3、解けない方程式
言い忘れました。この作品はオリジナルサイト「遥か彼方のきみへ」にて、掲載されているものです。
予備校生活もひと月が過ぎ、相変わらずふてている僕の前に座った星池が、私の名前っていいでしょうって言いだしたんだ。
無言のままでいる僕に、ロクちゃんも私のことそう呼んでよ。みのりなんて、なんか幸せがわんさか実りそうでしょ。って。
「ブスの癖に。お前だって落っこちて、こんな所に通ってんじゃねーか 」
そう言う僕に星池は、ニッと、満面の笑みを見せた。
「バカだねロクちゃんは。自分のために、ご利益使っちゃったらダメでしょ? 人のために使うから意味があるんだよ」
「何のこっちゃ?」
鼻で笑う僕を見て、星池はまた嬉しそうに、笑った。
「今日はちょっとアレンジして、麺にしたから食べれると思うよ」
星池は、僕が飲まずに持っていたスポーツドリンクを手から取ると、お弁当を入れた手提げ袋の中へしまって、はい。と渡す。
完璧に、彼女気取りだ。
「感想聞かせてよ。私の将来が、かかってんだから」
毎度、このセリフも言って来る。
「いらねーのに」
「捨ててもいいけど、一口ぐらい食べてからにしてよ。うまいかまずいかだけでもしりたいんだから。ね。武士の情けでござる」
「武士って、バカ。声が、でけーよ」
何人か振り返って行くのを見て、慌てその場から立ち去ろうとしていた。こんな恥ずかしい目にあったんだ。すべてなかったことに、しようとする僕を星池は凝りもせずに行ったんだ。
「ロクちゃん、待って。もうそういう態度、ホント、良くないよ」
手を掴まれ、振り向かされて、にっこり微笑まれて、僕はなぜか、まともに星池の目が見ることが出来なかった。
「ブスに優しくしておくと、ご利益あるってもんだよ」
あれ、何だろうこの感覚。
僕の目は一瞬、おかしくなったんじゃないかと思った。
そうだ、こんなもの安易に受け取ってしまうからいけないんだ。
所在なさげにぶら下げている手提げに目を落とした僕は、何かをかき消すように言ったんだ。
「誰がそんなことを、決めた」
「ボランティア精神だよ。ボランティア精神」
さらりと言ってのけた星池は、突っ返す暇もなく行ってしまい、僕は結局、腹立ちまぎれに、全部平らげてしまった。
あまり食欲がなかった僕は目を瞠る。
礼を言わなくてはならない。うまかったと素直に伝えなければならない。そんなこと、嫌っていうほど分かっている。
だけど僕は帰り際、自動販売機でお茶を買っている星池に遭遇した時、癖で舌打ちをしてしまった。
「食べてくれた?」
僕を見つけた途端、星池の目が輝く。
バカ、ブス。そんな顔をすんな。
「はい、それ回収。明日は、何が良い? リクエストあったら言って。て言うか、味の感想、聞いてない。美味しかった? 結構自信あったんだけど。ねぇロクちゃんってば、あっ、またスルー? そうはさせないんだから」
しっかり握られた腕。
ニコニコしているのに、手に力を込められているのが伝わって来ていた。
だから仕方なく、仕方なくだ。勘違いすんなよなブス。
「うるせぇな。全部食ってやったんだ文句ねぇだろ」
「てことは」
何なんだこのポジティブ光線は。
期待してくる星池を前に僕は、うまかったと伝える羽目になった。
「よし。一日一善。よくできました」
そう言って星池は、女友達が待つ元へ、小走りで立ち去って行く。
腹が立つことに、星池は僕の心を見抜くのが上手い。と正直に思った。
さらりとやって来て、のほほんとした口調で、すべてをはぐらかして行く。
「お前は、母親か」
独り言ち他僕は、苦く笑う。
高校の時、これほど星池を意識したことがなかった。クラスではいろいろな揉め事があったようだけど、僕にはどうでも良いことで、興味すら示さずにいた。
話し掛けられなきゃ、通り過ぎたって、横に座られたって、気が付かなかったよな。
調子を狂わされっ放しの僕は、何かにつけて橋井家のことを考えるようになっていた。今朝も当たり前のように、手提げが渡され、言いたいことをまくし立てかと思うと、風のように僕の目の前から居なくなる。の繰り返し。
何なんだ~。
足を止め振り返り、星池が微笑む。
「……ですから、この場合」
ハッとして、僕は授業中だったことを思いだす。
数式を慌ててノートに書きとる。
講師の声が一段と大きくなる。一心不乱に誰もがその早口について行こうと、耳をそば立てている。全員がライバルだ。友達なんて今の僕には必要ない。
楽しそうに友達と話すみのりの姿が一瞬、頭を過る。
――ブスのくせして、友達なんか作っているんじゃねーよ。
その時の僕は、自分の中に芽生えていたものが何か、気が付かないふりをした。
認めるのが怖かったんだ。




