4.降雨の聖女
その朝は静かだった。
いつもの喧騒も、兵士の騒ぐ声も聞こえない。
「……珍しいな。もうこんな時間か」
ヴィクトルが側のテーブルに置かれた時計を見ると、もうすぐ昼になりそうな時間だ。
この魔石を動力とした時計も随分昔の物だ。一瞬壊れたのかと心配になる。
この旱魃が始まってから、国は水の確保を最優先として、魔石などの採掘は全て後回しになっていた。雨が少なかったのは今年だけではない。数年前から少しずつ雨量は減っていた。隣国より水を買い付けるのだが、水も長く置くと腐敗する。国庫も無制限に水だけに金をかける訳にはいかない。食料はさらに高騰していた。
ヴィクトルも第一王子として原因の調査を行ったのだが、原因の世界樹の異常にたどり着くまでに時間を要してしまった。
その結果、唯一ヴィクトルの出来る渇水対策が聖女召喚だったのだ。
弟の居る神殿の協力を得てなんとか召喚をしてみたが、まさか三人も出てくるとはヴィクトルは思ってもいなかった。聖女と言うからには美しく若い娘だろうと、それらしい二人を連れ出し歓待した。
せっかく複数の聖女が出現したのだ。
一瞬の判断だったが、一人はキースに預けた方が良いと思ったのだ。
それに、最終的にはその命を捧げてもらうのだ。
生贄には若く美しい娘が良いだろう、という考えもあったことは否定しない。
しかしその聖女。
性格に多分な問題があった。
出来る限りの豪華な食事を用意した。
飲み物も、既に貴重品である果実を使ったり、若い娘が好みそうな物を用意したのだが。
どうやら異世界は、とんでもなく豊からしい。
あれこれと文句を言いながら、それでも満腹になるまで食べたらしく、酒も結構な量飲み干して寝むそうだったため侍女に客室へ案内させたのだが……
まさか寝所にまで誘われるとは思わなかった。しかしヴィクトルにもに一国の世継ぎの自覚はある。
そう簡単に、例え聖女とはいえ手を出す訳にはいかない。
おかげでベットを聖女二人に譲って、ヴィクトルはソファで寝る羽目になってしまった。
なかなかできない経験である。
「……昼だと言うのに、何故こんなに暗いんだ?」
ソファから起き上がりテラスへ続く窓を開けると、ここしばらく感じたことのなかった雨の匂いがした。
不思議に思ったヴィクトルは慌ててテラスへ出る。
「雨が……降ったのか?」
テラスには、霧雨のような雨がしっとりと大地を潤していた。
「……召喚が、成功したからか……?」
後ろを振り返ると、まだ眠っている二人の聖女。
ヴィクトルは枕元にある、侍女を呼ぶためのベルを鳴らす。待つこともなく扉がノックされた。
「入れ」
「失礼します」
入って来たのは、オリガという幼少時よりヴィクトルの侍女をしている男爵家の令嬢だった。
「この雨は何時からだ? 神殿は何と言っている? 雨を乞う儀式は今夜行うと通達したはずだ」
オリガは少し困ったように首をかしげるとヴィクトルに答えた。
「雨は夕刻過ぎより降り出しました。神殿では聖女様が雨を乞う儀式をなさったと聞いております」
「夕刻過ぎ? 召喚のすぐ後から儀式を行ったと言うのか? それはあの黒い髪と黒い服の女か?」
立て続けに質問されてもオリガには答えられるものばかりではない。
「私が聞いた話ですと、昨夜聖女様が神殿で祈られてから雨が降ったと。昨晩の衛兵に詳しい話を聞いてみましょうか?」
「頼む」
それを聞いて、簡単に礼をしてオリガは退室した。
ヴィクトルの頭の中には昨日の召喚の時に、あの場に残した女が鮮明には思い出せないでいた。
黒い髪と地味な服装。とても『聖女』とは思えなかった。あの娘が聖女だったのか?それとも三人ともが聖女なのか。
ヴィクトルは部屋の中をうろうろと落ち着きなく歩きまわり、自分が大きな失態を犯したのではないかと漠然と不安になる。
それと同時に、一人をキースに預けた自分の判断は間違ってはいなかったとも思う。
ヴィクトルがしばらく部屋を歩きまわっていると、二人の聖女たちが目を覚ましたようだ。
「あ―、王子サマおはよ?」
金髪の聖女――川田水愛が髪を整えながら声をかけてくる。
「侍女がもうすぐ来る。その姿を何とかしろ」
ヴィクトルにとって女性とはきちんと身だしなみを整えてから自分の前に傅く存在であり、そのため水愛の行為が酷く無作法に見える。
「え―侍女とかすごいし― ねぇヴィクトルってホントに王子サマなんだ―」
もう一人の聖女、長瀬湧水がシーツのままベッドから降りようとする。
「そこに居れと言ったはずだ」
ヴィクトルの声の大きさに、二人は驚いたのか静かになった。しかし小声で文句を言っているようだ。
異世界人とはここまで無作法なものか。昨日から感じていた違和感に、ヴィクトルは自分の失態を自覚せずには居られなかった。
遡ること数時間前。
夜が明ける前の時間帯。
青葉はいつもの習慣でいつもの時間――5時半には目が覚めていた。
いつもなら、出勤前に境内の掃除をして手水屋の水を換えて……
そんないつもの習慣も、ここではやる事のない退屈な時間になってしまった。
窓の外を見ると、まだ小雨が降っている音に安堵する。
もう少し祭壇の間へ行かずには済みそうだ。
すっかり赤くなってしまった膝を撫でる。
なれない服を四苦八苦しながら着て外へ出る。
とは言っても、神殿内に詳しわけではない青葉の行ける所など祭壇の間か屋上くらいしかない。
とりあえず屋上へ上る。
見渡す景色に、当たり前だが変化は無い。
しかし、昨日見たような、荒れ果て、生きることを諦めたような大地の気配は無かった。
しっとりと水分を多く含み、枯れているとばかり思っている樹が喜んでいるようにさえ見える。
「……何だろう? この気配? 喜んでる?雨が降ったから?」
小さく呟くと、その気配はさらに濃くなった気がした。
「さすがですな聖女様。精霊様の気配がお分かりになるか」
急に声が掛けられ、振り向いた青葉の正面。階段の日差しの下に老人が立っていた。
「……あの?」
「ああ、失礼いたしました。昨日はご挨拶できずに申し訳ありません。
この精霊神殿の神官長をしておりますアキムと申します。聖女様に置かれては、見事な降雨を見せていただき感謝に堪えません。おかげでここ数カ月姿を見せてくれなかった精霊さま方が今日はこのように沢山……」
アキムと名乗った老人は、確かに立派な神官服を着ていた。
ただ、やはり神主風な衣装が気になって仕方ない。
……何でここだけ和風なんだ。
ものすごく突っ込みたいが、ここにはその突っ込みに答えてくれる人はいない。
いや、それより何か重要なことを言わなかったか?
「あの、精霊様が沢山……って?」
「まだお見えにはなりませんか? 昨日の今日では無理もありませんが。主に水の精霊様が沢山聖女様の周囲に居られるのですよ。まるで舞うようにしながら」
「はぁ……。そうなんですか」
そう言われても見えない物は見えない。
そもそも精霊ってどんな姿をしているモノやら想像もつかない。
「本当に喜ばしい。これでどれだけの民が救われるか」
「あの、でもまだ水の神殿とかに行くんですよね?」
「……それについては、他の聖女様方と話し合いをされるとお聞きしていますが」
神官長は、その話題に触れたくは無いようだった。
しかし青葉的にはそれが一番知りたい情報なのだ。
「あの、その水の神殿には二カ月かかると言われたのですが、往復ですか?片道?」
「……往復でございます。しかし聖女様。貴女様は確実にこの神殿でも祈りの力を発揮できる方。しかし他の御二方はまだお試しになっておられない様子、その結果を確認してからでもよいのではないでしょうか」
「……それは、どういう……」
「もしお二方が、ここで祈っても降雨がなければ、貴女様がここで祈りの降雨をもたらして下さり、御二方のどちらかが水の神殿に行くと言う選択肢もあるのではないかと思っております」
神官長の言うことは確かに合理的なのかもしれない。
しかし、何だか盤上の駒にされている気もする。
あまりいい気はしない。
「行くか行かないかは私が決めます。話し合いはしますが降雨のできる出来ないで決められないと思いますから」
「しかしそれでは……」
「すみません、失礼します」
そう言って青葉は神官長を残して自室にと案内された部屋に戻る。
「何あの言い方…… 私達を有効に利用しようって事?」
青葉は昨日の召喚の時のことを思い出す。
そうだ、これは『あかん系』だったんだ。
さっさと城を出なきゃいけないパターンだった。
何でこんな大事なことを忘れていたんだろう。
「じゃ、水の神殿行きって渡りに船?」
この瞬間、青葉の中で水の神殿行きは決定した。