代償~リーリア目線~
―違う・・・。私は悪くない。あれは事故だったの。不幸な事故だったのよ。―
何千回と自分に言い聞かせてきた言葉を、リーリアは今も思い浮かべていた。
―まさか・・・。エムがコリン王国にいるなんて・・・。―
ユルと別れた後、「アルフォンスは知っていたの?」と尋ねるリーリアに、「さすがに知らなかったよ。」と苦笑しながらアルフォンスは答えた。「どうしてエムのこと知らないふりしたの?」となお問い詰めるリーリアに、「『元婚約者です。』って言えばよかった?」とどこか冷たい笑顔で質問するアルフォンスを見たリーリアは静かに首を振ると、アルフォンスの部屋を出て滞在する自分の部屋に戻った。
「一人にして。」とクララに言い、ベッドに横になると今までのことを思い浮かべる。
―アルは・・・。私のこと全然好きじゃない・・・。―
リーリアの目にじんわりと涙が浮かんだ。
リーリアが、兄のセシルに「どうしてもアルが欲しい。」と言った翌日、セシルはマルコと言う青年を連れてきた。「マルコと言う。これからリーリアの護衛をすることになった。何か困ったことがあれば、マルコに頼むといい。フォスタ王国の地方の男爵家の三男だ。爵位は継げないが、剣の腕は立つし頭も切れる。」と紹介されると、「マルコと申します。何なりとお申し付けくださいませ。」と無表情でマルコは言った。今までの護衛で十分だとリーリアは思ったが、兄の勧めとあっては頷くしかなかった。
兄とセシルは何か綿密に計画を立てているようだったが、リーリアに詳細は知らされなかった。エミリアとセシルが初めて会食した翌日、マルコが「今日王立学園に用事があるので、届け出の提出をお願いします。」とリーリアに紙を渡してきた。その紙の中にマルコの名前はなく、「え?マルコの名前がないわよ?」とリーリアは尋ねた。「私は別の用事がありますので。」とマルコは無表情に答えた。
その日の昼食を食べ終わった後、エミリアはふらりと立ち上がると「用事があるから先に行くわね。」と言い去っていった。珍しいことでもなかったので、リーリアは特に疑問に思わなかった。そして午後の授業を受けていると、ひっそりと男子生徒が授業中に教室に入ってきたのに気づいた。アルフォンスの席は廊下側の一番後ろで、シャイルはアルフォンスの隣の席である。リーリアはアルフォンスの前の席だったので、アルフォンスに男子生徒が何を言っているかはっきりと聞き取ることが出来た。
「エミリアに何かあったのか?」と小声で話しかけるアルフォンスに、「エミリア様のお姿が見当たません。昼食後から教室にお戻りになられてません。」と言う。「保健室は確認したか?」と言うアルフォンスに、「はい。図書館等も含め、心あたりがある場所は一通り探しました。鞄等はそのままなので、学校にはいらっしゃると思うのですが・・・。」と言う男子生徒に、「分かった。」と言うと、シャイルに「エムの姿が見えない。何かあったのかもしれない。」と伝える。すぐに二人は立ち上がると、何も言わずに教室を出て行ったのがリーリアには分かった。
―え・・・。アルにはエミリアの様子を報告させる人がいるの?姿が見えないだけで大げさだわ。これもエミリアがか弱い女だからわ・・・。―
とアルフォンスに強く愛されるエミリアを、少し憎く思った。その日は結局、アルフォンスとシャイルは戻ってこなかった。次の日学校ではエミリアが風邪をひいたと広まっていて、体調が悪くてどこかで倒れていたのかもしれないと、昨日憎く思ったことを純粋に反省した。リーリアはエミリアのことを決して嫌いにはなれなかったのだ。
リーリアがエミリアに激しい憎しみを抱くようになったのは、一週間後エミリアが登校してきてからだった。どこか嬉しそうにしてるエミリアに、リーリアは何かいいことがあったのだろうか?と不思議に思っていた。帰りの馬車での出来事だった。午後の授業で出た政治学の課題を、いつものようにリーリアはアルフォンスと討論していた。いつもは窓の景色を見ているだけのエミリアが、その日初めて会話に参加してきたのだ。エミリアの意見は的を得ていて、リーリアは何も言い返すことが出来なかった。瞳を輝かしながらエミリアに賛同するアルフォンスを見て、リーリアは何かが崩れ沸き上がる嫉妬を抑えることが出来なかった。
リーリアは、エミリアに唯一勝るものは自分の知識や考えだけだと思っていた。エミリアが参加できない会話を、アルフォンスとすることだけが心の支えだった。それがリーリアのプライドをかろうじて保っていた。それさえもエミリアは奪ったのだ。悔しかった。死ぬほど悔しくて憎いと思った。その時、アルフォンスを手に入れることを強く決意したのだった。
帰宅したときリーリアはマルコを呼び出し、「エミリアをずたずたに傷つけてほしい。」と頼んだ。マルコは『先日ある計画が失敗し、警備も厳しくなっているから今は難しい。』とリーリアに言った。リーリアはその時初めてエミリアを襲ったことを知らされた。無表情で淡々と告げるマルコにぞっとしたが、行き場のない感情をどうにかしたくて、それからはマルコの指示のもと動くようになった。
マルコには反対されたが、エミリアの悲しむ顔が見たくて、冬休みに帰国する前日仲の良い友達を招いてお茶会を開いた。嫌味を繰り返す友人たちに対して口先ではエミリアをかばいながら、内心は笑っていた。だがエミリアはにっこり笑うだけで、イライラは募る一方だった。エミリアがトイレに立ったとき、アルフォンスが迎えに来たことも許せなかった。その夜マルコに、「冬休み中にエミリアをどうにかして!」とリーリアは癇癪をおこした。「王女様申し訳ありません。本日部下がエミリア様に勝手に接触しまして。しばらくは難しいかと。」と淡々とマルコは言う。「ちゃんと自分の部下くらい躾けなさいよ!」とリーリアは怒りが収まらなかった。
国に帰ると、リーリアの激しい嫉妬も自然と収まった。家族は皆甘やかしてくれるし、夜会に出ると誰もがリーリアをちやほやしてくれた。エドガー王国に戻る前日、兄のセシルがリーリアに「エミリア嬢のことはどうする?」と尋ねた。何も答えないリーリアに、「今は警備が厳しくて襲うことは難しい。だがリーリアが卒業したら、もっと難しくなる。やるなら今しかないよ。」と頭をなでながら微笑む。「まだ決められない・・・。」と言うリーリアに、「分かった。もしやるならば、マルコの指示に従うんだよ?明日からまた学園生活頑張って。」と言い部屋を出て行った。
次の日エドガー王国に戻ってきたリーリアは、お土産をもってアルフォンスに会いに執務室に直行していた。執務室の近くまで来たとき、シャイルが何か言いながら部屋から出てくるのが見えた。呼び止めようとしたが、シャイルはそのまま反対方向に歩いて行ってしまった。驚かせようと思いこっそり扉を開けるリーリアの目に飛び込んできたのは、抱き合ってるアルフォンスとエミリアだった。二人は幸せそうに何か言いながら抱き合っていた。黙って扉を閉めたリーリアの耳に『エム愛してる。』と言うアルフォンスの言葉が最後に聞こえた。
マルコを呼び出すと、「計画を実行したい。」とリーリアは静かに呟いた。マルコの計画の内容は、リーリアがエミリアをどこかに連れ出し暴漢を装って殺すというものだった。リーリアはアルフォンスを手に入れてエミリアの傷つく顔が見たいだけで、死んでほしいとはどうしても思わなかった。『殺さないで。』と言うリーリアにマルコは反対した。『ちょっとの怪我ではエミリアの地位は揺るがないだろう。』と。そこでリーリアは、『どこかに誘拐して、王族との結婚に最重要な純潔を奪って。』と命令した。マルコはため息を吐くと、しぶしぶ頷いた。
翌日、リーリアはエミリアを連れ出すために公爵家を訪ねた。驚くエミリアに、リーリアは必死に笑顔を作り嘘ばかり並べた。エミリアはリーリアの願いを聞き入れると、『私の護衛は優秀だから、エミリアの護衛は必要ないわ。』と言うのをあっさり信じた。一人だけ護衛を連れると、リーリアの乗ってきた馬車にエミリアは乗り込んだ。
これから起こることを想像し不安で震えるリーリアを、エミリアはずっと気遣ってくれていた。エミリアの優しさに触れ、リーリアは計画を中止しようかずっと考えていた。やっぱりやめようとマルコに伝えようとした時、後ろが騒がしくなり既に計画は始まっていた。それからはあっと言う間だった。気づけばエミリアが崖から落ちていた。
「なんてことを!計画と違うわ!エム!」と泣き叫ぶリーリアに、エミリアを崖から落とした男は「むしろエミリア様には良かったじゃねぇか。王女様は残酷ですね?貴族のお嬢様の純潔を奪わせようとするなんて。」と言いにやりと笑った。マルコが近寄ってくると、男に金貨の入った袋を投げつけ「分かってるな?」と言った。「へいへい。足取りを掴まれないように、遠い国に逃げますよ~。お前ら行くぞ!」と言うと、馬に乗り三人の男たちが去っていった。
「エム!」と身を乗り出し泣き叫ぶリーリアをマルコは一瞥すると、自分の腕を切り付けもう一人の護衛に指示を出した。もう一人の護衛は誰か人を呼びに行ったようだった。マルコは何があったか聞かれたときに言う言葉を述べると、狂ったように泣くリーリアを抱き上げ馬車に乗せた。
それから宮殿に帰ったリーリアはひたすら泣き続けた。『どれほど怖い目にあったのだろうか』とクララが目に涙を浮かべ慰めてくれていたが、リーリアは『違う!』と泣き叫んだ。
次の日の朝、クララが『エミリア様の命は助かったみたいですよ。』と泣くリーリアに優しく言った。その後すぐ、アルフォンスとシャイルにリーリアは呼び出された。二人は疲れきっているようだった。マルコに言われた言葉を泣きながら述べるリーリアを、シャイルは目を赤くして気の毒そうな顔で見つめていた。だが、アルフォンスが何を考えているのがさっぱりリーリアは分からなった。澄んだ青い瞳が、リーリアを見透かしてる気がして、リーリアは怯え部屋を出た後過呼吸を起こした。
次の日、リーリアは迎えに来た後妻の母とフォスタ王国に帰国した。ごはんも食べず泣くリーリアを皆心配した。兄のセシルだけが、「泣く必要はない。エミリア嬢は一生目を覚まさない確率の方がずっと高いそうだ。しばらくしたら破談になるだろう。そうしたら、縁談を申し込もう?」と笑って言った。
―違うの!-
と何度もリーリアは心の中で叫んだ。震えながらも必死にリーリアを守ろうとしてくれたエミリアが脳裏から離れなかった。夢には宙を舞っていくエミリアが何度も出てきた。夢の中でいつも腕を掴もうとするのだが、決して掴めなかった。
それからリーリアは部屋に引きこもった。そんなリーリアに誰もが、「あれは事故だったんだ。リーリアが無事でよかったよ。」と言い、兄のセシルは「リーリアは何も悪くないよ。あれは事故だったんだ。」と言い続けた。
やがてリーリアは、
―私は悪くない。あれは事故だったの。不幸な事故だったのよ。―
と思うようになった。少しずつ回復し、一か月後卒業式に出席した。それでも、アルフォンスとシャイルの顔が見ることは出来なかった。
その約一年後、すっかり元気になったリーリアはアルフォンスと婚約した。半年前に、エミリアと破談になったのは知っていたが、自分が選ばれるとは思わなかった。喜ぶリーリアに、『アルフォンスが数多くの中からリーリアを望んだんだよ。』とセシルが教えてくれた。
それから、リーリアは毎月アルフォンスに会いに行った。エミリアの話は誰も口にしなかった。どこかシャイルは探るような目をしていたが、アルフォンスはいつも優しかった。リーリアのわがままを全部聞き、多忙な中時間を割いてくれていた。
どうしてもアルフォンスと一緒にダンスをしたくて、わがままを言いエドガー王国の夜会にはよく参加した。朝から精一杯着飾ったリーリアを見ても、アルフォンスは「似合ってるよ。」と微笑むだけだった。リーリアの前でアルフォンスはいつも笑顔だった。だが、熱い目でリーリアを見ること一度もなかった。「好きよ。」と言っても「ありがとう。」と言うだけで、愛の言葉を囁いてくれることもなかった。そんなアルフォンスの表情を唯一いつも変えていた白金の髪の女の子を思い浮かべては、リーリアは必死に打ち消した。
婚約者としてエスコートされるリーリアを皆ひそひそと噂していた。「エミリア様の方がずっとお似合いだったわ。」「エミリア様はなんてお気の毒なのかしら。」「領地で静養しているそうよ。」「殿下は本当にエミリア様のことはもういいのかしら?あんなに大事になさっていたのに。」「聞こえるわよ。リーリア様を選んだのよ。とやかく言うことじゃないわ。」と女性たちが噂するのをリーリアはよく聞いた。今まで友達だと思ってた人は、手のひらを反して離れて行った。憧れの王子様の婚約者だもの、嫉妬されて当たり前だわと何度も自分に言い聞かせ納得させた。
最初は気にしなかった。アルフォンスは多くの女性と踊っていたが、最初と最後は必ずリーリアを選んでくれたし、それに酔って甘えるリーリアを面倒くさがらずにいつも気遣ってくれた。だが、一年も婚約者として過ごすうちにリーリアはどんどん欲が出るようになった。エスコートやダンス以外で一度も手を握られたことはなかったし、未だキスさえしたことがなかった。それにリーリアの希望は全部かなえてくれるが、忙しいという理由で会いに来てくれることはなったし、アルフォンスからデートに誘うことは一度もなかった。
『愛されてない婚約者』と陰で言われるようになったリーリアは、結婚を急ごうと思った。結婚してしまえば、アルフォンスは自分のものになる。何を言われても耐えられると思った。だがアルフォンスはもちろんのこと、王妃でさえ早いと言った。王妃はリーリアに厳しかった。そのこともリーリアは不満だった。
だから、二週間もコリン王国に行くと聞いた時、自分も行きたいと言ったのだ。泊りとなれば、アルフォンスもさすがに自分に手を出してくるだろうと。クララは婚前なのにと文句を言っていたが、リーリアは早く既成事実が欲しかった。いつも白金の髪の子がリーリアの頭から離れないのだ。
だからアルフォンスの側はひと時も離れたくなかった。まさか、エミリアがコリン王国にいるなんて。エミリアが扉から現れたとき、リーリアは恐怖のあまり泣き出した。あの時の記憶はないようだったが、シャイルの疑う目を思い出して「会いたかった!」と抱きつくしかなかった。
―どうして・・・。二度と会いたくなかった!―
それからリーリアは自分で会いたいと言った手前、晩餐会に招待せざるを得なかった。誰よりも澄んだエメラルドグリーンの瞳を見るのが、リーリアは何よりも怖かった。必死で手が震えるのを押さえつけた。
―アルフォンスはどう思ってるの?―
婚約してから、『婚約したのだからアルと呼ばずに、アルフォンスと呼んで欲しい。』と言った隣の人物の顔を盗み見た。だが、見慣れた笑みからは何も読み取れなかった。




