9.名前の分からない感情
キースは困惑していた。
青葉に対する態度を、決めかねていたのだ。
野宿の晩はキースが持って来た雑穀を練りパンに似たものを焼いた物と、小さな鍋に湯を沸かしス-プの元になるような細かい野菜を入れたもので、簡素極まりない食事だったにも関わらず青葉は文句ひとつ言わずに食べていた。
聞いた限り、王宮にヴィクトルが連れて行った聖女二人は王宮の宴の食事にさえ文句を言っていたと言うから異世界と言ってもいろいろ事情があるのであろう。
困ったのは青葉が、食事位は自分が作ると言いだしたことである。
さすがにそんなことはさせられない。
しかし青葉は引かなかった。
自分が馬車の中で雑穀をこねておけば、後は焼くだけだと主張したのだ。
確かにその通りではある。
しかしそんな仕事は、貴族の侍女もやらない下働きの下女の仕事である。
新しい侍女を連れて来ても嫌々やるのがせいぜいだろう。
しかし青葉に引く気はなかった。
一方的に奉仕されるなんて、まっぴら御免の青葉である。
結局折れたのはキースだった。
今後は食事前に青葉が馬車の中で雑穀の粉をこねてパンもどきを焼くだけの状態にしておく、と言うことで決着を見た。
この件でキースはさらに深いため息をついたのだった。
元々、身分の問題はキース的には大問題だった。
ちなみに青葉的には何の問題でもなかった事は言うまでもない。
第二王子であるキースは聖女より身分的には上である。
しかし自分が第二王子である事は知らせるつもりはない。
そうすると、神殿騎士程度では聖女の足元にも寄れない身分差がある。
一応、青葉もキースが神殿である程度の地位があると思っているようである。
その勘違いに甘えて二人旅となったのだが、いつまでもこのままで、と言う訳にはいかないだろう。
何より、次の神殿に着けば自分の身分を明かすなどの対策をして、騎士と侍女を増員しなくてはいけない。そうすると馬車ももう一台調達する必要がある。
今はどこの神殿も人手は足りない。
そこから人手を引っ張り出すのはどれだけ苦慮するだろう。
そう思うと、捨てたはずの王家の権威を借りたくなって来る。
しかしそれはしてはならない事だと、紅蓮の髪の兄に誓った。
だが。
少なくとも精霊魔法の使い手を青葉につけなければ、下手したら暴走しかねない。
最悪、精霊魔術師の居る街に数日居座っても精霊魔術の基礎を青葉にマスターしてもらわねば。
青葉はキースに気兼ねなく話しかけ、笑いかけてくれる。
何ともフットワークの軽い、明るい聖女様である。
反してキースは、女性が苦手だった。
人間が嫌いだと言っても良い。
キースは現国王の側室に二番目の王子として生まれた。
その時にはすでに第一王子としてヴィクトルが生まれていたため、大きな騒ぎにはならなかった。
何よりヴィクトルは正妃の息子。
王位争いが生まれる事は無い。
キースが生まれて数年間は何事もなく過ぎて行った。
キースが一番幸せだった時期である。
しかし時間は流れる。
騎士団に入隊したキースは、剣に槍に、軍略に桁外れの才能を見せ始めた。
仲間の騎士団は喜んでくれる。
褒めてくれる。
それが嬉しくてキースは更に技を磨いた。
それを快く思わなかったのが、正妃であるエルヴィラである。
それはキースが10歳の時だった。
エルヴィラの一派のお茶会の席で、キースは突然の吐き気を覚えた。
同席した伯爵夫人に、毒性のある果実を香りづけにと入れた紅茶を飲んだのである。
それは庭園内のどこにでも生っている果実であり、小さな子供でも毒性がある事を知っていた。
『知らないなんて思わなかったの』
その一言で伯爵夫人が罰せられる事は無かった。
――――ただキースにはそんな基本的な事を教えてくれる人はいなかっただけで。
キースは実母の身分が低かったため、ずっと乳母に育てられて来たのだ。
正妃一派は苦しむキースを見て、ただ笑っているだけだった。
この後も正妃一派の陰湿な嫌がらせは続いている。
嫌がらせではすまないレベルの物まで混じり始めたのは、キースが剣技でヴィクトルに勝った頃からだろうか。
以来キースは誰が信じられるのか分からなくなった。
乳母はキースには優しげな表情を見せる、自分の味方のはずだったのに。
月に何回かしか会えない母に心配はかけたくない。
キースは誰にも相談できないまま、周囲の勧めるまま自身の安全のために神殿騎士となった。
そして自分の未来も見えないまま現在に至る。
自分の現在の立ち位置も分からず、未来がどうなるかも分からず流されるままに生きて来たキース。
人間不信に陥っても何の不思議ではなかった。
しかしそんなキースの生い立ちを何も知らない青葉。
屈託ない笑顔を向け、自分には何の関係のない世界の民のために必死に祈りをささげる姿は、キースには理解できない行動であると同時に、大きな衝撃を与えた。
何故、他人のためにそこまで祈ることが出来る?
何のために、他人のために祈る?
神殿のステンドグラスの光の中で、凛とした姿勢で祈る青葉を長い時間見ていたが、キースの中でその答えを見いだす事は出来なかった。
そしてその青葉はキースに全幅の信頼を寄せてくれている。
その期待にだけは、答えたいと思うキースだった。
単純にキースは、初めての自分の中で生まれた名も知れない感情に戸惑い、青葉との距離を測りかねていたのである。
そしてもうひとつ。
キースを悩ませている事があった。
この世界の人間は、必ず某かの精霊の加護を持って生まれる。
もちろんその加護には差があり、例えば火の精霊の加護であれば小さな種火をつける程度の物から、訓練次第では大きな攻撃用の火球を作れる者もある。
それは身体のどこかに、その加護のある精霊の痣が出るので生まれてすぐに分かる事であった。
しかしキースには身体のどこにも痣は無かった。
魔力がない訳ではない。
しかしキースがどれだけ魔力を使おうとしても、協力し魔力の方向性を示してくれる精霊は現れなかった。
その代わりなのだろうか。
キースは生まれた時に、握っていた種があった。
最初はそれが種だとは分からなかった。
ただ生まれた時に握っていた物だ。
不思議な事がある物だと、母である側室は「お守り」としてキースに持たせていたのだ。
そして、この旱魃である。
あるはずにない事が起こっている。
世界樹が枯れる事など無いはずなのに。
自分の兄である第一王子から協力を求められた時は驚いたが、断る理由もなかった。
ヴィクトルが言うには、世界樹の種はどの精霊の加護も受けない者が持つ、と文献の記述にあったと言う。
この事でヴィクトルはキースの物っている物が世界樹の種である事を直感したのだ。
確かにその可能性はある、とは思う。
しかし、あの種を普通に土に埋めても世界樹は育たないだろう。
それだけ固い殻につつまれていた。
だが今回の世界樹枯死の件で、どうやらそれが新しい世界樹の種である可能性が出てきたのだ。
分からない事ばかりだ。
しかし、世界樹は聖女の命と引き換えにするということが判明するに当たって、初めて忌避感が生じる。
この世界を救うためとはいえ、そんな事が許されるものか?
しかも既にキースはこの段階ですでに、青葉を生贄にするなど考えられない。
その嫌悪感はずっとキースに付きまとった。
しかし。
ひとつだけはっきりしている事はある。
――――明らかに自分は聖女の護衛にはふさわしくは無い。
今日、キースは馬車を操りながらその事について考え続けていた。
「キース、次の街が見えたね。……やっぱり王都より小さいな」
「王都までの宿場町の様な役割で、それなりに栄えている方ですよ。今日は神殿のベットで寝られます。ゆっくり休んで下さい」
「それは私のセリフだよ。結局徹夜で見張ってるし。あの街でもう一人騎士さんをスカウトできると良いんだけどなぁ」
「それは私も努力してみます。最悪、ここは王都にも近い。王都の神殿から早馬でもう一人派遣してもらうことも可能でしょう」
「あ、成程…… 方法はいろいろあるのね。任せるけど今後緊急時を除く徹夜作業は禁止よ」
「承知しました」
青葉は『怒ってます』と言う表情をしているが、目はとても優しい。
その表情に癒されている自分がいる事をキースは分かっていた。
キースは胸に下げた『お守り』に触れる。
この人に使わせる訳にはいかない。
それだけは、絶対に。
それだけは、――――絶対に。
――――しかしこれは世界をかけた決断なのだ。




