめたノコギリは、酒場の古く傷んだ木製の床に突き刺さった。
「チッ、外したか」
「今殺そうとしてましたよね!? 発言を許可しておきながらなんという非道!」
「情けない叫び声上げてんじゃないわよヘタレE級冒険者風情が」
「容赦ない罵りっ! 情のひと欠片すらない模様っ!」
「で? 今謝るなら許してあげてもいいけれど?」
相変わらずの暗黒微笑を崩さずに、少女はノコギリを引き抜いて肩に乗せた。いつでも先ほどのような斬撃が繰り出せる態勢だ。
そもそもこの人にとって謝るという基準はどこら辺に存在するのだろうか。今こうやっていたいけな青年が床に這いつくばっている姿が、謝罪のうちに入らないというのなら、頭を床にめり込ませて一回転ぐらいしないと謝罪にはならないんじゃないだろうか。
「ええと、そもそも俺はただサリネさんがノコギリを振り回し、バッタバッタと敵をなぎ倒す姿、それが凄くカッコイイなぁ~、と思っただけで、決してからかいとか、冗談の種とかにしたわけではなく………」
「よっと」
少女(サリネさん)は再び容赦なくノコギリを振り下ろした。
「ひぎぃやぁぁああ!?」
「チッ、素早いやつめ」
暴力少女の放った斬撃が頬をわずかにこすり、古く傷んだ床に大きな亀裂を作った。
「痛いっ! 酷いサリネさんひどいっ! ほら血がちょびっとだけど出てるよっ! もうこれ罰とかいろんなレベル越えてるよっ!」
「なに、かすり傷じゃないの。ツバつけときゃ一日かそこらで治るわ」
「あーいたたー。サリネさんの斬撃の振動で頭がぐらぐらするー」
「その程度我慢しなくてどうするの。仮にも冒険者でしょ?」
ダメだ。苦し紛れの嘘も一切効いている様子はない。
俺の傷を全く気にする様子もなくサリネさんは片手でグイとノコギリを引き抜いた。そして軽々と肩に乗せた。いつでも先ほどのような斬撃が繰り出せる態勢だ。
「聞いたところによると随分と私の武勇伝を語ってくれたそうじゃない。なんでも怪力少女だとかゴリラだとか剛力の野蛮人だとか」
「だってぇ実際そうじゃないですか。エビルウッドを一撃で切り裂いたり、ブラウンベアとタイマンはって圧勝したり、現に今だって理不尽な暴力を……」
「せやぁ!」
残酷少女は、当然のように容赦なくノコギリを振り下ろした。
「ふがぁぁああ!」
暴虐少女の放った渾身の一撃は、古く傷んだ酒場の床板を粉砕した。
「いい? 私は決して剛力の野蛮人ではないの。どこにでもいるか弱い純情な乙女なの!」
誰が聞いても同意できないであろう言葉を吐きながら、サリネさんは深く地面まで埋まったノコギリを引き抜いた。そして肩に乗せて構えた。いつでも先ほどのような斬撃が以下略。
まずい、サリネさんの暗黒微笑が暗黒般若の面に変わりつつある。獰猛な魔物と比べても申し分ない眼光を放ちながら腰を抜かした俺の前に立ちはだかる。
「これはどうやらお仕置きが必要みたいね……」
サリネさんの目がキラリとアブナイ光を放った。
やばい、消される……。
いや、思い出せ、俺。初めて冒険者になるとき決めたじゃないか。俺はここから這いあがって魔物を倒しまくる名冒険者になるって。お前はこんなところで冒険者人生を終えてもいいのか?
いや、それにとどまらずきっと英雄になって、報酬ガッポガッポもらって金持ちになって一杯豪遊して、しまいにゃ可愛い女の子をたくさん侍らせてウハウハするんだ。ああ、なんだか考えてると楽しくなってきたァ! こんなところでくたばっていられねぇ!
瞬発的に地面を蹴り、危険生物から距離をとる。そして腰に下げた量産品である鉄の剣を抜き、サリネさんと対峙した。
周りの冒険者たちは、面白がってこちらを伺う者や、おいおいやめておけよと迷惑そうな視線を送ってくる者。興味なさそうに食事を続ける者など、反応はまちまちだ。
はやし立てたり賭けを始めたりする野次馬はいたものの、誰も止めようとしたり助太刀に入ってくる様子はなかった。冒険者は基本的に淡白で、面倒ごとには関わらない主義なのだ。
さてと、意識を前方の脅威へと移す。
目の前のサリネさんは変わらず自然体で特に緊張した様子もない。
それに対して俺は足がガクガクと小刻みに震えている。実力差のある相手に立ち向かうときに、本能的に恐怖を感じてしまうのは仕方のないことだろう。
「ねぇ、なにしているの? 早くこっちに来なさい」
汗を川のように流している俺を嘲笑っているのか、それとも怒っているのか、サリネさんはノコギリで床を打ち鳴らした。
勝てるのか? いや、こんなところでくじけていてどうする俺! お前は英雄になる男なんだぞ! こんなのまだ序章にすぎない。いつかはサリネさん以上の敵とも戦わなくてはいけないんだ。
考えろ、どんな人間にも魔物にも弱点があるんだ。サリネさんの弱点はなんだ。力がある、スピードもある、身のこなしもいい。けれどサリネさんも人間だ。少しでもダメージを与えられれば動きだって鈍くなるだろうし、あのノコギリだって頑丈な鉄剣と打ち合えば刃こぼれや歪みもできるはずだ。
一撃でいい。一撃でも攻撃を食らわせることができさえすれば……。
できるのか? 否、できるできないは関係ない。やるしか道は残されていない。
ここまで来たなら覚悟を決めろ。なけなしの勇気を振り絞れ。心頭滅却なんとやら、だ!
冒険者としての経験、知識、技量、根性、誇りと矜持。俺は持ちうる全ての力を使ってサリネさんに切りかかった。
「おおぉぉっっ!!」
ギルドに響きわたる俺の咆哮。
「えい」
サリネさんから軽く繰り出されたノコギリの横なぎ一閃で、俺の相棒である鉄の剣は小石でも弾くかのように飛んで行った。
「あぁぁああっっ!?」
鉄の剣はくるくるくると空中で何回転かした後、手の届かない遠くの床に突き刺さった。
「そん……な……」
終わった。
万事休す。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
対抗手段を失ったことに打ちひしがれた俺は、へたりと尻もちをついた。
サブウェポン? あいにく一介の貧乏冒険者である俺にとってそんなものを装備する予算はない。
武器が無くても拳がある? 残念無念相手が悪い、徒手空拳で勝てる相手じゃない。
仲間が助けに来てくれる? いいえ、実を言うと目の前の無駄にでかいノコギリ持って、青筋立てながら微笑んでる悪鬼が俺のただ一人の仲間なんです。
うん、詰んでますねこれは完全に。
どれだけ考えをめぐらせたところで打つ手なし、だ。
サリネさんが一歩、二歩と近づいてきて、座り込んでいる俺の前でにっこりと花のような笑顔を浮かべ、言った。
「なにか遺言はあるかしら?」
ノコギリを大きく振り上げるサリネさん。その姿はまさに大鎌を持った死神である。というか実際俺にとっては死神である。
「早く言わないと執行を早めるわよ、3、2……」
どうやら慈悲はないようだ。
ここが俺の大冒険の終着駅らしい。諦めとともに浮かんでくるこの思い出たちは走馬燈というやつなのだろうか。今まで本当にいろんなことがあった。駆け出しのころ、薬草採取、薬草採取、薬草採取、サリネさんとの出会い、薬草採取、薬草採取、サリネさんとの協力、薬草採取、薬草採取……。
思い残すことがたくさんありすぎて言葉がまとまらない。何を言えばいいのだろうか。
そうだ、こういうときこそ自分に素直になろう。俺が心の底から願い、本当に思い描いていたのは――――。
「女の子とイチャイチャしたいだけの人生だった……」
「よし死刑」
「嫌アアアアッッッ!」
ギザギザで鋭い光を放つノコギリが目の前に迫ってきて、次の瞬間には俺の意識は暗転していた。
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いやあ、生きてるって素晴らしいね。どうも一介のE級冒険者です。
今、俺の頭には丸いたんこぶがひとつ乗っかっている。あの瞬間はさすがの俺も死を覚悟したが、サリネさんも本気でなかったらしく、ノコギリの平たい面で俺の額を叩いただけだった。いや、もちろんめちゃくちゃ痛かったけども。涙はなんとかこらえましたハイ。
そんなこんなで生きながらえることができた俺は、なぜかサリネさんに連れられて夕食を食べていた。
先ほどまで大ノコギリをぶんぶんと振り回し、いたいけな成人男性を恐怖のどん底に陥れていた当の本人は、精をつけるために大きな肉の塊にむしゃむしゃとすごいスピードでがっついていた。
どうも見たところミニドラゴンモドキの肉だった。栄養豊富で、冒険者にとっては英気を養うのにもってこいの食材である。しかし記憶によればそれなりに値が張ったと思うが、大丈夫かなアレ。
そんなとりとめのないことを考えていると。
「……なによ、じっと見て。なんか文句でもあるの?」
急に手を止めトゲのある声で猛獣、もといサリネさんは呟いた。
長いあいだ眺めていたのが気にさわったようで、眉をひそめ、じっとりとした上目遣いでこちらをうかがっている。
いかん、剛力の野蛮人呼ばわりの件で今のサリネさんは虫の居所が悪い。下手なことは口走ってしまえば、今度こそ脳天をパッカンされるかもしれない。
考えろ、考えろ俺。豊富な女性経験(彼女いない歴=年齢)を生かしてこの場をやり過ごすんだ。
「あー、元気に食べてるサリネさんの姿が、えーと、かわいらしいというか、ほほえましいというか、ずっと見てても飽きないというか……」
サリネさんは一瞬きょとんとした顔をすると、その体勢のまましばらく固まった。
これはひょっとして選択を間違えたか。いやこの反応は少なくとも悪い感情ではない、反射的に攻撃態勢に入っていないみたいだから今回は大丈夫のはずだ。
「せいっ!」
と、思いきやサリネさんは唐突に目つぶしを繰り出してきた。
突き出されたひとさし指と中指が俺のつぶらな両眼にダイレクトアタック。あえなく俺は椅子から転げ落ち地面をのたうちまわることになった。
「アアアァァァッッッ! 目がァァァァッッ!」
※ガチで失明の恐れがあるので、よい子のみなさんは真似しないでね!
「ま、まったく、突然変なこと言い出さないでちょうだい」
「目がァァァッ! 目がァァァァッッ!」
「一体どこ見てかわいいらしいとか、ほほえましいだとか……」
「目がァァァッ! 目がァァァァッッ!」
「……ねぇ、ちょっと」
「目がァァァッ! 俺の真珠のようなまんまるお目々がァァァッ!」
「聞きなさいよ!」
あまりの激痛に自我を失いかけていた俺は、サリネさんが机を強く叩いた音でかろうじて正気を取り戻した。少々騒ぎ過ぎたようで、周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
ようやく痛みがおさまってきたので目を開けると、そこにはなぜか頬を膨らませ一層不機嫌になったサリネさんがいた。
サリネさんは手元に残った肉を噛みちぎり、最後の一口を平らげると勢いよく立ち上がった。
「明日」
「へ?」
「明日、罰としてモンスター討伐についてきなさい。たくさん取るつもりだから荷物持ちよろしくね」
「えっ、このあいだみたいなの全部持つのはさすがに無理ですよ。サリネさんじゃないんだから」
「よろしく頼むわね!」
「ちょっと待ってくださ」
刹那、サリネさんの体から電撃のごとき殺気がほとばしった。メラメラと背後から立ち上る紫色のオーラは常人なら泡を吹いて卒倒しかねないレベル、かくいう俺も恐れのあまりいつの間にか直立不動の姿勢になっていた。
そしてサリネさんはこちらにに顔を寄せ、口の端をつりあげた満面の笑みを浮かべて。
「よろしくたのむわね」
「はい喜んでやらせていただきますサリネ様」
有無を言わさぬその迫力に二つ返事で了承する。
答えを聞くと満足したようで、まがまがしい殺気をひっこめたサリネさんはテーブルを離れた。
やれやれ。一難去ってまた一難。最近はこんな感じで毎日のように傍若無人な少女に振り回されている。あるときは上級魔物はびこる危険地帯に連れていかれ、あるときは依頼達成のために朝から晩まで使い走りにされ、またあるときは他の冒険者との喧嘩に巻き込まれ。こうして挙げてみるとろくな事がない。
とはいえサリネさんが優秀な冒険者であることは確かだ。たとえどんなモンスターが現れようと、彼女は臆せずにノコギリを振るい怪物を打ち倒す。その姿はまさに絵本の中の一流冒険者だ。現実はもう少し血生臭いものではあるが。
いつも大いなる迷惑をこうむっていることは確かだが、彼女の圧倒的な強さ、華麗で無駄のないノコギリさばきに惹かれているのもまた事実だったりする。普段のことはともかく、俺一人では到底達成できないような依頼をも軽々とこなし、凶悪な魔獣にも堂々と立ち向かう『冒険者』としてのサリネさんと共にいられることは俺にとってはちょっとした喜びなのだ。
ま、明日も明日とて彼女のノコギリは元気に魔物を屠るのだろう。
ついでにその魔物が俺でないことを願うばかりだ。
「あのー」
後ろから話しかけられたので振り向くと、食堂の看板娘がそこにいた。一体何の用だろうか。
もしかするとサリネさんと必死に渡り合った俺の勇姿をみてほれてしまったのかもしれない。ああ、きっとそうに違いない。好意を寄せてくれる相手には、少しばかしカッコつけて応えるのが正道だろう。
「どうも、お嬢さん。なにか用かな?」
優し気な声色で言葉をつむぎ、キリッと目元を引き締め、白い歯をキラリと輝かせた。しかし効果は薄かったようで、彼女は営業スマイルを保ったまま無言で一枚の紙を差し出した。
「お勘定、よろしくお願いします」
「え」
ギギギと首を回しテーブルに目線を戻すと、そこにはサリネさんが食べた皿がうず高く積まれていた。そして彼女は一銭も払わずに酒場から出ていった。つまりはそういうことだ。
「床の修理代と合わせて12万9500ゴールドになります」
「サリネさぁぁぁぁぁぁん!」
俺の叫び声が夜のギルドに響き渡った。