1.聖女召喚
その日、雨竜青葉はいつになく急いでいた。
生命保険会社の営業を仕事にしている彼女は、顧客が入院したと聞いて必要書類を持参する所だったのだが、その前に約束をしていた客に予想をはるかに超える時間がかかってしまった。
生命保険と言う「安心」を売るような仕事だ。説明に時間がかかることはよくある。
それは十分承知していたのに。
このままじゃ入院先の病院は昼食の時間になってしまう。食事の時間にお邪魔することは避けたい。
そしてこう言う時に限って信号に捕まる。
パンプスの踵が少し痛む。
少し走りすぎたか。
信号が赤の間に、大きく息をつく。
目的地の病院は、もう目の前だ。
前には女子高生がにぎやかなおしゃべりをしている。
横にはサラリーマンがスマホを見ながら操作している。
その間を自転車がすり抜けるように通る。
いつもの、光景だった。
そのいつもの光景に、青葉は一瞬の違和感を感じる。
その違和感の元を探ろうと視線を動かすと、すぐにそれに気がついた。
アスファルトの道路が光っている。
しかもその光は円形に広がって行く。
信号待ちの人々全てを飲み込むようなその光は、複雑な文字の様に広がり、青葉と正面にいた女子高生二人だけを包み込み消えて行った。
一瞬の出来事だった。
三人の消失に、気付いた者はいなかった。
青葉は、一瞬目を閉じただけだったが、再度目を開けるとそこは交差点などとは似ても似つかない薄暗い部屋だった。
足元には魔法陣。
周囲には五人の、ファンタジーのゲームに出てくるような様なローブを着た魔術師と思われる人。
でも全員疲れきっているようだ。座り込んで肩で息をしている人もいる。
正面の椅子に座ったヴィクトルを見た青葉は、ザ・王子様だな。と心の中で呟く。
それ程にその燃えるような紅蓮の髪はインパクトがあった。
魔法陣の中には青葉と女子高生と思われる女の子二人。
一人は髪をうすい茶色に染めて二つに結っている。眼鏡をかけた可愛い系だ。
もう一人は金に近い色に染めて、青葉でもしないような真っ赤な口紅。今時だなぁ、とちょっと厄介そうな印象を青葉は受けた。
対して青葉は、仕事中と言うこともあり長い髪はきっちり結い上げており、清潔感を重視した薄化粧と紺のスーツだ。保険会社の営業が派手な格好をする訳にはいかない。
そこまで観察した青葉は、部屋の中を見渡す。
窓のない部屋。
床に描かれた魔法陣。
「ラノベ?」
青葉の異世界第一声は、とりあえず誰にも聞かれることは無かった。
「三人、だと?」
青葉が突っ込みを入れた瞬間、ヴィクトルが呟くように言った。
召喚される聖女は一人のはずだった。
それが三人。
この時点で、既に文献から外れた、想定外の事態と言うことになる。
元々が時代の特定も定かではなかった程の古い文献だった。
召喚に成功したこと自体。奇跡だったのかもしれない。
しかし、確実に聖女召喚の陣から出現したのだ。
人違いが混じっているとしても、一人は「あたり」が入っているのではないか?
そこまで考えて、ヴィクトルは近くにいた二人に声をかけた。
「ようこそ、神聖帝国ウィリディスへ。僕は第一王子のヴィクトル。ヴィクトル・ウィリディスだ。君達を召喚したのは僕たちの王家だ。この国を救ってくれる聖女様を召喚させていただいた。しかしこのようの美しい方々が来てくれようとは……」
そう言いながら、金髪に染めた女子高生が立ちあがるのに手を貸している。
「貴女も、お立ちください」
青葉にそう声をかけてきたのは、さっきまで肩で息をしていたフードをかぶった人だった。
「あ、どうも…… でもこれは一体?」
「ゆっくり説明いたします。ここでは飲み物をお出しすることも出来ません。移動しましょう」
そこまで話をした時、ヴィクトルが青葉に手を貸していたキースに近づいてきた。
「お前はこの方を頼む」
それだけ言って、キースの首から下げていた守り袋をヴィクトルが握り込んで持って行った。
「まだそれは……!」
「言ったはずだ。俺なら迷わない」
それだけ言って、ヴィクトルは女子高生二人を「さぁ、歓迎の宴を用意しましょう」と連れて退室した。
置いて行かれた形になった青葉は、まず茫然とした。
聖女として召喚したと言っていた。
なのに何故、自分はここにいる?
普通、三人一緒に扱う物じゃないの?
「……コレって…… あかん系の召喚だわ」
青葉は本を読むこと自体好きだった。
実はラノベも好きだ。
独特の紙をめくる音と雰囲気。
流れる静かな時間。
ジャンルを問わず、様々な本を読んだ。
最近の流行りのライトノベルも読んでいる。
「どんなジャンルにも秀逸と呼べるものはある」と言うのが青葉の信条である。
食わず嫌いはしたくなかった。
それがこんな所で役に立とうとは。
「私は無関係のようですね? 失礼させていただいた方がよろしいでしょか?」
こう言う場合の主人公たちは、速攻で城を出ないと高確率で厄介事に出会っていた。
とにかく、こんな異世界で一人で何とか生きて行かなければいけない事態になったのだ。
油断は出来ない。
しかし青葉には、そこまでの焦りは無かった。
元々の世界でも天涯孤独であった青葉には、一人で生きて行くことなど当たり前のことだった。
さっさと立ち上がるとスーツのほこりを払って、先ほどヴィクトル達が出て行った扉を見る。
重そうな石で作られており、精密な文様が施された扉は、確かにここが重要施設であることの証拠であるようにも思えた。
「お待ちください! 外への道は入り組んでおり、お一人では迷ってしまうかもしれません。それに一人でどこへ行こうと言うのですか?」
慌てたキースが声をかける。 フードを取って青葉を追いかけた。
「私は聖女ではなさそうなので、お暇させていただこうかと思ったのですが」
どんな時でもにっこりと社交辞令の笑顔を忘れない、営業部のエース青葉。
しかし腹の中は沸騰寸前だ。
例えフードの下が驚く程にイケメンさんであろうとも、あかん系召喚に付き合う義理は無い。
100Gとヒノキの棒で魔王に立ち向かわされてはたまらない。
「申し訳ありません、王子の暴挙のせいで貴女を……」
そうか。やっぱり暴挙だったか。
彼女の中でヴィクトル株は下がる一方である。
「しかし、異世界から来た貴女が思う程、この国は平和ではないのです。貴女方の姿を見れば、異世界は豊かな国であったことは分かります。しかしこの国は旱魃のせいで民の飲み水にも困窮している状態…… せめて帰還用の魔力が溜まるまで私の所においで下さい。私は神殿暮らしです。どうかお願いします」
「それは貴方に迷惑をかけることになるのではないのですか?」
「しかし、それ位はさせて下さい。このような世界に連れて来て、そのうえ王子のあの失礼な態度。許せるものではないでしょうが、貴女はこの世界についてなにも知らない。余計な干渉はしないと誓いましょう。私は神殿の護衛騎士を務めておりますキース・アサエルと申します」
そう言って足元をふらつかせながらも、膝をついて騎士の礼を取った。
そこまで言われると一人で出て行くのも不安な青葉。
職業柄、人の嘘は見抜くの得意だ。
神殿騎士を名乗る男は、少なくともウソはついてはいなさそうだ。
「じゃぁ、お世話になります……?」
「ありがとうございます。とりあえずは神殿の聖女の間でお寛ぎください」
「良いんですか? 私は聖女ではないのでは?」
「それはあり得ません。あの聖女の召喚陣から現れたのです。貴女にも聖女の資格が十分にある」
「はぁ。そんなもんですか?」
「では少しの間お待ちください」
そう言って一礼した後、扉を開けて誰かを呼んだようだった。
ここは神殿らしいので巫女さんかな?
「この方のお世話を頼む。他の聖女様候補は王子殿下がお連れになった」
「まぁ! あれほど言ったのに殿下は……」
なんか、あの王子の評価がどんどん下がるな。
青葉の中でヴィクトルの印象は悪化の一途だ。
「失礼いたしました。私はアデリナと申します。この神殿の巫女でございます。どうぞこちらに」
そう言って案内されたのは、そんな広い訳じゃないけど綺麗に整えられた一室だった。
「こちらでキース様が来られるまでお待ちください」
「ええ、それは良いのだけど、それまでこの国の事を教えて下さいませんか?」
にっこり。
要所要所の笑顔は大事です、とばかりに営業用の笑顔を大安売りする青葉。
「はい。……まず、何から言ったらいいのか…… この国、ウィリディスは長く続いた日照りで民は食べるのにも困っています。いつまでも降らない雨に、待ちきれなくなった王子殿下が聖女召喚を強行いたしました。聖女様、もしひとかけらの御慈悲があればこの国に雨をもたらして下さいませ――!」
元の世界の巫女にも似た雰囲気の服装の彼女は、青葉には無視できない姿であった。
その巫女が、こんなに必死に雨を乞うている。
「あの、申し訳ないんだけど私は、前の世界では普通にOL……えーと、事務、えーと、文官系の仕事をしていたのよ。なのでちょっと雨は降らせたことはないかなぁ……」
って言うか、無茶ぶりが過ぎるだろう。
それに雨乞いなら、呼ぶのは聖女じゃなくて竜神なんじゃないだろうか。
青葉の祖母が、長い年月守ってきた社の神様の様な。
青葉は遠い目をして、祖母亡きあと自分が守ってきた竜神の社を思い描いた。
ああ、さっさと帰りたいなぁ。