3.竜神の娘
青葉は祭壇の前に跪き竜神様に祈る。
雨を降らせる。
そんなことが本当に可能なのだろうか。
青葉はそう思う反面、忘れられない出来事があった。
あれはいくつ位のことだっただろう。
小学生の低学年くらいだったろうか。
近所で火事があったことがあった。
近くの住宅から少し離れた所で、青葉が祖母と住んでいる神社の裏手にある家に帰る途中の出来事だった。
その家の窓から煙が出ていて、二階の窓から助けを呼ぶ声が聞こえた。
あの頃は当たり前だが、青葉は携帯なんて持ってなかった。
家まではまだ距離があった。
どうしたらいいか分からなかった時、急に青葉の頭の中に竜神様の御社がよぎった。
竜神様がホントにいるなら雨を降らせて下さいと、思った。
そしたら本当に雨が降って。
その家の人は「運が良かった」って喜んでいたけど、青葉の祖母は「青葉は本当に竜神様の子だねぇ」と褒めてくれた。
青葉が何をした訳ではなかったので、彼女には何で褒められたのか分からなかった。
もし本当に。
雨を降らせる力を、竜神様が貸してくれるなら。
どうか、この世界に雨を。
どの位そう祈っていたんだろう。
「もういいですよ」
と、キースが優しい目をして立っていた。
「え……?」
「雨が降り出しました」
「……うっそ――……」
さすがに、本当に降るとは思ってはいなかった青葉は目を見開く。
「ホントに?」
「はい。ご覧になりますか?」
「う、うんそりゃぁ」
青葉の言葉に、屋上に案内するキース。
確かに雨は降っていた。
しとしとと、ゆっくりと大地を潤す。
「……でも、これじゃ足りない…ね」
このままじゃ、まだ食料を作れる程の水量は確保できない。
しかし、その小さな呟きは雨の音が吸収したようだ。キースには聞こえていない。
「本当に、本当に感謝いたします。これでしばらく民が乾きに苦しむことはないでしょう」
「でもまだ駄目だよね」
「え……? いえこれでも十分に……」
「アデリナちゃんから聞いたし。水の神殿に行くんだよね?」
「アデリナ…… 」
それを聞いたキースは眉を寄せてアデリナの失言を責めるように名を呼んだ。
「アデリナちゃん悪くないし。私に隠し事はしないでね。ここじゃ誰を信じて良いか分からなくなっちゃうから」
青葉がそう言うと、キースは困ったような顔をして「すみません」とかすれるような声で言った。
「でも本当に水の神殿へ行くことまでは考えていなかったのです。あそこまでは危険な道のりになります。これだけでも雨が降れば随分違います」
「でもどうせ、帰還用の魔力が溜まるまですることないんでしょう? 行っても良いよ。あ、それともここで三人で祈るのを試してみるって言うんなら、わがままは言わないけど」
青葉の素直な意見はキースを納得させるのに十分な物ではあった。
確かに帰還用の魔力が溜まるまでは二カ月では足りない位だろう。
それに確かに、三人出現したのだ。
聖女が。
それは何かほかの意味があるのか。
三人で祈れば、これ以上の雨が得られれば。
「分かりました。王子殿下の方に話をしてきます」
そう言ってキースは王宮の方へ向かった。
青葉は若干心配しながら、その後ろ姿を見送る。
神殿って、王宮と仲悪いんだったら大変面倒だなぁと思いながら。
しかも、あのイケイケ系のお嬢さんと一緒に祈る?
「……難易度が上がったわ」
しまったなぁと思いながら、それでも青葉は神殿の祭壇の間に戻る。
そして、再度跪いて祈りを再開した。
こんなお湿り程度の雨じゃなくて、土砂降りの雨をください。この国の人が飢えなくて済むくらいの雨をください。
どの位経ったろう。
周囲はもう真っ暗だ。
途中でアデリナが蝋燭に火を灯して行ったのは気がついた。
外は雨音が強くなっている。
膝が痛くなるまで、祈った。
この調子なら、水の神殿とやらに行けば、本当に天候を元に戻せるのかもしれない。
祭壇の間の入口から外を見ながら青葉はそんなことを考えていた。
その時、アデリナがこちらに向かってきている事に気がついた。
「聖女様! 良かった、そろそろお食事をと思って声をおかけしようと思っていたのです」
「ありがと? いつでも声かけてもらって良かったのに」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
全開の笑顔を見せてくれるアデリナに、青葉も微笑みながらアデリナについて歩く。
昼間案内された聖女の間には、食事が用意されていた。
聞いていたほど質素ではない。
と言うか、スープとパンにメインと思われるお肉まである。
「……アデリナさん、私の食事……みんなと一緒で良いよ?無理、しないでね?」
「あ、でも。……王宮の聖女様方はきっともっと……」
ピシッと青葉は額に血管が浮かんだ気がした。
「あの二人と私は無関係。全然知り合いでもないし。お願いだから一緒にしないで。……今日はこの食事、ありがたく頂くけど、明日からはみんなと一緒でお願いします。それで良いかな?」
と、営業用スマイルでそう言うと、アデリナは感動したように何度もうなずいた。
とりあえず食事を頂いて、味付けが日本とかけ離れていないことに安心しつつありがたい食事を頂く。明日からの食事に若干の不安を持ちつつ食事を終わらせると、再度、祭壇も間へ。
祈った程度で降る雨なら、いくらでも祈ろう。
そう思ってここに来たのだが、先客がいた。
キースだった。
「どこに行かれたかと思いました」
わずかに表情を和らげて、青葉に言うキースはなんだか申し訳なさそうに眉を下げている。
「アデリナちゃんに食事にしてもらってきたの。あんなに豪華にしなくてよかったのに」
「……向こうのお二人はもっと豪華な宴席になっていると思います。お気になさらないでください」
「するわよ。私は嫌なの。明日からはみんなと一緒でお願いね」
「……そう言う訳には」
キースは本気で困っているようだ。
なので青葉は話題を変える。
キースを困らせてまで通したい我がままではない。
「向こうのお二人さんは祈ってくれそうになかったのね?」
キースは二人にも祈りに参加してもらうために、その要請に行ったはずだ。
なのでここに二人がいないのはおかしい。
「はい、その……宴のあと御酒に酔ったのか、もうお休みだと……」
「酒?!」
開いた口がふさがらないとはこのことか。
「あの二人にこの国の状況の説明はしたの?!」
「ヴィクトル様から行っているはずですが……」
「……叩き起こして来て良いかしら?」
すっかり目が据わった青葉は、拳を握りながら言う。
「アオバ様!アオバ様落ち着いて下さい! アオバ様のおかげで大地は潤いを取り戻しております。三人で試すのは明日で構いません!第一アオバ様ももう休まれなくては!」
「この国の状況は一刻を争うと思うけど」
「……確かにその通りです。しかし今日、状況は思っていたよりもはるかに好転いたしました。焦らないでください。水の神殿に行くなら尚更です。準備を怠れば、到着は遅れるでしょう」
そう言われればその通りなので、青葉も強くは言えない。
「分かった。じゃ明日三人で祈るね。でも旅の支度はしてもらえるかな。私は行くよ。帰りの魔力が溜まるまでここで祈っているだけなんて性にあわないわ。……旅は聖女三人で行く必要があるのかしら?」
「いえ、お一人で十分かと」
「じゃ、そう言うことで。あの二人が行くと言えば話しあいましょう」
あの感じじゃ行くとは思わないけど。
青葉は目でそう言って祭壇の間を後にした。
もう一度、屋上に登って雨の様子を確認する。
確かに雨足は強くなっているけど、それでもこの程度じゃ天気予報じゃ「小雨」程度の表現でしかないだろう。
行くしかない。
ここまで来たら行くしかない。
『あんたは人より重い物を背負っているのかも知れん。だけど、生きたいように生きなさい』
祖母の残してくれた、青葉にとって宝石よりも価値のある言葉。
「お婆ちゃん、私生きたいように生きるよ。……間違ってないよね」
本当に雨が降ったんだ。竜神様の加護は本当にあるのかもしれない。
信じてみよう。
私は雨竜。
――――雨をつかさどる竜神の娘。