最後のお願い
「もういいかな?」とエミリアが聞いた後、ディアンはエミリアをただ抱きしめて泣いていた。エミリアはもう抱きしめ返す力や何かを考える力もなく、早くこの苦しみから解放されたいと思っていた。体が限界だったし、それ以上に心が限界だった。
「俺にとってお前は何にも変えられない大切な妹で、俺が今まで頑張ってこれたのもお前がいたからで、今だって何でもしてあげたくて・・・。無理矢理帰国させたこと、本当にごめんな。俺がお前の生き甲斐を、今までもずっと潰してきてたんだな・・・。」
「ううん。違うよ。私帰ってこれて本当にうれしいのよ。ここが世界で一番落ち着く場所よ。それに、お兄様に私がどれほど感謝しているか・・・。」
「俺もエミリアにどれだけ感謝しているか知っているだろう?」
「私お兄様の何の役にもたってないよ・・・。」
「お前が自分に自信を持てなくなったのはいつからだろうか。謙虚であることを好ましく思っていた俺が、必要以上に自分自身を過小評価するエミリアをそのままにしておいたのが悪かった。エミリア知っているか?父上がお前のことを、エドガー王国初の女宰相になる器だと自慢していたんだぞ。」
「お父様が?」エミリアは年々記憶がぼんやりと薄れていく父の顔を必死に思い浮かべながら尋ねる。
「そうだぞ。父上は確かに厳しかったが、どれほどお前のことを可愛がっていたか。お前が生まれた時なんて、...........................。...ア?エミリア?」
兄が語る父の話の声が心地良くだんだん瞼が重くなってきていて、気付けば兄が肩を支えながら顔を覗き込んでいた。ゆっくりと瞬きしながらエミリアが答える。
「私、お兄様ともっとお父様たちの思い出を共有したかったの。聞きたいこと沢山あったのに、でも話すと泣いてしまうから・・・。どんな人だったか、私の記憶とお兄様の印象が一致するのか、確かめたいことがたくさんあったのに・・・。泣き顔を見られたくないなんて思わずに、もっと早く聞けばよかったわ・・・。」
「ごめんな。俺がお前に涙を見せない強くて頼りがいのある兄貴でいようと、家族の話をつい避けてしまっていたんだ。」
「ふふ。私たちって似ているのね・・・。兄妹だもの・・・。当たり前よね。」
「....?エミリア?」
気を抜くと瞼が落ちかけるエミリアは、必死に目を見開いて微笑んで兄を見つめる。
「これからは、父上達の話をたくさんしよう?だから、生きることを諦めるなんて言わないでくれないか?」ディアンは目に涙を止め、すっかりここ数か月でさらにやつれ顔面蒼白で唇が渇きて荒れている妹を見つめた。
エミリアは、じっとディアンを見つめた後、ゆっくり首を振った。
「お兄様。ごめんなさい。でも、もう・・・治療受けたくないの。点滴の針はとても痛いし、薬もあんなに大量に飲みたくないわ。どこが痛いのかももうよく分からないし、胸の痛みはどんな薬を飲んでも消えないし、ただ静かに寝ていたい。」
「・・・。」
「お兄様・・・。本当は手紙に書くべきと分かっているんだけど。もうそんな力が残っていなくて・・・。でも、お兄様しか叶えてくれる人がいないの。どうか最後の私のお願い聞いてくれる?」
「・・・。」
「お兄様ごめんなさい。泣かないで。私、本当に幸せだったの。お兄様の妹に生まれてきて、心から幸せだったのよ。だから、お兄様が何も苦しむ必要ないのよ。私の寿命はここまでと神様が決めたと思ってくれない?」
そう言うと、何も言わずに苦し気に泣いている兄の涙を拭おうと頬に手を伸ばす。だが、体がふらっと崩れ前のめりになってしまう。それをとっさにディアンが抱きしめると、エミリアを横抱きにしベッドに横たえた。
「エミリア。絶対に聞きたくない。お前までいなくなったら、俺はどうしたらいいんだ?もうお前しかいないんだ。」
そう言うとエミリアの手をぎゅっと握りしめた。
「お兄様。大丈夫よ。レオンとお義姉様がいるわ。私ね、本当はちょっと悲しかったの。お義姉様にお兄様を取られた気がして。お兄様に私以外の家族が出来ること。置いてけぼりにされた気がして・・・。でもね、そうじゃないのよね。同時に私にも姉が出来るってことなのよね。いつまでも子供な私でごめんなさい。素敵なお嫁さんを我が家に連れてきてくれてありがとう。お義姉様にはどれほど感謝しているか。そして、可愛い甥っ子レオンを産んでくれて・・・。ずっと仲良くね?」
「・・・。」
「泣かないで。ごめんなさい・・・。お兄様を私が苦しませているのよね・・・。」
そう言うと顔を右に向け、むせるエミリアをディアンが背中をさする。
「ありがとう。もう大丈夫よ。」
そう言うと、顔を左に向けディアンを見つめる。
「デュークお兄様の最期の言葉覚えている?」
ディアンが頷くのを見たエミリアは、微笑みながらディアンの頬に手をゆっくり伸ばした。ディアンが触りやすいように顔を近づけると、エミリアはゆっくりと頬に伝っている涙を拭った。
「デュークお兄様、本当に私たちのこと最期まで心配していたわ。だから先に行ってディアンお兄様がどれほど頑張って経営を建て直したか、そしてどれだけ素敵な人になったか話しておくわ。ディアンお兄様は、ゆっくり後から来て。私はあっちでのんびり待ってるから。ね?二つだけお願いを聞いてほしい。」
「絶対嫌だ。エミリア・・・。頼むから・・・。」
「まず一つ目は、私が死んだことを10年間だけリバー様以外誰にも知らせないでほしい。隠し通すのがどれほど難しい分かってかいるわ。でも、混乱させたくないの・・・。シンディーとターニャにだけは定期的に絵葉書を送ってほしい。私が外国を旅していることにしておいてほしい。」
「・・・。」
「二つ目は、アンを大切にして欲しいの。どれほど私に尽くしてくれたか・・・。いい縁があったら紹介してあげて欲しい。でも無理強いはしないでね。私のために、言葉も分からない異国に付いてきてくれたくれた人よ。しなくてもいい苦労を沢山かけてしまったわ・・・。アンは身寄りがないから、どうか家族のように今後も大切にして欲しい。そして、最後まで私の代わりに看取ってあげてほしい。」
ディアンが頷くのを見たエミリアは、ありがとうと小さな声で言うとゆっくり瞼を閉じた。
「殿下にはいいのか?」
「うん・・・。いいの・・・。言霊となって縛り付けたくないから。お兄様・・・。」
そう言うと、エミリアは起き上がろうとした。
「体辛いだろう?また今度続きは聞くよ。今はゆっくり休みなさい。」
「ううん。今寝たら、多分二度と目が覚めることがない気がするの・・・。お兄様、抱きしめてほしい。」
ディアンはその言葉を聞くと、嗚咽を漏らしながらエミリアを抱きしめた。
「お兄様・・・。たくさんの愛情をありがとう・・・。」
「・・・。俺こそ、ありがとう・・・。」
「ふふ。お兄様、お兄様の妹で本当に幸せだった。ありがとう・・・。」
「俺も、お前の兄で幸せだったよ・・・。」
「お兄様、お父様たちの話して。あ。クロの話にしようかな。」
「ク・・ロ・・?」
「私、ずっと・・・疑問に・・・思っている・・・ことがあって・・。」
「なんだい?」
「いつ・・・から、私の・・・部屋で・・・眠る・・・ように・・・なったんだっけ・・・?」
「覚えてないのか?」
「う・・ん・・。」
「それは、父上と母上の火葬をした後、殿下が・・・」
ディアンがそう言いかけた時、エミリアのディアンの背にしがみ付いていた手がぱたりと落ちた。
それと同時に凄まじい勢いで扉が開いて、誰かが駆け込んできた。
その人物を見ようと振り向いたディアンの目には涙が溢れていた。




