4、交換条件
「ロクちゃん、ヘルプミー」
帰ろうとしている僕は腕を掴まれ、ムッとなる。
最近、みのりは化粧をするようになっていた。香水みたいのもつけているんだろう。妙に甘ったるい匂いが鼻に付く。
一体、この化粧に何時間かけているんだ?
長いつけまつげをバサバサと瞬きしながら、今、時間ある? と聞くみのりが聞いてくる。
僕は露骨に嫌な顔を見せる。
「ない」
即答する僕に、みのりは口を尖らせた。
「そんなことを言わないでよ。あのね、ロクちゃん数学得意でしょう? 微分法がどうしてもわかんないのよ。教えてよ」
この根性、凄いって思うことはある。
いくら僕が冷たくしても、みのりは笑顔を崩さず、自分の言い分を伝えてくる。だから僕もつい、口悪く言ってしまうんだ。大きな瞳をぱちくりさせるみのりに、鼻で笑った僕が口を開く。
「そんなもん講師に訊け。そのための予備校だろうが? 僕は自分の勉強で忙しいんだ」
「ええー。そんな意地悪言わないでよー。お礼は何でもするから、ねー、良いでしょう?」
上目づかいに、鼻にかけるような声。
止めろ。ブスが気持ち悪い。
「何でもって、何でもか」
「うん。ハーゲンのアイスでも。この際、奮発して焼肉でも良いよ。バイト代、入ったし」
「バイトって? お前アホか? 予備校生にそんな余裕どこにあんだ?」
「だってー、いろいろ掛かるんだもん。小遣いだけじゃ足りないよ」
目をひん剥いて喋る僕に、みのりはたじろぎながらもごもごと答える。
「はぁん。どこの大学目指してんだっけ、おまえ?」
僕のイライラが募る。
「大丈夫。お茶の水に行くなんて言わないから」
「そう言うことを聞いてんじゃねーよ。今年も駄目だなおまえ」
「ひっどい。そんなのやってみなきゃわからないじゃない。ちゃんと勉強もしているし、別に浪人したからって、人生に負けたわけじゃないんだから。あとは本人のやる気でしょ。私は負けないつもりだよ。ロクちゃんも、そんなしかめっ面ばかりしてないで、もっと息抜きしないと、自分に押し殺されちゃうよ」
「僕に助言をするなんて、10億万年早い。僕だって負けてなんかいない。自分に似合うレベルの学校へ行くために一年、勉強し直しているだけだ」
「だったら、一時間ぐらい私にちょうだいよ」
「そんなの余裕だし、その代わり北山を僕に紹介しろ」
どうしてそんな言葉を発してしまったのか、自分でもよく分からなかった。
昨日弟の奴が、彼女を家に連れてきたせいか?
アイドル歌手にどことなく似ていたその子を見て、僕は嫉妬していたのかもしれない。
北山瑞希。
高校時代、バスケ部のキャプテンをしていた奴だ。クラスは違っていたけど、何故か教室でちょくちょくと、瑞希を見かけていた。
その瑞希がみのりの友達と知ったのはつい最近だった。
いつだったか、いつもの如く、僕の前に現れたみのりは弁当を手渡しながら、ニヤニヤと顔を覗き込んで来た。
不気味がる僕に、みのりは携帯の画面を目の前に差し出し、
「可愛いでしょう?」
色違いの浴衣を着たみのりと、瑞希が写っていた。
「これ着て、花火大会に行くんだ」
相変わらず日に焼けた顔をしていたけど、一つにまとめた髪が新鮮に思えた。
「瑞希と一日デート。出来ればあの浴衣で」
半ば口からのでまかせだった。
実りの今日の髪型が、あの写真と同じものだったせいだろうか……。
僕の中で、もやっとしたものが広がる。
ないない。絶対ない。
勝ち誇った顔で、僕はみのりを見る。
どうだ。無理なんだろうという目だ。
みのりを見下すように、次の言葉に、きっと気が付かないうちに期待していたんだ。
「……わかった」
一呼吸置いたみのりが頷く。
え?
一瞬の間が。僕の中に生まれる。
それを悟られまいと、僕は舌打ちをしたんだ。
それなのに、
「商談、成立だね」
と、みのりは屈託のない笑顔を見せた。
じわじわと、みのりの愛が浸透してきた緑郎。しかしプライドが邪魔しているんですね~。ああ面倒くさい奴。




