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episode 2:3

 ウズメはキッチンにいた。

「外にいるよ」ウズメの背中に声を掛ける。勿論、煙草を吸いたかったためだ。

 ウズメは意味ありげにボクを一瞥しただけで、あとはなにも言わなかった。ハミングをしながら彼女はフライパンを温めている。しばらくその様子を眺めていたら、彼女はおもむろに手のひらでテーブルを示した。テーブルの上にはビニール袋がある。所々に出っ張りがあって苦しそうに傾いていた。まるでエイリアンに寄生された人間みたいだ。つまり、これでボクに外出許可が下りたというわけ。

 テーブルに近づいてビニール袋を取る。中でアルミニウムのぶつかり合う音。きっとこの中にはフローリングに転がっていたやつも混じっているに違いない。潰されているのは容易に想像できた。だったらせめて、箱の中の暗がりに紛れ込ませて、蓋を閉じて、消えてしまったんだと、そんな妄想をするのも捨てたものじゃない。

 地上まではエレベータを使った。非常階段のある裏の駐車場へ回る。殺虫灯の傍にゴミ置き場があった。貝殻みたいに蓋を閉じている箱の隣に、プラスチック製の長方形が見える。要するに専用の棺桶ってやつだ。そこに空き缶を棄てて煙草を口にくわえた。火をつける。深呼吸。それから煙りを吐いた。煙りを目で追っていたら蛾を見つけた。殺虫灯にしがみついている。

 指で殺虫灯を軽く揺らす。蛾は紙飛行機みたいにふらふらと地上へ落下している。まもなく蛾は地上へ接触。コンクリートの上で綺麗な死体になっていた。

「なにを見ているの?」

 その声にボクは振り返る。

 女の子がボクを見上げていた。

「ねぇ、なにを見ているの?」女の子はにっこりと微笑んでから、もう一度ボクに訊ねる。

「蛾だよ」ボクは応えた。

「死んでいるわ」蛾を見下ろして彼女は言った。「これからどうするの?」

「どうもしないよ」

「そう」女の子は首肯してまたボクを見上げる。「コノハナ・サクヤ」

 ボクが黙って首を横に傾けると、女の子は片眉を上げてボクを睨みつけた。多分、怒っているのだろう。意味がわからない。その不可解さがボク少し苛立たせた。

「私の名前よ」女の子のその言葉でようやく理解した。

「アマカセ・セト」煙りを吐き出したあとでボクは言った。

「よろしく、アマカセ……」女の子は下唇に人差し指を当てて、首を傾げる。「セトって呼んで良い?」

「構わないよ」

「ありがとう。優しいのね。最近ここに越してきた人かしら?」

「違うよ」

「そう」女の子はにっこりと微笑んで首肯する。「じゃあ、友達か恋人のところに遊びにきたのね。あまり見かけない人だったから、つい声を掛けてみたの。悪く思わないでね」

「悪くなんて思ってないよ」

「そのわりには苛々してそうだけど?」目を細めて女の子は悪戯っぽい表情を作る。

「どうしてわかる?」

「ほら苛々してる」女の子はくすりと笑った。「さっきから一言しか喋っていないし、発音もなんだか刺々しいわ」

「そうかな?」

「そうよ」

「多分、煙草を吸っているせいなんじゃないかな」ボクは女の子に首を竦めてみせる。それから深呼吸。「きっと、ニコチンを肺に入れているせいだよ」

「苛々しているのは、どうして?」

「ニコチンが足りないからじゃないかな」

「煙草を吸っているのに?」

「そう、煙草を吸っているのに」コンクリートの上に煙草を落とす。そして煙草を靴底で揉み消してからそれを拾い上げた。「悪かった。謝るよ。正直、少しだけ苛々していた」

「もしかして、朝が苦手なのかしら?」

「どうだろう」ボクは応える。「苦手というより、寧ろ慣れていないのかもしれない」

「不思議な人ね。まるで朝を知らない人間みたいな台詞」

 別に知らないわけじゃないさ。

 夜を経過して朝を迎えたことに少しだけ戸惑っているだけ。

 本当だったら今頃はコンクリートの上にいる蛾のようにボクはなっているはずだった。

 昨晩の記憶も拡散して消失するはず。

 なのにボクはこうして生きていて、昨日のことも覚えている。

「面白い人。また会えるかしら?」

 気がつくと女の子がボクに漸近していた。上目遣いでボクを見ている。

「また会えるかしら?」女の子は言った。彼女の黒髪から微かな薫りが漂っている。一瞬だけ鉄の溶ける匂い。それから人工的な彼女の薫り。

 ボクが応えあぐねていると、女の子はあなたは正直だわ、と言ってくすくす笑い出した。それから彼女は回れ右をしてワンピースの裾を持ち上げる。

「また会えるような気がするわ」

「君は預言者なのか?」

「やっぱり面白い人」女の子は手を叩いて笑った。勿論、ジョークを言ったつもりはない。「あなたのその痣、彼女につけられたんじゃないの?」

 女の子の視線を目で追う。彼女の視線の先にはボクの胸元がある。ボタンを外している箇所から皮膚が覗いている。

 否定する暇もあたえずに、女の子はボクと距離を置いた。彼女の片脚は非常階段のステップに載せられている。次に会うときには朝に慣れていると良いわね。彼女はそう言って非常階段を駆け上った。

 その様子を、ボクはうわの空で眺めていた。

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