過ぎ去った日々
晩餐会から二日後、エミリアは朝早くから馬車に揺られていた。エミリアの隣には侍女のアン、前にはリーリアとよく知っているリーリアの侍女が座っていた。今回の視察は、リベラルトとユルも同行していて別の馬車に乗っていた。「エム・・・。お見舞いに行けなくてごめんなさい。」と涙を浮かべ謝るリーリアを見て、「いいえ。リーリア様はお怪我はなかったですか?」とエミリアも心配そうに尋ねる。リーリアは静かに首を振ると、「エム・・・。色々気まずいと思うけど、また仲良くしてほしい。」と頼んだ。エミリアは微笑みながら頷くと、「もちろんです。今回の視察ではリーリア様が気楽に過ごせるよう努めます。お困りのことがあったら何でもお申しつけください。」と言う。リーリアは嬉しそうに笑うと、それからはエミリアに最近のエドガー王国のことなどを教えてくれた。
今回の視察は馬車で半日近くかかる場所で、乗り物に強くないエミリアはすっかり酔ってしまい、アンの膝の上に頭を乗せぐったりしていた。リーリアは心配げに見つめながらも、自分の侍女と何やら楽しそうに話しているようだった。お昼過ぎに旅館に着くと、先に到着していたリベラルトが入口に立っていた。それに驚きながらリーリアは馬車から降りると、自分を待っててくれたであろうアルフォンスのもとへ駆け寄る。リベラルトは馬車に乗り込むと、自分が予想していた通りにぐったりしてるエミリアを抱き上げた。心配げに見つめる周囲に、「ご迷惑おかけしてすいません。乗り物に弱いので心配していましたが、やはり酔ってしまったようです。部屋で休ませてきますので、みなさんお先に昼食をお召し上がりください。私もすぐに伺います。」と頭を下げると、旅館の中に入っていった。
エミリアをベッドに降ろすと、「水持ってこようか?」とリベラルトが尋ねた。「いらないです。横になれば良くなると思います。リバー様・・・。いつもごめんなさい。」と真っ青な顔で目を瞑りながら謝るエミリアに、「気に病む必要はない。私は君の父のようなものだから。私は行くが、君はゆっくり休みなさい。」と言うと、エミリアの頭を優しくなで部屋から出て行った。
それからしばらくしてエミリアは目を覚ました。どうやら眠ってしまったことに気が付くと、慌てて起き上がる。アンに身支度を整えてもらうと、リーリアを探しに部屋を出た。通りかかった使用人にリーリアの居場所を尋ねると、どうやらテラスにいるらしかった。
テラスに行くと、リーリアは侍女と二人でお茶を飲みながら何かを眺めていた。エミリアが近づいてくることに気が付くと、「エム!よくなったの?」と心配そうに聞いた。「ご迷惑おかけしてすいません。」と謝るエミリアに、「いいのよ。それよりあれを見て!」と楽しそうに言う。エミリアがリーリアの指す方向を見ると、どうやら庭園でユルとアルフォンスが剣の打ち合いをしているようだった。
何年前だっただろうか。まだエミリアが初等部に入ったころ、ある日握ったアルフォンスの右手に大きな剣だこと豆があることに気が付いた。
驚き手当てしようとするエミリアに、「これは剣だこだから怪我じゃないよ。」と笑って言った。
「殿下は剣をやるの?お父様やお兄様たちにも剣だこはあるけど、殿下の手ほどじゃないわ。見てこれ豆が破けて・・・。」とエミリアは泣きそうな顔で心配する。
「僕だって剣くらいやるよ。男の勲章だよ。」と笑って言うアルフォンスに、「王子なんだからここまでやらなくてもいいじゃない。みんなアルフォンス様のこと守ってくれるよ?」と必死にエミリアは必死に辞めるよう説得する。
そんなエミリアの目を見つめながら、「僕には守りたいものがあるから。」とアルフォンスは真剣な顔をして言った。
「守りたいもの?」首をかしげるエミリアに、「エムは僕が守ってあげる。」と言う。
「殿下が私を守るの?」と言うエミリアに、アルフォンスは強く頷く。
そんなアルフォンスを見て、「いやよ。私が殿下を守るわ。私の方が大きいし強いもの!」とエミリアは笑った。
「いつかエムより大きくなるし、剣だって誰よりも強くなってみせるから。」とすねるアルフォンスに、エミリアは包帯を巻いてあげながら「そんな日は来ないわ。」と言ったのだった。
―そう。ずっとアルは私を守ってきてくれた。中等部に入った瞬間、私の身長を軽々抜かしていったし声だって低くなった。いつも私を軽々抱き上げて運んでくれた・・・。細身の体からは想像つかないくらい筋肉質だって知ってる。―
ユルよりもアルフォンスの方が腕は上のようだった。黄金の髪が日の光に当たりきらきらと反射するのを、エミリアはただ見つめていた。
「あ!アルフォンスが勝った!」と隣で喜ぶリーリアを見て、エミリアはアルフォンスからそっと目線を反らした。
その時に、ふと庭園にブランコがあるのに気が付いた。公園でしか見たことがなかったので、「あのブランコは?」と使用人に尋ねると、「昔主人が自ら作ったのです。お子様に人気ですよ。」と教えてくれた。その後、夕食まで男性たちは剣の打ち合い続けているようだったが、エミリアの視線はブランコだけに向いていた。
その夜。夜中になっても眠れなかったエミリアは、こっそりと一人で部屋を出た。廊下に人影はなく、皆寝静まっているようだった。杖が音を立てないようにと静かに廊下を歩くと、エミリアは庭園に出た。風で少し揺れているブランコの前に立つと、子供のころのことが鮮明に蘇ってくるようだった。
ゆっくりとブランコに腰をかけると、エミリアは静かに涙を流した。杖を地面に置くと、右足だけでブランコを揺らし始める。エミリアの左足は、もうほとんど動かないのだ。ほとんど動かないブランコを必死で漕ぎながら、こらえきれない嗚咽がエミリアの口から洩れた。
両親が亡くなるまで、よく家族みんなで父の休日に公園に出かけた。ブランコを漕ぐのが下手なエミリアのために、ディアンが上に乗り立ち漕ぎをしてくれる。「デュークお兄様もっと高くなるように押して!」と言うエミリアに、デュークは笑いながら背中を押してくれる。喜ぶエミリアに、少し離れたところから両親が笑いながら手をふってくれる。エミリアは公園が大好きだった。クロと会ったのも、王立公園だった。クロは尻尾を振りながら、いつも元気に目の前を走り回っていた。
「お父様・・・。お母様・・・。デュークお兄様・・・。クロ・・・。あの頃に戻りたい・・・。」そう呟くと、エミリアはただ泣き続けた。
エミリアは辛かった。もう、ディアンだって妻を娶り一児の父なのだ。アルフォンスだって新しい婚約者がいる。自分だけがただ一人、あの頃に取り残されているようだった。
―また明日体調崩したら迷惑がかかるわ。頑張って寝なきゃ。―
そう思い涙を手で拭うと、杖を拾おうとかがんだ。だが、動くブランコが中々止まらなくて杖を拾うことが出来ない。エミリアがため息を吐いたとき、誰かの手が杖を掴むのがエミリアの視界をよぎった。
びっくりしてエミリアが顔をあげると、その人物を見て息をのんだ。
エミリアの前には、エミリアの白い傷だらけの杖を握りながらアルフォンスが立っていた。




