ブルドン候爵領~エミリア15歳~
エミリアがブルドン侯爵領に出発するまでの数日間、エミリアとディアンの間にはほぼ会話がなかった。最初はいつも通り話しかけたエミリアだったが、返事も返さない兄に最終的に話しかけられなくなった。
毎朝の散歩は変わらず行われたが、クロだけが元気だった。ディアンは朝食と夕食はかならずエミリアと一緒に食べるようになり、エミリアは常に見られていて居心地が悪かった。
迎えに来た別荘行きの立派な王宮の馬車には、シャイルも乗っていた。侯爵家の馬車で行くと聞いていたので、不思議そうに見るエミリアに、『こっちのほうが乗り心地がいいんだよ。』とシャイルは言っていたが、心配してくれていることがエミリアに分かった。アリアンヌ王女は、友達と一緒に王都を既に経っているらしい。そしてディアンは見送りにも出てこなかった。
それから馬車で二時間揺られて、ようやくブルドン侯爵領にたどりついた。雪がないことに驚きはしたが、エミリアの心が躍ることはなかった。
王族の別荘は広かった。驚くエミリアに、『夜会を開くこともあるんだよ』とアルフォンスが教えていた。エミリアに与えられた部屋もとにかく広かった。
別荘に着いたので、さっそくアリアンヌ王女に挨拶に伺おうとすると、プールにいるとのことだったのでアルフォンスと向かう。シャイルは『家に顔を出してくる。明日からはこっちに泊まる』と言いでかけて行った。
プールにつくと、ビキニを着ている美女3人がいてエミリアはとても驚いた。貴族令嬢は露出するのを避ける傾向にあったからだ。昔みたいに足を見せないという時代ではないが、エミリアはいつも膝下のワンピースを好んでいた。
「アリアンヌ様。お久しぶりです。今回はお邪魔して申し訳ありません。」
「まぁ!エミリア久しぶりね。なんだかすっかりやつれちゃって。色々大変だったわね・・・。こちらはクロエ伯爵令嬢とキャサリン公爵令嬢よ。」
クロエは茶色の髪で切れ長の目をしており、目元にある泣きぼくろが印象的だった。キャサリンは赤の混じった金色の髪の毛をしていて、胸が3人の中で一番大きかった。
「初めまして。エミリア・ウェズリーです。クロエ様のお母様にはいつもお世話になっています。」
「話すのは初めてよね!母からいつも話は聞いているわ。少しディアン様の面影があるわ!そう思わない?キャサリン様?」
「そうね似ているわ!私ずっとあなたと話してみたかったの!今日は会えて嬉しいわ!」
「エミリアもプールで遊びましょう?ここは屋内だし日焼けの心配もないのよ!」
「いいえ・・・。水着を持っていないので・・・。」
「私のを貸すわよ?」
「姉さん。エムはまだ着いたばかりで疲れているみたいだし、また今度にしてあげて。御二方夕食で会いましょう。」
アルフォンスが咄嗟に助けてくれて、エミリアは部屋に戻ったのだった。その後、公務があるアルフォンスと別れエミリアは部屋の中で経営の本を読んでいた。だいぶ時間が流れていたが集中していたため、ドアのノックの音にも気づかなかった。
「エム。これは没収だよ。」
本を取り上げられたためエミリアはびっくりして振り返ると、アルフォンスがしかめっ面をして立っていた。
「殿下・・・。」
「そんな顔しないで。ノックしても返事がないからなにしてるかと思えば。エムこれは没収だからね。」
「・・・・・・。」
「もうすぐ夕食だよ。行こう!」
そう言われアルフォンスについていくと、既にみんなそろっていた。
「お待たせしました。」
エミリアが席につくと、和やかな食事が始まった。料理はどれも絶品だったが、エミリアの胃は受け付けなかった。皆が食事を食べ終わる前に席を立ったエミリアは、部屋のトイレで吐いた後バルコニーから沈んでいく夕日をじっと見ていた。
その後、アリアンヌ王女たちから夕食後の談話に誘われたが、エミリアは体調不良を理由に断った。お風呂を入り終え本も没収されやることがないので、バルコニーに出て星を眺めている時だった。隣の部屋からアルフォンスが出てきたのだ。
「殿下!何故?」
「知らなかった?僕の部屋は君の隣で、このバルコニーは二部屋繋がってるんだよ。」
「いやいや。待ってください。私はこんな格好ですし。どうかお戻りください。」
「エムがナイトウェアを着ていようが、今更気にする仲じゃないでしょ?」
「いやいや。私も嫁入り前です・・・。婚約者以外の男性にこのような格好をお見せする訳には・・・。」
「エムいつも言ってるでしょ?結婚しないって。」
「それはそうだけど・・・。殿下の婚約者が気にします!」
「僕に婚約者はいないもの。でも夜は冷えるよ。部屋に入ろうか。」
「いやいやいや。どうして私の部屋に入ってくるんですか!」
「気にしない気にしない~。」
そう言ってアルフォンスが入ってくる。明るいところでエミリアの顔を見たアルフォンスの顔が強張ったことにエミリアは気づいていなかった。
「ミルクたっぷりの紅茶でいいですか?」
「うん・・・。」
「アルフォンス様は昔から甘党だから。ふふ。」
そう言って紅茶を入れようとするエミリアをアルフォンスが止め、ソファーに座らせる。
「どうしたの?」
「ねぇ。エム・・・。」
「はい?」
「いつから眠れてないの?」
エミリアは、はっとした。化粧を落としていたことを忘れていたのだ。
「あ・・・・。」
「エムのことを小さい頃から見ているのに・・・。全く気づかなかったよ。食べ物を受け付けなくなっただけじゃなく、眠れてもいなかったなんて・・・。」
「あ・・・・・。お兄様には言わないで!」
「いや。エムは本格的に療養した方がいい。」
「お願いよ・・・。公爵家がもっと落ち着いたら必ず休むわ。今はまだ駄目なの・・・。」
「エム・・・。はぁ・・・・。分かった。その代わりこれからは体調が悪くても無理しないことを約束して。」
「約束するわ!」
「本当かな?」
「本当よ。今日はゆっくり過ごせたし眠れそうよ!それに眠くなってきたわ。だからアルフォンス様も部屋に戻って!」
「・・・。」
「嘘はつかないわ!」
そういいアルフォンスを部屋から追い出しベッドに入る。
―クロがいないけど・・・。今日は悪夢を見ないわ。大丈夫。―
エミリアがようやく眠りについた頃、アルフォンスが静かにベランダからエミリアの部屋に戻ってきたのだった。アルフォンスは寝息をたてているエミリアに安堵し、濃い隈を作りげっそりとやつれているエミリアの顔を悲しそうに見つめていた。
エミリアが寝て一時間経った頃だった。アルフォンスが部屋に戻ろうと思い立ち上がると、エミリアの顔が苦痛に歪み始めたのだ。どうやらひどくうなされているようだった。
「エム!エム!」
肩を揺すり起こすと、寝ぼけているエミリアが、
「あぁクロ。助けて怖いの・・・。クロ・・・。」
そう言いエミリアは泣き出す。
「どんな夢を見たの?」
「最後には誰もいなくなる夢。クロ・・・。助けて・・・。」
「エム。僕がそばにいるよ。ずっとそばにいる。」
アルフォンスはそう言い、エミリアの手を握り頭を撫でるとエミリアはまた寝入ったようだった。
翌朝エミリアが起きるとアルフォンスは既にいなかった。もちろんエミリアは昨夜のことなど覚えていない。久しぶりに薬を飲まずに眠れたエミリアは隈が薄くなっていることに少し笑顔がこぼれたのだった。




