episode 2:2
真昼の太陽みたいな位置にウズメの顔があった。
ウズメの頬に当てられているのは、そうボクの手だ。ボクの手には彼女の手のひらが重ねられていて、ちょうどバンズに挟まったパティみたいに大人しくしている。このままレンジに入れたいと思うくらい彼女の手は冷たかったけれど、見下ろしている彼女の微笑はとても心地が良くてボクをベッドから剥がしてくれそうにもない。寝室は仄かに暖かい。ときどきウズメの頬に光が差していて灯台みたいに明滅を繰り返している。
「どうしたの?」ウズメはくすりと笑って、横目でボクの手を一瞥する。「もう朝だよ。ぼーっとしてないで、一緒にコーヒーでも飲もうよ」
ウズメの頬からボクは手を剥がして、おもむろに上半身をベッドから起す。それから窓を見た。閉じられているカーテンがゆらゆらと揺れている。カーテンに透過しているプラチナ。隙間から漏れてくるひんやりとした風がボクの頬を撫でている。壁に掛けられている時計へ視点を移動。それからまたウズメへ視線を戻した。彼女はベッドに両肘を置いて、両方の手のひらを花みたいな形にさせてそこに顎を載せてボクを見上げていた。
「朝だよ」ウズメが囁き掛ける。まるで聞き分けのない子供を諌めるような母親みたいな声調。
ボクは首を竦めてから首肯する。
「コーヒー飲むでしょ?」そう言ってウズメはベッドに腰掛けてから、キャビネットに載せられているコーヒーカップに手を伸ばした。
「ありがとう」ウズメからカップを受け取る。
「どうしたの? それ……」
「えっ、なんのこと?」
長い睫毛を瞬かせてウズメはボクを見つめていた。正確にはボクの胸の辺り。しばらく彼女はそこをじっと見ていたけれど、ボクがカップをキャビネットへ戻そうとしたとき、彼女は腕を伸ばしてボクの胸に手のひらを当てる。
ウズメの手のひらが緩慢に下へスライドする。彼女の手のひらは冷たいのに、どうしてかそこは熱を帯びていていた。手のひらの移動と相対して熱もしだいに伸びていく。スリット状の模様が見えた。まるで魔法みたいだ。
「大丈夫?」手を離してからウズメは訊いた。
「多分」胸の模様を眺めながらボクは応える。痣だろうか? 少なくともウズメに引っ掻かれたものではないのは確かだ。
「ベッドの角にでもぶつけたの?」ウズメは首を横に傾ける。ジョークのつもりだろう。しかし顔は笑っていない。
「キャビネットの角にでもぶつけたんじゃないかな」僕は微笑んで、そうおどけてみせる。「大丈夫だよ。痛みはないから」
「そう、それなら良いけど」ウズメの手が離れた。
「その内消えてなくなると思うよ」肩を竦める。それから手に持っていたカップを唇に押しつけた。それは待ちくたびれて機嫌を損ねていたみたいだ。少しだけ苦い。
ボクが少しずつコーヒーを飲んでいると、ウズメがベッドに這入り込んできた。背中を向けた彼女はボクの上に乗ろうとする。ボクは脚を昆虫みたいに折り曲げて、彼女のためにスペースを作った。ボクの胸に彼女は凭れ掛ける。彼女の黒髪が胸をくすぐった。尾長鳥はまだ眠っているみたいだ。きっと朝に弱いやつなのだろう。
キャビネットにあるカップを彼女に手渡した。微笑。
「ありがとう」そう言ってウズメもカップに口をつける。
しばらくボク達は大人しくしていた。とにかく、考えることが多すぎた。だから、この沈黙は思考を働かせるには最適だったと思う。だけど、ボクはのんびりコーヒーを飲んでいただけで、結局なにも思い浮かべることはなかった。
ラジオから古典的なポップスが流れている。ウズメはいない。ボクはベッドに座り直してから脚を伸ばす。彼女が置き忘れた体温がジーンズ越しに伝わった。つまり、これが記憶するということだろうか。彼女の残滓を感じながら、ボクはぼんやりそんなことを考えていた。